トゥインクルシリーズの集大成として臨んだ有マ記念を制したステイゴールド。
トレーナーとして3年間、彼女の旅路に同行した俺は、春の訪れを感じさせつつも未だ寒さを運ぶ二月末の風に吹かれながら、足の向くままにトレセン学園近くの河川敷へと歩みを進めていた。
以前に示し合わせたわけではない。ただ、何故か彼女に会えるという確信があった。
彼女と過ごした3年間で得た、不思議な感覚だ。
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河川敷にたどり着き、あたりを見渡す俺。
やはりいた。トレセン学園のジャージの上に黒いややオーバーサイズのダウンジャケットを着込んで河原沿いのベンチに座るウマ娘。
俺の愛バ。ステイゴールドだ。
(いや・・元愛バか・・)
俺はそんなことを考えながら彼女へと歩み寄っていく。
トゥインクルシリーズで栄光を掴んだウマ娘は、そのまま海外レースやドリームトロフィーリーグに挑戦することがある。その選択をとった子達の多くはそれまで指導していたトレーナーと共に挑戦するのが常だ。
つまり、彼女がレースを続ける選択をすれば、俺はまだ、彼女と共にいられる。
しかし、彼女が有マを制した後俺に告げたのは「少し休憩したら、長い旅に出る。」という言葉だった。
事実上、その瞬間から、俺たちの関係は終わりへと向かい始めたのだ。
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「よう。トレーナー。」
「やあ。ステゴ。」
片手にもった缶コーヒーを仰ぎながらこちらに右手をかざして挨拶する彼女。
俺は自分の心中が悟られないように返事をすると、彼女が座りなおして開けてくれたベンチに腰を落とす。
(ステゴ・・)
隣に座る彼女を見下ろす。
艶やかな黒髪と、吸い込まれそうになる黄金色の瞳。名だたるウマ娘達をねじ伏せた豪脚、とはにわかには信じがたい細くしなやかな脚。
綺麗だ。とても。
今年26になる俺が、干支が半周りは違う年齢の彼女に対してこんなことを考えるなんて、どうかしてるとは思う。
けど、そう思わずにいられない。
「なんだよトレーナー。そんなまじまじ見つめて・・飲みたいのか?」
「いやっごめん!コーヒーは大丈夫。」
そんなことを考えながらぼーっと彼女を見つめていると、ステゴは悪戯っぽい笑顔を浮かべながら口から離した缶コーヒーを差し出してくる。
俺はハッとして缶を押し返しながら、じろじろと彼女を見てしまったことを謝罪する。
「おっ、見ろよトレーナー。白鳥だ。・・・もうすぐ日本からはいなくなっちゃうかな。」
俺たちの頭上を朗々とした鳴き声をあげて飛び去っていく白い渡り鳥の群れ。
ステゴの呟いた言葉が、彼女自身をも含むような言いっぷりに感じてしまう。
「・・・ステゴ、旅は、まだいいのかい?」
「あー。まだ少し気が向かないかな。でもいいかげん、【アイツ】にお礼を言いに行かなくちゃ。もう卒業だしな。」
意を決して投げかけた俺の問いに、飄々とした様子で答えるステゴ。
彼女は、ステイゴールドは、俺たちが生きているこの世界とは別の世界の、【彼女自身】の記憶の一部をもって生まれてきた。
俺たちの3年間の戦いは、【アイツ】の描いた軌跡を辿り、超える。そんな旅路だった。
彼女の言う長い旅は、その【アイツ】に会いに行く旅だそうだ。
その旅の目的地はどこで、いつ、どうやっていくのか。俺は着いていけないのか。そんな問いは、ここではないどこか遠い場所を見つめるような目をした彼女にぶつけられる気がしなかった。
「そっか・・気を付けて行くんだぞ?最近本当に物騒だから。」
「んー。」
本心を伝えられない自分に嫌気がさした俺は、強引に話題を変える。
ここ最近の不安定な社会情勢を案じるフリをして、少しでもステゴが旅立とうとする気を起こさなければいい。なんて思いで出た口先の言葉。
しかし、彼女はそれを分かっているかのようで。足をふらふらと振りながら二つ返事をし、飛び去っていく白鳥を眺めていた。
---⏰
「トレーナー。腹減ったよ。飯いこう。」
