死にたがりの最強物理おじさん、拾った幼女に殺されないよう守られてます   作:一丸壱八

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第12話 愛人の子という誤解

 地下の空気は、肺にまとわりつく。

 雨の匂いじゃなく、古いコンクリートが吐く、湿った息だ。

 旧地下鉄網のさらに下層、廃棄された保守用通路。

 使われなくなった古い有線網をハッカーが裏回線として再利用しているおかげで、電話線だけが、まだ生きている。

 

 鏑木ジンは、壁際に設置された朽ちかけのベンチに腰を下ろし、革手袋を外した。

 指先が白い。

 戦闘の熱が引くと同時に、地下の冷気が肌を刺してくる。

 

「……怪我は」

 

 問いかけようとして、ジンは言葉を止めた。

 目の前で、ノアが(せわ)しなく動いていたからだ。

 ノアはベンチの上に広げたリュックに、ジンの予備弾倉を三つきれいに並べて詰め込んでいた。

 さらに、どこから出したのか、タオルでジンのトレンチコートの泥を拭おうとしている。

 ジンは呆れ半分で鼻を鳴らし、ノアの手を止めた。

 

「座ってろ。落ち着かねぇ」

 

 ノアはびくりと肩を震わせ、大人しくベンチの端に座った。

 テディベアを胸に抱きしめる力が、いつもより強い。

 ジンはしゃがみ込み、ノアの体を点検する。

 肩、腕、(あばら)、膝。いつもの手順だ。

 触れた瞬間に嫌がるなら、どこか痛めている。

 

 ノアは逃げない。ただ、顔色は悪い。

 地下の頼りない蛍光灯の下で、その肌は透き通るほど青白く見えた。

 

「……ん?」

 

 ジンの目が、ノアの抱えているテディベアに吸い寄せられた。

 薄汚れたぬいぐるみの腹の縫い目。

 そこだけ、糸が新しい。縫い直した跡がある。

 粗く縫い合わせているが、隠す気はある痕跡。

 

 ジンの指がそこに触れた瞬間、ノアの体が硬直した。

 ノアはテディベアを隠そうとはしなかったが、その瞳が大きく見開かれ、呼吸が止まったのが分かった。

 

 ジンは縫い目を爪でこじ開けた。

 出てきたのは、米粒よりも小さな、黒い金属チップだった。

 微かに青い光を放っている。

 発信器。魔力マーカー。

 呼び方はどうでもいい。要するに、首輪だ。

 

「……いつの間に」

 

 ジンの声が、地下の静寂に低く落ちた。

 

(……俺たちの居場所が筒抜けだったわけだ)

 

 奴らの奇襲が完璧だった理由。

 それは、この首輪が二人を売り飛ばしていたからだ。

 ジンは冷めた目でチップを眺め、そのまま親指と人差し指で挟み込んだ。

 握り潰すように力を入れると、金属が湿った音を立てて砕けた。

 

 パチッ。

 

 ほんの小さな火花が散り、焦げた電子臭が鼻を刺す。

 ジンは砕けた破片を掌で払った。

 床に落ちた黒い粉が、湿ったコンクリートに吸い込まれる。

 

「これで正確な位置はバレないが、最後の信号でおよそのエリアは絞られたはずだ。急いで移動するぞ」

 

 ジンが声を掛けると、ノアが震えていた。

 寒さのせいじゃない。

 ノアはテディベアの耳を一度だけ弄り、次に両腕でぎゅっと抱きしめた。

 その肩は小さく縮こまり、視線は床の黒い粉と、ジンの顔を交互に彷徨(さまよ)っている。

 唇がわなないて、音のない言葉を紡いでいる。

 

 ――ごめんなさい。

 

 自分が原因だ。だから、捨てられる。

 そんな強烈な恐怖が、小さな体から溢れ出しているのが、ジンにもわかった。

 

(……面倒くせぇ顔をするな。別に怒ってねぇよ)

 

