死にたがりの最強物理おじさん、拾った幼女に殺されないよう守られてます   作:一丸壱八

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第13話 ノイズ混じりのジャズ

 夜の高架は、廃墟の背骨みたいに雨を受け止めていた。

 ワイパーがガラスを掻くたび、目の前に広がる冷たい闇が一瞬だけクリアになり、次の瞬間また雨のカーテンに閉ざされる。

 雨は『鉄牛(アイアン・バッファロー)』の暗いボンネットの上で薄い川になって流れていた。

 

 鏑木ジンは、革手袋を嵌めた手でハンドルを握りながら、唇に咥えた『赤烏(レッド・クロウ)』のフィルターを強く噛んだ。

 火は点けていない。

 鉄牛の空調フィルターは廃盤品だから、ヤニで目詰まりしたら交換の出費がかさむ。まして今は、隣に子供が乗っている。

 ジンは苛立ちを紛らわせるように、湿気たフィルターの苦味だけを舌の上で転がした。

 

「……あいつら、ここまで追ってくる根性はあるかね」

 

 ジンはバックミラーへと視線を投げた。

 鏡の中で、雨に滲んだ街のネオンが、溶け落ちる絵の具のように遠ざかっていく。

 その極彩色の残骸の奥に、追手のヘッドライトは見えない。あるのは、吸い込まれそうな漆黒の闇と、絶え間なく降り注ぐ雨だけだ。

 

 企業の『回収班』。黒いスーツに身を包んだ、感情のない連中。

 今のところ、追手のヘッドライトは見えない。あの発信機を握りつぶしたのが効いたのか、あるいは単にこの悪天候に足を取られているのか。

 どちらにせよ、雨の中のドライブは孤独だった。

 

「……おい、生きてるか」

 

 沈黙に耐えかねて、ジンは視線を助手席に向けた。

 ノアは、大きなシートに埋もれるようにして座っていた。

 窓の外の闇と雨と、たまに通り過ぎる崩れた防音壁の残骸を、飽きもせずにじっと見つめている。

 膝の上には、薄汚れたテディベアが鎮座している。

 ノアの指先は、その毛並みを確かめるように優しく撫でていた。

 

(……遠足気分か。気楽なもんだ)

 

 ジンは呆れて鼻を鳴らした。

 とはいえ、怯えて泣き叫ばれるよりはマシだ。子供の癇癪は、機関銃の掃射よりも神経を削る。

 雨音とV8エンジンの低い唸りだけが延々と続く無機質なリズムを変えるために、ジンは片手をハンドルから離し、センターコンソールへと伸ばした。

 カーラジオのツマミを回す。

 

 カチッ。

 

『ザーーーーッ……バリバリッ……』

 

 スピーカーから吐き出されたのは、耳障りなノイズだけだった。

 ジャミングか、それともアンテナが錆びたか。

 チューニングのダイヤルを回しても、ノイズの音色(トーン)が変わるだけで、まともな放送を拾わない。

 

「……チッ。またか」

 

 ジンは舌打ちし、ダッシュボードの縁を拳で叩いた。

 

 バン、バン!

 

 手加減なしの物理衝撃。古びた樹脂が悲鳴を上げ、鈍い音が車内に響く。

 

「……映らねぇテレビと喋らねぇラジオは、叩けば直るんだよ」

 

 前時代の迷信めいた理屈を呟き、もう一発、ガン! と叩き込む。

 現代の繊細な精密機器ならトドメを刺す行為だが、この鉄牛に積まれているのは化石のようなアナログ回路だ。ショック療法が効くこともある。

 ……はずだったが、ノイズは相変わらず、嘲笑うように鳴り続けている。

 

「ダメか。……静寂を楽しむ趣味はねぇんだがな」

 

 ジンが諦めてスイッチを切ろうと手を伸ばした、その時だった。

 

 バチッ。

 

 スピーカーの奥で、小さな静電気が弾ける音がした。

 途端に、砂嵐が波のように引いていき、泥の中から宝石を拾い上げたように、クリアな音が浮かび上がってきた。

 流れ出したのは、甘く、気怠いサックスの音色だった。

 ウッドベースが重く低音を刻み、枯れたピアノが雨音に寄り添うように絡みつく。古いジャズだ。

 その旋律は、ジンがいつも通っていたあのジャズバーの空気を、驚くほど鮮明に蘇らせた。

 

「……お、直ったか」

 

 ジンは目を見開いた後、ニヤリと口角を上げた。

 

「ほら見ろ。やっぱり機械は叩けば直るもんだ。湿気でへそを曲げてただけだろ」

 

