夜、レイフォンは部屋で独り机の前に座って本とにらめっこをしていた。
勿論勉強をしている訳ではない。
そもそも自宅で勉強するほど勤勉なわけでもないし、また予習復習が必要なほど成績は悪くない。
レイフォンは武芸者だ。それも凄腕の、世界中を見渡しても早々見かけることが無いほどに凄腕の武芸者なのだ。
彼は音速をも超える速度で動き回りながらも、周りの情報を逸早く収集し、分析し、的確に次の行動につなぐことが出来る。
それほどの高速処理を可能とする彼が授業内容に着いていけないはずが無いのである。
武芸者と言うのはつくづくチートな生き物である。
だから彼が手に持っている本と言うより、ノートは勉学で使うものでは無い。そもそもその特殊な文字からして恐らくツェルニで読めるものは彼以外には居ない。
そのノートの表紙には汚いミミズの這ったような字で『予言の書』と書かれていた。
「うるっせぇなあ、一瞬で終るだろうに何を一々長引かせてるんだか」
レイフォンは不機嫌だった。その顔は眠たそうで目からは既に生気が抜け落ちている。尤も生気が感じられないのはいつもの事であるが、今は何時にもまして、だ。
彼は今、その不機嫌で眠たそうな顔で届きもしない相手に悪態をついているのである。
原因は都市の端っこの方で現在進行形で起きている戦闘にある。
夜部屋で寝ていたら、一般人でも聞き取れるほどの轟音が静寂に包まれていた都市に響いたのだ。武芸者である彼は条件反射で目を覚まし、これまた条件反射で活剄によって聴力を強化して現状の確認に勤しんだ。10年以上戦場に身を置いてきた彼は何も意識することなく、一瞬で状況を把握し、臨戦状態だった自らの気力を萎えさせた。
何のことは無い、何時もよりちょっと派手ではあるが都市警のドンパチである。彼に影響が及ぶことがあるはずも無く、またトニーらの気配も戦場に感じられるため事態が悪化することも無い。
戦闘に備えて錬金鋼を何時でも復元できるよう、手に取っていたと言うのに拍子抜けも良い所である。
そして場面は最初に戻り、レイフォンは予言の書と題されたノートの1ページを見つめていた。
「とすると、今のがデータチップ事件で、もう直ぐカリアンに呼ばれるのか……」
そのノートを見つめながら彼は核心めいたように呟く。
ノートには箇条書きで色々と書かれており、レイフォンが見ている部分を挙げると
・幼性体襲撃後の小隊戦で17小隊が14小隊か何処かに敗れる
・ツェルニから情報を盗んだ盗賊を都市警察と共に捕まえる
・カリアンに呼ばれて老生体へと脱皮する直前の汚染獣の写真を見せられる
・複合錬金鋼を貰う
・単身老生体へ挑むためランドローラーに乗り込んで1日離れたところへ行く
・汚染獣が脱皮すると共にツェルニが反転、全力で逃げる
・何故かニーナとシャーニッドが来る(なんでカリアンたち止めないのさ?
