昼間は、特別なことは何もなかった。
学校も、帰り道も、いつもと変わらない一日だったはずだ。
夜の住宅街に、異様な静けさが落ちていた。
街灯の光はいつもと変わらないはずなのに、輪郭がどこか曖昧で、音が遠い。
なのははすでにレイジングハートを構え、周囲を警戒していた。
肌にまとわりつくような圧。
空気が張り詰め、呼吸の音だけがやけに大きく聞こえる。
魔力反応は、はっきりとある。
強い。
だが、姿が見えない。
次の瞬間、空気が裂けた。
衝撃波。
なのはは反射的に踏み込み、紙一重でそれを躱す。
足元のアスファルトが抉れ、破片が跳ね上がった。
「……っ!」
着弾点の先。
赤い影が、夜空を切り裂くように現れる。
巨槌を担いだ、小柄な少女。
その体格に似合わぬ質量感をまとった一撃を構え、迷いなく突進してきた。
なのはは即座に防御魔法を展開する。
魔力障壁が展開され、直撃は防いだ──はずだった。
「くっ……!」
衝撃が腕を通して骨に響く。
防御越しでも、重い。
一撃で体勢を崩され、後退する。
少し離れた位置で、燐音は戦場を見ていた。
(魔法体系未照合。既知フレーム不適合)
(解析優先。戦闘介入条件未達)
なのはは踏みとどまり、声を張る。
「あなた、何が目的なの?」
問いかけに、返答はない。
少女──ヴィータは、歩みを止めない。
「待って!」
なのはは咄嗟に反撃する。
撃破を狙った一撃ではない。
距離を作り、話をするための攻撃。
ヴィータはそれを躱した。
だが、衝撃が風を裂き──
赤い帽子が宙を舞った。
地面に落ちる帽子。
一瞬、世界が止まったように感じられた。
ヴィータの視線が、ゆっくりとそれに落ちる。
次の瞬間、空気が変わった。
なのはは、理由もなく理解してしまう。
今までとは、違う。
「……触るな」
低く、抑えた声。
「ロード・カードリッジ!」
魔力が一気に跳ね上がる。
圧が、さきほどとは比べものにならない。
(出力更新。安全域逸脱)
(未解析状態での介入は周囲被害確率上昇)
なのはは最大出力の防御魔法を展開する。
今できる、最善。
だが──
砕けた。
防御が割れ、衝撃がそのまま身体を打ち抜く。
なのはの身体が宙を舞い、ビルの壁に叩きつけられた。
衝撃。
息が詰まり、視界が回る。
地面に落ち、瓦礫の横に転がる。
音が遠くなる。
世界が、水の中に沈んだようだった。
(……立たなきゃ)
思考が、うまく繋がらない。
手足に力が入らない。
それでも、なのははレイジングハートを探す。
指先が、ようやくそれに触れた。
震える手で、杖を握りしめる。
視界の端で、赤い影が近づいてくる。
追撃。
「……まだ戦意があるな」
ヴィータの声が、上から落ちてきた。
巨槌が構えられる。
──その時。
二人の間に、黒い影が割り込んだ。
「──っ!」
金色の刃。
フェイトだった。
「仲間か?」
問いに、迷いなく返る。
「友達だ!」
同時に、さらに二つの魔力反応が合流する。
アルフがヴィータへ。
ユーノが、なのはの元へ。
「なのは! 今、治療する!」
金色の魔法陣が広がり、痛みがわずかに和らぐ。
だが、完全ではない。
戦場は拡大した。
フェイトとアルフの連携に、ヴィータは押される。
速度と機動力。
二方向からの圧。
ついに、バインドが決まった。
拘束。
「管理局法に基づき──」
フェイトの声が響く。
だが、その瞬間、赤い閃光が割り込んだ。
鋭い衝撃。
フェイトの身体が弾き飛ばされる。
長剣。
シグナムだった。
一撃でフェイトを引き離し、
その隙に拘束が断ち切られる。
帽子がヴィータへ投げ返される。
「ありがとう」
短い礼。
戦線は再編された。
シグナムとフェイト。
ヴィータとアルフ。
ユーノは、なのはの治療を続ける。
だが──
フェイトの速さは通じない。
実戦で使える中で、最も威力のある一撃。
それを放っても、シグナムは敢えて受け切った。
無傷。
フェイトは理解する。
──土俵が違う。
一方、アルフも押され続けていた。
回避はできる。
だが、攻めに転じられない。
ユーノは歯を食いしばる。
(……このままでは、崩れる)
治療は、まだ途中だ。
それでも。
「ごめん……なのは」
治療を中断し、最低限の結界だけを残す。
援護へ。
それでも、戦況は変わらない。
瓦礫の傍で、なのはは戦場を見ていた。
(前線維持失敗)
(撤退条件未成立)
逆転する手段は、一つしかない。
結界の破壊。
なのはは決断し、魔力を集束させる。
「レイジングハート……」
その瞬間。
胸に、激痛。
視界が白く弾ける。
淡い光の球が、胸から引き出される。
それを掴む、手。
(補助個体によるリンカーコア捕捉を確認)
(主個体以外への不可逆的干渉を伴う)
呼吸が乱れる。
立っていることすら、難しい。
(当該個体群の行動は戦闘目的に限定されない)
(主保全のため、第三者への損耗を許容)
(脅威度再評価。既知使い魔モデルを逸脱)
それでも。
なのはは、魔法陣を維持する。
「……まだ……!」
痛みが、全身を貫く。
意識が揺れる。
それでも、魔力を放つ。
「スターライト──ブレイカー!」
砲撃が結界を貫き、夜空が割れる。
結界は崩壊し、
敵は即座に撤退行動に移る。
戦闘は、終わった。
なのはは、その場に崩れ落ちる。
レイジングハートは傷だらけで、
輝きは失われかけていた。
意識が遠のく。
(分析継続)
夜風だけが、跡地を吹き抜けていた。
エピローグ
──残ったもの
病室は、静かだった。
一定のリズムで鳴る機械音。
薄いカーテン越しに、夜明け前の光が差し込んでいる。
なのははベッドに横たわり、まだ目を覚まさない。
レイジングハートは、傍らに置かれていた。
表面には無数の傷。
応急処置は施されているが、かつての輝きは戻っていない。
フェイトは、その姿から目を離せずにいた。
守れなかった、という感覚。
勝てなかった、という事実。
ユーノは端末を操作しながら、低く呟く。
「……通常の戦闘記録とは、性質が違う。
魔力の消耗だけでは説明がつかない」
アルフは壁にもたれ、腕を組んだまま黙っている。
答えは、出ない。
◆
その頃。
住宅街の一角。
夜の名残が残る空の下で、燐音は一人、立ち止まっていた。
(戦闘終了を確認)
(管理局による事後処理を検知)
詳細は、分からない。
なのはの容体も、戦闘の全容も。
ただ一つ、確かなことがある。
(既知事象と一致しない魔力変動を記録)
(再発可能性を否定できない)
燐音は空を見上げる。
世界は、何事もなかったかのように朝を迎えようとしている。
だが──
このまま終わる出来事ではない。