「玉藻も遊んでくれん、眠鬼は物足りん……どうしたもんかな」
隠形の術を使い、灰耶は町を歩いていた。
思い返されるのは絶鬼との闘い。
あの時の、積み上げたもの全部薪にしたような熱を、どこかで味わえないかと灰耶は思案していた。
ぼーっとしていた灰耶は、川の方から妖気を感知する。
妖気の乱れ具合からして争いごとだ。
「……悪いやつがおったらぶっ飛ばせばええか」
灰耶は軽い気持ちで争いごとに首を突っ込むことにした。
川を覗きこむと、半魚人のような妖怪と道士の服を着た男が相対している。
「人間が川を汚した、わしの体はぼろぼろだ……!」
「だから人間を襲っていいと?」
「まっまて、わしはちょっと脅かしただけで……!」
喋る妖怪に、道士は躊躇いなく攻撃用の霊符を投げつける。
灰耶はその符を、【
妖怪は慌てて川に潜る。
「パッと見お主の方が話通じなさそうじゃな」
道士の男の前に立つと、道士は驚いたような顔をした。
「お前は……鵺野先生の子飼いの魔王……!」
「何じゃ、ワシを知っておるのか?」
「ちょうどいい、お前を捕らえて鵺野先生との交渉材料にしてやる」
舌なめずりをして霊符を構える道士。
ちくちくと肌を突き刺す殺意に、灰耶は喜悦に震えた。
「く、クソッ! 雷神降臨!!」
「顕現しろ、【コクマの塔】」
道士の投げる雷を放つ符を避け、灰耶は道士の足元に結界を開いた。回避不能の落とし穴だ。
道士の動きが一瞬止まったのを見て、灰耶はチャリオットの速度を上げる。
防御も間に合わず、道士は轢き潰された。
「符の種類が妖怪特化だったのが災いしたな。マーラもマレーナも分類としては神じゃからな、効果が薄かったぞ」
「ぐ、グゥ………」
倒れた道士の胸ぐらを掴み、灰耶は爪を光らせる。
「どうしてぬ〜べ〜を狙う? 自分の名前と目的を言え。言わんと殺す」
「……俺はヤン=カイルン。目的は鬼の手を奪い、妖怪を撲滅すること。鬼の手を手に入れたら、お前も殺してやる」
灰耶の本気の殺気を浴び、ヤンは憎しみを込めた顔で灰耶を睨みつけながら答えた。
それに満足した灰耶は、掴んでいた手を離す。
そしてマレーナの形態に変わると、手のひらをヤンに向けた。
「【
「な、なぜ俺を治す……?」
「お主はいい遊び相手じゃ。ワシを倒せば、ぬ〜べ〜に挑めるぞ? また明日も遊ぼうぞ。他の妖怪に目移りするなよ、ワシだけを殺しにこい」
「……ふ、願ったりかなったりだ。俺を殺さなかったこと、後悔させてやるぜ」
笑うヤンに、灰耶も笑みを返す。
「じゃあまた明日な、お兄ちゃん」
「な……! ふざけるな!! 化け物が、二度と俺を兄と呼ぶんじゃない!!」
「あ、やっぱ姉妹がおる感じだよね。雰囲気が克也っぽいからそうだと思った」
声を荒げ攻撃用の霊符をばら撒くヤン。
灰耶はあえて符を避けなかった。
マレーナの白い肌が焼かれ、首が裂ける。
その痛みも愛おしいかのように、灰耶は体を抱きしめた。
「やればできるではないかァ……」
「マゾの怪物が……!!」
ヤンの怒号を聞きながら、灰耶はきゃらきゃらと笑ってその場を去った。
ぬ〜べ〜のアパートで、灰耶はぐでっと床に寝そべっていた。
連日のヤンとの命を賭けた戦いで疲れているのだ。
「ぬ〜べ〜、今日はワシご飯作る元気ないからお主が作って」
「えー? 灰耶のご飯がいいんだけど」
漫画を読んでいた眠鬼が不満そうな声を出す。
「たまには料理しないと腕が鈍るよな、よし、袋麺でも作るか」
ぬ〜べ〜はざっくりと具材を切り、だいたいの感覚で麺を茹でた。
15分ほどで、3人分のインスタントラーメンが机の上に並ぶ。
灰耶は普段人間の料理を食べないが、「いいからいいから」とぬ~べ~が作ってしまったので箸を取る。
「具材の大きさがバラバラ……あ、でも食べてみるとおいしい」
「うむ。しっかり美味いじゃないか」
眠鬼が意外そうな声を出し、灰耶も味を褒める。
灰耶はふと思ったことを口に出した。
「ゆきめには作ってやらんのか?」
「え、しかしこんな熱いものを食べさせるわけには……」
「ゆきめが自分で冷ますじゃろ」