「あっ、うん。そうだね。」
ステゴと過ごせる、残り少ない貴重な時間。しかし、あまり会話は弾まなかった。
そんな時間に飽き飽きしてしまったのだろう。彼女が立ち上がって歩き始めると、俺もそれに続く。
「あんた、何を食べたい?」
「そうだな、とりあえず駅前まで行って。あとは気のままに。」
「おっ、いいね。そうこなくちゃ。」
俺は努めていつも通りに。ステゴと駆け抜けた3年間を思い出してそう答える。
らしくなってきたな。とも言いたげな顔をこちらに向ける彼女の表情に安心しながら、俺は目的地までの時間を少しでも稼ごうと、なるべく歩幅を狭めて彼女の隣を歩いた。
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「蕎麦なんてどう?」
「んっ、それもありだなー。」
府中駅の駅前で店選びに勤しむ俺たち。何度もこうしてきている駅なのにいまだに目移りしてしまう。
彼女と出かける時の店選びはいつもこうだ。だけど、俺は、彼女と過ごすこの時間がたまらなく好きだった。
「トレーナー、やっぱ蕎麦だ。蕎麦がいい。あったかいやつ。」
「うん。じゃあ少し戻ろうか。」
「よし。」
やっと定まった目的地。そこに向かって二人揃って踵を返し、俺が先導して行先を指で示し歩き始める。
その瞬間。
『『―ッガシャンッ!!』』
耳を刺すような鋭く乾いた音が背後から辺りに響きわたる。
驚いた俺たちが慌てて振り向くと、ついさっき通りかかった、十数歩後ろにあったコンビニのガラス扉が粉々に砕かれて飛散している。そして、瞬く間に大きな人影がコンビニから飛び出してきた。
黒いマスクとニット帽をかぶった肥満体型の男。ペイントボールを当てられて蛍光色にまみれた服と手に持った包丁。そして酷く動転した様子。
強盗だ。
おそらく店員に抵抗されて未遂に終わり、逃走を図ろうとしている。
「どけぇ!!」
こちらに向かって切羽詰まった表情で迫ってくるその男。
距離はほとんどない。しかもあまりに突然の出来事に面を食らい、俺たち二人は咄嗟に動くことができなかった。
「ステゴッ!!」
手に持つ刃物をこちらに向ける気が動転した男。
見る見るうちに詰まる俺たちと男の距離。
俺より3歩半、男と近い位置で硬直しているステゴ。
それらを認識した瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
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「っう・・あ・・」
ステゴと男の間に割って入った瞬間、強い衝撃と共に天地がひっくりかえる。
一瞬暗転する視界。ステゴは無事に済んだだろうか。
目の焦点があった瞬間に視界を塞いだのは、愛しの愛バではなく、無精ひげを生やし、錯乱状態で荒い息をする男だった。
咄嗟に飛び出した俺は、男とぶつかって共に地面に倒れこんでしまったらしい。突っ込んできた男は勢いのまま俺に跨るような状態だ。
「っ・・あ゛・・うう゛っ」
自分の状態を認識した瞬間、左足の太もものあたりに鈍い痛みと妙な温かさを感じることに気づいた。
痛む場所を見つめてみると、俺の膝の上数センチのところに、男が持っていた包丁が突き刺さっている。
それを認識した瞬間加速度的に痛みは大きくなっていく。
「おまえっ!・・急に゛っ・・・うああ゛!!」
俺を見下ろしていた男が、流れ出る血を見て一層混乱し、拳を振り上げる。
ダメだ。逃げたいのに身体が動かない。痛い。怖い。寒い。痛い。
自分の顔に向かって振り下ろされる拳。俺は思わず目を閉じようとしてしまう。
しかし、俺に跨っていた男が、まるでバランスボールを蹴っ飛ばしたかのように、道路の端まで吹っ飛んでいく。
代わりに俺の視界を覆ったのは、開いた黄金色の瞳孔と鬼のような形相で男の方を威嚇するステイゴールドだった。
「・・ナー、トレーナー!・・」
ハッとしたような表情をした後、駆け寄ってきて覗き込むように俺を見下ろす彼女。
