魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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27 余波

 シャマルの診断は、静かなものだった。

 

「……少し、疲れが溜まっているみたいですね」

 

 声は穏やかで、必要以上に踏み込まない。

 けれど、放っておく気配もない。

 

 はやてはベッドの縁に腰掛けたまま、軽く肩をすくめてみせる。

 

「無理はしてへんつもりやけど……」

 

 笑って言ってしまえる程度の言葉。

 この部屋の空気は、まだ日常の延長にある。

 

 シャマルは否定しなかった。

 否定すれば、はやては理由を探してしまう。

 理由を探せば、答えに近づいてしまう。

 

「そう感じているなら、今日はそれで大丈夫です」

 

 医師としての距離。

 家族としての優しさ。

 その両方を、言葉の外側に置く。

 

「今日は早めに休みましょう。

 また明日、様子を見せてください」

 

「うん。ありがとな」

 

 はやては頷く。

 それ以上、理由を聞こうとはしない。

 

 信じているからだ。

 自分の“家族”を。

 

 シャマルの手が、そっと布団を整える。

 それは看護でもあり、世話でもあり、──日常の手つきだった。

 

「何か欲しいもの、ある? 水とか」

 

「んー……大丈夫。今は眠い」

 

 あくびを噛み殺す仕草まで、いつも通り。

 痛みも、苦しさも、まだ見えていない。

 

「分かりました。では、電気を少し落としますね」

 

 シャマルがスイッチに手を伸ばす。

 灯りが柔らかく弱まると、部屋の輪郭が丸くなった。

 

 はやては肩の力を抜いて、枕へ頭を預ける。

 

「シャマル……」

 

「はい」

 

 呼ばれて振り返る。

 はやては目を閉じたまま、小さく笑った。

 

「……なんか、落ち着くわ。こうしてると」

 

 主は何も疑っていない。

 疑う理由が、ここにはない。

 

 シャマルは一拍だけ黙り、言葉を選ぶ。

 

「……よかった」

 

 それだけで十分だった。

 余計な慰めも、過剰な言い訳も要らない。

 

 はやてが息を整える。

 寝息に変わりかける、その境目。

 

「おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 扉を閉める音は、できるだけ小さく。

 足音も、できるだけ軽く。

 

 廊下へ出た瞬間、シャマルはようやく息を吐いた。

 胸の奥に溜めていたものが、少しだけ外へ流れる。

 

 ──まだ、壊してはいけない。

 

 この家の“日常”を。

 

 騎士たちは、主の部屋から距離を取った場所に集まっていた。

 

 誰かが合図を出したわけでもない。

 ただ、必要になれば自然と揃う。

 それが、家族の形だった。

 

 シャマルが最初に口を開く。

 言葉は短く、余計な感情を削り落とした。

 

「……進行しています」

 

 シグナムが目を伏せる。

 ヴィータが舌打ちを飲み込む。

 ザフィーラは一度だけ小さく息を吐いた。

 

 主の前では言えない。

 主に言わせてはいけない。

 

 だから、ここで言う。

 

「今日のところは、疲労として誤魔化せます」

「次は?」

 

 シグナムの声は低い。

 問いは怒りでも責めでもなく、確認だった。

 

「……保証できません」

 

 沈黙が落ちた。

 

 誰かが言い出すのを、待っているわけではない。

 ただ、決める前の時間が、そこにあった。

 

 これまでは二人一組だった。

 互いの背中を預ける形で動き、事故を減らす。

 危険があれば退き、主のところへ戻る。

 

 それは守りの形であり、同時に──まだ“日常”を守れる速度でもあった。

 

 シグナムが言葉を切る。

 

「分散する」

 

 短い言葉だった。

 命令でも提案でもない。

 当然のように置かれた決定。

 

 反論は出なかった。

 代わりに、理解だけが共有される。

 

 ヴィータが腕を組む。

 不満ではない。

 腹立たしさは、状況に向いている。

 

「二人で動いてた方が楽だった。……でも、早いのは分かってる」

 

 ザフィーラが小さく頷く。

 

「接触回数を減らし、露見を抑えるなら……正しい」

 

 シャマルは目を閉じる。

 その「正しい」が、どこへ繋がるかも含めて。

 

 分散すれば、対応範囲は広がる。

 蒐集効率も上がる。

 だが、孤立する時間が増える。

 

 守れるものが、減る。

 

 それでも──選ぶ。

 

 主のそばを空ける時間を、これ以上伸ばさないために。

 

 シグナムが視線を走らせる。

 

「重点は同じだ。戦闘は最小限。

 蒐集は必要な分だけ。不要な損耗は避ける」

 

 言い方は穏やかだが、実態は切迫している。

 切迫を言葉にしないのは、主のため。

 そして自分たちのためでもあった。

 

「蒐集自体は、今の段階なら“日常の延長”だ」

 

 シグナムが続ける。

 言い聞かせるようでもあり、確認するようでもある。

 

 日常の延長。

 ──まだ、そう言い切れる。

 

 ヴィータが肩を竦める。

 

「日常って言う割に、面倒は増えてるけどな」

 

 冗談に見せた言葉。

 だが誰も笑わない。

 

 シャマルは、言葉を選びながら告げる。

 

「……主は、まだ何も気づいていません。

 だから……気づかせないでください」

 

