健全ですね。
長い冬の終わりを告げる3月の春風が窓から吹き込むトレセン学園直営病院の一室。
トレーナー歴3年目の自分には分不相応な個室のベッドの上で、俺はスポーツパフォーマンスの教本を読みふけっていた。
(はぁ、暇だ・・)
俺はアンダーラインを引き切った教本をベッド右側のサイドテーブルに置き、読書のために起こしていたベッドのリクライニングから背中を浮かせると、窓の外の景色をみて柄にもなく遠い目をする。
数週間前、俺は3年間のトゥインクルシリーズを駆け抜けた愛バと共にコンビニ強盗事件に巻き込まれてしまった。
強盗の持つ刃物から彼女をかばった際に足を負傷してしまい、その治療で入院中だ。
(今日は・・来てくれるかな。)
手術も成功し、リハビリも至って順調。しかし、俺の心中は穏やかではなかった。
担当ウマ娘に会いたい。声を聴きたい。他愛もない話をしながら、病室で二人だけの時間を過ごしたい。そんな邪な妄想が止まらない。
しかし、俺の担当は卒業を間近に控えている。彼女を慕うウマ娘達と貴重な時間を過ごすべきだ。けど、見舞いに来てくれないのは寂しい。
そんな乙女チックな考えを浮かべる自分に嫌気がさし、再び教本を読み進めようとサイドテーブルに手を伸ばした時だった。
「よう。トレーナー。」
「っ!・・やあ。ステゴ。」
病室入口の引き戸が開く音と共に、落ち着きのある優し気なアルトボイスが聞こえてくる。
俺が嬉々として声の方を向くと、紺を基調としたトレセン学園の制服の上に、ややオーバーサイズ気味な黒のダッフルコートを前を閉めずに羽織る、細身で小柄なウマ娘が歩み寄ってきてくれる。
俺の愛バ、ステイゴールドだ。
女子高生らしく可愛らしいファッションに加え、こちらに向けた手と尻尾を小さく左右に降りながら病室に入ってくる彼女の姿に俺の胸はドクンと高鳴る。
俺は抑えきれない高揚感が愛バに伝わらないか心配しながら、努めて平静に挨拶した。
「体調はどうだい。」
「うん。良好だよ。今週中には退院だって。」
「そっか・・・よかった。本当に。」
ダッフルコートを脱ぐステゴにハンガーを手渡しながらそんなやり取りをする。
俺が退院予定を伝えると、彼女は目を細めてホッとした表情で俺を見おろし、安堵の言葉をこぼした。
吸い込まれそうになる黄金色の瞳。それに加えて、まるで小動物を見つめるかのような優し気で温かい表情。
そんな彼女と見つめ合っていると、年端もなく顔が赤くなっていくのが自分でも分かって、俺の方から目をそらしてしまった。
「・・もうすぐ退院だし、無理に来なくてもいいんだよ?もうすぐ卒業の君に会いたい子も多いだろうし。」
「学園のやつらには面会時間が終わった後にも会えるんだ。それに、私が会いたくて来てるんだが?」
「・・・嬉しいよ。ありがとう。」
照れ隠しに俺が声をかけると、ベッドの端の開いたスペースに俺に背を向けて腰かけたステゴからそんな言葉が返ってくる。
気が利く返しができればいいのだが、俺は素直にお礼を言って彼女の言葉をかみしめる。
「なんだ熱心だな。パートナーとして、入院中くらいは休んでほしいんだけどな。」
「根詰めてはないよ。暇つぶしに溜まった資料を読んでおこうと思ってね。」
「そっか・・・ふむ・・・へー・・・面白いな。」
ステゴは俺のスポーツパフォーマンス教本を手に取ると、パラパラとめくり始めた。
真剣な表情で俺の引いたアンダーラインを指でなぞる彼女の横顔をみるだけで、心が満たされる。
「ステゴ。」
「ん?」
