死にたがりの最強物理おじさん、拾った幼女に殺されないよう守られてます   作:一丸壱八

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第2話 魔法障壁はガラス細工

 指定された現場は、特区の四番街にある廃棄された冷凍倉庫だった。

 分厚い鉄扉の隙間から、腐った魚とカビ、そして鼻をつく甘ったるい薬品の臭いが漏れ出している。

 天井の配管からは絶え間なく汚水が滴り、コンクリートの床に黒いシミを作っていた。

 雨音は遠く、代わりにブーンという大型冷蔵庫のモーター音のような唸りが、建物の骨組みを震わせている。

 

 鏑木ジンは、濡れたトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだまま、闇の中を歩いた。

 足音は重いが、一定のリズムを刻んでいる。

 急がない。どうせ逃げる相手じゃない。

 逃げたところで、この街の雨からは逃げられない。

 

 倉庫の中央が開け、暴力的な光が視界を焼いた。

 

「ハハハハ! 見ろよこの威力! 最高だ、脳が痺れる!」

 

 ヒステリックな笑い声と共に、積み上げられていた木箱が爆発した。

 舞い上がる木片と埃。

 その向こうで、怪しい魔法陣の上に立っているのは痩せぎすの男だった。

 金糸の刺繍が入ったコートを着ているが、その目は血走り、皮膚の下には不気味な黒い血管が浮き出ている。

 典型的な魔力増強剤(ブースト・ドラッグ)過剰摂取者(ジャンキー)だ。

 

 男の足元には、小さな女の子が転がっている。

 手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされ、恐怖で白目を剥いて失神していた。依頼人の娘だろう。

 ジンは崩れた瓦礫の陰から姿を現し、足元に転がってきたひしゃげた鉄板を蹴り退けた。

 

「……おい、ガキ。少しはボリュームを下げろ。耳に障る」

 

 ジンの声は低く、不機嫌だった。

 男がピタリと笑い声を止め、ギラついた視線をこちらに向ける。

 

「あぁ? 誰だテメェ。……魔力反応なし、だと? ただのゴミかよ」

 

 男は鼻で笑うと、指先を指揮棒のように振るった。

 それだけで、空中にバレーボール大の火球が三つ生成される。

 特区の魔導師崩れが好む、初歩的だが殺傷力の高い攻撃魔法だ。熱波が倉庫内の湿気を一瞬で蒸発させる。

 

「ゴミは焼却炉へ行きなァ!」

 

 男が腕を振り下ろす。

 三つの火球が唸りを上げて、ジンへと殺到した。

 逃げ場はない。常人なら炭化するだけの熱量。

 だが、ジンは落ち着いていた。ポケットから手を出すことさえしない。

 ただ、首をわずかに傾け、半身になっただけだ。

 ジュッ、と火球がトレンチコートの裾を焦がして通り過ぎ、背後の壁で爆発した。

 

「……あ?」

 

 男が間の抜けた声を出す。

 ジンは一歩も足を止めていない。爆炎を背にして、散歩でもするかのように歩き続けている。

 

「目がチカチカするな。最近のガキは照明係がお似合いだ」

「な、何だ今の……マグレかよ!」

 

 男は焦りを浮かべ、今度は両手から無数の氷柱(つらら)を放った。

 マシンガンのような連射。鋭利な氷の刃が、雨あられと降り注ぐ。

 

 ジンはその弾幕の中へ、無造作に踏み込んだ。

 右へ半歩。左へ肩を引く。首を傾ける。

 氷の(つぶて)がジンの頬を掠め、髪を揺らし、しかし決定打だけは避けて虚空へと消えていく。

 

「当たらなきゃ死ねないんだよ。もっとよく狙え」

 

 ジンにとっては、あくびが出るような光景だった。

 薬で強化された魔導師は、出力こそ高いが制御が雑だ。

 魔力の起こりが派手すぎて、「これから撃ちます」と看板を出しているようなものだ。

 歴戦の始末屋であるジンの目には、弾道が白い線のように見えている。

 死に場所を探しているくせに、本能が生存を選択してしまう。

 長年の習性とは厄介なものだ。

 