 ジンはため息をつき、立ち上がった。

 ノアの頭に手を置こうとして、やめる。今は何をしても怯えそうだ。

 代わりに、壁際に設置された黒電話に目を向けた。

 この街で一番信用できる通信機は、盗聴されやすいスマホじゃない。

 地下深くに根を張った、前時代の亡霊みたいな太い銅線だ。

 

 ジンは受話器を取り、埃を払った。

 ダイヤルを回す乾いた音が、湿った地下道に響く。

 雨音すらない場所で、その音だけがやけに生々しい。

 

 呼び出し音が三回。四回。

 五回目でふっと途切れて、女の声が混ざった。

 

『……誰よ。こんな時間に』

「早く出ろよ」

『……なんだ、死に急ぎさんじゃない』

「死に急いでるのはお前の化粧だ」

『うるさいわね。……で?』

 

 ジンは短く息を吐いた。

 言葉を選ぶ。余計な情報は出すな。誰もが敵の可能性がある。

 

「追跡されてた。……ぬいぐるみの腹から、発信器が出た」

『……はぁ?』

 

 電話口で、何かを叩く音がした。灰皿か、机か。

 レイコの機嫌が一段落ちたのが分かる。

 

『それ、あたしじゃないわよ。そんな安っぽい真似。やるならもっと綺麗にやる』

「食えない女だ」

 

 笑い声。

 香水とメンソールの匂いが受話器越しに届いてきた気がする。

 

「それで、回収班。あれは何だ」

『あなた、まさか関わったの?』

「向こうから挨拶に来たんでな。丁重にお帰り願ったが」

『馬鹿ね……。あいつらは、一度ターゲットを決めたら手段を選ばないわよ』

 

 レイコの声が低くなる。

 

『聞いて。ここだけの話よ。最近、企業のトップ周辺で妙な噂があるの』

「妙な噂?」

『ええ。どうやら会長がひた隠しにするスキャンダルよ。表沙汰になったら株価が大暴落するような、ね』

「……スキャンダルか」

 

 ジンは片眉を上げた。

 

『あいつらはそれを回収、いいえ、きっと抹消するために動いてる。……あの子、関係あるんじゃない?』

 

 ジンはノアを見た。

 薄暗い地下の灯りの中、ベンチに座ったノアの服の裾が揺れる。

 

(企業の会長。表に出せない存在。人間を数字で管理。失敗作。708……)

 

「……なるほどな」

『何が、なるほどよ』

「隠し子か」

『えっ?』

「金持ちってのは、ガキに番号つけて管理するような悪趣味なプレイが好きなのか? 気色悪い」

『……は? 番号? ちょっと待って。……もしかして、頭を殴られたの?』

 

 レイコの声が一瞬だけ真面目になった。

 

『スキャンダルって、そういう意味じゃ……』

「違うのか」

『……違うわよ。もっと、吐き気がするような……』

 

 珍しく、レイコが言い淀む。

 言葉にした途端、取り返しがつかなくなる種類の話。そういう匂いがした。

 ジンはそこを深掘りしない。

 流儀という名の臆病だ。臆病は、長生きのコツでもある。

 

「ノアは、企業の権力闘争の犠牲になった可哀想な子供だ。ただ、親の都合で番号を振られ、捨てられ、今また消されようとしている、会長の『愛人の子』さ。……筋が通った」

『……もう。都合よく納得する才能だけは、一級品ね』

「才能じゃない。習慣だ」

 

 ジンは受話器を持ち直し、声を低くした。

 ここからが本題だ。

 

「すまんが、もう一つ頼みがある」

『なによ。まだあるの?』

「車だ。……事務所の裏に停めたままなんだ。今頃、あいつらに囲まれてるだろうが」

 

 愛車『鉄牛(アイアン・バッファロー)』。

 この街を脱出するには、あの装甲と馬力がどうしても必要だ。

 だが今、ジンが取りに戻れば、間違いなく狙い撃ちにされる。

 