「呼んでみただけだよ。」
「・・・」
しばらく沈黙が続いた後、俺がそんな声をかけると、一瞬だけ目を丸くした後そっぽを向き、また教本に目線を落としてしまうステゴ。
やらかした。ちょっと歯の浮くセリフを彼女から貰ったからって、調子に乗りすぎてしまった。
そんなふうに自戒していると、不意にベッドの上の右手にふわふわと柔らかい物が触れ、絡まる。
目線を落とすと、彼女の艶やかな尻尾が俺の手に触れていた。
手の中で小さく動く柔らかい感触を感じながら、俺はしばらくの間、窓の外の景色と真剣な表情のステゴの様子に目を奪われていた。
--⏰
「・・・おっ、豚毛か。いいブラシだな。」
心地よい沈黙を堪能していると、
ステゴが俺のベッドの傍らに置かれた紙袋から何かを取り出し、手にもって触り始めた。
入院直後、彼女と縁の深いウマ娘達もお見舞いに来てくれた。彼女が持っているのはその時に差し入れてもらったヘアブラシだ。
女性の入院時には必需品だが、特にこだわりのない黒髪短髪の俺には無用の長物で、使うことなく紙袋にしまわれていた。
「ああ。マックイーンが差し入れてくれた入院用具かな。全然分からないんだけど、多分高いヤツだよね。」
「私も詳しくないが、多分な。」
俺たちは顔を見合わせた後、メジロ家の豪邸を思い浮かべ共に苦笑いする。
「へーっ・・木製の持ち手で撓るようになってるんだな。」
そんなやり取りの後、手に持ったブラシをもう片方の手のひらに宛がって感触を確かめるステゴ。
彼女が時折見せる、何かに夢中になって目を輝かせる表情がたまらなく好きだ。
「・・なあトレーナー。」
「ん?」
「尻尾、ブラッシングしてくれないか?」
「へっ?」
悪戯っぽくもどこか保護欲をそそる笑顔を俺に向けてそんなことを言うステゴ。
俺は突然の提案に素っ頓狂な返事をあげてしまった。
「だめか?私は尻尾の感覚が弱いし、そんなに神経質にならなくていいからさ。」
「・・・」
トレセン学園の中には毎日のように担当ウマ娘の尻尾のケアをするトレーナーもいる。スキンシップになっていい。なんていう者までいる始末。
しかし、俺は正直その行為に対しては否定的だ。
ステゴが言うように感覚の強さに個人差はあるものの、デリケートなゾーンなのには変わりない。
年頃の女の子のそんな部分を、男性トレーナーがどうこうするのは、健全とは言えない。と俺は思う。
しかし、
「皆にもよくやってもらってるんだ。だからさ。あんたにも。」
「うーん・・」
正直、やりたい。
いつも飄々としているステゴがそんなことを俺に頼んでくれることが素直に嬉しい。
それに、最愛の愛バへのブラッシングだ。上手いと思われて、定期的にさせてくれたら。なんて考えてしまう。
そんな欲望と、大人としての理性がせめぎ合う。
「・・・おねがいっ」
「やる」
「ハハッ・・流石だ。」
ウイニングライブの時にしか聞いたことのない、彼女らしからぬ甘く甲高い声と上目遣い。合わせた手を顔の横にもってきて首を傾げる愛らしすぎる仕草。
俺の中の天秤は、一瞬にして欲望側へと傾いてしまった。
--
「じゃあ、頼むよ。」
「うん。」
ステゴはベッドの傍らに俺と逆の方向を向いて腰かけ、上半身を起こしてベッドに座る俺の太もものあたりに尻尾を乗せてくれる。
眼下に広がる艶やかな黒い毛並みに、俺は思わずゴクリと生唾を飲んだ。
「・・・」
ふと、なぜか。大学時代に初めてできた彼女との初夜を思い出していしまう。
初めての経験。下手だと思われたら?痛い思いをさせたら?
