死にたがりの最強物理おじさん、拾った幼女に殺されないよう守られてます 作:一丸壱八
『不良品に、修理の価値はない。規格外品に、存在の許可はない。社会の健全性を保つ唯一の手段は、躊躇なき廃棄である』――アーカーシャ製品管理部 「品質保証ガイドライン」
*
タワーの裏手にある業務用搬入口は、表のきらびやかなガラス張りとは違って、コンクリートが剥き出しの無愛想な空間だった。
空調管理された楽園から一歩踏み出したそこには、いつもの湿った風と、冷たい雨が待っていた。
だが、その冷たさが肌に馴染む。
漂白されたリビングで窒息しかけていた肺が、ようやく泥混じりの空気を吸って息を吹き返した気がした。
鏑木ジンは抱えていたノアをそっと地面に降ろすと、トレンチコートの襟を立て、ポケットから『
一本抜き出し、咥える。
火は点けない。雨脚が強いのと、まだ青白い顔をした黄色いレインコートのガキがいるからだ。
ただ、フィルターの苦味を噛み締め、先ほど見た哀れな男の末路を反芻する。
(……首輪が外れても、魂が飼い慣らされてりゃ世話ねぇな)
真銀レオ。
かつて泥の中で殴り合った男は、きれいな服を着て、きれいな部屋で、自分の痛みに怯えて泣いていた。
あれが更生した姿だというなら、俺は一生、泥まみれの野良犬でいい。
搬入口のゲートへ向かおうとした時、雨の向こうから複数の足音が近づいてきた。
軽く、硬質で、統制された音だ。
雨のカーテンを割って、五人の男たちが姿を現した。
全員がフルフェイスの戦術ヘルメットを被り、関節部が強化されたボディアーマーを着込んでいる。
表情は見えない。人間というより、量産された黒い人形に見えた。
「
先頭の男が、抑揚のない合成音声で告げた。
ジンは咥えていたタバコを指で挟み、濡れたアスファルトに捨てた。火も点いていないそれを靴底でグリッと踏み潰す。
胸の奥で
「……番号で呼ぶな。耳障りだ」
ジンの声は低く、雨音よりも重く響いた。
男たちは動じない。
「抵抗する場合は、武力による制圧を許可されている」
「許可? 誰の許可だ。……俺がいつ、てめえらの勝手を許した?」
ジンは一歩、前へ出た。
背後で、黄色いレインコートの裾が小さく揺れた。
ノアがジンの背中の真後ろ、影の底へ音もなく滑り込む。
(……そこで目をつぶってろ。こっからは、教育によくない解体ショーだからな)
ジンは革手袋のベルトを締め直した。ギュッ、と革が鳴く。
「これが最後だ、道を開けろ。俺は今、虫の居所が最悪なんだ」
警告はした。だが、人形たちはプログラム通りに動く。
先頭の男がスタンバトンを起動し、同時に左手を前にかざした。
掌のデバイスが青く光り、簡易的な魔法障壁が展開される。物理衝撃を拡散させる、対暴徒用の盾だ。
「確保!」
男が踏み込む。教科書通りの、無駄のない動き。
レオと同じ。だが、こいつはただの劣化コピーだ。
それが余計に神経を逆撫でする。
ジンは真正面から迎え撃った。
避けない。小細工もしない。ただ、怒りと体重を乗せた右の掌底を、波長の隙間を正確に捉えて叩きつける。
パァンッ!
