「はぁ・・いい湯だった・・」
風呂上りにはちょうど良い爽涼な風が窓から吹き込んでくる春の宵。
トゥインクルシリーズを3年間共に駆け抜け、堂々たる功績とともにトレセン学園を卒業した我が愛バ、ステイゴールド。
彼女が連れ出してくれた旅路の最中、俺達は東北地方の温泉旅館に泊まりに来ていた。
4月の平日ということもあり、宿泊客は多くない。
俺はほとんど貸し切りの露天風呂を堪能し、広々とした番台前でミネラルウォーターを飲みながらステゴの湯上りを待っていた。
(あっ・・おっと、違った。)
女湯の暖簾から紺色の浴衣姿の小柄で若い女性が顔を出したのを目の端で捉え視線を向ける。
しかし、すぐに人違いであることに気づき、慌てて視線を外した。
(ちょっと似てるかもな)
俺の目の前を通りすぎて歩いていく女性。その後ろ姿を俺は自然と目で追ってしまう。
後ろで一つ結びにした髪の毛や、ステゴほどではないが小柄でスレンダーな身体付き。
ステゴの姿をその女性に重ねてしまった。
「なに見とれてるんだ?」
「あっ、ごめん、ステ・・ゴ・・」
背後から聞き心地のよいアルトボイスが聞こえてきて、俺はハッとしながら振り返る。
そこには俺が心を奪われている愛バの姿。しかし、装いはいつもと随分違った。
先ほどの女性と同じ紺色の浴衣。幅の狭い腰帯がキュッと閉められ、女性らしい腰の括れが強調されている。
いつも後ろで一つ束ねている髪は解かれ、湯上りのせいかわずかに水気を含んでまとまり、いつも以上に大人びて見えた。
普段とは一味違う淑やかな佇まいに、一瞬彼女の名前を呼ぶ声が滞ってしまった。
「なんだよ・・・なにか変か?」
「いやっ!なんでもないよ。・・いこうか。」
前髪を指で整える様子にしばらく見とれていると、ステゴが怪訝そうな顔でそう聞いてくる。
俺はハッとして腰をかけていた長椅子から立ち上がり、二人並んで歩きだした。
(同室・・・めちゃくちゃ楽しみだ。)
ステゴの提案で、同じ部屋で一夜を過ことにした俺達。
最初こそ反対したが、彼女の言葉に乗せられて、そして自分の中の欲望に負けてしまった。
一歩歩み寄るきっかけを彼女がくれたのだ。
絶対に無駄に出来ない。
「ステゴ。」
「ん?」
「・・・浴衣、すごく似合ってるよ。」
「ふふ、そうだろ?」
部屋に戻る道すがら、そんな声をかける。
にっこりと笑ってそう返事するステゴの頬がほんのりと赤い気がした。
多分、湯上りの所為だろう。
--⏰
「それでは、ごゆっくりお楽しみください。」
「ありがとうございます。」
俺たちが風呂から戻るとすぐに、女将さんが客室に料理を運びいれてくれた。
大きな机の上に並べられた海鮮と山菜をメインに添えた懐石。
十数の小皿にもられた色とりどりの料理が燦々と輝いている。
「それじゃあ・・お手を拝借。」
「「いただきます。」」
ステゴの音頭で声をそろえて挨拶をし、料理に手を付け始めた。
名前しか聞いたことのない山菜たちが様々な調理法で仕上げられており、見ているだけでも満足感が溢れてくる。
「・・トレーナー、これ食べたか?」
「ん、蕗(ふき)か・・おお、出汁がすごい。」
「だよなぁ・・どれも手が込んでる。」
ステゴに進められた蕗の青煮を口に運ぶ。苦味はなく、濃い出汁の香りが鼻を抜けていった。
彼女とともに食卓を囲み、料理の感想を言い合って少しずつ腹を満たす。とても楽しく、そして幸せな時間だ。
(ああ美味い。ただこういうのには・・)
舞茸の天ぷらに添えられた粗塩を振りかけて口に運ぶ。
