またしても何も知らない狩人さん〜異能バトルよりパンチラが危ない〜   作:概ね右翼

16 / 17
番外編 獣狩りの夜

「……ん……」

 

 いやな目覚めだった。

 

 ふわふわした夢の続きみたいなものじゃなくて、冷たい水の底から急に引っ張り上げられたみたいな、苦しい目覚め。

 

 重たい瞼を開ける。

 

 知らない天井が見えた。

 

 黒い染み。汚れ。ひび割れ。

 

 ぼんやりした頭でも、ここが綺麗な場所じゃないことくらいはわかった。

 

「……どこ……?」

 

 声を出してみる。

 

 でも、誰も返事をしてくれない。

 

 自分はベッドの上に寝かされていた。病院みたいだった。だけど、病院にしては変だった。

 

 空気が湿っている。

 

 鼻の奥がつんとするくらい、カビ臭い。

 

 なのに、棚には薬品瓶とか注射器とか、よくわからない道具がいっぱい並んでいる。どれも古くて、薄暗い中でぼんやり光っていた。

 

 静かだった。

 

 静かすぎる。

 

 遠くで水が落ちる音だけが聞こえている。

 

 人の気配がしない。

 

 お母さんも、お父さんも。

 

 看護師さんみたいな人も、誰も。

 

 なんだか急に怖くなって、自分は起き上がろうとした。

 

「っ……」

 

 腕に力を入れただけなのに、すぐ苦しくなる。

 

 息が漏れる。

 

 身体が重い。

 

 自分の身体なのに、自分のものじゃないみたいだった。

 

 それでも、どうにかベッドの端に手を伸ばす。

 

 床へ降りようとして、

 

「あ……」

 

 身体が傾いた。

 

 そのまま、ベッドごと床へ倒れる。

 

 どん、と大きな音がした。

 

 痛い。

 

 でも、それより。

 

「……あれ……?」

 

 床へ落ちる瞬間。

 

 足が動いた気がした。

 

 ちゃんと、床を踏もうとした。

 

「足……動いた……?」

 

 どくん、と胸が鳴る。

 

 勘違いかもしれない。

 

 そう思う。

 

 期待したら、違った時に怖いから。

 

 だけど、自分は床に手をついて、ゆっくり身体を起こした。

 

 お腹に力を入れる。

 

 腰を上げる。

 

 それから、足へ少しずつ体重を乗せる。

 

 怖かった。

 

 今にも崩れそうで。

 

 でも。

 

「……立て、た……」

 

 ちゃんと立っていた。

 

 足が震えている。

 

 膝もぐらぐらする。

 

 だけど、自分は今、両足で床を踏んでいた。

 

 そのことが信じられなくて、しばらく動けなかった。

 

 立てる。

 

 そんなことが、どうしてこんなに変なんだろう。

 

「いつから……?」

 

 ぽつりと呟く。

 

 でも、その瞬間。

 

 もっと変なことに気付いた。

 

 思い出せない。

 

 何も。

 

 お父さんの顔も。

 

 お母さんの顔も。

 

 家も、友達も。

 

 何も思い出せない。

 

「……自分……誰……?」

 

 名前も出てこない。

 

 好きなものも、嫌いなものも。

 

 何もなかった。

 

 胸の奥がざわざわした。

 

 怖い。

 

 すごく怖い。

 

 自分は落ち着かなくなって、部屋の中を見回した。

 

 その時、椅子の上に紙があるのが見えた。

 

 ふらふらしながら近付く。

 

 一歩歩くだけで膝が笑う。

 

 床はぼろぼろで、踏むたびにぎしぎし鳴った。

 

「っ……」

 

 足がもつれて、壁に肩をぶつける。

 

 痛い。

 

 でも止まりたくなくて、どうにか椅子まで辿り着く。

 

 紙を拾う。

 

 そこには文字が書いてあった。

 

『青ざめた血を求めよ。狩りを全うする為に』

 

 汚い字だった。

 

 ぐちゃぐちゃで、読みにくい。

 

 なのに、自分は読めた。

 

「……自分の字……」

 

 なんとなく、そう思った。

 

 どうしてかわからない。

 

 でも、自分が書いた気がした。

 