「あ~……。お前たちもおいしいと言ってくれたしな。たまには、俺が作るか」
灰耶の言葉にぬ~べ~はしばらく悩んで頬を触っていたが、最終的に笑みを浮かべて前向きな顔になった。
それを見て、自分の心が温かくなるのを灰耶は感じる。
「……うむ。これもワシの輪郭のカケラか」
「何か言ったか?」
「なんでもない。ラーメンが伸びる前にくっちまおう」
灰耶は箸を掴み、ラーメンを啜った。
灰耶がヤンと殺し合いを始めて1週間が経った。
周囲に被害がでないように灰耶が指定した夜の廃工場で、ヤンは仕掛けておいた霊符を起動させる。
「
幻影攻撃の霊符が、辺りに小型の隕石の雨を降らせた。
「うひょひょ! 素晴らしい破壊力の攻撃じゃな! ではこちらもいくぞ、【
比丘尼の手助けがなくとも発動させられるようになった地獄の業火が、隕石を根こそぎ破壊していく。
ヤンは次の手を打つこともなく、自分の大技が押し負けるさまをただ見ていた。
「……も、もういい。俺が悪かった、鬼の手は諦める……」
「なんじゃあっけない。お主の憎しみはそんなものか?」
灰耶の言葉にぴくりと肩を揺らしたヤンは、声を絞りだした。
「……お前が、お前が俺を兄と呼んだ日から、女神のお前と鈴々が重なるんだ……」
「はぁ? ……女神の魔力か? 死の女神なわけじゃからな、死人の気配で人間を誘惑をする権能も、ついていておかしくない、か」
灰耶はため息をつき、マレーナの形態になる。
そしてヤンの胸ぐらを掴み、まつ毛が触れ合うほど顔を近づけた。
「ほら、似てないじゃろ? わかったら戦いを再開しようぞ」
「やめてくれ……! 俺の前で、二度も鈴々を死なせないでくれ……!!」
「だから鈴々じゃないっての。早くワシと戦え」
「ゆ、許して……一人だけ生き残った俺を許してくれ……」
「じゃあこうしよう。ワシがお主をお兄ちゃんと呼んでやるから戦え」
「ゆるっ、許し、許して……」
一切の光を映さない奈落のような目で、灰耶は戦いの続きを所望する。
ヤンは歯をがちがちと鳴らして必死に許しを請うた。
「灰耶!」
声が聞こえ、灰耶は振り返る。
肩で息をするぬ~べ~が、真剣な顔で灰耶を見つめていた。
毎日外出していれば気づかれるか、と灰耶は無感動に思う。
「おおぬ~べ~、今ちょっと悪い奴で遊んでおってな」
灰耶がセリフを言い終わらないうちに、ぬ~べ~は灰耶の頬を叩いた。
一瞬驚いた表情をした灰耶は、喜悦の笑みを浮かべる。
「なんじゃお主、子供に手が出せるのか!」
灰耶はマレーナの細い腕に氷のグローブを纏い、ぬ~べ~を力いっぱい殴り飛ばした。
たたらを踏むぬ~べ~に、灰耶は追撃の拳を振るう。
「お盛んボーイ、お主がいいならっ、これからはっ、毎日お主に遊んでもらおうかのっ」
痛打のラッシュを叩きこまれ、床に崩れおちるぬ~べ~。
灰耶はぬ~べ~に跨り、マウントポジションを取る。
ぬ~べ~は鬼の手を伸ばし、灰耶の頬に手を当てた。
「なんじゃ、拳じゃなくていいのか……?」
「鬼の手よ……灰耶に、俺が灰耶を想う気持ちを伝えよ!!」
鬼の手が淡く光り、灰耶の体がびくんっと跳ねた。
灰耶はぬ〜べ〜の体から飛び退き、顔を押さえる。
「何、これは、これ、これが……ワシなのか……? ……大丈夫じゃぬ〜べ〜、ちゃんと、ワシは正気に、戻った……」
荒い呼吸を繰り返しながら、灰耶はぬ〜べ〜に手をかざす。
【
「考えてみれば、
「違うぞ、今のお前は魔王に精神を汚染されているんだ!」
今の暴力的な灰耶は、魔王に影響を受けて暴走した結果だとぬ〜べ〜は主張するが、灰耶は首を振る。
「いや、感情は増幅こそされているが、大元の感情はワシの自前じゃ」
灰耶はヤンにも【
「とりあえず、家に帰るか」
灰耶の言葉に、ぬ〜べ〜は頷く。
夜の街を、マレーナ形態の灰耶とぬ〜べ〜は歩いた。
ぬ〜べ〜は経文を握り締めながら仏に祈る。
(どうする……!? 灰耶の精神はもう限界だ、本物の魔王になってしまえば、俺には灰耶を止めることはできん……!! 灰耶の意識があるうちに、灰耶を封印するしかない、のか?)
