死にたがりの最強物理おじさん、拾った幼女に殺されないよう守られてます   作:一丸壱八

11 / 20
第11話 焦げたパンケーキと殺気

 特区じゃ、噂が通貨みたいに回る。

 誰が危ない、どこが危ない、何が危ない。噂が先に人を殴って、現実があとから追いつく。

 だから皆、先に怯える。

 怯えることに慣れた街は、殴られても座り直すのが上手い。

 

 鏑木ジンは、旧市街を貫く高架線の影で、ドラム缶を輪切りにしたテーブルとビールケースの椅子が並ぶオープンカフェに身を沈めていた。

 店主は「パリの裏路地風」を自称しているが、ジンの目には野ざらしの資材置き場にしか見えない。

 吹きさらしで湿った風がよく通るから、テーブルに生まれ変われなかった普通のドラム缶が風よけとして乱雑に並べてある。中には雨水か廃油が溜まっているのか、どっしりと錆びついた根を下ろしていた。

 

 ジンは、その粗末な椅子に深く腰を沈め、目の前の皿を睨みつけた。

 そこにあるのは直径十五センチほどの、見事なまでに漆黒の円盤だった。

 手書きのメニューには「特製ハニーパンケーキ・天使の口どけ」と書かれていたはずだ。だが、実際に出てきたのは「焦げた小麦粉の砂糖漬け・地獄の歯ごたえ」だった。

 

「……店主が食中毒にビビって焼きすぎたな。火加減も知らねぇのか」

 

 ジンはフォークを突き刺した。パリッ、と硬質な音がする。

 ナイフを入れると、ザリザリと砂を噛むような感触が手に伝わってくる。

 一切れを口に運ぶ。

 苦い。圧倒的な焦げの苦味。その奥から、安っぽいシロップの暴力的な甘さが遅れて殴りかかってくる。

 だが、ジンは文句を言わない。毒でなければ、それは食べ物だ。この街で火が通っているというのは、それだけで衛生的な保証になる。

 

「……食え。炭は毒消しになる。甘けりゃ何でも美味い」

 

 向かいのビールケースには、ノアが座っていた。

 ジンの古着である黒いTシャツは、ワンピースのようにダブついている。

 ノアはフォークを握ったまま、固まっていた。

 その硝子玉のような瞳は、パンケーキとジンを何度も往復し、わずかに眉を寄せている。

 

 ノアは小さく首を振り、諦めたように黒い塊を小さく切り取った。

 口に入れる。

 真剣な顔で咀嚼し、飲み込む。そして、すぐに小脇に抱えた薄汚れたテディベアの耳を、指でいじり始めた。

 

「……食い終わったら帰るぞ。こんな吹きっさらしじゃ、落ち着いてタバコも吸えねぇ」

 

 ジンがポケットの『赤烏(レッド・クロウ)』に手を伸ばしたその時、ふっと周囲の音が消えた。

 風の音も、遠くのクラクションも、周りの話し声も。まるで世界中のスイッチが一斉に切られたような、不自然な静寂が落ちてきた。

 

(……チッ。空気が湿気りやがった)

 

 ジンは、その違和感の正体を瞬時に悟った。

 顔を上げるまでもない。

 視界の端で、先ほどまで隣にいた客が、青ざめた顔で席を立つの見えた。金も置かず、音も立てず、脱兎のごとく逃げ出していく。

 奥のカップルも、手前の酔っ払いも、そして店主も同様だ。蜘蛛の子を散らすように、店から一般人だけが消えた。

 残ったのは、ジンとノア。そして、その空白を埋めるように現れた、招かれざる客たちだけだ。

 

「……あ?」

 

 ジンはわざとらしく間の抜けた声を出し、眉をひそめて周囲を見渡した。

 ゆっくりと近づく十数人の男たち。

 全員が、仕立ての良いダークスーツを着ていて、動きに無駄がない。

 

(……マナーの悪い客だ。まだ一口しか食ってねぇぞ)

 

 ジンはあえてゆっくりと、赤烏を箱ごとドラム缶テーブルに置いた。コン、と乾いた音が、静まり返ったカフェに響く。

 ノアの手が止まる。

 フォークを皿に落とし、テディベアを胸の前で強く抱きしめた。

 その視線は、男たちの胸元にある金属のエンブレムに釘付けになって、小刻みに震えている。

 

「……おい。団体客はお断りだ」

 

 ジンが低い声で威嚇する。

 リーダー格の男が視線だけで周囲に合図した。

 次の瞬間、警告も何もなく、空気が裂けた。

 

 パパッ、と乾いた実弾の音。

 その間に、耳鳴りみたいな高い唸りが混じる。魔導弾だ。青白い尾を引き、弾道が不自然に揺れる。

 ジンはドラム缶テーブルを蹴り上げていた。

 金属が跳ね上がり、即席の盾となる。紙皿が飛び、黒いパンケーキが宙を舞って、泥だらけの地面に落ちた。

 

 カンカンカンッ!