空気が破裂するような音がした。
男の展開した障壁が、一瞬だけ激しく明滅して、霧散した。
「……!?」
ヘルメットの奥で、男が狼狽する気配がした。
障壁が消えれば、あとはただのプラスチックと肉の塊だ。
ジンの掌底は勢いを殺さず、そのまま男のヘルメットのバイザーを直撃した。
強化樹脂がひしゃげ、内側に陥没する嫌な音が響く。
男は首の骨が致命的な音を立てて折れ曲がり、その勢いのまま体ごと後ろへ跳ね飛ばされた。
パイルバンカーを使わず、素手で強引に装甲をぶち抜いた代償として、ジンの右手首から前腕にかけて骨が軋むような鈍痛が走った。だが、今のジンにとって、そんなものはひどく些末な問題だった。
地面に叩きつけられた衝撃で、砕けたアーマーの隙間から何かが飛び出し、濡れたアスファルトに落ちた。
ラミネート加工された写真だった。
笑顔の女性と、小さな子供が写った家族写真。この人形にも、帰る場所があったらしい。
ジンは落ちた写真を、踏み込んだ革靴で無造作に踏み砕いた。泥水が滲み、笑顔が汚れて見えなくなる。
「仕事場に私物を持ち込むな」
情けなどわかない。
こいつらは、ノアを番号で呼び、レオを壊した連中と同類だ。
人間を部品扱いする奴らが、自分だけ人間扱いされると思うな。
「隊長!? 馬鹿な、
「魔法干渉なしで突破されただと!?」
残りの四人が動揺し、慌てて距離を取ろうとする。
同時に、全員が防御障壁の出力を最大に上げた。何重もの光の層が彼らを包む。理論上、戦車の砲撃すら防ぐ鉄壁の陣形。
だが、ジンの目にはそれが、ただの薄いガラス細工にしか見えなかった。
どんなに重厚な魔力の壁を作ろうと、出力を上げれば上げるほど、それを維持するための波長には必ずムラができる。
歴戦の始末屋の目には、その呼吸の隙間がはっきりと見えていた。
「小細工ばかり上手くなりやがって」
ジンは低く唸り、地を蹴った。
雨飛沫を上げて肉薄する。敵の魔導銃が火を噴くが、ジンは銃口の僅かなブレと、引き金を引く指の動きを完全に読み切っていた。
右へ半歩、上体を沈める。最小限の動きで弾道を躱すと、青白い魔導弾がジンの頬を掠めて、後方の壁を無意味に穿った。
「当たらない!? 馬鹿な、照準システムは正常だぞ!」
「速すぎる! なんだこの動きは……人間じゃない!」
男たちがパニックに陥る。
システムに頼り切った彼らの目には、死線の上で踊るように弾幕を潜り抜けてくるジンの姿が、悪夢のように映っていた。
二人目が、アサルトライフルを構えようとする。
ジンは銃口に触れることすらしない。
踏み込みと同時に、男の構えた腕の外側へと滑り込み、その肘の関節を容赦なく打ち据えた。
ゴキャッ、と嫌な音が鳴り、強化スーツの装甲ごと腕が不自然な方向にへし折れる。
「あ、が――」
悲鳴が喉から出るより早く、ジンの手刀が男の頸動脈を正確に叩いた。
脳への血流が強制的に遮断され、男は白目を剥いて、糸の切れた操り人形のように泥水へ崩れ落ちる。
三人目が、パニックを起こして魔法障壁を最大出力で展開した。
光のドーム。だが、ジンは歩みを緩めない。
迫る光の壁へ右手を滑らせ、指先で魔力の波長の呼吸を探り当てる。
そして、すれ違いざまにガラス戸でも押し開けるように、無造作に掌を押し込んだ。
甲高い破砕音が鼓膜を打つ。
絶対の防御が安物のガラスのように霧散する。
防御を失い呆然とする男の胸部アーマーの中心へ、ジンは極めてコンパクトな掌底を叩き込んだ。
腹の底に響くような重い衝撃音。
物理的な衝撃が装甲を透過し、肋骨を叩き折って肺の空気をすべて吐き出させる。
男は声にならない血の泡を吹き、くの字に折れ曲がって沈んだ。
四人目。
仲間が次々と解体されていく異常な光景に、男は恐怖で完全に訓練を忘れ、腰のスタンナイフを抜いて大振りに突っ込んできた。
ジンはそれを半歩下がって躱すと、すれ違いざまに男の軸足の膝を、革靴の
太い枯れ枝を無理やりへし折ったような、生々しい音が響く。
「ぎゃああああッ!」
男が絶叫を上げて前のめりに倒れ込むところへ、ジンは一切の慈悲もなく肘を落とし、その意識ごとヘルメットをコンクリートに叩きつけて沈黙させた。
数秒。
たったそれだけの間に、最新鋭の装備に身を固めた企業の私兵部隊が、ただの肉とプラスチックのかたまりに変わった。
血の一滴すら、ジンのトレンチコートには飛んでいない。
完璧で、異常なまでの掃除だった。