自分の手で、自分の生徒を封印しろというのか。
ぬ〜べ〜の心には怒りすら湧いてきた。
「ぬ〜べ〜? そんなに焦らんでもええんじゃよ」
「焦らないわけないだろう! このままではお前は……!!」
「いや、どうにかなる。ワシはすでに精神汚染の解決策を見つけておる」
目を見開くぬ〜べ〜の前で、灰耶は自信たっぷりに笑ってみせた。
「ワシの中の魔王らしい側面と本物の魔王が共鳴しておるんじゃろ。……しかし、ワシは魔王そのものではない。マレーナの形態を得たように、側面が変われば違う姿を見せる」
くるりと周り、灰耶はマレーナの姿をぬ〜べ〜に見せつける。
「だったらワシの中のクソガキらしい側面と共鳴してくれる神仏を呼ぶのはどうじゃ。
化身するためのエネルギーは絶鬼の肉を食って溜まっておるしな、と灰耶は続ける。
「そ、そんなことが可能なのか……?」
「できる。お主らとの生活が、ワシに自分の輪郭を気づかせた」
灰耶は自分のことを思い返す。
自分はお笑いが好きで。
諦めが良くて。
大人のいうことに従順で。
他人にケツを拭かれるのが嫌いで。
性愛と愛の区別がついてなくて。
(何より、人の恋路を応援するのが好きなやつじゃった)
マレーナの体に血管のような青い線が走り、体が縮んでいく。
柔らかい曲線の体が、しっかり筋肉がついた男のそれに変わっていった。
ラピスラズリのような輝きを煮詰めた青い髪に、ハートの意匠の兜。
手には大きなサトウキビでできた弓と、先を花で飾った矢が携えられている。
美丈夫といった出立ちの男の顔に、ぬ〜べ〜は見覚えがあった。
人間だった時の灰耶の顔と、この場に現れた神の顔は全く同じだった。
「
手足を動かし、調子を確かめた灰耶は、ぬ〜べ〜に微笑みかける。
「うむ、殺戮衝動も消えておる。これなら誰かを傷つけることもないじゃろ」
「は、はは……。お前ってやつは、本当に何でもできるな……! よかった……俺はお前を封印しなきゃいけないのかと……!」
「うむ。じゃ、ワシ、ぬ~べ~から卒業すっから。明日には部屋から出ていくわ」
「……え?」
次の日の朝、灰耶はぬ~べ~のアパートの玄関に立っていた。
荷物は全て【コクマの塔】に入れてある。
灰耶を見送るのは、ぬ~べ~と眠鬼だけ。
お別れは決心が鈍るから速いほうがいい、というのが灰耶の意見だった。
「灰耶、いいのか……? その年で世界旅行なんて、そりゃあ悪魔のお前なら簡単だろうが、危険も多いだろう」
「いいんじゃ。正直言うとな、ずっとお主の下で生徒をやっておるのが心苦しかった。卒業していく皆を見るのがつらかった……。喰奴が人間に戻れるわけないんじゃし、魔王にも女神にも影響をうけなくなった今がいいタイミングじゃろ」
灰耶の差し出した手を、ぬ~べ~は掴んだ。
長く、大きく握手をする。
「……おい」
「ん? どうした眠鬼」
「はい。お前には一応、いっちお~~うお世話になったから」
眠鬼が差し出してきたのはコンビニのショートケーキだった。
灰耶はそれを受け取り、箱を開けてかぶりつく。
「ありがとうな、眠鬼」
「……別に!」
眠鬼に礼をいい、灰耶はアパートの前に止めていた眷属である巨大オウムに飛び乗った。
オウムは天高く舞い上がり、眼下に童守町が広がる。
「さぁて、とりあえず両親のところに顔を出して……何かに、なるか」
ケーキを齧りながら、灰耶はオウムの背中で寝転がった。