それをみて緊張の糸が切れてしまった俺は、耳元に響く愛バの声がだんだんと遠くなっていくのを感じた。
-----⏰
意識を失った後、すぐに救急車が駆けつけてくれたらしい。
搬送先の病院で、緊急手術による止血と縫合を受ける。
幸い刺さりどころよかったために動脈は傷ついておらず、集中治療室からはすぐに出ることができた。
トレセン学園直系の病院に入院し、予後について主治医と話し合う。
どうやら動脈を避けた代りに神経を一部傷つけたらしく。手術が再び必要らしい。
それに、手術をしても完全に元通りに動けるかは個人差があるうえ、全治は概ね3か月と告げられた。
それは、つまり。
「貴方がトレーナーとして復帰できるよう、私が全力を尽くします。」
「・・・はい。」
トレーナーは体力勝負の仕事だ。将来を有望視されて中央にやってきたウマ娘達の人生を預かるトレセン学園のトレーナーは、当然要求されるものも大きい。
もし、十分な回復が見込めなければ、俺は中央には居られない。
しかし、俺の中ではむしろ後者、全治3か月という長すぎる数字の方に心を深く沈められた。
3か月。ステゴが学園を卒業し、長い旅路につくのには、十分すぎる時間だ。
--⏰
入院から二日。たずなさんや理事長、ステゴと縁の深いドリームジャーニーとメジロマックイーンが代わる代わる見舞いに来てくれた。
しかし、そこに俺の愛バの姿はなかった。
来てくれた人全員に彼女の事を聞いた。すると皆口をそろえて、「元気だけど、理由は言えないが見舞いにはこれない。」という。
俺はそれを聞いて、ついに彼女は旅立ってしまったのだと悟った。
3年間の旅路を共に駆け抜け、一応は命を賭して守ったのに。最後の最後は挨拶すらしてもらえないのか。なんて、そんなことを考えてしまう自分を責める。
未だに続く鈍い痛み。手術への不安。そして3年間共に歩んだ旅路への自信の損失。
それらに悩まされながら、俺はどこか無機質に感じる病室で一人、長く空虚な時間を過ごした。
--⏰
さらに二日後。もう手術は明後日に迫っている。
しかし、その間もステゴが病院に訪れることはなかった。
俺はベッドのリクライニング機能に頼って上体を起こし、差し入れてもらった指導本を読んでいる。
しかし、全く内容が入ってこない。スマホを弄ることもできたが、数分毎に彼女とのLANEを開いては閉じるを繰り返してしまうため、嫌気がさして意識的に遠ざけていた。
(ステゴ・・)
この数日でだんだんと彼女に対して怒りが湧いてしまった。
旅立つにしたって、一言くらいは俺に告げてくれないのか。助けない方がよかったのか。と。
最初は歪んでいると思えていたその感情も、だんだんと自分の中で正当化されていく。
それにすら、嫌気がさす。
そんな時。
「やぁ。トレーナー。」
急に病室の引き扉がガラリと開く。
ノックもなしになんだと入口の方を向くと、そこにはここ数日間何度も何度も夢想した愛バの姿があった。
服装はいつもの通り、彼女が普段も愛用している勝負服。しかし、どこかやつれた様子だ。
「・・帰ってくれるかい。」
嬉しい。まだ彼女は旅立っていなかった。
だけど、じゃあなんですぐに来てくれなかったんだ。
そんな感情に心中を支配され、俺はそんな言葉をつぶやいてしまう。
「トレーナー、その、すまなかっ「「帰ってくれって!」」
俺のベッドにそう言いながら歩み寄ってきてくれるステゴ。しかし、初めて、ステゴに怒りを込めて怒鳴ってしまった。
彼女が来てくれて嬉しいはずなのに。感情のコントロールが効かない。
俺の怒声を受けた彼女は、耳をしゅんと後ろに向け。悲愴さと申し訳なさの入り混じった表情を浮かべてしばらく立ちすくんだ後、何も言わずに踵を返して病室のドアに向かう。
その様子を見て感じる強い自己嫌悪。
「ごめんよ、トレーナー、また来「「君を・・愛してたのに・・」」
ステゴの話にかぶせて、俺はぽろっとそんな言葉をこぼしてしまう。
口にした瞬間、ハッとする俺。
自分でもなんで、今、口にしてしまったのかも分からない。
この数日間でなんども言えばよかったと後悔して。ぐちゃぐちゃで整理の着かない心中で。