・集中が削がれて複合錬金鋼が壊れかける
・ニーナの囮作戦で勝利
等と書いてある。途中でツッコミが入っているが、どちらにしろ今となっては関係のないことだ。
今のレイフォンはこの『予言の書』に書かれているレイフォンとは出自は兎も角中身は全くの別物であり、彼はは17小隊に入っていないのだから、ニーナ・アントークとシャーニッド・エリプトンが彼の援護に行くことは無い。
もはやこの世界は彼の知っている物語とは別の流れを辿り始めている。予言の書に書かれている事が全て宛になるわけではない。
書かれているのはレイフォンが物語り通りに行動したときの起こりうる事象と結果。其処から未来を予想することも出来なくは無いがやはり信憑性は大きく下がる。
せいぜい参考にする程度が丁度いいのだろう。
それでも老生体と遭遇することは確実だ。
個人がどう足掻こうと世界の、それも人間の社会に関わらない物の流れが変わることは早々起こらない。
事実予言の書に書いてある通りに幼性体の襲撃が有ったのだ。
レイフォンがちょっと違う行動を取っただけで、老生体は何処か他所へ行ってくれるなんて事が起こるはずがない。
「くくっ、久々に楽しめそうだな」
尤も彼にはそもそも老生体を何処かへ行かせようという気は無いらしい。
寧ろ口角を吊り上げ、あさっての方を向き、老性体と戦うことに思いを馳せているようだ。
静かな部屋でレイフォンの不気味な笑い声だけが響いていた。
▼
翌日
カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされ、自然に目が覚めるレイフォン。
もう既に三代目と為っている目覚まし時計を見れば、まだ7時を少し過ぎたあたり。授業開始が9時のため時間にはたっぷりと余裕がある。寧ろ有り過ぎる。
二度寝をしようと布団を被ってみるが、本格的に意識が覚醒したらしく、どうにも寝付けない。体が動きたくてうずうずしている。
久々に全力を出せる機会が来るのだと、体が歓喜している。
思えば彼は我慢の連続だった。
充足感を感じられる戦場には一度も出会えてない。
幼性体では話にならない。
雌性体も一撃ですり潰した。
武芸科の授業など、そもそも論外。全力を出す所か剄をまともに練ることすら躊躇われるほどの低レベルな組み手。
勝ったり負けたりしているが、武芸者以前の未熟者相手にどう満足しろと言うのか。寧ろ手加減具合を調節するのに無駄にストレスが溜まる。
勝ち誇る相手の顔面を爆砕したい衝動を我慢し続けるのは意外と神経を削るのだ。
傭兵時代はまだマシだった。
偶に出会う汚染獣は雄性体でありながらも、それなりに楽しめた。
都市戦では多少相手になる者も居た。
それでも本当に満足出来る戦場だったかと問われれば微妙だが、少なくとも未熟者のママゴトに付き合う必要は無かった。(尤も彼は武芸科の授業に出た回数はそれこそ片手で数えられるほどなのだが)
今ならば分かる。
グレンダンが武芸者の聖地と言われる由縁が。
安い賃金なのに出て行く武芸者が殆どいない理由が。
天剣のバケモノ共が惹かれるように集まる訳が。
自らの力を十全に振る得る場。
簡単そうに思えるがその実、武芸者にとっては限りなく得がたい物なのだ。特にレイフォンのような武芸者の中でも突出した者にとってはそれこそ天国なのだろう。
だから、彼はグレンダンを嫌いながらも、どこか未練を覚えていた。グレンダンを出たことを後悔していた。外の世界にはお金はそれこそ腐るほど有ったが、満足できる戦場には終ぞ巡り会えなかったのだから。
だが、その未練からももう直ぐ開放されるのだ。
老生体
繁殖行為を放棄し、ただただ戦闘力だけを追い求める汚染獣。
その力は強大で、一般の都市ではまず太刀打ちできない。
脱皮を繰り返す毎に更に強力に為っていき、老生2期からは個体毎に特殊な能力を得ることもある。が、例え老生1期でも一般的な都市を少なくとも半壊には追い込める。
質量兵器、剄羅砲等を使っての、運が良くて半壊だ。そこら辺の武芸者では束になった所で塵芥と大して変わらない。それほどまでに強大で規格外な存在なのだ。
