荒界の静寂   作:一丸壱八

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第1章 暴力の旅路
第2話


1. 砂都シェルターン

 

 砂漠の大地が大きく裂けたその谷底に、人の欲望を煮詰めたような街があった。砂都《シェルターン》。かつての地下水脈を利用して作られたこの集落は、グラウル荒界において数少ない「水」と「娯楽」が存在する場所だ。ここでいう娯楽とは、すなわち「他人の死」を指す。

 

「──殺せ! 目玉を抉り出せェ!」

「右だ! 右の腕を千切れ! 金賭けてんだぞクソがッ!」

 

 谷底に怒号と歓声が反響する。街の中央にある『血の市』──すり鉢状の闘技場では、今日も奴隷たちが錆びた鉄屑で殴り合い、その鮮血が砂を濡らしていた。

 

「う……わぁ……」

 

 街の入り口に立ったピクスは、思わず鼻をつまむ。熱気とともに立ち昇ってくるのは、古い油と排泄物、そして濃厚な血の臭い。人の命が水よりも安い場所特有の、胃の腑が重くなるような空気だ。

 

「な、なあグラード。ここ、本当に寄るのか? 補給なら、他の小さい集落でも……」

 

 ピクスは怯えた視線で巨人の顔色を窺う。だが、グラードは闘技場の熱狂になど一瞥もくれなかった。

 

「水がいる」

 

 返ってきたのは、それだけの短い言葉。グラード・バロッグにとって、この街がどれほど危険で腐敗していようと関係ない。喉が渇いたから水を飲む。進む道に街があるから通る。それだけだ。野生動物のような、あまりにも純粋な行動原理。

 

 グラードが歩き出すと、雑踏が波が引くように割れた。チンピラやゴロツキたちも、本能で悟るのだろう。この巨躯の男が纏う空気が、闘技場の中で殴り合わされている奴隷たちとはまったく異質であることに。

 

(……やっぱ、すげえな)

 

 グラードの背中に隠れるように歩きながら、ピクスは安堵と恐怖がない交ぜになった溜息をついた。この男の後ろにいれば、誰も手を出してこない。だがそれは同時に、猛獣の檻の中に自ら入っているようなものでもあった。

 

2. 囁くノイズ

 

 補給所を求めて路地裏に入った時だった。

 

 ──チリリ、リ。

 

 鈴の音が聞こえた。いや、それは本当に鈴の音だったのだろうか。ピクスの耳には、まるで錆びた鉄板を爪で引っ掻いたような、神経を逆撫でするノイズとして響いた。

 

「っ……!?」

 

 ピクスは思わず耳を押さえてうずくまる。遠くから聞こえたはずの音が、いきなり鼓膜の真裏──脳みその中で鳴ったような錯覚。平衡感覚が狂い、地面が斜めに傾いて見える。

 

(なんだ? めまいか? いや、音が……ズレてる?)

 

 前を行くグラードが、不意に足を止めた。その巨体が放つ無言の圧力が、路地の空気を張り詰めさせる。グラードの周囲に、いつもの『静寂』が発動しかけている。だが何かがおかしい。完全な無音にならない。静寂の膜に、ザラザラとした砂嵐のような雑音が混じり、不快な不協和音を奏でているのだ。

 

「ヒヒ……。いい『静けさ』だねぇ」

 

 歪んだ空間の隙間から、その男は現れた。ボロ布を何枚も重ね着した、奇妙な風体の放浪者。最大の特徴は、異様に長く垂れ下がった耳だ。その耳たぶは無残に引き裂かれ、いくつもの小さな鈴がピアスのように埋め込まれている。

 

 《耳裂きのノマド》。この荒界で、最も会ってはいけない存在のひとつ。

 

「旦那、あんた……『三魔殻』だろ?」

 

 ノマドは焦点の合わない濁った瞳でグラードを見上げ、気味の悪い笑みを浮かべた。ピクスの背筋が凍る。こいつの言葉は、物理的な距離を無視して響いてくる。右にいるのに左から声がする。近いのに遠い。

 

「濃いねぇ……。あの『逆巻き』の旦那より、ずっと濃い死の匂いだ。あんたの周りだけ、世界が黙りこくってやがる」

 

 ノマドが一歩近づくと、キィン、と高い音が鳴り、路地の壁に亀裂が走った。何もしていない。ただ、彼が纏う『認識のズレ』が、物理的な空間にまで干渉し始めているのだ。グラードの圧倒的な静寂と、ノマドの『囁断の連鎖(レンディング・カスケード)』。二つの魔王遺物の力が反発し合い、火花のような不可視の歪みが散る。

 

 グラードは眉一つ動かさず、冷徹にその異形を見下ろした。

 

「……退け」

 

「おっと、怖い怖い。喧嘩を売りに来たわけじゃないさ」

 