履き捨てるようにずっと言いたかった本音が口から洩れてしまった。
「・・・」
俺の言葉を受けた彼女は、俺のベッドの傍らまで何も言わずに歩み寄ってくる。
そのまま黙って俺を見下ろすステゴ。目を細め、切なそうで優し気な表情。それを見て、俺はやっと、彼女の言葉を受け止める準備ができたことを感じた。
「トレーナー、まずはごめんな。見舞いにこれなくて。」
「ウマ娘である私が、ヒトを蹴っ飛ばしちゃったからな。その・・警察のご厄介になってたんだ。もちろん、ちゃんと事情は汲んでもらえたよ。」
「なっ・・君はなにもっ!」
その言葉を聞いて、リクライニングベッドの背もたれから無理矢理身体を起こす俺。なんで彼女が。襲われただけなのに。
見舞いに来てくれた皆が誰もステゴが来ない理由を説明できなかった訳が、俺に心配させないためだったんだと理解する。
ステゴも口調こそいつも通りだが、表情はどこか強張っている。
この数日間の体験が、そうとう心労に来ていることが分かる。
(俺っ・・なにをしてるんだ・・)
今後への強い不安から自暴自棄になってしまった。ステゴの事情を聞こうともせず、怒り、自分勝手な想いを吐露してしまった。
どれだけかっこ悪いだろう。
「そして・・もう一つごめん。トレーナー。私はあんたの気持ちには答えられない。」
「っ・・・」
その言葉を聞いた瞬間、当然だと分かっていても、俺の胸に沸き上がる強い後悔。
裏切られたと勝手に思い込んで。トレーナーという大好きな天職に復帰できるか分からなくて。
自暴自棄になって呟いてしまった言葉。
これさえ言わなければ、少なくとも彼女が旅立つまでは一緒にいられたのに。
脚の痛みよりも、胸のあたりの締め付けの方が強く感じて息が詰まる。
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「トレーナー。少し聞いてくれるか。」
ベッドの傍らに腰かけ、俺の方を真っすぐ見てそう尋ねてくる。
その真剣な表情に、俺はただ頷くしかなかった。
「トレーナー・・私は、ソレを知らないんだ。」
トレーナーとしては尊敬している。という類の慰めを想像していたのに、全く違う性質の言葉が彼女の口から飛び出してくる。
しかし、沈んだ心にもスッと入ってくるほどステゴの声は神秘的で、綺麗で。俺は息を飲んで彼女を見つめる。
「私が知ってるのは別世界の・・【アイツ】としてのソレだけだ。」
「私の知るソレは、愛は・・。意中の相手と番いたい。相手と自分の遺伝子を持った子孫を残したい。って強い衝動だ。」
「だけど、今の私は、自分の子どもが欲しい。とはまだ思えないんだ。」
ここではないどこか遠くを見るような目で窓の外を見つめてそう語るステゴ。
美しくも真剣なその表情に、俺はゴクリとつばを飲む。
「だから、私はあんたを愛してるとは言えない。少なくとも今は。」
遠くを見る目から一転、黄金色の眼で真っすぐに俺を見つめ、そう言うステゴ。
俺はどう声をかければいいか分からなくて困惑する。しかし、彼女が真剣に、普段なら絶対に語ろうとしない心のうちを打ち明けてくれていることは理解できた。
「トレーナーは、私との子どもが欲しいのか?」
「いやっ!ちがっ・・くはないけどっ・・俺が言いたいのはっ」
いつもの悪戯っぽい笑顔に戻り、第2ボタンまで開けたYシャツを指でほんの少し引き下げながら俺にそう尋ねるステゴ。
あまりにもストレートなその質問と、ちらりと見える彼女の真っ白な肌と鎖骨に、俺は顔を赤くしてたじろいでしまう。
「じゃあ、トレーナーの言う愛っていうのはなんだ?あんたの言葉を聞かせてくれよ。」
ステゴは右手で俺を指さして、そんなことを口にする。
彼女がくれた最後の機会。
もう、後悔してたまるか。
「俺はステゴと・・ずっと一緒にいたい。君のトレーナーとしてじゃなくても。君のこれからの旅路を一緒に歩みたいっ!トレセンを出た後も。ずっと。」
よかった。ちゃんと言えた。
もう後悔はない。これで彼女が俺を置いて旅にでるなら、俺は彼女をどこまでだって探しに行ってやる。