最後の一人が、ガチガチと歯を鳴らして後ずさりした。
システムのエラーではない。魔法でもない。ただ一人の生身の男による、圧倒的で理不尽な暴力。
男は恐怖で足を滑らせ、無様に転倒した。這いつくばって、泥水を掻き分けながら逃げようとする。
その惨めな背中を、ジンは氷のように冷たい目で見下ろした。
「……回収はどうした。俺はまだここにいるぞ」
男は悲鳴を上げて、雨の闇へと逃げ去っていった。
後に残ったのは、壊れた人形たちと、踏みにじられた家族写真の残骸だけ。
ジンは革手袋についた雨と、砕けたバイザーの破片を振り払った。
息一つ乱れていない。
ただ、胸の奥の不快感だけは、殴っても消えなかった。
振り返ると、ノアが立っていた。黄色いレインコートのフードを深く被り、テディベアを抱きしめている。その手は、もうテディベアの目を塞いでいなかった。
「……行くぞ。こんな気取った場所は肌に合わねぇ」
ジンが歩き出すと、ノアは無言でその後をついてきた。水たまりを避けるように、子猫みたいに小さく跳ねる。
表の路地へ出たジンは、舌打ちをした。
停めたはずのパーキング枠に、鉄牛の姿がない。
代わりにホログラムの案内板が「未登録車両は地下保管庫へ移送されました」と無機質に告げていた。
「……景観の邪魔だから隠したってわけか。どこまでもムカつく街だ」
ジンは搬入口の脇にあった地下へのスロープを見つけ、重い足取りで下っていった。
地下駐車場は、地上の雨音すら届かない静寂と、オゾンの匂いに包まれていた。
無機質なLED照明が、白線で区切られた空間を青白く照らし出している。並んでいるのは、滑らかな流線型を描く最新のEV車ばかり。どれも傷一つなく、ショールームのように輝いている。
その一角に、異質な存在感を示す巨体があった。
愛車『
だが、ジンはその姿を見た瞬間、眉間に深い皺を刻んだ。
「……なんだ、これは」
そこにあるのは、確かに鉄牛だった。だが、ジンの知る鉄牛ではなかった。
特区の泥と硝煙に塗れ、無数の弾痕と擦り傷を勲章のように刻んでいた武骨な装甲が、鏡のように磨き上げられていたのだ。凹みは丁寧にパテ埋めされ、再塗装されている。錆びついていたバンパーはクロームメッキでピカピカに輝き、タイヤの泥汚れすら完全に落とされて、黒々とワックスが塗られている。
まるで、博物館に展示されるクラシックカーか、あるいは棺桶に入れられた死体のような綺麗さだった。
「……ふざけた真似しやがって」
ジンの声が怒りに震えた。
これは親切ではない。冒涜だ。
この車に刻まれた傷は、特区で生き抜いてきた歴史そのものだ。それを勝手に上書きし、漂白し、無個性な製品へと戻された。
ただのレッカー移動じゃない。「ここは浄化が得意だ」と抜かした、あの男の歪んだ善意だ。
あいつは、人間だけでなく、車まで更生させようとしやがった。
「……あれは汚れじゃねぇ、俺たちの生きた証だ」
ジンは忌々しげに吐き捨て、運転席のドアに手を掛けた。ドアノブの感触さえ、妙に滑らかで気持ち悪い。
ガチャリ。
ドアを開けた瞬間。
むあっとするような強烈な匂いが、車内から溢れ出してきた。
「ごふっ……!?」
ジンは思わず咽せ返り、鼻を押さえて後ずさった。
ラベンダー。
かつての、オイルとタバコと古い革が混ざり合った男臭い匂いは完全に消臭され、代わりに安らかな眠りを強制するような芳香剤の匂いが充満している。
「……毒ガスかよ、クソッ!」
ジンは息を止めて運転席に乗り込み、匂いの元凶を探した。
エアコンの吹き出し口に、可愛らしい花柄のクリップ型芳香剤が刺さっていた。ピンク色。ファンシーなデザイン。この鉄の塊には、死ぬほど似合わない。
ジンはそれを鷲掴みにし、力任せに引きちぎった。ルーバーのプラスチックがバキッと割れる音など気にしない。
そのまま地面に叩きつけ、革靴の踵で粉々になるまで踏み砕いた。プラスチック片と、染み出した薬剤が床に広がり、一層強烈な匂いを放つ。
「余計なお世話だ」
まだだ。まだ何かが気に入らない。
ジンはダッシュボードに視線を走らせた。
そこには、これまで貼ってあった交通安全のお守りが撤去され、代わりに虹色に光るステッカーが貼られていた。
『安全運転スコア:98点(優良)』
『環境基準適合車』
「……98点だと?」
ジンは血管が切れそうになった。
俺の運転を採点したのか。しかも優良? バリケードを粉砕し、逆走し、信号を無視して走るこの暴れ牛が、優良?