さくさくの衣としっとりとして厚みのある舞茸に、強い塩分がアクセントになって非常に美味だ。
ただ、こういう揚げ物には、やはりお供が欲しくなる。
料理とともに置いていかれた「お飲み物」と書かれたメニュー表。そこに名を連ねるビールの銘柄に、俺はごくりと喉を鳴らした。
(いやいや・・ダメダメ。)
ステゴとの、高校を卒業して間もない女性との食事で自分だけ酔っぱらうわけにはいかない。
それに、俺は酒が強い方ではなく、ビール2、3杯で酩酊してしまうのだ。
一層、飲むわけにはいかない。
「お待たせいたしました。」
「えっ?」
そんなことを考えながら食事を楽しんでいると、上品なノックの後再び女将さんが部屋に入ってくる。
彼女は洗礼された動作で日本酒の2合瓶とお猪口を置き、簡単なお酒の説明をして帰って行った。
「頼んどいたんだ・・飲むだろ?」
「いやっ!ダメに決まってるじゃないかっ」
ステゴが瓶を手に取りながらそんなことを言いもんだから、俺は慌てて静止する。
二十歳に満たない・・と思われるステゴに、お酒を飲ませるなんて、絶対にさせない。どれだけねだられてもだ。
「ふふ、私は飲まないよ・・ほら。お猪口も一つだろ?」
「ああ・・いやっ、俺もいいよ。下戸だし。」
ステゴが飲酒する意志がないことにホッとしながら、俺のお猪口にトクトクと日本酒を注ぐ彼女を嗜める。
しかし、やめるつもりはなさそうだ。
「・・あんたに飲んでほしいんだ。これまでの私たちの旅路に、乾杯してくれ。」
「・・・」
そんな言葉を添えられて、なみなみに日本酒が注がれたお猪口を差し出される。
目を細め、柔らかく笑う彼女の表情に見とれ、気づいたときにはステゴの手からお猪口を受け取ってしまっていた。
「・・ああ、美味しい。」
「おっいい飲みっぷりだ。ほら、もう一杯。」
グイっと喉の奥に流し込んだ日本酒は、フルーティな甘味があり、度数は高いはずなのにアルコール感を感じない。
飲み干した後、鼻を抜ける後味にも風味が強く残る。丁寧に吟醸された結果だろう。
俺は継がれた酒を一口で飲み干し、彼女に促されるがままお猪口を差し出し、再びお酌を受ける。
「ふふ、美味いか?・・どんどん飲んで、食べてくれよ?・・今日は、たくさん労させてくれ。」
「うん。ありがとう・・」
手の込んだ色とりどりの料理。そして、俺の顔をみて満足そうに微笑みながらお酌してくれる愛バ。
二つの最高の肴のおかげで、どんどん酒が進んでしまった。
「いやぁ食べたなぁ・・おいおい、大丈夫か?」
「ぅん・・ぜんぜん・・だいじょうぶ・・・」
腹も心も存分に満たされた状態で飲み干した日本酒のアルコールが回り始める。
料理が係の人達によって下げられていく様子を後目に、畳に倒れこむように寝入ってしまった。
----⏰
「ぅ・・ううん・・・」
どれくらい寝てしまったのだろうか。重い瞼を細めであけると部屋はすっかり暗くなり、開けられた障子から月明りが強く差し込んでいる。
どうやら布団の上に寝かせてもらっているようだ。しかし、頭の下には枕にしてはやや高く、そして柔らかい感触。
「おはよう・・・よく眠れたか?」
「・・・ん・・っあ・・ステゴっ?」
頭上からステゴの声が聞こえてきて、ハッとし目を開ける。視界を覆う、彼女の愛らしい顔。
ソレをみてやっと、自分が膝枕してもらっていることに気づき、慌てて起き上がる。
「酔ってるんだろ?・・無理するなよ。」
「うぅ・・ごめん・・どれくらい・・ねてた?」
「1時間と少しってとこだよ。・・おいおい、ふらふらじゃないか。ほら、掴まれ。」
