魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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31 揺れているだけ

 朝の空気は、いつもと変わらなかった。

 

 カーテン越しの光も、窓の外の音も、穏やかで、静かで。

 それなのに、はやては一度だけ胸のあたりに手を当て、小さく息を整えた。

 

「……大丈夫や」

 

 誰に言うでもなく、そう呟く。

 実際、嘘ではなかった。

 

 数日前よりは楽だった。

 夜中に息苦しさで目が覚めることも減り、朝もきちんと起きられている。

 体調が「良くなってきた」という実感は、確かにある。

 

 だからこそ、その一瞬の違和感は言葉にしづらかった。

 

 シャマルは、その様子を見逃さなかった。

 視線を向けたのは一瞬。だが、その後の動きが、わずかに遅れる。

 

「無理は、なさらないでくださいね」

 

 声は、いつも通り柔らかい。

 はやてを安心させるための、よく知っている調子。

 

「うん。分かってる」

 

 はやては笑って返す。

 気を遣わせたくない、というより──

 本当に、そこまで深刻だとは思っていないからだ。

 

 シャマルはそれ以上、何も言わなかった。

 否定もしないし、肯定もしない。

 

 ただ、医療用の端末を手に取る回数が、少しだけ増えた。

 

 数値は、劇的に悪化しているわけではない。

 緊急搬送が必要な状態でもない。

 今すぐ命に関わる段階では──まだない。

 

(……ですが)

 

 心の中で続きを言いかけて、シャマルは止めた。

 

「まだ」という言葉は、

 医師にとって最も扱いづらい。

 

 はやての状態は安定している。

 だが、それは「安全」と同義ではない。

 

 安定しているからこそ、

 次に崩れる瞬間が読めない。

 

「シャマル?」

 

 視線に気づき、はやてが首を傾げる。

 

「何かあった?」

 

「いいえ」

 

 即答だった。

 迷いも、間もない。

 

「今日は、少し早めに休みましょう。

 最近は調子が良い分、動き過ぎてしまいがちですから」

 

「そっかぁ……」

 

 少し残念そうにしながらも、はやては素直に頷いた。

 

「でも、ほんまに最近は楽になってきてるんやで」

 

 その言葉は、真実だった。

 だからこそ、シャマルは返事をしない。

 

 否定すれば嘘になる。

 肯定すれば判断を誤る。

 

 医師として。

 そして、家族として。

 

「……はい」

 

 結局、それだけを返した。

 

 シャマルは端末を閉じないまま、しばらくその場に立っていた。

 数値を確認するでもなく、新しい操作をするでもなく。

 

 ただ、

 この状態が「いつまで続くか」を計算していた。

 

 その答えが、

 そう遠くない場所にあることだけは、はっきりしていた。

 

 ◆

 

 通信は短く終わった。

 

 シャマルの声は、いつも通り落ち着いている。

 容態の説明も、指示も、余分な言葉はない。

 

『……分かりました。こちらで対応します』

 

 それで切れる。

 

 ヴィータは、通信が途切れた後もしばらく何も言わなかった。

 ハンマーの柄を握り直し、視線を落とす。

 

「……一緒にいられねぇな」

 

 誰に向けた言葉でもない。

 

 はやてが望むのは、

 特別なことではない。

 

 戦わなくてもいい。

 守らなくてもいい。

 

 ただ、

 同じ場所で、同じ時間を過ごすこと。

 

「それでもだ」

 

 シグナムが静かに言った。

 

「主を守るために、離れる時がある」

 

 否定ではない。

 だが、完全な同意でもない。

 

 家族であることと、

 常に一緒にいること。

 

 似ているが、重ならない。

 

 ザフィーラは何も言わず、外を見ていた。

 主の気配がある方向ではなく、戻るべき場所を測るように。

 

 誰も間違っていない。

 誰も嘘はついていない。

 

 それでも、

 同じ「家族」という言葉を使いながら、

 立っている場所だけが、少しずつ違っていた。

 

 ◆

 

「はやてちゃんね、最近ちょっと体調が良くないみたいで」

 

 すずかは、言葉を選ぶように切り出した。

 

「病院に行くことも多いって聞いたの。

 この前も、付き添いの人と一緒だったよ」

 

「付き添い?」

 

 アリサが自然に反応する。

 

「うん。大人の人で、すごく落ち着いてて……

 お医者さんみたいな感じの人」

 

 すずかは少し考えてから続けた。

 

「それでね、その人が燐音ちゃんのことも知ってるって」

 

「は?」

 

 今度はアリサが声を上げる。

 

「どういうことよ、それ」

 

「詳しくは分からないんだけど……

 はやてちゃんと燐音ちゃん、友達なんだって」

 

 なのはは、その話を黙って聞いていた。

 

 驚きはある。

 だが、違和感はない。

 

 燐音の交友関係が広いことは、今に始まった話ではない。

 

「……大変そうだね」

 

 それ以上は続けなかった。

 

 困っている子がいる。

 ただ、それだけの話だ。

 

 話題は自然に別の方向へ流れていく。

 

 この時点で、

 誰も繋げる理由を持っていなかった。

 

 ◆

 

 無限書庫は、今日も静かだった。

 

 書架の奥へ進むほど、音は消えていく。

 足音も、端末の操作音も、吸い込まれていく。

 

 ユーノは立ち止まり、表示を見つめていた。

 

 闇の書。

 完成条件。

 発動結果。

 

 記録そのものは、確かに残っている。

 だが、並べると噛み合わない。

 

 完成しても、事態は終わらない。

 破壊されても、記録は途切れない。

 

 主を変え、形を変え、

 同じ工程が繰り返されている。

 

(……単なる事故とは、言い切れない)

 

 暴走、という言葉でも、

 この挙動のすべては説明できなかった。

 

 だが──

 なぜそうなるのか。

 

 記録からは、読み取れない。

 

 目的も、終点も、

 はっきりとした形では残されていなかった。

 

 ユーノは、端末を閉じる。

 

 結論は出ない。

 だが、放置できる違和感でもない。

 

「……リンディ提督に、途中経過を」

 

 断定はしない。

 ただ、

 今はまだ分からない、という事実だけを共有するために。

 

 無限書庫は、何も答えない。

 

 だが、その沈黙は、否定でもなかった。

 

 世界は、まだ壊れていない。

 

 だが──

 触れただけのドミノは、確かに揺れていた。

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