魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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2 知らない街

 

 

 孤児院での生活が始まって、数日が経った夜のことだった。

 

 りんねは割り当てられた個室の簡素な寝台に腰を下ろし、胸元から下げたペンダントに、無意識のうちに指先で触れていた。金属の冷たさが、体温との差としてはっきり伝わる。

 

 特別な出来事はない。

 騒ぎもなく、事故もなく、危険な兆候もない。

 朝が来て、決められた時間に起き、食事をとり、年下の子どもたちの世話を手伝い、夜になって眠る──今日も一日が、規定通りに終わった。

 

 りんねは、その事実を感情を挟まず、淡々と確認する。

 

 転移直後に想定していた最悪の事態──生存の失敗、人類社会との不整合、即時の排除、あるいは拘束と解体的検査──はいずれも発生していない。周囲の人間は、彼女を「保護対象の子ども」として扱っており、過剰な警戒も敵意も見られなかった。

 

 現状は安定している。

 短期的にも、中期的にも、継続可能性は高い。

 

(この状態が維持されるのであれば)

 

 りんねは結論を再確認する。

 

(優先すべきは、余計な変化を招かないこと)

 

 環境への適応は順調だ。食事内容に問題はなく、睡眠も取れている。身体機能の低下も異常反応もない。孤児院という集団生活は想定外ではあったが、管理人夫婦の対応は合理的で、暴力や極端な干渉は確認されていない。

 

(下の子たちの世話は想定外だったが……致命的ではない)

 

 年少者は判断が単純で、行動原理も予測しやすい。突発的な接触や質問はあるが、脅威度は低い。対応コストも許容範囲だ。

 

 小さく息を吐いた、その瞬間だった。

 

『起動』

 

 低く抑えた無機質な音声と同時に、胸元で紫色の光が灯る。

 

「……」

 

 反射的に、りんねはペンダントを布団の下へ押し込んだ。指先の動きは速く、音も立てない。夜間とはいえ、この光量は無視できない。窓越しに外部へ漏れれば、不要な注目を集める可能性がある。

 

 平穏を維持するためには、説明不能な現象は表に出すべきではない。

 

 だが、発光はすぐには収まらなかった。

 

(役目を終えた後、因子を収集して変質するとは聞いていたが……)

 

 りんねは記憶を辿る。回収対象が一定の役割を終えた後、残留情報や環境因子を蓄積し、形状や機能を変える例は存在した。しかし──

 

(発光現象は想定外だ)

 

 この街で受けた簡易検査では、異常は検出されていない。医療機器はこの世界の水準に基づくものであり、未知技術の検出精度には限界がある。

 

 光源へ意識を向けると、紫の光は一定ではなく、わずかに明滅しているようにも見えた。周期性は不明。警告か、起動プロセスか、それとも単なる副作用か。

 

 慎重に布団を持ち上げ、光が外へ漏れないよう角度を調整した、その時だった。

 

『起動完了。利用者の登録を依頼』

 

 明瞭な合成音声。

 意味のある言葉。

 

 即座に、思考が高速回転に移行する。

 

(これは何だ。誰に向けた要求だ。利用者とは誰を指す)

 

 登録という語が示すのは、所有権か、管理権か、あるいは主従関係か。

 

 だが、意思疎通が成立している以上、情報の引き出しは可能だと判断する。

 

「お前は何だ」

 

『インテリジェントデバイスの特性を持ったストレージデバイス』

 

(自律性を持つ端末。会話機能を備えた補助装置……定義としては妥当)

 

 少なくとも、敵性存在や即時危険物ではない。

 

「利用者の登録とは何だ。私に何を求めている」

 

『登録を』

 

 簡潔すぎる応答。

 情報量が不足している。

 

 りんねは質問の角度を変える。

 

「利用者とは私か」

『肯定』

 

「登録する相手はお前か」

『肯定』

 

「登録しなければどうなる」

『……』

 

 一瞬の沈黙。

 

「何が可能になる」

『魔法』

 

「……」

 

 思考が、一瞬だけ停止する。

 

 魔法。

 物語や神話、空想の領域に属する概念。

 少なくとも、りんねの学習データには現実技術として登録されていない。

 

(事実であれば、完全に未知の体系だ)

 

 作用原理、エネルギー源、再現性、拡張性──すべてが不明。

 

(脅威度も、応用範囲も測定できない)

 

『登録を』

 

(この世界では一般的なのか?)