とっさに身体を起こしその場で立ち上がる俺。しかしアルコールは全く分解できておらず、足が覚束ずにふらついてしまった。
その様子を見て、すぐに俺の背後から腰に手を回し、支えてくれるステゴ。
彼女に身体を支えられながら、布団に足を延ばして座り込む。
膝立ちで心配そうに俺を見つめるステゴの表情に、アルコールでほわほわした頭が更にのぼせる。
「ステゴ。」
「ん?」
「・・すごくかわいいよ。」
「・・・」
へべれけになった頭で、柄にもなくそんなことを言ってしまった。
俺の言葉を受けたステゴは、一瞬目を見開いた後顔を背けて何かをこらえるような顔をする。
「トレーナーっ・・」
「ス・・ステゴっ」
「寂しかったぞ・・私を置いて。一人で眠ってしまって・・」
突然両腕を俺の頭の後ろに回し、ぎゅっと抱き着きながらそう言うステゴ。
酒が回って早くなった心拍に、さらに拍車がかかってしまう。
俺はなんの躊躇もなく彼女を抱きよせ、艶やかな黒髪に顔を埋める。
自分のバクバクとなる心臓と、首元から聞こえてくる彼女の吐息だけを感じながら、ぎゅっと身体を寄せ合い続けた。
「なあ・・トレーナー・・」
突然、俺の頭の後ろで組まれていた彼女の腕が、柔らかく少しだけ上ずった声と共に解かれる。
互いの間に人ひとりが入るかどうか。というくらい隙間を開け、膝立ちの状態で俺を見下ろすステゴ。
月明りに照らされた彼女は、小動物をみるように優しく目を細め、眉を少しだけ下げた儚げな表情を浮かべていた。
「帯紐が緩んでしまった・・結んで・・くれないか?」
「っ!」
ステゴが腕を伸ばしたまま俺の肩に両手を置き、真っすぐに俺を見つめてそんな事を言う。
彼女の表情に見とれていた俺。ハッとして視線を下に落とすと、
帯紐が解れてはだけた浴衣から、彼女のスレンダーなラインを浮きだたせる黒色のキャミソールが覗く。
アルコールでほわほわする頭。
丈の長いキャミソールの裾から大胆に露出する、細くしなやかで、それでいて丸みを帯びた曲線を描く太もも。
全力で踏んでいた理性のブレーキが、緩んでいくのを感じる。
「・・・」
「なあ、頼むよ・・結んでほしいんだ。あんたに。」
誘うような甘い声と、蕩けた表情で俺を見つめる彼女。
キャミソールの上からでも分かるキュッと括れた腰のライン。
はだけた浴衣の襟元から覗く、真っ白い肌とくっきりと綺麗に浮き出た鎖骨。
ソレを見て。
箍が外れてしまった。
「っ?・・トレーナー?・・ちょっ・・痛いぞ・・」
俺も膝立ちで身体を起こし、ステゴに覆いかぶさるように強く抱きしめる。
すぐに俺の肩に手を回し、抱きしめ返してくれる彼女。
ステゴと密着し、彼女の細身で柔らかい身体の感触を全身で感じる。
それをもっと味わいたくて。他の誰にも渡したくなくて。抱きしめる力を一層強める。
「っぁ・・トレっ・・ナーっ・・」
「ステゴ・・」
ステゴを強く抱きしめたまま、俺は足元に敷かれた布団に彼女とともに倒れこんだ。
左手を彼女の顔の横に着き、膝で身体を支えてステゴの上に覆いかぶさるような体勢になる。
彼女が頭をぶつけないように彼女の頭の後ろに回していた右手を彼女の首に添え、エラのあたりを指で撫でまわす。
弱弱しく俺を呼ぶ彼女の声が、アルコールの所為で上がった体温を更に熱くさせた。
「・・・」
ステゴは首を捻って顔を横に向ける。彼女の頬を伝う長く艶やかな髪に顔が隠れて表情を見ることは出来なくなってしまった。
けど、ステゴも、きっと受け入れてくれるはずだ。
そうだ。こんなに小柄で華奢な彼女でも、膂力の差は歴然なんだ。