そんな憂いがかえって行為に淀みを生み、それが別れへとつながった。そんな苦い思い出。
「トレーナー。」
「あっ・・なんだい?」
落ち着きのある柔らかい声で呼ばれ、ふっと我に返る俺。
「任せる。」
顔だけを俺の方に向けて振り返ったステゴから、背中越しにそんな言葉を貰う。
黄金色にキラキラと光る瞳。凛々しくも、どこか優し気な表情。
そんな彼女を見て、俺の心に掛かりかけた雲が一瞬で霧散してしまった。
「・・・サラサラだね。」
「そうか?まめに手入れする方じゃないんだけどな。」
俺はまず手櫛で解かすように彼女の尻尾全体を撫でる。
さらさらと手に吸い付く毛の感触がとても心地よく、ずっとこのまま撫でていたくなる。
「よし。じゃあ始めるよ。」
ステゴの尾毛の感触を堪能した後、
俺は尻尾の中間から先端に向けて、艶やかな毛の流れに逆らわずに優しく豚毛ブラシの先端を這わす。
ブラシの毛先がステゴの毛に入りすぎないように細心の注意を払いながら、表面をなぞるように、何度も。
「・・・痛くない?」
「ああ。気持ちいいよ。」
その言葉を聞いた俺は、少しずつブラシの先を尻尾の毛に沈めていく。流れに逆らう毛は無理に解かさず、
ブラシの角度を少しずつ変えながら何度も往復させて、徐々に解れさせる。
「なんだあんた、上手いじゃないか。」
「・・そうかい?」
「・・さては、他の娘にもしてたな?」
「・・君一筋だよ。」
「ふふっ・・そっか。」
ゆったりとしたペースでそんな会話をしながら、ブラッシングを進める。
ブラシの毛を彼女の絹のような尾毛に沈め、そのまま尾先までブラシを流す。
そして少しずつ、少しずつ。ブラシを入れ始める位置を尻尾の付け根、尾椎へと近づけていく。
「ちょっとでも痛かったら言ってね。」
「・・・」
俺のそんな声かけにこちらを向かずにこくりと頷くステゴ。
ウマ娘の尻尾は犬や猫のように全体に筋肉や骨があるわけではなく、今までブラッシングした尻尾の下半分は尾毛のみの部位。
しかし、これから触るのは神経の多く通う尾椎に近接する部分。つまり、感覚が鋭敏で痛みも感じやすい部位だ。
ヒトでいうと、毛先のケアから頭皮マッサージに移るイメージだろうか。
とにかく、いままで以上に慎重にブラッシングしなければならない。
「よしっ」
覚悟を決めた俺はそう小さく呟いて気合を入れなおした後、ブラシをベッドに置いて、右手の手櫛を最大限に弱い力で腰辺りにある毛に沿わせる。
さらさらで暖かい。毛量は毛先よりも多いはずなのに、指がするりと沈む。
そして毛の奥に感じる柔らかい感触。
それにもっと触れたいという願望を必死に抑えながら、俺は手櫛を何度も往復させて、腰付近の尾毛を解す。
「大丈夫そう?」
「・・・あぁ。」
いつもと違う、上擦って小さく震えるステゴの声音。それを聞いて飛び跳ねる心音を必死に沈めながら、ブラシを再び手に持ち、彼女の尻尾に宛てがう。
そのまま、少しずつ。ゆっくりと。尻尾の表面をなぞるようにブラシを滑らせる。
「ステゴ、少しこっちに来てくれる?」
「・・・ステゴ?」
ブラッシングも終盤。しかし、尻尾の付け根の毛はステゴが背を向けてベッドに座っているこの体勢では些か距離があり、できないことはないが精細さを欠いてしまいそうだ。
だからステゴにもう少し俺の方に近寄ってほしいのだが、俺の呼びかけに彼女は応じてくれない。
「・・・トレーナーっ・・」
「なんだい?・・・っ?」
無理のない範囲でのブラッシングを続けていると、ステゴのか細震える声による呼びかけに反応して俺は手を止めた。
その瞬間、目の前にあったはずの艶やかな黒の尾毛が視界から消える。
そしてそれを認識した刹那、俺の上半身を柔らかくいい匂いのする何かが包み込んだ。
「ステゴっ・・」
「・・・」
俺の肩に顔を埋めるようにぎゅっと抱き着いてきてくれるステゴ。
一瞬躊躇したものの、欲求が理性を簡単に上回ってしまった。
彼女の背中に左腕。腰に右腕を回し、ぎゅっと抱き寄せる。
柔らかい。温かい。ふわふわする。
さらさらの髪が顔に触れて、ローズ系のシャンプーの香りが鼻腔を擽ってくる。
「・・・続けるね。」
ステゴは長い尻尾を真っすぐに立たせてくれた。俺が彼女を抱きしめたまま、背中越しにでもブラッシングができるように。
俺は左手でステゴの尻尾を花を持つように優しく掴み、手探りでブラシを見つけて右手に持ち直す。
「楽にしていいからね。・・・俺に任せて。」
ウマ娘が尻尾を直立させるのにどれくらいの筋力を使うのかは分からない。