 

 激しい金属音が響き、ドラム缶の表面に無数の凹みと穴が穿たれる。

 ジンはノアの体を掴んで引き寄せた。そのまま近くのドラム缶の影に滑り込む。

 だが、制圧射撃は止まらない。射線が交差し、逃げ道を塞ぐように弾幕が張られる。

 

 その中の一発、青白い魔導弾の軌跡が、ジンの頭上を越えて、通りを挟んだ向かいのビルへ吸い込まれた。

 

 ガシャーンッ!!

 

 派手な破壊音が響き、見覚えのある赤いネオン看板の留め具が弾け飛んだ。

 看板は軋みながら激しく火花を散らし壁面から剥がれ、「焼豚」の文字だけが滲むように瞬いた後、光が消えた。

 

「……おい」

 

 ジンの声が、鋼鉄のように硬く冷え切った。

 

「あそこのオヤジは腰が悪いんだぞ。誰が直すんだ?」

 

 男たちの顔を見る。誰も看板など見ていなかった。

 ここで何が壊れようが知ったことじゃない。そう言ってる目だ。

 

 ミシミシと音を立てていた看板が地面に向かってガクンと傾き、重力に従って落下を始める。下には誰もいないが、落ちれば確実に砕ける。

 ジンは身を隠していたドラム缶を蹴り抜いた。

 重い金属音が炸裂して、盾となっていた鉄塊が恐るべき質量の砲弾へと変わった。

 中身の廃液を撒き散らしながら、ドラム缶は水平にかっ飛び、黒スーツの密集地帯へ突っ込んでいく。

 

 冷静だった男たちの顔色が変わる。

 魔法障壁を展開しようとするが、不意を突く物理的な質量攻撃に展開が間に合わない。

 男たちが左右へ回避行動を取る。

 統制された射線が崩壊して、弾幕に空白が生じた。

 

 その間に、ジンはノアを抱え上げ、看板の真下へ突進した。

 頭上から落ちてくる鉄とプラスチックの塊を片手で掴む。筋肉が悲鳴を上げ、骨が鳴る。

 看板は地面すれすれで止まった。

 ジンは看板をそっと地面に下ろすと、ノアを看板の後ろに押し込んだ。

 

「ここから頭を出すな」

 

 ジンは男たちの方を向いたまま、ノアに言った。

 ドラム缶の砲撃を回避して、体勢を立て直しつつある黒スーツの男たちが、バラバラとジンを追いかけて距離を詰めてくる。

 ジンは左手で右手の革手袋を強く締め直した。ギュッ、と革が鳴く。

 

「……さて」

 

 ジンの身体から、感情の温度が消えた。残ったのは、純粋な物理的破壊の意思だけだ。

 

 ドンッ!

 

 アスファルトが爆ぜて、ジンが敵の只中へ弾丸のように飛び込んだ。

 

「なッ……!?」

 

 先頭の男が反応するより早く、ジンの右肘がその顔面を捉えていた。

 

 ゴシャッ。

 

 鼻梁が砕ける湿った音が響き、男が独楽(こま)のように回転して吹き飛ぶ。

 

 二人目が魔法障壁を展開しようと手をかざす。

 ジンはその手首を掴みねじり上げた。

 

 バキボキッ!