もしステゴがその気になれば、俺なんか簡単に張り倒し、部屋の端まで蹴っ飛ばせるはず。
そうなっていないということは。ステゴも。きっと。このままでいいと。
「っぅ・・・・・」
俺はステゴの首に添えていた右手を、彼女のお腹のあたりにもっていく。
そのままキャミソールの裾に手を入れ、直接ステゴのキュッと括れた腰回りをがっしりと掴んだ。
細身でも芯のある固い腹筋。しかし、その感触と俺の指の間には女性らしい皮下脂肪のふんわりとしたクッションが確かにある。
それに指を鎮め、柔らかさを堪能する。
「・・トレーナー・・・・いいのか?」
「っ!?・・あっ・・」
腰の感触を味わった手を。そのまま彼女の身体に這わせて上へとあげようとした瞬間、背けられていたステゴの顔が俺の方を向く。
そして両手で頬を優しく掴みながら、そんなことを囁かれる。
顔に手を添えられて、真っすぐに彼女と見つめ合う。
眉を下げ、目を細めて柔らかく微笑み。
まるで母親が自分の子供を見つめるような、慈愛に満ちた表情。
だけど、
俺を優しく見つめる彼女の目は、ほんのりと、潤んでいた。
「ステゴっ!・・俺っ・・ごめんっ!」
彼女の潤んだ黄金色の瞳から、わずかに、だけど確かに一筋の雫が滲む。
それを見て、溶けていた意識がキュッと引き締まった。
咄嗟にステゴの上から飛びのき、立ち上がる。
酩酊状態で急に動いた所為で、貧血で視界がゆがむが、そんなことどうでもよかった。
「トレーナーっ・・」
「ごめんっ・・頭冷やしてくる。」
ステゴが俺を呼んでくれるが、取り合う余裕もなく俺は部屋を飛び出した。
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(最悪だ・・俺・・・)
廊下をふらつきながら歩き、旅館のロビーまでたどり着く俺。
部屋を出る際に引ったくってきた財布から千円札を取り出し、自販機の天然水のボタンを強く押し付ける。
出てきた釣り銭を取るのも忘れ、出てきたペットボトルを鷲掴んで押し潰しながら水を喉に流し込んだ。
「ぷはっ・・はぁ・・・はぁ・・」
あっという間に空になったペットボトルをゴミ箱に投げ捨て、肩で荒い息をする。
日本酒のアルコールが全身に回り、バクバクと鳴りやまない心臓。立っているとクラつく頭。
下戸なくせに愛バからのお酌でいい気になって。許容量を超えて飲んだくれて。呑まれてしまった。
強く。強く。自戒する。
「はぁ・・・げほっ・・っはぁ・・」
自販機の脇に置かれたベンチに倒れこむように背中を預け、一気に飲み込んだ水の所為でむせ返りながら息を整える。
グラグラ揺れる頭の中を支えるように、片手で顔を覆いながら、愛バの表情を思い出す。
「くそっ・・あんな顔・・させるなんて・・・」
ステイゴールドとの3年間の旅路。彼女は常に悠然とし、辛いことは辛い。嫌なことは嫌と。はっきりと伝えてくれた。
だからこそ、信頼し合って歩めた黄金の旅路だった。
言葉にせず、何かを訴えかけるように眼を潤ませる。
そんな彼女に似つかわしくない表情を、俺の身勝手でさせてしまった。
「・・謝らなきゃ」
無理矢理立ち上がった所為で狭窄する視界。
腹からこみあげてくる強い吐き気。
だけど、そんな身体の悲鳴なんか聞こえなくなるくらい自分を強く戒めながら、俺達の客室へと歩みを進めた。
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恐る恐る客室の扉を開け、部屋の引き戸を開ける。