『……まさか、取ってこいって言うんじゃないでしょうね』

「お前じゃ無理だ。裏の『運び屋』を手配しろ。スペアキーの隠し場所は知ってるな? リアバンパーの裏、シャーシの隙間だ」

『はぁ……。あなたねぇ、あの車、目立つのよ? 動かしただけで蜂の巣にされるわよ』

「だからプロに頼むんだ。……南の廃棄ルート、地下道の出口まで回させてくれ」

 

 レイコが向こうで大きく溜め息をつく音が聞こえた。

 ライターの石を擦る音。煙を吐く音。

 

『……高くつくわよ』

「ツケとけ。必ず払う」

『とっくに貸しは増えてるわよ。……分かったわ。腕のいい泥棒(プロ)を知ってる。手配するわ』

「恩に着る」

 

 ジンは短く礼を言い、受話器を置いてノアの方へ向き直った。

 ノアはまだ、ベンチの端で固まっていた。

 自分が追っ手を招いた罪悪感で、小さな体が押しつぶされそうになっている。

 

 ジンはノアに歩み寄り、その頭に無骨な手を置いた。

 ノアがビクッと肩をすくめる。

 

「安心しろ」

 

 ジンの声は低く、そして揺るぎなかった。

 

「俺は企業の掃除屋ごときに、拾ったもんを返してやるほどお人好しじゃねぇ」

 

 ノアが顔を上げる。

 その瞳が大きく揺れている。

 ジンはノアの目を見て言った。

 

「ノア。お前はノアだ。……忘れるな」

 

 ノアの瞳から、大粒の涙が(あふ)れ出した。

 子供の涙だ。

 ノアはジンの腰にしがみつき、顔を埋めて泣いた。

 ジンは困ったように天井を見上げ、その頭をガシガシと乱暴に撫でた。

 

「……泣くな。湿気る」

 

 それから二人は休憩を挟みながら、長い地下道を歩いた。

 

 地下道の湿った闇を抜け、錆びついた鉄格子を蹴破る。

 外に出ると、夕方の雨が顔を叩いた。

 南区画の路地裏。

 そこには、泥だらけの『鉄牛』が、主人の帰りを待つ忠犬のように濡れて停まっていた。

 

 ジンは無言で車体に近づく。

 敵の包囲網の中から車を運び出し、追っ手を撒き、車をおいて立ち去る。

 

「……いい仕事だ」

 

 ジンは短く唸り、ロックを解除してドアを開けた。

 ノアを助手席に乗せ、自分も運転席に滑り込んだ。

 キーを回す。

 鉄牛が咳き込み、唸り、目を覚ます。

 雨の中に、排気の匂いが溶ける。

 

 ジンはサンバイザーの裏を見た。何もない。

 次にダッシュボードを開ける。中には薄いマグネットケースに入ったスペアキーが入っていた。

 小さく頷いて、ダッシュボードを閉じる。顔も見えない同業者との、無言の意思疎通だった。

 

 ジンはシートに体を沈めてハンドルを握ると、雨でぼやけたフロントガラスを見つめた。

 

(……俺たちがここに居座れば、次はあいつらの店ごと焼かれる。クソみたいな街だが、泥水の味まで変えられるのは気に食わん)

 

 バックミラーに、特区のネオンが映る。

 薄汚れた光が、雨で滲んで、墓標みたいに揺れている。

 

「……行くぞ。特区(ここ)を出る」

 

 ジンが呟いて、アクセルを踏む。

 鉄牛は濡れたアスファルトを掴み、ゆっくりと前へ出る。

 

 助手席の小さな影は、当たり前みたいにそこにいる。

 ジンはそれを日常と呼ぶのを、まだ許していない。許していないが、ノアのシートベルトを確認して、アクセルをさらに踏み込む。

 

 雨がワイパーに叩かれ、視界がクリアになる。

 その瞬間、前方の闇が、一本の道として開いた。

 ロードムービーの始まりは、いつだって、湿った街を背にするところからだ。

 

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