「クソッ、クソッ! なんで当たらないんだよォ! ただの魔力ゼロの猿がァ!」

 

 男が叫び、魔力を暴走させる。

 倉庫全体が震え、あらゆる方向から風の刃が襲いかかる。

 だが、ジンは止まらない。

 距離、あと五メートル。

 

「ひッ……来るな! 化け物かテメェ!」

 

 男の顔から余裕が消え、恐怖が張り付いた。

 魔力を持たない人間が、魔法の中を無傷で歩いてくる。

 その理不尽な光景が、薬で肥大化した万能感をへし折っていく。

 男は後ずさり、ついに切り札を切った。

 

絶対防御(イージス)ッ!!」

 

 男の絶叫と共に、半透明の光のドームが展開された。

 魔法障壁。

 物理干渉を完全に遮断する、魔導師にとっての聖域。戦車の砲撃すら弾き返す、鉄壁の守り。

 表面に幾何学的な紋様が走り、淡い光が層になって重なる。そこだけ空気が凪ぎ、世界が切り取られたように見えた。

 

 ジンは、その輝く壁の前で、ようやく足を止めた。

 障壁の向こう側で、男が安堵の息を吐き、再び醜悪な笑みを浮かべる。

 

「ハ、ハハッ! ざまぁ見ろ! これは最高強度の障壁だ! テメェみてぇな野良犬のパンチなんか通じねぇんだよ! そこで指をくわえて見てろ、このガキを切り刻むところをなァ!」

 

 男は人質の子供を蹴り上げようと足を上げた。

 安全圏からの挑発。絶対的な優位。

 ジンはため息をひとつ吐いた。

 面倒くさい。説明が長い。

 だが、こういう瞬間だけは嫌いじゃない。相手が「信仰」しているものが、割れる音を立てる瞬間だ。

 

 ジンはゆっくりと右手をポケットから抜いた。

 黒い革手袋が、倉庫のライトを反射して鈍く光る。

 

 障壁に触れる。

 ビシッ、と静電気が指先を弾く。

 硬い。そして、細かく振動している。

 魔力というエネルギーが、特定の周波数で固定され、物質化しているのだ。

 常識的に考えれば、これを素手で破るなど不可能だ。魔導兵器か、同等以上の魔力が必要になる。

 

 だが、ジンには「それ」が見えていた。

 壁の振動。魔力の波長。

 完璧に見える壁にも、必ず「ムラ」がある。

 呼吸と同じだ。吸う瞬間と吐く瞬間。そのわずかな隙間。

 あるいは、ガラス細工の継ぎ目。

 

 ジンは腰を落とし、左手で右手の革手袋を強く締め直した。ギュッ、と革が鳴く。

 拳を握り込む。

 甲に内蔵された『パイルバンカー・ナックル』の撃鉄が、カチリと起きる音。

 その微かな金属音は、障壁の向こうの男には聞こえない。

 ジンは障壁を見て、敵を見る。もう一度障壁を見る。

 思った。

 ガラスと何が違う。

 

「魔法障壁?」

 

 ジンは呟き、右腕に全身のバネを集中させた。

 狙うのは一点。魔力の波長が最も不安定になる、ほんのコンマ数秒の瞬間。

 逆位相の衝撃を叩き込めば、波は打ち消し合い、構造そのものが崩壊する。

 『衝撃同調(インパクト・チューニング)』。

 魔力ゼロの男が、魔都で生き残るために編み出した、ただの職人芸。

 そして、言った。

 ゆっくりと。相手の自尊心に、きっちり届く速度で。

 

「殴れば割れるだろ」

 

 次の瞬間、拳が走った。

 音は遅れて来た。

 インパクトの瞬間、拳の中に仕込まれた火薬が炸裂する。

 

 ――ガギィィィンッ!!