 紙を持つ手が冷たくなる。

 

「青ざめた血……?」

 

 意味がわからない。

 

 聞いたこともない言葉。

 

 なのに、気味が悪かった。

 

 胸の奥が変にざわざわする。

 

 自分は慌てて紙を椅子に戻した。

 

 こんなの、きっと変ないたずらだ。

 

 そう思うことにした。

 

 誰かいるはず。

 

 ここへ自分を連れてきた誰かが。

 

 そう考えて、自分は部屋を出た。

 

「あの……」

 

 声が小さい。

 

 うまく出ない。

 

 廊下の先には、下へ続く長い階段があった。

 

 壁に体重を預けながら、一段ずつ降りる。

 

 ぎし。

 

 ぎし。

 

 古い木が鳴る。

 

「はぁ……っ」

 

 少し降りただけで息が苦しくなった。

 

 脚が震える。

 

 一段降りるたびに止まって、息を整えないと次へ行けない。

 

「……誰か……」

 

 呼んでみる。

 

 でも、返事はない。

 

 階段を降り切る頃には、胸が痛くなっていた。

 

 下にも誰もいない。

 

 床には割れた瓶が散らばっていた。

 

 輸血の瓶みたいだった。

 

 黒い染みもある。

 

 その時。

 

 奥の暗闇から音がした。

 

 ぐちゃ。

 

 何か柔らかいものを潰すみたいな音。

 

 それから、荒い息。

 

 誰かいる。

 

 そう思った瞬間。

 

 自分は、息を止めていた。

 

 助けてって言いたかったのに。

 

 なのに身体が勝手に、「見つかったら駄目」って思ってしまった。

 

「……あ……」

 

 声が震える。

 

 足が動かない。

 

 さっきまで立てていたのに、急に力が抜けていく。

 

 暗闇の奥を見つめながら、自分はじっと息を呑んだ。

 

 誰かがいた。

 

 その事実は、本当なら嬉しいはずだった。

 

 ひとりじゃなかった。

 

 それだけで安心できるはずなのに、どうしてだろう。身体の震えが止まらなかった。

 

 暗かった。

 

 薄暗くて、奥のほうはほとんど見えない。

 

 それでも、その“誰か”が異様に大きいことだけはわかった。

 

 黒い。

 

 全身が黒く塗り潰されたみたいだった。

 

 自分より何倍も大きな身体を丸めて、床へうずくまっている。

 

 何かをしている。

 

 ぐちゃ、ぐちゃ、と湿った音が聞こえていた。

 

「……だい、じょうぶ……ですか……?」

 

 声を出した、つもりだった。

 

 でも、あまりにも小さくて、自分でも聞こえたか怪しかった。

 

 臭い。

 

 変な臭いがする。

 

 生臭い。

 

 鉄みたいな臭いと、腐った肉みたいな臭いが混ざっていた。

 

 自分は恐る恐る近付く。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 でも、進むたびに歩幅が小さくなる。

 

 足が勝手に止まろうとする。

 

「あの……」

 

 肺の中の空気を全部押し出して、やっと声になる。

 

 その時。

 

 黒い塊が、ぴたりと動きを止めた。

 

 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 

 ゆっくり。

 

 本当にゆっくり。

 

 そいつがこちらを向いた。

 

「……ぁ」

 

 声が漏れた。

 

 人じゃなかった。

 

 全身が毛で覆われている。

 

 湿った黒い毛が、血でべっとり濡れていた。

 

 顔の形もよくわからない。

 

 ただ、口だけが異様に大きかった。

 

 裂けるみたいに開いた口の奥へ、鋭い歯が何列も並んでいる。

 

 その歯の隙間に、赤黒い肉片が挟まっていた。

 

 床には、人の腕が落ちている。

 

 指先が、まだぴくりと動いた気がした。

 

 そいつは、人を食べていた。

 

 ぶち、と音がする。

 

 怪物の口から、長いものが垂れ下がる。

 

 腸だった。

 

「あ……」

 

 理解した瞬間、頭の奥が真っ白になる。

 

 喉が引き攣る。

 

 呼吸ができない。

 

「ひ……」

 

 声にならない。

 

 逃げなきゃ。

 

 そう思った時には、怪物が動いていた。

 