 ノマドは大げさに両手を上げて後ずさる。その動きですら、コマ送りの映像のように不自然だ。

 

「ただの忠告さ。気をつけなよ、旦那。あんたのその静寂……いつか世界そのものに喰われちまうぜ? それに──」

 

 ノマドの視線が、不意にグラードの背後──ピクスへと向けられた。濁った瞳が、獲物を見つけた爬虫類のように細められる。

 

「そこの小ネズミ。お前さん、よく生きてるねぇ。死体袋の中で寝てるようなもんだぜ? そのうち、どっちが自分の悲鳴かわからなくなるかもな……ヒヒッ!」

 

「ひっ……!」

 

 ピクスが息を呑んだ瞬間、ノマドの姿は掻き消えるように失せていた。残されたのは、耳の奥にこびりついて離れない、不快な鈴の残響だけ。

 

 グラードは興味を失ったように、再び歩き出す。だが、ピクスの震えは止まらなかった。今の男は、ただの不気味な流れ者ではない。グラードと同質の──いや、もっと別の角度から心を壊しに来る、本物の「化け物」だ。

 

(三魔殻……あいつ、そう言ったか?)

 

 ピクスはまだ知らない。自分たちが足を踏み入れようとしているのが、単なる暴力の荒野ではなく、世界を滅ぼす三つの災厄が食い合う、地獄の最前線であることを。

 

 

3. 足を砕く者たち

 

 ノマドの気配が消えた路地を抜け、大通りへ戻る。乾いた風に乗って、また別の──今度はもっと生々しい、鉄と火薬の匂いが漂ってきた。

 

 パーン! 乾いた銃声が響き、続いて男の悲鳴が上がる。

 

「あ、ぐあああッ! あ、あし、足がぁ……!」

 

 街の出口付近で、数人の武装集団が道を塞いでいた。黒い革鎧で身を固め、脛当てには獣の意匠。この辺りで悪名高い盗賊団《黒脛の獣》だ。地面を転げ回っているのは、街から逃げ出そうとした商人だろう。その右膝は無残に撃ち抜かれ、骨が露出している。

 

「おいおい、雑だな。商品に傷をつけるなと言っただろう」

 

 武装集団の中から、一際大柄な男が歩み出る。団長の《ロウガ・ヴォルグ》。元傭兵崩れの彼は、手にしたライフルを杖のように突きながら、冷めた目で部下を叱責した。

 

「膝を砕いたら治りが遅い。労働力として売るなら、足首かふくらはぎを狙え。……プロの仕事をしな」

 

 ロウガは商人の髪を掴んで引きずり起こすと、ニヤリと笑った。そこにあるのは嗜虐心ですらない。ただ肉を削ぎ、値を付けるだけの、歪みきった職業意識だ。

 

「うわ……最悪だ」

 

 物陰で見ていたピクスは顔をしかめた。この街では、弱者は人間ではない。ただの肉袋だ。そして不運なことに、彼らは街を出るための唯一の街道を完全に封鎖し、獲物を物色していた。

 

「グラード、あいつらヤバいよ。迂回しよう。時間はかかるけど、裏の岩場からなら……」

 

 ピクスは小声で提案し、グラードの袖を引く。だが、巨人は止まらなかった。迂回? なぜだ。水は手に入れた。あとは次の目的地へ行くだけ。そこに何がいようと、道は道だ。

 

 グラードが街道の中央を堂々と歩き出すと、すぐに盗賊たちが気づいた。

 

「あぁ? なんだあのデカ物は」

「おいおい、すげえ図体だぞ。ありゃあ鉱山送りにすりゃ、いの一番に値がつくぜ」

 

 ロウガが興味深そうに口笛を吹く。彼らの前に、二メートルを超える巨躯が立ちはだかる。常人なら威圧感だけで逃げ出す光景だが、数の暴力に酔った盗賊たちは、自分たちが「捕食者」であると疑っていなかった。

 

「おいデカブツ。ここは通行料がいるんだ。金がないなら、その身体で払ってもらうことになるが──」

 

 ロウガがライフルの銃口をグラードの太ももに向けた、その時だった。

 

「……退け」

 

 地響きのような低い声。それは交渉ですらない。人間が石ころに対して「邪魔だ」と感じるのと同質の、無感情な排除の意思。

 

 ロウガの眉がピクリと跳ねる。傭兵としてのプライドか、本能的な恐怖を誤魔化すためか、彼は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「ナメてんじゃねえぞ! 野郎ども、足を狙え! このウドの大木を跪かせてやれッ!」

 

4. 理由なき蹂躙

 

 一斉に銃口が火を噴いた。十数人の部下が、一斉射撃を加える──はずだった。

 

 ──フッ。

 

 世界から、音が消えた。

 