 命令ではない。

 お願いでもない。

 ただの確認だ。

 

 ザフィーラが短く答えた。

 

「当然だ」

 

 シグナムは一拍置き、静かに頷く。

 

「我々が背負う。主には背負わせない」

 

 それが騎士の誓いであり、家族の約束だった。

 

 ヴィータは言葉を返さず、拳を握る。

 握った拳の中で、苛立ちが形を変える。

 

 ──守るためなら、何でもする。

 

 その「何でも」が、少しずつ日常を侵し始めていることを。

 この時点では、まだ、誰も口にしない。

 

 ◆

 

 管理外世界。

 

 乾いた風が吹き抜ける。

 荒れた大地に砂が薄く積もり、空の色は淡い。

 

 ここには都市がない。

 監視の目も薄い。

 ──だから選ぶ。

 

 選ばされている、という感覚を。

 ヴィータは、まだ言葉にしない。

 

 小さく舌打ちし、ハンマーの柄を握り直した。

 

 原生生物の群れが蠢く。

 一体一体は大したことはない。

 それは、数字としては分かっている。

 

 だが──

 

「……ちっ」

 

 ハンマーを振るう。

 叩き潰す。

 跳び退く。

 

 終わらない。

 

 敵が強いわけじゃない。

 ただ数が多い。

 そして、地形が悪い。

 

 砂に足を取られるほどではない。

 だが、踏み込みの感触が鈍い。

 着地の瞬間、ほんのわずかにズレる。

 

 そのズレが、積み重なる。

 

「前より、面倒くさくなってんだよ……」

 

 独り言。

 誰にも聞かせない声。

 

 以前なら、二人で動いていた。

 片方が潰し、片方が拾う。

 蒐集は短く終わり、主のもとへ戻れた。

 

 効率は上がっている。

 数字上は、確実に。

 

 それでも──

 肌感覚が、追いつかない。

 

 孤立している時間が増える。

 背中を預ける相手がいない。

 

 その事実が、戦闘の合間に、じわじわ効いてくる。

 

 ヴィータは跳躍する。

 空中でハンマーを振りかぶり、落とす。

 

 砂が弾け、視界が白く濁った。

 

 次の一体。

 その次の一体。

 

「……ったく!」

 

 叩いて、叩いて、叩く。

 単純な作業に見えるのが、余計に腹立たしい。

 

 蒐集のため。

 主のため。

 

 分かっている。

 分かっているからこそ、苛立ちは外へ向けられない。

 

 向けられない苛立ちは、手数になる。

 手数は疲労になる。

 疲労は判断を鈍らせる。

 

 ──最悪だ。

 

「ッ!」

 

 横から突っ込んできた個体を、反射で打ち返す。

 砂が舞う。

 また視界が白くなる。

 

 砂煙の向こうに、影がいくつも揺れる。

 

 まだいる。

 まだ終わらない。

 

 ヴィータは歯を噛み締めた。

 

「……時間、食いすぎだろ」

 

 口に出した瞬間、自分で分かる。

 “時間”を意識した時点で、余裕が削れている。

 

 主の顔がよぎる。

 寝息。

 笑顔。

 信じきった目。

 

 ──信じてるんじゃねぇよ。

 

 言えない言葉が、喉の奥で燃える。

 

 だから潰す。

 だから拾う。

 だから終わらせる。

 

 ヴィータは地面を蹴り、群れの中心へ踏み込んだ。

 

 砂が巻き上がる。

 視界が削られる。

 

 その瞬間──

 

 精密すぎる魔力反応。

 

 桃色の光が走る。

 

 眩しい、ではない。

 派手でもない。

 

 ただ──

 速く、正確で、迷いがない。

 

 巻き込まない。

 外さない。

 

 逃げ場だけを、正確に塞ぐ軌道。

 

「……なっ」

 

 反射的に身構える。

 だが攻撃は当たらない。

 当てる気が、最初からない。

 

 狙っているのは、敵でも自分でもない。

 ──空間そのもの。

 

 砂煙が、さらに濃く広がった。

 

 視界が遮られる。

 白い。

 何も見えない。

 

 なのに──分かる。

 

 この距離。

 この位置。

 この“待つ”感覚。

 

 濃い砂ぼこりの向こうに、何かがいる。

 

 姿は見えない。

 輪郭も掴めない。

 

 だが──

 逃げてもいない。

 

「……誰だよ」

 

 返事はない。

 

 砂が舞い、音だけが遅れて届く。

 自分の呼吸。

 遠くの砂の擦れる音。

 

 原生生物の気配が、いつの間にか薄れている。

 

 消えた?

 逃げた?

 

 違う。

 

 ──追い払われた。

 

 ヴィータは理解し、奥歯を噛み締める。

 

 こっちは蒐集の途中だ。

 邪魔される理由がない。

 

 なのに、邪魔されている。

 

 ──管理局か?

 

 一瞬よぎる。

 だが、決めつけるには早い。

 

 ここにいる。

 ここに割り込める。

 それでいて、殺す気配がない。

 

 それが、余計に不気味だった。

 

 砂の向こうに向けて、ハンマーを構える。

 

 見えない相手に向き合う。

 見えないまま、距離を測る。

 

 それでも──

 確かに、向き合っている。

 

 ヴィータは、一歩も退かなかった。

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