そうだ。それでもいい。置いて行かれたって。また見つければいいんだ。彼女と出会ったときみたいに。
「ふっ、ははっ!・・なんだ、じゃあ私と同じだ。」
「へっ?」
俺の言葉を受けたステゴは、いつものように笑いながらそう言う。
俺は彼女の予想外の反応に、俺は素っ頓狂な声を出してしまった。
「トレーナー。私は別世界の・・【アイツ】の縁と旅路のおかげで、ライバルや友人に恵まれて。ここまでこれた。」
「だけど、それだけじゃ。私だけじゃ。この旅路を、辿ることすら難しかったと思う。」
「【アイツ】になくて、私にだけあったもの。」
「【アイツ】の縁のおかげじゃなくて。・・・私だから、見つけられた宝物。」
「あんたは・・・私だけの黄金なんだ。」
「っ!!」
キラキラと光る黄金の瞳に見つめられながら、渡された言葉をかみしめる。
嬉しくて仕方がないのに、感極まって声が出せない。
「だから。ずっと、一生、私と一緒にいてくれ。トレーナー。」
「・・いつか、きっと、私からも愛を伝えるからさ。」
「うっ・・くっ・・ステゴぉ・・」
顔を伏せて泣きじゃくる俺。
しかし、不意になにかに身体を覆われる。
細いのに、がっしりと力強い。しかし、どこかふわふわと柔らかい。
顔をあげると、愛らしい愛バの顔が視界を覆っていた。
俺はそれでやっと、ステゴが俺を抱きしめてくれていることに気が付いた。
「今はこれくらいで我慢してくれるか?・・私も、あんたとこうして触れ合う時間が欲しかったんだ。普段だったら恥ずかしくて言えないけど。」
「ああっ・・ありがとうっ・・ひぐっ・・」
ステゴの胸元に顔を埋めながら、頷く俺。
わずかに、しかし確かにある柔らかさに包まれて、俺はしばらくそのまま泣き続けてしまった。
--⏰
次の日。昨日に引き続き見舞いに来てくれるステゴ。
ベッドの傍らに椅子をおいて座り、勝負服に携えたナイフで差しれられた果物の皮を次々に剥き、食べやすいようにカットしてくれる。
相変わらずすごい手際だ。
「ステゴ・・?大丈夫?」
「ん?、なにがだ?」
俺はベッドに寝そべり、ステゴを見上げながらそんな問いをぶつける。
彼女はトボけようとしているようだ。しかし、そうはさせない。
「寝不足だろう?」
「あれ?分かっちゃうか。・・ジャーニーにコンシーラーしてもらったのにな。」
目の下を細指で撫でながら、そうつぶやく彼女。
寝不足でできたクマを、ドリームジャーニーに化粧で隠してもらったらしい。
確かに、傍目に見たらなんの違和感もないだろう。俺以外が見たら。だが。
「なにか、悩みかい?」
「いや・・その・・」
恥ずかしそうに目を逸らすステゴ。
手にもっていたリンゴとナイフをベッドのサイドテーブルに置き、観念したように話し出す。
「夢を見て起きちゃうんだ。あんたが、あのまま・・助からないっていうさ」
「・・・」
その言葉を聞いて、きゅっと締め付けられる胸。
彼女への心配と、申し訳なさと、後、ほんのすこし高揚。ステゴが眠れないくらいに自分を心配してくれていることに対しての。
「・・ステゴ、もし、よかったら。」
俺はベッドの端に寄り、スペースを開ける。小柄な彼女がちょうど潜りこめるくらいの。
「ああ。ありがとう。」
彼女は頬をほんの少し赤らめながら、ベッドの中に入ってきて小さな身体で俺の身体にしがみ付く。
俺は左足に可能な限り負担をかけない体勢で、彼女を抱きしめる。
無言のまま身体を寄せ合っていると、次第にすぅすぅとステゴから可愛らしい寝息が上がる。
互いにパーソナルスペースを侵害しあった状態でも、彼女が眠りに落ちてくれたことがこの上なく嬉しい。
俺は一秒でも長く彼女が眠れることを願いながらも、
少しずつ握りしめるのが億劫になっていた意識を手放した。
--⏰
「ステゴ?」
「・・・」
手術当日。ステイゴールドは俺が寝そべるベットの傍らに腰かけ、病室の窓から外を眺めている。
名前を呼んでみるが、振り向いてすらくれない。しかし、俺の右腕には、コンクリートに絡みつく蔦のように彼女の尻尾が強く巻き付いていた。
いつも飄々としている彼女からは想像もできない行為だ。
