魔法少女リリカルなのは  隣を歩く人   作:維伶@供養中

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4 少し離れた場所

 昨日までと、同じ朝だった。

 

 天気は晴れ。

 雲量は少なく、日照は安定している。

 

 気温も、予測の範囲内。

 前日との差異は、誤差として処理できる程度だった。

 

 燐音は決められた時間に起き、支度を整え、孤児院を出た。

 足取りに乱れはなく、身体状態も平常。

 

 特別な変化はない。

 少なくとも、外的要因に関しては。

 

(異常なし)

 

 そう結論づけて、思考を切る。

 判断を保留する理由は、見当たらなかった。

 

 ◆

 

 教室の空気は、落ち着いていたように見えた。

 

 騒音レベルは低く、机や椅子の配置も乱れていない。

 前日の衝突の痕跡は、表面上は残っていなかった。

 

 声の調子も、視線の交差も、通常の範囲に収まっている。

 敵意や緊張を示す兆候は、顕在化していない。

 

(衝突は、いったん沈静化したように見える)

 

 ただし、それは「見える範囲」に限った話だ。

 

 完全な解消とは断定できない。

 感情の残留は、観測しづらい形で残ることが多い。

 沈殿し、時間差で再浮上する例も、過去に確認している。

 

 前方の席では、高町なのはが、同じクラスの児童と短い言葉を交わしている。

 声量も距離も、平均値に近い。

 

 笑顔は控えめだが、会話は成立していた。

 

 ただし、動きはやや慎重だった。

 立ち上がる際の間。

 視線を向けるまでの、わずかな遅れ。

 

(安定しているように見えるが、確証はない)

 

 結論は出さない。

 現段階では、評価を固定する材料が不足している。

 

 ◆

 

 昼休み。

 

 廊下の人流が増え、教室内の密度が下がる。

 その変化に合わせるように、なのはは燐音の前で足を止めた。

 

「ねえ、燐音ちゃん」

 

 呼ばれて、燐音は顔を上げる。

 反射的な動作。

 意識的な判断は、まだ挟んでいない。

 

 なのはの表情は、昨日と同じではなかった。

 完全に戻ったとは言えない。

 だが、視線は逸れていない。

 

(前を向こうとしている)

 

 数値化はできないが、変化は観測できる。

 

「昨日のことだけど……」

 

 なのはは言葉を選ぶように、一度視線を落とした。

 沈黙は短い。

 

「ありがとう。あの後、ちゃんと考えたよ」

 

 燐音は頷かない。

 肯定も、否定もしない。

 

 評価は、まだ先だ。

 

「考えた、とは」

 

 問いは簡潔。

 感情を含ませない。

 

 なのはは、少しだけ困ったように笑った。

 

「どうしたいか、かな。

 全部うまく言えないけど……逃げたくは、ないなって」

 

 その答えは、燐音にとって明確ではない。

 

(どうしてそう選ぶのか、まだ掴めない)

 

 だが、なのはの声は安定していた。

 揺れは少ない。

 昨日よりも、確実に。

 

 燐音は、昨日の言葉を想起する。

 

 ──高町は前を向ける。

 

 それが事実だったかどうかは、まだ判断できない。

 だが、少なくとも今の彼女は、立ち止まってはいない。

 

 ◆

 

 放課後。

 

 廊下の向こうから、聞き慣れない音が届いた。

 

 高い声。

 反発する声。

 

 感情の振幅は、昨日よりも大きい。

 強度も、持続時間も。

 

(くすぶっていたものが、また表に出た)

 

 燐音は足を止める。

 視線を向けずとも、対象は特定できた。

 

 アリサ・バニングス。

 

 声の方向、内容、周囲の反応。

 要素は揃っている。

 

 衝突の規模は、拡大している。

 だが、教師の介入は、まだない。

 

(今はまだ、大人が止めに入る段階ではない)

 

 合理的な判断は、静観だった。

 介入はリスクを増やす可能性が高い。

 

 それでも、燐音は動かなかった。

 

 理由は、はっきりしない。

 

 昨日と同じ判断基準では、説明できない。

 

(基準そのものが、僅かにずれている)

 

 自覚はある。

 だが、補正方法が見つからない。

 

 ◆

 

 衝突は、すぐには終わらなかった。

 

 言葉がぶつかり、距離が開き、

 しばらくしてから、ようやく互いに背を向ける。

 

 解消ではない。

 一時的な中断に近い。

 

 教室に戻る途中、燐音はなのはの姿を見つけた。

 

 今度は、机に伏せてはいない。

 だが、視線は下を向いたままだ。

 

(立ち直ったとは言い切れない)

 

 燐音は、距離を取った位置で立ち止まる。

 

 声をかける理由はない。

 介入による利点は、算出できない。

 

 だが、声をかけない理由も、見つからなかった。

 

 判断が宙に浮いたまま、言葉が先に出る。

 

「……高町」

 

 なのはが顔を上げる。

 

「燐音ちゃん……」

 

 声は小さい。

 だが、逃げてはいない。

 

「さっきのは」

 

 なのはは、言葉を探しながら続けた。

 

「また、喧嘩になっちゃって」

 

 燐音は、即答しなかった。

 

 慰めは、不要だ。

 解決策も、求められていない。

 

 必要なのは、否定しないこと。

 

「昨日と、よく似ている」

 

 なのはが瞬きをする。

 

「同じ?」

 

「まだ、途中だ」

 

 燐音は、それ以上説明しない。

 言語化するほど、理解できていない。

 

 なのははしばらく黙り込み、

 やがて小さく息を吐いた。

 

「……燐音ちゃんって、やっぱり変だね」

 

 燐音は否定しない。

 

「知っている」

 

 ◆

 

 帰り道。

 

 空は、昨日よりも少しだけ暗い。

 雲の位置が違うだけだが、印象は変わる。

 

 燐音は歩きながら、内部処理を続ける。

 

 昨日の判断。

 今日の判断。

 

 一致していない。

 

(判断の基準が、少しずつ噛み合わなくなっている)

 

 その揺れの原因は、まだ特定できない。

 

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 

 ──この世界の子どもは、

 こんなふうに他者へ手を伸ばす。

 

 合理的ではない。

 効率も、保証もない。

 

 理解はできる。

 だが、自分の中に芽はない。

 

 それでも、その行動を

「意味がない」と切り捨てる理由も、

 見当たらなかった。

 

 燐音は空を見上げ、視線を戻す。

 

 観測は続く。

 距離は、まだ保つ。

 

 ──一歩だけ、引いたまま。

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