 ジンは満足げにハンドルを指で叩き、リズムを取った。

 助手席のノアは、何も言わずにテディベアを抱き直し、その耳をいじった。

 

 車内に満ちるジャズの旋律。

 それが、ジンの脳裏に記憶の映像を呼び起こした。

 薄暗い路地裏のバー。いつも無愛想な顔でグラスを磨いている店主(マスター)

 「死ぬなよ」と、ぶっきらぼうに言った声。

 商店街の中華屋。脂ぎったカウンターで、山盛りのチャーハンを出してくるオヤジ。

 回収班(あいつら)の攻撃で吹き飛ばされた、店の赤い看板。雨に濡れて消えた「焼豚」の文字。

 

 ジンの握る拳に、力が籠もった。革手袋がギュッと鳴く。

 

(……俺が居座れば、あの街ごと灰になる)

 

 硝煙の匂いは、俺一人で十分だ。

 

 ジンはハンドルを切り、路面の深い水たまりを避けた。

 フロントガラスの向こう、雨に煙る闇を見据える。

 

 サックスの音が、咽び泣くように高音を奏でる。

 鉄牛はジャズをBGMに、雨のハイウェイをひた走る。まるで、出来の悪いノワール映画のワンシーンみたいに。

 

 やがて、ヘッドライトの光芒が、闇の奥から巨大な骨を浮かび上がらせた。

 かつて料金所だったと思われるゲートが近づいてきた。

 屋根は落ちかけ、錆びた鉄骨が肋骨のように空へ突き出している。

 

 だが、そこには歓迎されない障害物があった。

 道の真ん中に、廃車や瓦礫、鉄パイプを乱雑に積み上げて作られた、巨大なバリケードが道を塞いでいた。

 その上に、数人の男たちが立っている。

 ボロボロの服を着て、手には錆びたアサルトライフルやバールを構えている。『武装難民(ハイエナ)』だ。

 特区と外の世界の狭間で、行き交う密輸車を襲って生きている寄生虫ども。

 飢えた目は、獲物を見つけた喜びでギラギラと光っている。

 男の一人が、赤いライトを振って停止を求めた。拡声器の声が、雨音混じりに響く。

 

「止まれェ! 通行料を置いてけ! 死にてぇのかコラァ!」

 

 ジンはアクセルペダルに乗せた足を、緩めるどころか踏み込んだ。

 止まれば囲まれる。囲まれれば撃たれる。撃たれれば車が傷つく。

 何より、企業の追っ手が迫っているかもしれない状況で、こんな道端の石ころに構っている暇はない。

 

「どくか死ぬか選ばせてやる。……おい、ノア。しっかり掴まってろ。少し揺れるぞ」

 

 ジンはギアを一段落とし、エンジンを咆哮させた。

 マフラーから黒煙が噴き出し、鼻をつく生ガスの臭いが雨に混ざる。

 強化サスペンションを沈み込ませ、極太のタイヤで濡れたアスファルトを力任せに引き裂く、暴力的なトルク。

 V8エンジンの唸りが、バリケードの男たちを威嚇する。

 

 鉄牛が加速する。背中をシートに叩きつけられる重圧と共に、巨大な鉄の弾丸となって、ゴミの山へと突っ込んでいく。

 男たちが慌てて発砲する。

 

 カン、キン!

 

 乾いた音がして、銃弾が鉄牛の装甲に弾かれた。豆鉄砲だ。

 

「う、うわぁぁぁ! 逃げろォォォ!」

 

 男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 目の前には、廃車と鉄材、そしてコンクリートの瓦礫を乱雑に積み上げ、ワイヤーで無理やり固定した巨大なゴミの壁。隙間だらけだが、質量だけは殺意的だ。

 普通なら、突っ込めば車体がひしゃげる。悪くすればエンジンがイカれる。

 だが、ジンは躊躇しない。物理で押し通る。それが一番早い。

 

 ドォォォォンッ!

 

 轟音が響いた。

 バンパーが廃材の山に食い込んだ瞬間、鉄牛の暴力的な質量とトルクを受けたゴミの山は、派手に弾け飛んで左右へと散らばった。

 鉄牛は速度を殺すことなく、舞い上がる瓦礫の粉塵と、宙を舞う古タイヤの中を突き抜けた。

 パラパラと小石がアンダーガードを叩く音がする程度で、フレームにはきしみ一つない。

 

「……は?」

 

 バックミラーの中で、崩れ去ったバリケードと、呆然と立ち尽くすハイエナたちの姿が小さくなっていく。

 ジンは拍子抜けして、ハンドルを握り直した。手応えが軽すぎた。まるで豆腐に突っ込んだみたいに。

 

「……脆いバリケードだ。ガキの積み木遊びかよ」

 