「入りますよー」
ノックと共に病室の扉の外から聞こえてくる看護師の声。
その声を聴いた瞬間、ステゴの身体がびくっと跳ね、俺の右手に巻き付けられた尻尾にぎゅっと力が入る。
ドアの方を振り向くステゴの表情は、怯えていると言っていいくらいに不安げで。
その揺らぎの要因が自分であることに、申し訳なさを感じつつもどこか嬉しさを覚えてしまう。
「・・あら、お邪魔でしたかね?」
「・・そうかもですね。」
病室に入ってきてベッドの傍らにおいた体温計を回収した看護師がそう俺に聞いてくる。
俺は誇らしげにそう答えながら、愛バの艶やかな尻尾の毛を指先で軽くなぞる。
「大丈夫ですよ。施術はまだもう少し先です。それに今日の執刀医は、この分野では比類ない名医ですから。」
看護師にかけられた言葉を受けて、不安げな表情が少しだけ和らぐステゴ。
俺自身も手術への不安はある。
しかし、普段見せない表情の数々を浮かべる彼女への愛おしさが勝って、俺の心中は雲一つないくらい晴れやかだった。
看護師が病室を出た後も、会話は生まれない。
だけど、そんな静寂が俺にとってはたまらなく心地よかった。
--
「・・・なあ、トレーナー。」
「なんだい?」
病室の沈黙を破ったのは彼女だった。
尻尾を腕に巻き付けたまま、身を翻して俺を真っすぐ見つめ、呟くように声をかけてくる。
「・・手術は安全なんだよな?無事に終わるよな?」
「ああ。リハビリはかなりしんどいらしいけど、手術そのものは命に係わるものじゃないよ。」
いつも飄々としているステゴが、不安そうな顔を隠そうとせずに、小さく震えながらそう聞いてくれる。
そんな表情をみて、自分が彼女の心の垣根の中に入れたんだと実感する。
「絶対だな?万が一にも危険はないんだよなっ?」
「どうだろう・・レースにも手術にも絶対ってないからなぁ」
あまりに保護欲をそそる彼女のしっとりとした表情。少しだけ意地悪したくなった俺は、そんなことをつぶやいてしまう。
「・・あんたはっ・・ちゃんとっ・・帰ってくるよな?」
「・・っ!」
そう口にするステゴの目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
その表情をハッとした俺は、彼女の涙を拭うためにベッドのリクライニングを起動させる。
しかし、ゆっくりと電動で起き上がるベッドを待っていられず、無理矢理自力で上体を起こす。
下半身を中心に走る激痛という形で猛抗議をする身体を無視して。
「っ!?何してるんだっ!無理するな!」
俺のその様子に驚いたステゴは血相をかいてベッドに身体を乗り上げながら俺に抱き着き、上体を支えてくれる。
下半身にかかる体重のほとんどを彼女にもち上げられて、痛みがひいていく。
「ステゴごめんね。・・大丈夫。絶対に帰ってくるから。絶対だ。」
やっと起き上がったベッドの背もたれに身体を預け、
俺は自分に抱き着くステゴの頭を撫でながら言葉を紡ぐ。
「・・・帰りを待つ側の大変さも少しは分かってくれた?」
「・・・」
そんな問いかけに、俺の胸に顔を埋めながら頷く彼女。
唐突に小旅行に行ってしまうステゴ。トレーニングのメニューを考えながら待つ時間も嫌いじゃなかったけど、
待たせる側も悪くない。などと俺は思ってしまった。
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病室からキャスター付きのベッドに乗せられて連れ出され、手術室の前にたどり着く。
さっきまでは愛バのおかげで穏やかだった心中も、ここまでくると流石に緊張してくる。
「なんだ、あんたもやっぱ怖いんじゃないか。・・大丈夫だって。」
俺を中腰になって見下ろしながらそういうステゴ。
強がって俺に言葉をかけてくれるが、珍しく耳が後ろを向きに伏せられている。
彼女の心中を察して、また勇気をもらう俺。
「・・・いっといで。トレーナー。待ってるよ。」
「ああ。行ってくるよ。ステゴ。」
彼女が不意に差し出してくれた拳に、点滴の刺さった右手でグータッチする。