馬鹿にされている。飼い犬の基準で褒められることほど、屈辱的なことはない。
カリカリカリッ!
ジンは爪を立て、ステッカーを端から乱暴に剥がした。糊が残るのも構わず、ベリッ! と引き剥がし、クシャクシャに丸めて窓の外へ放り投げる。
「俺のスコアは俺が決める。……点数なんざ知るか」
ジンは荒い息を吐き、助手席側を見た。
ドアの外にノアが立っていた。黄色いレインコートのまま、鏡のように磨き上げられた鉄牛を見上げている。
その瞳に、一瞬だけ無邪気な輝きが宿ったのを、ジンは見逃さなかった。
歪みひとつなく反射するボディ。きれいなタイヤ。いい匂い。泥だらけのボロ車より、こっちの方がいいに決まっている。
(……チッ。ガキには、この屈辱が分からねぇか)
だが、ノアはすぐにジンの顔を見た。ジンの怒りに満ちた表情。
ノアの瞳から輝きが消え、スッと無表情に戻る。
そして、助手席のドアを開けると、足元に落ちていた何かを拾い上げた。
それは、以前ノアが食べていた栄養ゼリーの空き容器だった。
清掃員が見落としたのか、シートの隙間に挟まっていたゴミ。薄汚れたプラスチックのゴミだ。
だがノアは、それを宝物のように両手で包み込むと、胸に抱いたテディベアと一緒にぎゅっと抱きしめた。
そして、安心したように小さく息を吐いた。
「……ハッ」
ジンは口元を緩めた。
そうだ。俺たちに必要なのは、スコア98点の清潔な車じゃない。泥とゴミと、傷跡だらけの鉄牛だ。
「乗れ、ノア。……ここは息が詰まる」
ノアが頷き、助手席によじ登る。テディベアと、栄養ゼリーのゴミを抱えて。
ジンはキーを回した。
スターターが重く咳き込み、次の瞬間、ドォンッ! と腹の底を叩くような爆音が炸裂した。
V8エンジンが目覚め、地下駐車場に野獣の咆哮が轟いた。周囲のEV車の警報装置が一斉に作動するほどの重低音。
これだ。この不快な振動こそが、鉄牛の脈動だ。
ジンはアクセルペダルを荒々しく、短く連続して踏み込んだ。
エンジンを
タコメーターの針が跳ね上がり、マフラーから吐き出された黒煙が、白線の引かれた床を汚し、ラベンダーの臭いを強引に塗りつぶしていく。
「行くぞ。まずは泥と排気ガスで、このクソみてぇな匂いを叩き出す」
ジンは左手でギアを叩き込んだ。
タイヤが空転し、白煙を上げてグリップする。
鉄牛が猛然と加速し、出口のゲートへ向かって突進した。バーが開くのを待つ気など毛頭ない。
硬質な破壊音と共に、遮断機が飴細工のようにへし折れて宙を舞った。
鉄牛はそのままの勢いで、地下から地上へと飛び出した。
外は相変わらずの雨だった。
フロントガラスに叩きつけられる雨粒が、ワックスのせいで不自然に弾かれていく。
ジンは忌々しげにワイパーを動かすと、口の端を
「……派手に泥遊びといこうか」
きれいな楽園に背を向け、野良犬たちは再び、あの薄汚れた愛すべきクソ溜めへと舵を切った。