 

 金属杭が打ち出される轟音が、倉庫内の空気を震わせた。

 杭は障壁の表面を捉え、その振動を一瞬で相殺し、一点に過剰な負荷を与える。

 男の目が見開かれた。

 絶対の自信を持っていた光の壁に、ピキリ、と亀裂が走るのを見たからだ。

 

「は……?」

 

 その亀裂は、蜘蛛の巣のように一瞬で広がった。

 

 パリンッ!

 

 甲高い音と共に、障壁が粉々に砕け散った。

 それはまるで、安物のガラス細工のようだった。

 飛び散る魔力の破片がキラキラと舞う中、ジンの拳は止まらない。

 障壁を突き破った勢いのまま、割れた「神」の向こうにいる本人へ、ただの暴力を叩き込む。

 

 ドゴォォッ!

 

 鈍い音が響き、男の体がくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。

 数メートル宙を舞い、積まれたドラム缶に突っ込んで、男はピクリとも動かなくなった。

 金糸の刺繍が泥水に沈み、みじめに濡れる。

 静寂が戻る。

 ジンは拳を振り抜き、残心もそこそこに手首を振った。

 

「……もろい障壁だ。ガラスと何が違うんだ」

 

 吐き捨てると、敵は返事の代わりに白目を剥いた。

 

 仕事は終わった。

 ジンは倒れている子供へと歩み寄った。

 縄をナイフで切り、猿ぐつわを外してやる。

 まだ気を失っているが、呼吸は安定している。怪我もない。

 懐から依頼人に渡された携帯端末を取り出し、発信ボタンを押した。

 

「終わったぞ。娘は無事だ。……ああ、怪我人は一人だ。加害者のな。救急車はいらん、ゴミ収集車を呼べ」

 

 これで、自分の中の何かも終われば良かったのに。

 残念ながら、心臓は律儀に動いている。

 タバコ一本分くらいは、まだ生きてやるらしい。

 

 仕事を終えたジンは、逃げるように現場を後にした。

 じきに依頼人と、おそらく警察代わりの自警団が来る。

 涙の再会や感謝の言葉なんてものは御免だった。

 どうせ俺は、金で殺し合いを請け負う薄汚い始末屋だ。

 ヒーローごっこは性に合わない。

 

 鉄牛を止めた道路に向かう路地裏。

 

 雨は小降りになっていたが、湿気は相変わらず肌にまとわりつく。

 ジンはトレンチコートの襟を合わせ、ため息をついた。

 

(今日も生き延びちまったな)

 

 自分の手を見る。

 革手袋の奥、拳が熱を持っていた。人を殴る感触。骨が軋む音。

 生きている実感なんて、そんな野蛮な瞬間にしか湧いてこない。

 空っぽだ。俺の中には、暴力と死にたがりしかない。

 

 角を曲がったとき、背中に視線を感じた。

 殺気ではない。もっと静かで、それでいて無視できない何か。

 ネズミか。猫か。あるいは、もっとくだらない「運命」ってやつか。

 

 ジンは足を止め、振り返った。

 そこには、ゴミ集積所があった。

 飲食店から出た残飯や、壊れた家電製品、そして中身の分からない黒いゴミ袋が無造作に積み上げられている。

 腐臭と雨の匂い。誰も見向きもしない、都市の排泄物。

 

 だが、ジンの目はその「黒い山」の隙間にある、異質な色彩を捉えていた。

 ボロ布のような、白く細い手足。

 雨に濡れて、やけに白い。

 袋の山の奥で、空気が妙に静かだった。騒がしい特区の中に、そこだけ音が吸われているみたいに。

 

「……なんだよ」

 

 ジンは舌打ちし、足を踏み出す。

 関わるな。本能がそう告げている。

 近づけば面倒が増える。分かっている。分かっているのに、身体が勝手に動く。癖だ。悪い癖だ。

 

 雨の中、男は「ゴミ」に向かって歩いた。

 その歩みの先に、今までとは違う厄介が捨てられている気配だけが、確かにあった。

 

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