 床を砕くみたいな音。

 

 黒い塊が、一瞬で目の前まで迫ってくる。

 

「ひっ──」

 

 怖い。

 

 無理。

 

 来ないで。

 

 視界いっぱいに、牙が広がった。

 

「いやっ!! や、やだぁ!! ごめ、ごめんなさ──」

 

 最後まで言えなかった。

 

 どん、と身体が浮く。

 

 次の瞬間。

 

 お腹の奥へ、何か熱いものが突き刺さった。

 

「あ゛ぁ゛ッッ!!?」

 

 わからない。

 

 何。

 

 何これ。

 

 痛い。

 

 熱い。

 

 痛い痛い痛い痛い痛い。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!! あ゛っ!! ぃ゛ッ!!」

 

 息ができない。

 

 叫びたいのに、空気が入ってこない。

 

 怪物の爪が、お腹に刺さっていた。

 

 なんで。

 

 なんで入ってるの。

 

 やだ。

 

 やだやだやだ。

 

 ぐり、と爪が動く。

 

「あ゛ッ!! ぁ゛あ゛あ゛ッ!!」

 

 中を掻き回される。

 

 お腹の中を。

 

 直接。

 

 ぐちゃぐちゃに。

 

「ぃや゛ぁ゛ぁ゛ッ!! やめ゛っ!! やめでぇぇ!!」

 

 ぶち。

 

 ぶちぶち。

 

 身体の中で、何かが切れる音がする。

 

 怖い。

 

 怖い怖い怖い。

 

 怪物の顔が近い。

 

 臭い。

 

 腐った臭い。

 

 血の臭い。

 

 吐きそう。

 

「ぅ゛……ぇ……ッ」

 

 爪が抜ける。

 

 どろ、と熱いものが零れる。

 

 お腹が熱い。

 

 でも、変に寒い。

 

 嫌だ。

 

 見たくない。

 

 なのに、目が勝手に下を向く。

 

「あ……」

 

 お腹が開いていた。

 

 赤い。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 

 自分の身体なのに、知らないものみたいだった。

 

「ぃ……ゃ……」

 

 だらだら何かが垂れてる。

 

 お腹から。

 

 自分の中から。

 

 怪物が、それを掴む。

 

「あ゛……や、やだ……ッ!!」

 

 だめ。

 

 だめ。

 

 それ、自分の。

 

 怪物が口へ入れる。

 

 ぶち。

 

 ぐちゃ。

 

 噛む音。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!」

 

 身体が跳ねる。

 

 わかる。

 

 わかっちゃう。

 

 自分の中を食べられてる。

 

 噛まれてる。

 

 飲み込まれてる。

 

「やだやだやだやだ!! 返してぇ!! いやぁぁぁぁッ!!」

 

 怖い。

 

 痛い。

 

 苦しい。

 

 でも動けない。

 

 腰が抜けてる。

 

 手も動かない。

 

 怪物は夢中だった。

 

 お腹へ顔を突っ込んで、ぐちゃぐちゃ食べてる。

 

「あ゛ッ!! ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!」

 

 何か引っ張られる。

 

 身体の奥から。

 

 ずる、と。

 

 視界が白く弾けた。

 

「ごぼっ──!!」

 

 血が出る。

 

 口から。

 

 熱い。

 

 苦しい。

 

 息ができない。

 

「ぅ゛ぇ……ぇ゛……ッ!!」

 

 怪物がまた抉る。

 

 ぐちゃ。

 

 めき。

 

 ぶち。

 

 全部、自分の身体の音。

 

「いだぃ……っ!! いたいぃ!! やだぁ!!」

 

 もう嫌。

 

 怖い。

 

 助けて。

 

 なんで。

 

 なんで自分が。

 

 何もしてないのに。

 

「ぉ、おがあ゛ざん……!!」

 

 誰のことかわからない。

 

 でも口から出た。

 

 涙が止まらない。

 

 鼻水も血もぐちゃぐちゃで、自分が何言ってるのかもわからない。

 

 怪物がまた噛む。

 

 ぶち。

 

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!」

 

 痛い痛い痛い。

 

 お腹の中がなくなっていく。

 

 自分が減っていく。

 

 怖い。

 

 寒い。

 

