7 最初の違和感
夕暮れは、街の輪郭を曖昧にする。
昼の名残がまだ空に滲む時間帯。
建物の影が伸び、人の気配だけが先に薄れていく。
燐音は、その中にいた。
特別な理由はない。
この時間帯の環境を確認することは、
彼女にとって日常の延長だった。
帰宅前に遠回りをする。
歩行経路を少し変える。
それだけで、観測できる情報量は増える。
アグレから魔法に関する基礎知識を得て以降、
燐音は低精度だが広範囲の探知・感知結界を常用している。
精密さは期待していない。
代わりに、量を取る。
都市という環境は情報が多い。
人の感情、電磁ノイズ、建造物による反射。
雑音も多い。
だが、この結界はそれを前提に設計されている。
──その結界に、
微細な乱れが走った。
(方向)
(密度)
(減衰率)
(魔力成分)
数値としては弱い。
一過性。
視認できるほどの現象ではない。
街の誰も、空を見上げない。
自然現象とは一致しない。
魔法由来の干渉として分類される。
危険度は低い。
緊急性もない。
現時点で、行動に移る理由は存在しなかった。
燐音は判断を保留する。
結界の内側で起きた変化は、
それ以上の情報を伴わなかった。
◆
翌日。
通学路はいつも通りだった。
信号の切り替わる周期も、
人の流れも、前日と変わらない。
燐音は周囲に合わせて歩く。
主張はしない。
流れを作る立場でもない。
列の中央でも、先頭でもない位置。
それは、自分で選んだものだ。
教室では、
高町なのはの声がよく響く。
アリサ・バニングスが会話を引き、
月村すずかがそれを補う。
三人の関係性は安定している。
視線のやり取り。
話題の受け渡し。
立ち位置。
無理がない。
燐音は、
その少し外側にいる。
距離は一定。
近づきすぎず、離れすぎない。
それで問題はなかった。
◆
放課後。
「今日、海鳴公園に寄っていかない?」
なのはの提案は、
思いつきに近い調子だった。
アリサが即座に頷く。
「いいわね。少し歩きたいし」
すずかも、穏やかに同意する。
「うん。寄り道くらい、いいよね」
行き先は決まった。
理由は共有されない。
燐音は否定しなかった。
同行しない理由も、提示されなかった。
四人は、自然に歩き出す。
◆
夕方の公園は、まだ人が多い。
遊具の軋む音。
犬の鳴き声。
舗道を踏む足音。
探知結界は、
この程度の雑音には反応しない。
だが──
なのはが足を止めた。
「……待って」
言葉より先に、
彼女は茂みの方へと向かう。
判断は独断だった。
燐音は、
動線を確認しながら後を追う。
不用意に距離を詰めない。
茂みの奥に、
小さな動物が倒れていた。
見た目はイタチに近い。
だが、体表に残る反応が、
生物としては不自然だった。
念話。
微弱だが、
意図を持った通信。
(通信形式)
(指向性)
(持続性)
首元に、
小さな装置が固定されている。
(構造)
(演算補助)
(生命維持)
(使用者依存)
アグレが提示していた理論モデルと、
部分的に一致する。
完全には合致しない。
用途と目的は、確定できなかった。
だからこそ、
判断は保留される。
◆
「……生きてるよね」
なのはが、確認するように言った。
「呼吸、してるわ」
アリサが即座に応じる。
すずかは、そっと周囲を見回す。
「人、集まってきそう……」
燐音は、
結界の反応を再確認する。
反応は低い。
暴走の兆候もない。
「病院、行こう」
なのはが言った。
迷いはない。
アリサが頷き、
すずかが道順を口にする。
燐音は最後に動く。
周囲の視線と流れを確認し、
距離を保ったまま同行した。
解析は行わない。
今は、対象が静かすぎる。
◆
動物病院で、
小動物は大人の手に引き渡される。
専門的な処置が始まり、
四人の役割は、そこで終わった。
詳しい説明は求めない。
必要もなかった。
◆
帰り道。
空は、ゆっくりと色を変えていく。
街灯が灯り、
昼と夜の境界が曖昧になる。
燐音は、
昼間に拾った情報を内部で並べ直す。
飛来時の干渉。
念話通信。
魔導デバイス。
(共通項)
(相違点)
(再現性)
結びつけるには、
まだ足りない。
だから、結論は出さない。
四人は、
自然に別れた。
特別な言葉は交わさない。
それで問題はなかった。
燐音は、
日常の流れへ戻っていく。
夜は、まだ始まっていない。