だけど、俺は少しでもステゴに身体の力を抜いてほしくて。自分にもっと身体を委ねてほしくて。そんな言葉をかける。
すると、左手に握っていた彼女の尻尾が支えを失ったように垂れ下がりそうになった。
俺は左腕とステゴの間に彼女の尻尾を挟み込むように支え、右手に持ったブラシを彼女の腰に宛がう。
「っぅ・・・ふぅ・・・」
持ち手の部分ではなくブラシ台を右手で握りこみ、さっきまでよりも少しだけ深く。柔らかな毛にブラシを沈めて引き上げるように尾毛を撫ぜる。
俺にぎゅっとしがみついて肩に顔を埋めるステゴ。
ブラシを動きに反応して漏れる吐息混じりの力なく可愛らしい声。
密着状態で感じる彼女の体温と身体の柔らかさ。
どれもが俺の欲望を刺激してくる。
ダメなのは十二分に分かっている。否定されるかもしれない。
だけど、もうどうなっていもいいと思ってしまう自分がいる。
「ステゴっ・・ごめん。俺の負けだ。」
俺は右手のブラシをベッドに放り投げて思いっきりステゴを抱き寄せる。
右手を彼女の頭の後ろに持っていって、さらさらな髪の毛を何度も何度も撫でる。
本当はもっとこのまま続けたい。もっともっと見たことのない彼女が見たい。
だけどそれはまだ。絶対に。今ではないから。
「ありがとうね。ステゴ。」
「・・・」
俺がそうつぶやくと、ステゴはコクコクと頷きながら俺の肩に顔を埋めなおしてくれる。
可愛らしく左右に尻尾を揺らしながら、俺の首元のあたりを頬ずりしてくれる彼女。
俺はもう一度強くステゴ抱きしめながら、名残惜しさとそれに勝る幸福感をかみしめた。
そんな時。
「アネゴ、トレーナさん。ドリームジャーニーです。失礼してもよろしいでしょうか。」
「っ!?」
上品な3回のノックと共に、そんな声が病室入口のドアの向こうから聞こえてくる。
その声に二人揃って身体をびくんと震わせる。
「・・・おおジャーニー。入っていいよ。」
まるでなにもなかったかのように、ステゴは俺から離れ、ベッドの傍らに置いた教本を開きながらベッドに座りなおす。
ジャーニーにむけた声もいつも通り。俺は感心しながら表情を引き締める。
「アネゴ、そろそろ寮に戻っていただけますか?今日も催しが目白押しですので。」
「あー。そうだな。ぼちぼち戻ろうか。・・じゃあトレーナー。またな。」
「よろしいかったですか?・・・それではトレーナーさん、ご自愛くださいね。」
手にもっていた教本を閉じて俺に差し出すと、いつも通りの飄々とした表情で挨拶をされる。
「今日はナカヤマがポーカー大会を企画してくれていますよ。」
「おー。いいなぁ。主賓の私が早々に飛ぶのは味気ないし、タイトに打たなきゃだな。」
そんなやり取りをしながら、ステゴとジャーニーは病室から出て行ってしまった。
ほんの数十秒前まで、もう死んでもいいと思えるくらい幸せな時間だったのに、あっという間に閑古鳥が鳴く病室に俺は思わずため息をついてしまう。
「トレーナーさん」
「っ!?・・ジャーニー!?・・どうしたの?」
少し前までいた桃源郷を思い返していると、ステゴよりも若干低く落ち着いた声によって現実に引き戻される。
声の方を向くと、先ほど病室から出て行ったはずのドリームジャーニーが中腰で俺の顔を覗き込んでいた。
「アネゴ、私たちにも尻尾は滅多に触らせてくれないんですよ。くすぐったいから自分でやるって仰って。」
「っ!・・えっ?」
ジャーニーの声が聞こえた瞬間から嫌な予感はしていたが、やはり感づかれてしまっていた。
しかし、そのことに対する恥ずかしさよりも、彼女の言葉への驚きが勝る。
ステゴはよくみんなにブラッシングしてもらっている。と言っていたのに。
「信頼されていらっしゃいますね。妬いてしまうくらいに。・・・・それでは。」
「・・・そうだね。」
ジャーニーの言葉を受けて、俺はベッドに転がるブラシを見つめてそう答える。
病室を出ていく彼女を見送りながら、俺は少し冷えた頭でさっきまでの行為を思い返す。
やりすぎてしまっていないだろうか。もっと早く立ち止まるべきだったのではないか。と自戒する。
そんな時、サイドテーブルに置いたスマホがバイブした。
画面を見ると珍しくステゴからのLANEだった。
俺はハッとしてすぐにアプリを立ち上げる。
【ありがとう。】
【 】
【また頼むよ。】
可愛らしい熊のスタンプの後、一瞬間をおいてそんなメッセージが来る。
「・・・もちろんだよ。」
トーク画面を見て俺はそうつぶやきながら、フリック入力のために指を動かした。
(続く?)