 指先が冷たい。

 

 震えが止まらない。

 

「た、ずげ……っ……」

 

 助けて。

 

 死にたくない。

 

 怖い。

 

 嫌だ。

 

 ひとりは嫌。

 

「やだぁ……っ!! ごわいぃ……!!」

 

 声が出ない。

 

 血ばっかり出る。

 

 怪物は止まらない。

 

 ぐちゃ。

 

 ぐちゃ。

 

 夢中で。

 

 自分を食べてる。

 

 視界が暗くなる。

 

 音が遠い。

 

 寒い。

 

 痛い。

 

 怖い。

 

 嫌。

 

 死にたくな──

 

 ——————————————————

 

 目が覚めた。

 

 冷たい。

 

 身体の下から、じわじわと冷たさが染み込んでくる。

 

 ぼんやりしたまま目を開けて、ようやくそれが石の冷たさだとわかった。

 

「──っ」

 

 自分は跳ね起きる。

 

 その瞬間。

 

 あの痛みが蘇った。

 

「ぁ……ッ……」

 

 反射的にお腹を抱える。

 

 息が詰まる。

 

 石の上へ膝をつき、そのまま身体を丸めた。

 

 怖い。

 

 怖い怖い怖い。

 

 頭の中がそれだけでいっぱいになる。

 

 お腹から手を離せなかった。

 

 離した瞬間、また中身が零れ落ちる気がした。

 

 触っていないと、自分の身体が壊れてしまう気がした。

 

「……ぅ……」

 

 涙が出る。

 

 でも、どうやって泣けばいいのかわからない。

 

 声の出し方も、息の仕方も、全部ぐちゃぐちゃだった。

 

 ただ震える。

 

 小さくなって、自分を抱える。

 

 もう落ちないように。

 

 壊れないように。

 

 その時。

 

 何かが、自分へ触れた。

 

「……?」

 

 びくりと肩が跳ねる。

 

 けれど、それは嫌なものじゃなかった。

 

 風みたいに曖昧じゃない。

 

 ちゃんと“手”みたいだった。

 

 ゆっくり。

 

 一定の速さで。

 

 背中を撫でてくる。

 

 その感触に、少しずつ震えが落ち着いていった。

 

 怖かったはずなのに。

 

 どうしてか、自分は安心していた。

 

 まぶたが重くなる。

 

 そのまま、自分はまた眠ってしまったらしい。

 

 *

 

 次に目を開けた時。

 

 そこは、あの薄汚い病室じゃなかった。

 

「……あれ……」

 

 自分はゆっくり身体を起こす。

 

 知らない場所だった。

 

 草が生えている。

 

 石畳が続いている。

 

 けれど、変だった。

 

 全部がぼやけて見える。

 

 輪郭が曖昧だった。

 

 遠くを見ると、景色が滲んでいる。

 

 まるで“夢“の中みたいだった。

 

 瞬きをしたら、そのまま崩れてしまいそうな世界。

 

「……ゆめ……?」

 

 呟いてから、自分は気付く。

 

 さっきまで石の上にいたはずなのに、今は柔らかい布の上だった。

 

 それに。

 

「……人形……?」

 

 自分は、大きな人形に抱えられるみたいにして眠っていた。

 

 綺麗な人形だった。

 

 白い肌。

 

 薄い色の髪。

 

 開いたままの硝子みたいな瞳。

 

 さっき撫でてくれていたのは、この人形なのだろうか。

 

 そう思ったけれど、人形はぴくりとも動かない。

 

 本当に、ただの人形みたいだった。

 

「ありがとう……人形さん」

 

 自分は小さくお礼を言って、その頭をそっと撫でた。

 

 冷たい髪だった。

 

 でも嫌じゃなかった。

 

 人形の膝から降りる。

 

 裸足で石畳へ立つと、ひやりとした冷たさが足裏から身体の奥まで染み込んでくる。

 

「……っ」

 

 少し驚いて周囲を見回す。

 

 その時。

 

 何かが動いた。

 

「……ぁ」

 

 小さい。

 

 人間、みたいだった。

 

 でも、人間じゃない。

 

 白い。

 

 痩せ細っている。

 

 顔は潰れたみたいで、目も口も溶けているみたいで、よくわからない。

 