(ステゴ・・・)
二つピッタリくっついた敷き布団の傍らで、内ももをくっ付ける女の子座りをしながら窓の外に顔を向けて景色を眺めているステゴ。
乱れていた浴衣は整然と正され、きっちり閉じられた裾から真っ白で嫋やかな素足が覗いている。
布団にたらりと横たわる艶やかな尾毛と、解かれた長い黒髪が月明かりに照らされて。
あれだけ自戒したのに、その光景があまりに幻想的で。綺麗で。
いの一番にと用意していた謝罪の言葉が喉で引っかかってしまった。
「トレーナー・・」
ぴょこっと耳を動かした後、こちらを振り返るステゴ。
首を少しだけ傾げて目を細め、優しく微笑んでくれた。
その表情は想像していた軽蔑や嫌悪の感情は微塵も感じられない。それが余計に俺の心を抉った。
「ステゴっ!ごめんっ!・・本当にっ・・ごめんね・・」
距離を詰めすぎて怖がらせないよう、細心の注意を払いながら彼女に近づく。
布団に両手両ひざを着き、頭を深く下げて謝罪する。
「いいんだ。・・私も・・ごめんな。」
「っ!・・・ほんとに・・ごめんっ」
そんな彼女の言葉を受けて恐る恐る頭をあげると、ステゴは両腕を大きく広げ、まるで「おいで」と囁いているかのような優しい表情で小さく首を傾げる。
しかし、俺は謝罪の言葉とともに首を横に振る。
自分の布団に潜り込んで、彼女と逆を向いて掛布団を頭から被った。
強く自戒していたつもりでも、今再び彼女と触れ合ったら、また呑まれてしまうかもしれないから。
しばらく、沈黙が続いた。
本当なら、これまでの旅の轍を振り返って思いでを語らい、これからの旅路に思いを馳せる時間になるはずだったのに。
「・・・トレーナー。」
強い後悔と未だにガンガン鳴る頭に苛まれていると、柔らかい声で彼女に呼ばれる。
振り返ると、ステゴが体を横向きにして俺の方を見つめながら、上側になった手をこちら側に伸ばしてくれていた。
「ステゴ・・」
ステゴの想いを痛感してぎゅっと心を締め付けられながら、俺も寝返りを打って彼女の方を向き、彼女と逆側の手を伸ばす。
人差し指と中指が触れ合い、絡ませる。次いで薬指、小指と付け根まで密着させてぎゅっと握り合った。
そのまま絡んだ手を布団に寝かせ、見つめ合う。
枕に頬を付けながら俺を見つめるステゴの柔らかい表情に、自責の念で沈んだ心が少しだけ晴れる。
やっと得られた安心感のせいか、急に強い睡魔が頭の中を支配し、俺は彼女の表情を見ながら意識を手放してしまった。
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頭を優しく、柔らかく。ぽんぽんと撫でられている。
目をあけたいのに、開けられない。夢?けど意識だけははっきりしている。
明晰夢ってやつだろうか。
「ナー・・・・トレーナー・・。」
ステゴの囁くような声が頭上から聞こえる。まるで眠る赤子を愛でるような小さく優しい声。
返事をしたいのに声が出せない。これも酒で酩酊したせいだろうか。
しかし、目もあけられない暗闇の中、彼女の手の感触と声だけが与えられるこの感覚が、どうしようもなく気持ちよかった。
「トレーナー・・本当にありがとうな。」
柔らかく小さなアルトボイスで感謝の言葉をくれるステゴ。
いつまでも聞いていたくなるような優しく、心地いい声音。
だけど、お礼をいうのは俺の方だ。
相変わらず声は出せないが、心の中で彼女に告げる。
--本当に、俺の担当になってくれてありがとう。
「それと、本当にごめんな。あんたの気持ち、分かってるのに煽るようなことして。」