 ジンは鼻で笑った。

 見た目は派手だが、中身はスカスカだったに違いない。

 腐ったロープで縛っていただけか、あるいは鉄牛の装甲が、奴らの想定よりも分厚かったか。

 蹴飛ばせば崩れるような代物で、通行料を取ろうとは笑わせる。

 軽口を叩きながら、ジンは横目で助手席を見た。

 

「……おい。どこもぶつけてないか?」

 

 ノアは首を横に振り、テディベアの目から手を離して、いつものように小脇に抱え直した。

 だが、ダッシュボードの計器類が放つ微かな光に照らされたその額には、玉のような汗が滲んでいた。

 

(……冷や汗か。相当ビビらせちまったな)

 

 瓦礫の山にノーブレーキで突っ込んだのだ。

 悲鳴一つ上げずに耐えていたが、内心では肝を冷やしていたに違いない。我慢強いガキだ。

 

 そのまま走り続け、巨大な肋骨のような高架橋を抜け出し、泥だらけの地表へと戻った頃、道脇に廃墟と化したガソリンスタンドが見えてきた。

 屋根は半分落ちているが、給油機は残っている。

 旧道沿いには、こういう忘れられた備蓄が眠っていることがある。

 

 ジンは車を寄せ、エンジンを切った。

 外に出る。雨は霧雨に変わり、風が冷たい。

 死んだ給油機には目もくれず、ジンは地面にある地下タンクの重い鉄蓋をバールでこじ開けた。

 トランクから手動ポンプを取り出し、ホースを垂らす。

 地下にはまだガソリンが残っていた。ハンドルを上下させ、鉄牛の腹を満たしていく。

 劣化したガソリンのツンとする臭いが、雨の匂いに混ざる。

 

 車を降りたノアは、ガラス壁が砕け散って中が丸見えになったコンビニ跡の奥から、何かを引っ張り出してきていた。

 黄色いレインコートだ。

 パッケージは白く埃を被っていたが、中のビニールの色だけは鮮烈に残っている。

 

「……勝手に漁ってきたのか」

 

 ジンは給油の手を止めずに言った。視界の端で動いているのは分かっていたが、まさかゴミ漁りをしているとは思わなかった。

 ノアは無言で、そのレインコートをジンに見せた。

 

「……黄色か。標的になりたいのか?」

 

 ジンは顔をしかめたが、すぐに考え直した。

 ここはもう特区の外縁だ。それに、映画の中の殺し屋の相棒みたいで、悪くない。

 何より、ノアがそれを着たがっているように見えた。

 

「……まあいい」

 

 給油を終えたジンは、黄色いレインコートを受け取ると、劣化したパッケージを指で破り、中身をノアの高さに広げた。

 ノアは嬉しそうに袖を通して、フードを目深に被った。

 鮮やかな黄色が、灰色の世界にポツンと浮かび上がる。

 ノアはテディベアを黄色いコートの中に隠すように抱きしめた。

 

 ジンは体を起こして遠くを見た。

 雨雲の切れ間から、巨大な影が見える。特区を囲む壁だ。

 天を衝くような高さのコンクリート壁。その向こう側には、外の世界が広がっている。

 ノアも、ジンの視線を追って壁を見た。小さな指が、壁の方角を差す。

 

「ああ、あれが『壁』だ。あっち側には法律ってもんがあるらしいぞ」

 

 ジンは壁を見ながら言った。

 

「……お前みたいな子供は、あっちの方が生きやすいかもな」

 

 スキャンダルを恐れる企業に追われているなら、逆に言えば、衆目に晒されてしまえば、企業もうかつには手を出せなくなるはずだ。光の当たる場所なら、闇のルールは通用できない。

 

(こいつを逃がしたら、俺はどうする?)

 

 荷物がなくなれば、身軽になる。また泥水コーヒーを飲み、死に場所を探す日々に逆戻りだ。

 それが一番落ち着く。それが一番お似合いだ。

 ジンは自嘲気味に笑った。寂しさなんてない。あるのは、いつもの虚無だけだ。

 

 ふと視線を感じて下を見ると、ノアが壁ではなく、ジンを見ていた。

 黄色いフードの下、紫の瞳が静かにジンを映している。

 ノアは黄色い袖でジンのトレンチコートの裾を掴んだ。

 

「……なんだよ。早く乗れ。置いてくぞ」

 

 ジンは照れ隠しのようにそっぽを向き、運転席へと戻った。

 ノアは小さく微笑み、黄色いレインコートをひるがえして、高い助手席へとよじ登った。

 

 再び走り出した鉄牛のライトが、壁へと続く道を照らし出す。

 ジャズの音色は、まだ終わらない。

 

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