「あなたは……妖精さん……?」

 

 思わずそう聞いていた。

 

 その小さな存在は、腰から下を水へ浸けていた。

 

 石畳の上なのに、水がある。

 

 白い水だった。

 

 ぶくぶく泡立っていて、沸騰しているみたいなのに、見ているだけで冷たさが伝わってくる。

 

 不思議で、つい指を伸ばしかける。

 

 すると、小さな存在が慌てたように自分の指を止めた。

 

「……だめ?」

 

 こくこく、と首を振る。

 

 思っていた妖精とは違うけど、優しいのかもしれない。

 

 そう思っていると、その存在はまた首を横に振った。

 

 違うらしい。

 

 それから、水の中へ沈んでいった。

 

「……あ」

 

 いなくなってしまった。

 

 どうしようかと思っていると、数秒後。

 

 白い水の中から、今度は何人も現れた。

 

 みんな潰れた顔。

 

 同じ白さ。

 

 そのうちの一人が、紙を広げてくる。

 

『水盆の使者』

 

「みず……ぼん……?」

 

 読むのに苦戦していると、使者たちは慌てたように紙へふりがなを書き始めた。

 

『すいぼんのししゃ』

 

「……すいぼんの、ししゃ……」

 

 そう読むと、使者たちは嬉しそうに身体を揺らした。

 

 妖精じゃなくて、使者さんらしい。

 

 使者さんたちは満足したみたいに、また水の中へ潜っていった。

 

 しばらく待っていると、今度は色々なものを抱えて戻ってくる。

 

「……なに、それ……?」

 

 置かれたのは、見たことのない道具だった。

 

 杖みたいなもの。

 

 ノコギリみたいなもの。

 

 斧みたいなもの。

 

 あと、鉄砲。

 

 本で見たことはある。

 

 でも、実物は初めてだった。

 

 どれも大きい。

 

 そして冷たそうだった。

 

 使者さんたちは、自分へそれらを差し出してくる。

 

「え……選ぶの……?」

 

 こくこく、と頷く。

 

 よくわからなかった。

 

 でも、杖は少し安心した。

 

 まだ足がふらふらするから。

 

 自分は恐る恐る杖を持つ。

 

「……おもい……」

 

 ずっしりしていた。

 

 金属でできているみたい。

 

 自分には少し辛い重さだった。

 

 次に、使者さんたちは鉄砲を差し出してくる。

 

 大きいのと、小さいの。

 

 どっちも怖い。

 

 でも、小さい方を選ぶ。

 

 それでも十分重かった。

 

 どうにか服へ引っ掛けるように抱える。

 

 使者さんたちは嬉しそうに頷く。

 

 何に使うのかはわからない。

 

 でも、贈り物なのはわかった。

 

「……ありがとう、使者さん」

 

 そう言うと、使者たちは満足そうに身体を揺らした。

 

 それから。

 

 小さな手が、自分の服を引っ張る。

 

「……?」

 

 ついていく。

 

 その先にあったのは、お墓だった。

 

 古い墓石。

 

 誰のものかはわからない。

 

 使者さんたちは、自分へ手を合わせるよう促してくる。

 

 自分も真似をした。

 

 誰のお墓かわからないけど。

 

 悪いことじゃないはずだから。

 

 そう思った瞬間。

 

 ふっと、身体から力が抜けた。

 

「……ぁ……」

 

 景色が遠ざかる。

 

 世界が滲む。

 

 意識が、静かに沈んでいった。

 

 ——————————————————

 

 目が覚めた。

 

 湿った臭い。

 

 黴と血が混ざった空気。

 

 ぼやけた視界の先にあるのは、またあの薄汚い病院だった。

 

「……あ……」

 

 夢、だったのだろうか。

 

 あの不思議な場所も。

 

 人形さんも。

 

 使者さんたちも。

 

 全部。

 

 そう思いかけて、自分は違和感に気付く。

 

 手の中に、重みがあった。

 

「……」

 

 金属の杖。

 

 冷たくて、重たい。

 

 それから背中にも、ずしりとした感覚がある。

 

 恐る恐る触れる。

 

 鉄砲だった。

 

 夢じゃない。

 

