フェイトが、同じ教室にいる。
それ自体は、
もう知っているはずのことだった。
名前も、立場も。
どうしてここにいるのかも。
アースラが地球に拠点を構えると聞いた時、
フェイトも、この街で暮らすことになると、
そう説明された。
だから──
転校してくると知った時も、
驚かないつもりだった。
──はずだった。
チョークが黒板を打つ乾いた音。
教師の声に合わせて、ノートを取る音が教室に広がる。
なのはは前を向き、授業を受けていた。
隣の席。
そこにフェイトが座っている。
(……知ってた、はずなのに)
視界の端で、金色の髪が揺れる。
フェイトは静かにノートを取り、教師の話を聞いていた。
姿勢はまっすぐで、余計な動きはない。
(……全然、違う)
頭で知っていることと、
同じ空間で時間を過ごすことは、別だった。
休み時間になると、教室の空気が少し緩む。
何人かの視線がフェイトに向かう。
転校生としての関心。
それ以上でも、それ以下でもない。
なのはは、特別なことはしなかった。
(今日は、普通でいよう)
フェイトが来ることは分かっていた。
だからこそ、
“特別扱い”はしないと決めていた。
昼休み。
弁当箱を出す音が重なり、
教室が一段、賑やかになる。
なのはが鞄を開けたところで、
腕を組んだ影が視界に入った。
「ねぇ」
アリサだった。
「来るって話は聞いてたけどさ」
すずかも小さく頷く。
「同じクラスになると、やっぱり印象違うね」
フェイトは一瞬だけ視線を上げ、
小さく会釈した。
余計な言葉はない。
でも、拒む気配もない。
「まあ、いいじゃない」
アリサはそう言って、
なのはの机を引き寄せる。
「お昼にしましょ。
話はそれから」
机を寄せ、弁当箱を並べる。
教室で食べる昼食。
それは、なのはたちにとっては、
いつもの光景だった。
少し遅れて、教室の入口に人影が立つ。
「……遅れた」
燐音だった。
すずかが手を振る。
「こっちだよ」
燐音は短く頷き、近づいてくる。
視線が一瞬だけフェイトに向いたが、
それ以上、何も言わない。
食事は、他愛のない話題で進んだ。
次のテストのこと。
体育の授業が嫌だという話。
購買のパンがすぐ売り切れるという愚痴。
なのはは笑い、聞き、箸を動かす。
(……こういう時間、だったんだ)
魔法が使えない日々。
失ったものを、まだ言葉にできない感覚。
それでも、
こうして同じ時間を過ごしている。
それだけで、
胸の奥のざわめきが、少しだけ静まる。
放課後。
校門へ向かう道。
アリサとすずかが前を歩き、
なのはとフェイトが少し遅れて続く。
会話は多くない。
でも、歩幅は自然に揃っていた。
夕方の空気が、少し冷たい。
なのはは前を向いたまま、思う。
(……知ってたはずなのに)
(隣にいる、って)
(こんな感じなんだ)
それは、すがるような感情ではなかった。
ただ、
日常に誰かがいるという実感。
今日は、それで十分だった。
◆
報告が終わり、
ブリーフィングルームには静かな空気が流れていた。
ホログラムには、
地球を中心とした魔力反応の記録と、
過去の闇の書事件の簡易データが並んでいる。
「──対象は、闇の書で間違いありません」
クロノの声は落ち着いていた。
「完成すれば、周辺一帯に壊滅的な被害をもたらす。
これは過去の事例から見ても、明白です」
リンディは頷き、続きを促す。
「ただし──」
クロノは一拍置いた。
「今回の蒐集行動は、過去と比べて明らかに遅い」
画面が切り替わり、
二つの時系列が重ねて表示される。
「闇の書事件では、完成までの期間はもっと短かった。
魔導師襲撃の頻度も高い」
「今回は違う、ということね」
「はい。
必要最低限の蒐集に留め、
管理局の介入を極力避けているように見えます」
リンディは腕を組んだ。
「学習している、あるいは──」
「慎重になっている、と考えるのが妥当かと」
クロノは続ける。
「闇の書は、完成さえすればいい。
途中経過で目立つ理由がありません」
しばしの沈黙。
その空気を破ったのは、
これまで黙って資料を見ていた人物だった。
「……その見立ては、
間違ってはいないと思うよ」
穏やかな声。
ギル・グレアムだった。
白髪が目立ち始めた頭を僅かに傾け、
ゆっくりと視線を上げる。
「闇の書はね」
懐かしむような、柔らかな笑み。
「壊しても、終わらないんだよ。
それはもう……
何度も確かめられている」
クロノが視線を向ける。
「完成を急がない。
けれど、確実に終点へ向かう」
「ええ」
グレアムは静かに頷いた。
「完成すれば──
あとは、壊れるだけだ」
一拍。
「誰の手に渡ってもね」
リンディが口を開く。
「問題は、どこで動くか、ね」
「環境を選ぶ」
グレアムはホログラムを見つめたまま言う。
「魔力密度。
監視網。
それから……人の数」
「地球、ですね」
クロノが即座に応じる。
「そう」
穏やかな肯定。
「管理外世界で、
魔導師の流入が多い。
監視は厳しいが、完全じゃない」
リンディは小さく息を吐いた。
「拠点を置くには、条件が揃っている」
「完成を目的とするなら、
長く留まることになる」
グレアムは続ける。
「闇の書は、焦らない。
慎重で……
見つからないことを、何より優先する」
「……だから、蒐集頻度が低い」
クロノが呟く。
「そういうことだろうね」
リンディは視線を上げた。
「では、こちらの方針は?」
クロノが答える前に、
グレアムが一歩だけ前に出た。
「急ぐ必要はないよ」
命令ではない。
だが、迷いもなかった。
「あれは、
いつも“自分から”完成へ近づく」
「罠を張る、という理解で?」
「ええ」
リンディは頷く。
「刺激しすぎず、
逃げ場を完全には塞がない」
「追い詰めれば、
予測不能な力を使う可能性がある」
「だからこそ、
こちらが“動かせる範囲”で管理する」
グレアムは、それに異を唱えなかった。
「賢明な判断だと思うよ」
ただ、その視線は
どこか遠くを見ていた。
「……最終的にはね」
静かな声。
「あれは、
そういうものだから」
◆
夜。
なのはは自分の部屋で、
静かに天井を見つめていた。
魔法は使えない。
レイジングハートも、今ここにはない。
それでも、
明日は来る。
(……一人きりじゃ、ない)
そう思えただけで、
今日は悪くなかった。
窓の外で、夜風がカーテンを揺らした。