 マズルフラッシュは確かに見えた。硝煙も上がった。だが、爆音がしない。銃弾が発射される破裂音も、空気を切り裂く風切り音も、着弾の音も。すべてが唐突に、スイッチを切られたように消失した。

 

 それだけではない。銃口から飛び出した鉛の弾丸たちが、グラードの数メートル手前で、まるで見えない壁にぶつかったかのように勢いを失ったのだ。運動エネルギーそのものを殺され、ポトリ、ポトリと、雨粒のように地面へ落ちていく。

 

(──始まった)

 

 ピクスは耳を塞ぎ、目を剥いた。〈余波の静寂〉。グラードの遺物がもたらす、侵蝕の第一段階。まだ世界は大きく歪んでいない。だが、この空間において「抵抗」という概念は、物理法則レベルで否定される。

 

 盗賊たちの顔が驚愕に歪む。口をパクパクと開閉させ、何かを叫んでいるようだが、声は届かない。無音のパニック映画を見ているような、滑稽で不気味な光景。ロウガが必死にライフルを構え直すが、その手は震え、引き金すら重く感じているはずだ。

 

 グラードは一歩踏み出した。斧を振り上げる動作に、予備動作も構えもない。ただ、歩くついでに障害物を払うような、自然な動き。

 

 刃が閃く。

 

 ド、パンッ。

 

 静寂の中で、ロウガの上半身がトマトのように弾け飛んだ。足を狙う? 跪かせる? そんな微細なコントロールは、この暴力には存在しない。あるのは「粉砕」だけだ。

 

 一人、また一人。逃げようと背を向けた者も、剣を抜こうとした者も、平等に肉塊へと変わっていく。断末魔すら許されない。骨が砕け、内臓がぶちまけられる凄惨な光景だけが、無音の中で淡々と処理されていく。

 

 それは戦闘ではなかった。作業だった。

 

5. 災害の通過

 

 最後の盗賊が地面に崩れ落ちると同時に、世界に音が戻ってきた。

 

「──ぁ、あぁぁああッ!」

「ば、化け物……!」

 

 盗賊の生き残りが、遅れてやってきた恐怖に悲鳴を上げ、這いつくばって逃げ出していく。グラードはそれを追わない。邪魔者は消えた。ならば、それ以上斧を振るう理由はない。彼は血に濡れた斧を一振りして汚れを落とすと、何事もなかったかのように再び歩き出した。

 

 街道には、ミンチになったロウガと、足を撃たれていた商人、そして捕らわれていた数人の人々が残された。

 

「あ、ありがとう……ございます……!」

「あんた、俺たちを助けてくれたのか……神様だ……」

 

 商人が涙を流し、地面に額を擦り付けてグラードを拝む。だが、グラードは彼らに目もくれなかった。声をかけることも、頷くこともない。ただ商人の横を、路傍の石と同じように通り過ぎていく。

 

 その冷徹な横顔を見て、感謝していた人々の表情が凍りついた。直感したのだ。この男にとって、自分たちは「助ける対象」ですらなかったことに。蟻を踏み潰した象が、その横にいた別の虫を気にかけるだろうか。

 

「……はは。ひでえもんだ」

 

 ピクスは、肉塊に変わったロウガを見下ろし、乾いた笑いを漏らした。これが英雄? 馬鹿を言え。ピクスは知っている。グラードは正義のために斧を振るったことなど一度もない。彼にあるのは、「自分が進む」という意志だけ。他はすべて、障害物か風景か、そのどちらかでしかない。

 

(助けたんじゃない。こいつは、ただ「歩いただけ」だ)

 

 それでも。ピクスは震える足で駆け出し、その無慈悲な背中を追う。

 

(でも……この災害の後ろにいれば、俺は生きられる。どんな英雄よりも、どんな神様よりも確実にな)

 

 血の臭いが充満する砂都シェルターンを背に、巨人と少年は荒野へと消えていく。その背中が、やがて世界そのものを巻き込む巨大な渦の中心になるとは、まだ誰も知らないまま。

 

6. 絶望の渡し《サロウ・フォード》

 

 シェルターンを出て数日。二人が辿り着いたのは、濁った大河のほとりに立つ交易都市《サロウ・フォード》。別名、「絶望の渡し」。街の入り口には、見せしめのように数体の死体が吊るされている。この街の支配者《渡しの君(ロード・フェリダム)》が、自身の権力を誇示するために吊るした「税を払えなかった者たち」だ。

 

「おい、そこのチビ。いい顔をしてるな」

 

 関門を通ろうとした時、見張りの兵士がニヤつきながらピクスの腕を掴んだ。

 

「ロードへの献上品に丁度いい。奴隷枠で通してやるよ」

「えっ、や、やめ……グラードッ!」

 

 ピクスは反射的に巨人の名を呼んだ。だが、グラードは立ち止まらない。ピクスが引きずられていくのを、まるで落とし物を見下ろすかのように無関心に眺めているだけだった。ピクスが絶望しかけた、その時。