 そう思った瞬間、胸の奥が変なふうに冷えた。

 

「……ん?」

 

 そこで、自分はもう一つ気付く。

 

 杖とは別に、何かを握っていた。

 

 柔らかい。

 

 金属みたいな色なのに、触るとぷにぷにしている。

 

「……なに、これ……?」

 

 弾丸みたいな形だった。

 

 先が尖っていて、小さい。

 

 でも液体みたいだった。

 

 指で押すと少し形が変わるのに、離すと元へ戻る。

 

 不思議で、自分はしばらくそれを指で押して遊んでいた。

 

 怖いことを、少し忘れられるくらいには。

 

 だけど。

 

 その時間は長く続かなかった。

 

 奥の暗闇から。

 

 また、あの音が聞こえた。

 

 ぐちゃ。

 

 ずる。

 

 湿った何かを啜る音。

 

 そして。

 

 荒い息遣い。

 

「──っ」

 

 全身が強張る。

 

 臭い。

 

 あの臭いだった。

 

 腐った肉と血の臭い。

 

「ぁ……ぁっ……」

 

 恐怖が、自分の中へ流れ込んでくる。

 

 冷たい泥みたいに。

 

 じわじわと。

 

 身体の内側を埋めていく。

 

 頭の先まで。

 

 指先まで。

 

 全部。

 

「う、ぇ……」

 

 吐きそうだった。

 

 でも何も出てこない。

 

 喉だけが引き攣る。

 

 逃げなきゃ。

 

 そう思って、自分は階段へ向かう。

 

 足が震える。

 

 それでも必死に登る。

 

 一段。

 

 また一段。

 

「はぁ……っ……はぁ……っ……」

 

 苦しい。

 

 胸が痛い。

 

 それでも止まれなかった。

 

 ようやく病室の扉へ辿り着く。

 

 でも。

 

「……あ、れ……」

 

 扉が閉まっていた。

 

 押しても開かない。

 

 叩いても動かない。

 

「ひら、いて……」

 

 力を込める。

 

 でも駄目だった。

 

 その時。

 

 扉の向こうから、女の人の声がした。

 

「……あなた、どなた? 獣狩りの方、かしら?」

 

「……!」

 

 人だ。

 

 人の声。

 

 それだけで胸が熱くなる。

 

「た、助けて……!」

 

 声が裏返る。

 

「ごめんなさい。この扉は開けられないの」

 

 優しい声だった。

 

 だから余計に苦しかった。

 

「あ、開けてください……! お願いします……! 自分、気付いたらここにいて……! 本当に、わからなくて……!」

 

 必死だった。

 

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、扉へ縋りつく。

 

 でも。

 

「私はヨセフカ。この診療所を預かる者よ」

 

 静かな声。

 

「患者さんたちを、感染の危険へ晒すわけにはいかないの……特に、外から来た人は……ごめんなさい」

 

「いや……!」

 

 頭が真っ白になる。

 

「お願いします……助けて……! なんでもします……だから……!」

 

 嫌だった。

 

 置いていかれるのが。

 

 ひとりなのが。

 

 怖かった。

 

 でも、返ってくるのは謝罪だけだった。

 

「……本当にごめんなさい。どうか私を恨まないで」

 

 小さな窓の割れ目から、白い液体の入った瓶が差し出される。

 

「これくらいしか、できないの……あなたの無事を祈っています」

 

「ま、待って……!」

 

 返事はない。

 

 静かだった。

 

「ぅ……ぁ……っ……」

 

 涙が止まらない。

 

 声を抑えようとしても無理だった。

 

 静かな病院に、自分の泣き声だけが響く。

 

 だから。

 

 気付いてしまった。

 

 ぎし。

 

 ぎし。

 

 後ろから音がする。

 

 ゆっくり。

 

 ゆっくり。

 

 階段を登ってくる。

 

「──っ」

 

 振り返る。

 

 いた。

 

 黒い毛。

 

 裂けた口。

 

 何列も並んだ牙。

 

 怪物だった。

 

 低い唸り声を漏らしながら、自分を見上げている。

 

「ヨセフカさん!! 助けてぇ!!」

 

 叫ぶ。

 

 でも。

 

 返事はなかった。

 