いや、いいんだよ。俺のほうこそ、押し倒したりなんかして。本当にごめん。
「・・いざ、自分が愛される側になるって思うと、やっぱり、ほんのちょっとだけ怖くってな・・」
そうだよね。怖がらせたよね。本当にごめんよ。
もう絶対に、あんなことしないから。
「・・でも、あんたを取られたくないんだ。他の誰にも。」
他の なんて言わないでくれ。俺は君を愛してる。君以外、興味なんてない。
「虫がいい話だよな。身体すら許してないのに、あんたが他の女を見てるだけで・・妬いちゃうなんて。」
そんなことない。一緒にいられるだけで俺は幸せだよ。
だけど、君からの嫉妬は、嬉しく思っちゃうな。
「こんな気持ちも初めてでさ。・・・ここ最近、混乱しっぱなしなんだ。これでも。」
そっか。じゃあいつまでだって待つよ。君の隣で。ずっと。だから焦らないで。
「だから・・もう少しだけ待ってくれないか・・・この旅が終わるころには、・・・必ず。」
--頭の上から聞こえていた声がだんだんと近づいてくるのを感じる。
声が聞こえなくなったかと思うと、肩のあたりにステゴの手が触れた感触の後、彼女の吐息が首元に掛かる。
首筋に柔らかく温かい感触を感じ、そこを優しく、そして強く吸われるような感覚が走った。
むず痒く、少しだけ痛い。だけど全く苦ではない。むしろずっと味わっていたい。
そんな感触に身を委ねているうち、俺はまた意識が遠くなっていくの感じた。
---⏰
「んっ・・・ぁあ・・・あれ・・?」
心地よい睡眠から、優しく抱き起されるように目を覚ます。
酷く酩酊していたはずのに頭はすっきりしていて、すぐに身体を起こすことが出来た。
「お、起きたか。おはよう。」
「ああ、おはよう。」
窓際の広縁に置かれた椅子に座って外を眺めていたステゴ。
俺が起き上がって布団が擦れる音に反応した耳を小さくピクンと動かした後、こちらに気づいて挨拶してくれる。
彼女の装いは象柄の丈の長いパンツとややオーバーサイズな黒に近い紺色のTシャツ。
普段の彼女らしいラフなスタイルで、もう出発準備万端といった様子だった。
「ほらほら、朝飯バイキングの時間、あんまり残ってないぞ。はやく顔洗ってこい。」
ステゴはそう言いながら歩みよってきて、俺の手を優しく掴んで起き上がらせてくれた。
彼女に言われるがまま、俺は眠気眼を擦りながら部屋の入口に面した小奇麗な洗面台の前に立ち、水を顔に被る。
「あれ?・・なんだこれ?」
顔に滴る水をタオルで拭っていると、首元に小さな痣のようなものが出来ていることに気が付いた。
触ってみると、ほんの少しだけ痛痒い。
これは、所謂、キスマーク。というやつだ。
それと同時に、昨夜の夢をフッと思い出す。
「どうした?早く行こう。」
「・・・」
昨夜、一度眠りに落ちた後、夢うつつでステゴの声を聞いた気がする。
その時にもらった言葉はあまりに耳心地がよくて。嬉しくて。自分の妄想が作り出した夢だと思っていた。
しかし、あの夢の最後に感じた感触と、今首元にある小さな痣。
そして、悪戯っぽい笑顔で鏡越しに俺を見つめるステゴ。
彼女の想いを強く感じ、心が躍った。
「・・・いい夢見れたか?」
「うん。とても。・・・君のおかげでね。」
ステゴにそう聞かれ、俺は首元にできた小さな痣を彼女に見せるように撫でながらそう答えた。
「・・・そいつはよかった。」
そう言って俺の手を引きながら、部屋のドアを開けるステゴ。
朝食会場に向かって並んで歩いている時にふと視線を落とすと、彼女の頬がほんのりと赤らんでいた。