 

 短期間ではあるが、街中や孤児院で類似現象は確認していない。少なくとも、公的には秘匿されている技術体系だ。

 

『登録を』

 

 要求は変わらない。

 強制ではないが、拒否した場合の影響は不明。

 

 りんねは、リスクと利得を天秤にかける。

 

 拒否すれば、現状維持。

 受諾すれば、不確定要素の増加。

 

 だが──

 

(自衛手段を持たない状態で、この世界に留まり続けるのもリスクだ)

 

 結論は出た。

 

「……分かった。登録を行う。名前を与えればいいのか」

 

『付与を』

 

「お前の名称は“アグレ”。意味は……共にある、だ」

 

 即興だが、偽りではない。

 

『了解。本機名“アグレ”で登録。マスターを“りんね”に更新。完了』

 

 宣言の後、静寂が戻る。

 

 変化は、ない。

 

 身体的異常も、感覚の変調も確認されない。脳内ノイズもなく、視覚情報にも乱れはない。

 

「見たところ、影響はないな」

 

『仕様上、登録による生体影響は発生しません』

 

「応答が、少し滑らかになったか」

 

『利用者登録により、応答最適化が適用されています』

 

 必要最低限の確認を終え、りんねは判断する。

 

「今日はここまでだ。詳細は後日確認する」

 

『了解。ただし、念話機能の使用が可能です』

 

「念話とは何だ」

 

『非音声通信機能です』

 

(音声も装置も介さない通信……脳内完結型か)

 

 情報としては有用だが、今は優先度が低い。

 

 りんねは灯りを消し、布団に入った。

 

『良い明日を』

 

 翌朝、起床と同時に、意識だけでアグレに触れる。

 

(こうか)

 

『正確です』

 

 念話の仕組みを把握し、必要最小限の確認を終え、日常へ戻る。

 

 孤児院での生活を続けながら、りんねは断片的に情報を収集していった。

 

 魔法。

 デバイス。

 そして、この世界の位置付け。

 

(地球は第97管理外世界。秩序組織は存在するが、常時介入はしない)

 

 情報は揃いきらない。

 だが、不足しているからこそ、即断は避けるべきだ。

 

(自衛手段の確保は必要だが、拙速は避ける)

 

 その結論のまま、りんねは日常を終え、眠りについた。

 

 ◆

 

 数日後。

 

 管理人夫婦から声をかけられた。

 

「来月から四月でしょう? 学校の準備もあるから、念のため病院に行きましょう」

 

 学校。

 学習施設。

 集団行動。

 

(人類の教育体系を知る機会としては有用だ)

 

「分かった」

 

 車内で、夫婦ははやての近況を語った。

 

 りんねは相槌を打つことなく、窓の外を見ながら、それらを情報として受け取る。

 

(魔力反応は異常だが、干渉は保留)

 

 病院で再会したはやての姿を視界に収めた瞬間、りんねの内部で小さな警告が立ち上がる。数値化できない違和感。事前に得ていた人類の基準状態と、わずかに一致しない反応強度。

 

 だが、それを表に出す理由はない。

 

 りんねは短く挨拶を交わした。

 

 観察は続ける。

 判断は、まだ先だ。

 

 ──ー

 

 後日、名前の漢字を決める話が出た。

 

(識別子としての最適解を選ぶ必要がある)

 

 提示された候補を一つずつ確認し、りんねは迷わず一つを選ぶ。

 

 燐音。

 

 理由は単純だった。

 意味が明確で、読みが一定で、誤解が少ない。

 

「問題はありません」

 

 そう告げ、夫婦の姓を受け取る。

 

 星見里(ほしみざと)。

 

 家族名。

 集団に属するための識別子。

 

(十分だ)

 

 こうして、燐音はこの世界の制度の中に位置づけられた。

 

 小学校入学式の日。

 

 星見里 燐音として。

 

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