 その大声へ反応するみたいに、怪物が跳ねる。

 

「いやぁっ!!」

 

 自分は避けようとして。

 

 足を踏み外した。

 

 視界が回る。

 

 身体が階段を転がり落ちる。

 

「ぁ゛っ──!!」

 

 痛い。

 

 背中を打つ。

 

 肩を打つ。

 

 鉄砲と杖が手から離れて飛んでいく。

 

 床へ叩きつけられた瞬間、肺から空気が全部抜けた。

 

「か、はっ……」

 

 息ができない。

 

 立てない。

 

 そこへ。

 

 怪物が飛びかかってくる。

 

「っ!!」

 

 どうにか横へ転がる。

 

 直後、怪物が棚へ激突した。

 

 木片が飛び散る。

 

 腰が抜けていた。

 

 立ち上がれない。

 

 涙で視界が滲む。

 

 その時、近くに鉄砲が落ちているのが見えた。

 

 自分は這うようにして掴む。

 

「ぁ……ぁ……」

 

 両手で持つ。

 

 重い。

 

 腕が震える。

 

 怪物がこちらを見る。

 

 裂けた口が、笑ったみたいに見えた。

 

 駄目だ。

 

 避けられない。

 

 怪物が大口を開いて飛びかかってくる。

 

「ああああああああッ!!」

 

 叫びながら。

 

 引き金を引いた。

 

 ──バン!! 

 

 耳が壊れそうな音。

 

 火花。

 

 衝撃。

 

 怪物の身体が大きく揺れた。

 

 怯む。

 

 体勢が崩れる。

 

 でも止まらない。

 

 怪物はそのまま自分へ倒れ込んでくる。

 

「ぃ──」

 

 自分は反射的に鉄砲を捨てる。

 

 そして。

 

 近くに落ちていた杖を掴んだ。

 

 ただ、前へ向ける。

 

 それだけだった。

 

 怪物が、そのまま突っ込んでくる。

 

 次の瞬間。

 

 杖が、怪物の喉へ深く突き刺さっていた。

 

「ギャァアアアアアッ!!」

 

 怪物が叫ぶ。

 

 血が飛ぶ。

 

 熱い液体が顔へかかる。

 

 怪物は暴れた。

 

 のたうつ。

 

 振り回される。

 

 でも、自分は必死に杖を握り続けた。

 

「ぁ……ぁああ……!!」

 

 離したら死ぬ。

 

 それだけだった。

 

 怪物が暴れるたび、杖はさらに深く喉を抉っていく。

 

 肉を裂く感触。

 

 骨を削る感触。

 

 ぐちゃぐちゃの音。

 

 やがて。

 

 怪物の動きが止まった。

 

 どさり、と重い音を立てて倒れる。

 

「……ぁ……」

 

 静かになる。

 

 自分はその場に座り込んだ。

 

 何が起きたのかわからない。

 

 でも。

 

 自分が、殺した。

 

 その事実だけは理解できた。

 

「ぅ……っ……」

 

 涙が止まらない。

 

 どうして泣いているのか、自分でもわからない。

 

 怖いからか。

 

 苦しいからか。

 

 それとも。

 

 怪物でも、生き物を殺したからなのか。

 

 わからない。

 

 何も。

 

 でも。

 

 自分は立ち上がる。

 

 足が震えても。

 

 涙で前が見えなくても。

 

 うずくまらない。

 

 銃を拾う。

 

 病院の門を開く。

 

 外へ出る。

 

 夕方だった。

 

 空は赤黒い。

 

 雲が、生き物みたいに蠢いている。

 

 街は腐っていた。

 

 外なのに、空気が淀んでいる。

 

 腐臭が肺いっぱいへ入り込んでくる。

 

 青ざめた血を求める。

 

 自分にはそれを求めないといけない。

 

 何故かはわからない。

 

 わからない。

 

 ただ、獣を狩らないといけない気がする。

 

 仕込み杖を握り締め、獣狩りの短銃に水銀弾を詰める。

 

 片手で持つには、自分では苦しい。だけど、獣を狩らないといけない。

 

 そう思う。

 

 そう思わないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

 獣狩りの夜が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 貴方は狩人なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛しい私の子 早くあなたを抱きしめたい

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。