尤も繁殖行為に自らの命を犠牲にするほどの執着を見せる汚染獣が、その繁殖を捨ててまで手に入れた力なのだから妥当といえるかもしれないが、それはどうでもいいだろう。
レイフォンにとって大事な事は老生体は強い。それだけだ。
それに、17小隊に入っている訳でもない為、老生体との戦いに邪魔が入ることもない。思う存分に老生体との死合を楽しめるのだ。
「カリアン、早く呼んでくんないかなぁ~」
都市の危機を待ちきれないレイフォンは鼻歌を歌いながら部屋を出て行くのだった。
軽快なリズムを刻み、今にも踊りだしそうなほどにウキウキしている彼を知り合いたちは本気で病気を心配していたとか……
彼は今夜興奮で眠れないかもしれない。
▼
が、レイフォンの期待とは裏腹にその日は何も変わったことも無く普通に過ぎて行った。エドやミィフィに心配されたり、ナルキが休んだため心配するフリをしたりしていたが、そんなことは今の彼にはどうでも良かった。
その日、彼は興奮で目が冴えてしまい、日が昇るまで寝付くことは無く、次の日の学校は順当にサボった。
▼
「ハァ……、まだこねぇのかよ」
サボった日も、その次の日も、その次の次の日も、レイフォンには何も知らせは無かった。
最初はまだ発見されていないだけと思っていた。が、一週間も経つと興奮の熱も冷め始めてくる。
都市警のドンパチから、もう直ぐ2週間だ。だが、知らせは一向にやって来ない。ここまで来ればもはや諦めも着いてくるという物だ。
何がどう影響したかは知らないが、レイフォンの行動のせいで老生体鉢合わせコースからツェルニが逸れたのだろう。
レイフォンはどんよりした気分で頬杖を付きながら自室の窓から空を眺め、ため息を着いていた。
興奮などとっくの昔に抜けきり、残ったのは透かしを食らった何とも言えない虚無感と、体にしこりのように残る熱の燃えカス。
……ぷすっぷす、と未だに燻り続けている。不完全燃焼なのだ。
此処最近はずっとこの調子だった。
溜めた力の使いどころが突然無くなってしまい、それでも開放を求めてさまよい続けている。
毎晩、都市外延部にて剄をぶっ放して少しは落ち着いているが、フラストレーションは溜まり続けるばかり。
今彼が武芸科の授業に出てしまえば、万が一ではあるが、手加減を間違えてしまう恐れがあるほどに……
彼は一週間ほどの間ずっと悶々としていたのである。
今日は小隊戦の日で休日だ。ナルキも怪我が完治し学校に復帰した。今日は小隊戦を見に行こうとも誘われたがどうにも気分が乗らなかったため断った。
何しろ今の欲求不満状態のレイフォンが小隊戦を見ても余計にフラストレーションを溜めるだけなのだから。(いろんな意味で)
ともかく、彼にとっては小隊戦などどうでもいい些事なのだ。
一体何が老生体との遭遇に影響したのだろうか?
そんなことばかりがレイフォンの頭に過ぎっては消えていく。
後に残るものは未練ばかりで……
ゴゴゴゴゴゴゴ……
唐突に都市が横に揺れた。
その後も真逆の方向へと全力疾走しているのを感じる。
どういう事だ?とレイフォンが考えていると念威端子が近づいてきた。
「レイフォン君!」
其処から聞こえるのは、焦燥に駆られたカリアンの声。
レイフォンの中で疑問が期待へと変わった。
「レイフォン君、巨大な汚染獣が都市へと迫ってきているのを妹が確認した。討伐を頼みたい」
期待が歓喜へと変わり、そこへ再び疑問が蘇って来る。
「それで、さっきの都震ですか。所で幾らなんでも発見が遅くは無いですか?」
少々不自然な問いではあるが、汚染獣、恐らく老生体が迫っているのだ。言葉を選んでいられるほどの時間は無いのだろう。だが、それでも疑問は解決したい。
戦場に迷いを持ち込むのは避けるべきだし、何よりも気になるのだ。
それに、此れぐらいなら相手が何とでも勝手に解釈してくれる。
「それが、私としても都市外を警戒すべきとは思ったんだけどね……、恥ずかしい限りだが、予算に余裕が無くてね」
予算が無い。
物語の中ではそんなことは無かったはずだ。
ならば、何故か?
(俺の一週間の悩みはなんだったんだあああああああああああああ!!!)
身から出た錆である。
感想ください。
どんどん下さい。
お願いします。