魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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21 失ったもののそばで

 朝の空気は、まだ少し冷たかった。

 

 目を開けた瞬間、なのはは天井を見つめる。

 白い板の目地が、いつもと同じ位置にある。それだけで、少しだけ落ち着いた。

 

 いつもなら──起き上がる前に、右手が動いていた。

 枕元。机の上。

 無意識に、そこにあるはずの気配を探すように。

 

 けれど、今日の右手は布団の上で止まった。

 

(……もう、しばらくは出来ない)

 

 そう理解した瞬間、胸の奥に何かが残る。

 悲しい、とは言い切れない。

 悔しい、とも少し違う。

 

 ただ、そこに空白がある。

 埋められていた場所が、そのまま残っている。

 

 なのはは一度、深く息を吸った。

 冷たい空気が肺に入る。

 目が覚める感覚は、はっきりしていた。

 

 布団の温もりを名残惜しく思いながら、体を起こす。

 床に足をつけると、ひんやりとした感触が伝わる。

 

 制服に袖を通し、ボタンを留める。

 動作は、いつも通りだ。

 鏡に映る自分の顔も、特に変わらない。

 

 変わっていない。

 それが事実だった。

 

 机の上に視線を向ける。

 レイジングハートは、そこにある。

 

 触れようとして、止める。

 今は、使えない。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 なのはは視線を逸らし、部屋を出た。

 

 高町家の朝は変わらない。

 母の声、食卓の匂い、テレビの音。

 昨日と同じ配置が、そこにある。

 

 その“同じ”が、ありがたい。

 

 朝食を終え、鞄を持つ。

 玄関で靴を履きながら、深呼吸を一つ。

 

「行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 扉が閉まる音を背に、なのはは外へ出た。

 

 冷たい風が頬を撫でる。

 空は澄んでいて、朝の光が眩しい。

 

 通学路を歩く。

 足取りは軽くないが、止まらない。

 

 日課だった朝の練習は、もう無い。

 それを避けているわけではなかった。

 ただ、手を伸ばす先に、それが無いだけだ。

 

 学校が近づくにつれ、街の音が増えていく。

 通学する子どもたちの声、自転車のベル。

 その中に混ざれば、自分も“普通”に見える。

 

(大丈夫)

 

 根拠はない。

 けれど、言葉にすると足は前に出た。

 

 教室に入ると、いつもの顔ぶれがある。

 

 アリサの声。

 すずかの笑顔。

 机の並び。

 窓から入る光。

 

 変わらない配置が、そこにあった。

 

 席に着き、ノートを開く。

 先生の声が聞こえる。

 チョークの音が黒板を擦る。

 

 集中はできている。

 それが、少しだけ落ち着かない。

 

 休み時間。

 廊下のざわめき。

 誰かの笑い声。

 

 その中に、燐音もいる。

 特別な動きはない。

 近づくでもなく、離れるでもない。

 

 なのはは、それを一度視界に入れて、すぐに意識から外した。

 今は、それでいい。

 

 昼休み。

 屋上に上がると、風が強かった。

 

 扉を開けた瞬間、冷たい空気が流れ込む。

 手すりに触れると、金属が冷たい。

 

 四人で並んで弁当を広げる。

 久しぶりの光景だった。

 

「なのはのお弁当、今日も美味しそうだね」

 

 すずかの言葉に、なのはは小さく笑う。

 

「お母さんがね」

 

 それ以上は言わない。

 聞かれないし、言わなくてもいい。

 

 アリサが話題を振る。

 クラスのこと、委員会のこと。

 すずかが相槌を打ち、なのはが頷く。

 

 風が吹き、包み紙が音を立てる。

 箸が弁当箱に触れる音が、やけに響いた。

 

 会話が一瞬、途切れる。

 誰も急いで埋めようとしない沈黙。

 

 なのはは、その空白をそのまま受け取った。

 

 燐音は黙って食事を続けている。

 特別な反応はない。

 それも含めて、ここにある光景だった。

 

(変わらない配置が、ここにある)

 

 それだけで、十分だった。

 

 午後の授業。

 ノートは取れる。

 答えも言える。

 

 ふとした拍子に、胸の奥が冷える瞬間がある。

 理由は分からない。

 それでも、立ち止まるほどではなかった。

 

 放課後。

 校門を出る。

 

 住宅街の道を歩き、夕焼けが街を染める。

 

 分かれ道で、アリサとすずかが手を振る。

 

「また明日!」

 

「うん、またね」

 

 二人の背中が遠ざかる。

 足音が減り、やがて一人分になる。

 

 なのはは、それを足音で理解した。

 

 夕焼けは綺麗だった。

 空が橙色に染まり、影が長く伸びる。

 

 立ち止まり、息を吐く。

 

(……大丈夫)

 

 言葉にすると、少しだけ前を向けた。

 

 失ったものは、まだ戻らない。

 それでも、日常は続いている。

 

 母が待っている。

 宿題がある。

 夕飯がある。

 眠って、朝が来る。

 

 その繰り返しが、今のなのはを支えていた。

 

 胸の奥の空白は、まだ消えない。

 消えないままでも、歩ける。

 

 なのはは小さく笑って、歩き出す。

 

 理由は分からないまま。

 分からなくても、日常は進んでいく。

 

 夕焼けの下、

 一人分の足音だけが、静かに響いていた。

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