 

 枯れ枝を折るような音が連続する。さらに、ジンは絶叫する男の体を盾にして飛来する魔導弾を防いだ。

 ジンは盾にした男を放り捨て、次の男の懐へ潜り込む。

 鳩尾に膝。喉仏に手刀。太ももへローキック。

 魔法も小細工もない。あるのは、人体という構造物を効率よく解体するための技だけだ。

 一撃ごとに骨が鳴り、踏み込むごとにスーツの男が地面に沈む。

 

 ジンはふと、視線を感じた。

 中華屋の二階。ヒビ割れた窓から、店主が、恐る恐るこちらを覗き込んでいた。

 その目は、自分の店の看板を守って暴れる男の姿を、信じられないものを見るように見つめている。

 ジンは一瞬だけ店主と目を合わせ、すぐに視線を敵に戻した。

 

「……チッ、キリがねぇな」

 

 七人目を沈めたところで、ジンは舌打ちをした。

 路地の奥から、新たな黒塗りの車が滑り込んでくるのが見えたからだ。

 ジンは足元に転がった男の襟首を掴み、その耳に装着されていた通信用の無線イヤピースを強引にむしり取った。

 それをポケットにねじ込むと、ジンは踵を返し、看板のもとに戻った。

 

「……ずらかるぞ! 俺のベルトを掴んでろ」

 

 素早くノアを小脇に抱え上げると、迷路のような路地裏へと駆け込む。

 ノアは無言でジンのベルトをぎゅっと握りしめた。

 

 そのとき、雨が降り始めた。

 ポツリ、ポツリと落ちてきた雨は、またたく間に視界を白く染める土砂降りへと変わる。

 逃げるには好都合だが、背後の猟犬どもは雨くらいでは鼻を鈍らせない。

 

 ヒュンッ、ヒュンッ!

 

 空気を切り裂く鋭い音。

 ジンが走りながら振り返ると、雨煙の向こうから、三つの光点が迫っていた。

 手裏剣のような形状をした、自律追尾式の魔導ミサイルだ。

 障害物を蛇のように避け、ジンの背中へ正確に食らいつこうとしている。

 

「……この距離じゃ振り切れねぇな」

 

 ジンは走りながらノアを胸の前に固定し、背中の筋肉を硬直させた。

 一発なら耐えられる。二発なら骨がいく。三発なら……まあ、その時だ。

 

 ドドドォォォォンッ!!

 

 爆炎が上がり、熱と光が雨を蒸気に変える。

 ジンは爆風に背を押されるようにして、さらに奥へと加速した。

 ジンの頬に、濡れた粒が当たった。雨に混じって、ほんの少しだけ鉄の匂いがした気がする。

 

「……あ?」

 

 背中で爆発したはずの痛みが来ない。振り返ると、路地のコンクリート壁に焦げ跡がついていた。

 

「誘導装置がイカれてるのか。現場に不良品とは、企業も末期だな」

 

 ジンは鼻で笑った。

 また運が良かった。敵のドジに助けられた。そう結論づけて走り続ける。

 腕の中のノアが、顔を伏せたまま、袖口で目元を(こす)った。

 激しさを増した雨音が、大音量のノイズのように路地に響いた。

 

 路地裏の最深部。

 迷路のような廃墟の隙間に身を潜め、ジンは荒い息を吐いた。

 雨音が周囲を埋めて、他の音を溶かしていた。追っ手の気配は、いったん薄れたようだ。

 

 ジンはノアを下ろし、ポケットから、先ほど奪い取ったイヤピースを取り出した。

 黒い豆粒のような形状。耳の穴に隠れる隠密タイプだ。

 ジンはそれを自分の左耳にねじ込んだ。

 骨伝導の無機質な音声が、ジンの鼓膜を直接震わせる。

 

『……ターゲット708、確保失敗。増援を……』

 

 ジンの眉間に皺が寄った。

 

(番号で呼んでやがる……)

 

 ジンはイヤピースを耳から外し、水たまりに放り捨てて革靴で踏み砕いた。

 胸の奥に、企業に対する泥みたいな不快感が沈んだ。

 

 ノアの小さな手が、ジンの濡れたトレンチコートの裾を掴んだ。反対の腕で濡れたテディベアを胸に押し付けている。

 指先が白くなるほど強く、裾をぎゅっと握りしめる。

 震えている。

 ジンは、濡れたノアの頭に無造作に手を置いた。

 

「……顔色が悪いぞ。雨に打たれて冷えたか。それとも、あの不味いパンケーキにあたったか」

 

 ジンは煙草を取り出そうとして、ポケットが空なのに気づいた。舌打ちをして手を引っ込める。

 

「……行くぞ。離れるなよ」

 

 ジンが歩き出す。

 ノアは一瞬だけ、その背中を見つめ、すぐに小さな足で追いかけた。

 握りしめたジンの裾は、まだ離さない。

 雨は、二人の足跡を黒く塗りつぶすように降り続いていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。