ステゴが待ってくれていた看護師達に向かって軽くお辞儀をすると、それを合図に手術室の扉が開いて、ベッドが動き出した。
--
【―♪さあ、Legend-Changer! ロックに飛び込んで】
局部麻酔で行う手術は、患者の心労軽減のために好きな音楽をかけてくれる。
俺が選んだのは当然、我が愛バが歌い上げるウイニングライブセレクションだった。
【―♪無数の足跡に見る栄冠を 憧れにして終わらせるな!】
無機質な手術室に朗々と響くステゴの歌声。
この曲はこの部分の歌詞が特にお気に入りなんだ。と彼女が話していたことを思い出す。
「・・現地で見てましたよ。有マ。」
「えっ?」
麻酔が効いて痛みがない中でも、身体の内側を鉄製の固いモノがうごめくような感覚に耐えている俺。
ふと、目は真っすぐに施術部位を見つめたまま、執刀医が俺に声をかけてくる。
「ステイゴールドさんが覇王を差しきったあの瞬間、目頭が熱くなりましたよ。あなた達のおかげで本当にいいものが見れた。」
【―♪熱狂起こす 当事者になれ!】
「あなた達」という言葉と、愛バの歌声が重なる。
そうか。俺も。ステイゴールドの黄金の旅路の一助を担えていたんだ。
----⏰
手術は無事成功し、リハビリに臨む俺。
平行棒を両腕で掴み、一歩一歩、慎重に左足に体重を乗せながら歩みを進める。
これがかなりしんどい。身体が自分の物じゃないみたいに重く、言うことをまるで聞いてくれない。
しかし。
「トレーナー。ほらほら。もう少しだ。あんたの愛バが待ってるぞー。」
平行棒の終端でいつもの悪戯っぽい笑顔をこちらに向けながら、両腕を大きく広げるステゴ。
ああ。可愛い。
この表情を一目見るためだったら、どんな苦行にだって耐えられる。
「はぁ・・はぁ・・」
「お疲れ様。よく頑張ったな。」
ステゴの元まで歩ききった俺は平行棒を手放すと、そのまま倒れこむように身体を彼女に預ける。
彼女は思いっきり俺を抱きしめながら、背中をぽんぽんと叩いてくれた。
「おっ、体重、戻ってきたんじゃないか?」
170センチ前半の俺と、142センチの彼女。体重差も相当なはずだ。
それなのに、全体重を乗せて凭れかかっても彼女の体幹からは微塵のよろめきも感じない。
「・・にしてもすごいペースだな。頼むから無理しないでくれよ?」
「いやっ!・・はぁ・・君を待たせたくっ・・はぁ・・ないから」
俺をつま先立ちで抱きしめながら、額に浮かぶ汗をハンカチで拭ってくれるステゴ。
俺は絶え絶えの息で強がって見せるが、彼女の心配そうに俺を見上げる表情に口角が緩んでしまう。
「ゆっくり。あんたのペースでいいよ。あんたを待つ時間は退屈しないからさ。」
「ああ。ありがとう。」
休憩用の椅子まで俺を支え、座らせてくれながらそんな言葉をかけてくれるステゴ。
これが続くなら、一生足が治らなくてもいいと思ってしまうくらい、この時間と彼女が愛おしい。
しかし、
「よし。もう一本行くこうかな。ステゴ、肩貸してくれる?」
「おいおい、まだやるのか?・・・しゃあない。あと一本だけだからな。ほら。」
中腰になってくれた彼女に掴まって椅子から立ちあがる俺。
ステゴに掴まって。というより、ほとんどステゴに運ばれて平行棒の前に向かう。
その力強さから俺の負担を少しでも減らしたいという彼女の気持ちが伝わってくる。
「今のやりとり、クラシック級の時はよくしたよな。立場は逆だけど。」
「ふっ、そうだね。」
そんなやり取りをしながら、ステゴは俺をスタート位置に優しく立たせると、ちらっと俺の顔を見上げて少し頬を赤らめた後、顔を伏せる。
そのまま俺と目線を合せずに平行棒の終端までパタパタと走って行ってしまった。
「ほら、トレーナー早くきてくれよ。・・あんたの愛バは寂しいってさ。」
そのまま思いっきり両腕を広げ、恥ずかしそうにそう言う彼女。
そのあまりにも愛らしい表情と仕草に、やっぱりこのままでもいいかもな。なんて思ってしまう。
だけど、俺は彼女の旅の同行者だ。
そう自分に発破をかけ、両腕に力を籠め、一歩目を踏み出した。
(続く?)
初投稿になります。
ぜひともご感想をお聞かせください。