 

「……通れないだろう」

 

 グラードが呟いた。兵士がピクスを捕まえるために、道の真ん中に割り込んだこと。それがグラードの「前進」を阻害した。ただ、それだけが理由だった。

 

 兵士が「あぁ?」と振り返った瞬間、その首が圧し折れた。触れてもいない。グラードから溢れ出した不可視の圧力が、物理的な衝撃波となって兵士を叩き潰したのだ。

 

 騒ぎを聞きつけ、街の中からロード・フェリダムの私兵団が雪崩れ込んでくる。だが、それは火に油を注ぐ行為だった。

 

「邪魔だ」

 

 グラードが足を踏み鳴らす。静寂の領域が爆発的に広がり、兵士たちだけでなく、街の城壁や監視塔までもがミシミシと悲鳴を上げ始めた。石造りの建物が、見えない巨人の手で握りつぶされたように歪み、崩落していく。

 

「ひ、ひぃッ! なんだあれは! 撃て、殺せェ!」

 

 ロード・フェリダムがバルコニーから絶叫するが、その声も崩落音にかき消される。数分後。そこには、瓦礫の山と化した関門と、沈黙した街だけが残されていた。グラードはその瓦礫の上を、平然と歩いて渡っていく。

 

(俺のせいで……怒ったのか?)

 

 ピクスは瓦礫に埋もれたロードの死体を見ながら、青ざめた顔で震えていた。違う。すぐに思い直す。この男は「ピクスが捕まったから」怒ったのではない。「自分の道が塞がれたから」街ごと粉砕したのだ。

 

(なんて……なんて人だ。でも)

 

 ピクスは確信する。この男の周囲は、文字通り「台風の目」だ。外側は街が壊滅するほどの暴風雨だが、中心にいる自分だけは、なぜか無傷で立っていられる。ピクスは唾を飲み込み、再びその背中を追った。

 

7. 蒼き骸骨の強襲

 

 荒野を進む二人の前に、地響きとともに砂煙が上がった。現れたのは、蒼く染められた髑髏の仮面を被った騎馬部隊。悪名高い盗賊団《青骸骨団(ブルースカルズ)》だ。

 

「ヒャハハ! 見つけたぞ、『歩く災厄』のサンプルだ!」

 

 指揮を執るのは、自身の骨に遺物の破片を埋め込み、異形に膨れ上がった右腕を持つ狂人、《髑髏公(スカルデューク)》。元遺物研究者である彼は、グラードの肉体を希少な研究材料として狙っていた。

 

「総員、突撃! 四肢を切り落として回収しろ!」

 

 数十騎の騎馬が、槍を構えて突っ込んでくる。シェルターンのゴロツキとは違う、統率された軍隊のような突撃。ピクスは悲鳴を上げて岩陰に飛び込んだ。だが、グラードは戦斧をだらりと下げたまま動かない。

 

 騎馬隊が接触する直前、世界から音が消えた。

 

 ドォォォォォン! ……という音すらなく。先頭の馬たちが、まるで透明なプレス機に押し潰されたように、一瞬で地面に叩きつけられ、ひしゃげた。後続の馬がそれに突っ込み、団子状になって圧死していく。

 

「なッ……!? 馬鹿な、出力が計測不能だと!?」

 

 スカルデュークが叫ぶ。彼は咄嗟に自身の強化された骨を盾にし、直撃を避けたが、その右腕はひび割れ、愛馬は肉塊に変わっていた。

 

 グラードが、ゆっくりと近づいてくる。スカルデュークは、研究者ゆえに理解してしまった。これは「強い戦士」ではない。「理不尽な自然現象」だ。戦って勝てる相手ではない。

 

「く、くそッ! データが違いすぎる! 退却だ、総員散れッ!」

 

 スカルデュークは手下の死体を盾にして、這うようにして逃走した。グラードは逃げる者を追わない。彼のルールは「道を塞ぐ者を排除する」だけだからだ。

 

(……あいつ、ただの盗賊じゃない)

 

 岩陰からその様子を見ていたピクスは、冷静に観察していた。スカルデュークの逃げ足の速さ。そして「サンプル」「データ」という言葉。ただの略奪者ではない、もっと大きな背景を持った敵が、グラードを──ひいては自分たちを狙い始めている。

 

(グラードは気にしないだろうけど……俺が覚えておかないとヤバい)

 

 ピクスの中で、単なる「腰巾着」から「観測者」としての自覚が芽生え始めていた。

 

8. 黒い死鳥の影

 

 それは、夜営の最中に現れた。月明かりを遮るように、巨大な翼が空を覆う。《黒い死鳥(デスレイヴン)》。全長五メートルを超える漆黒のカラス型怪異が、音もなく舞い降りてきたのだ。

 

 キィィィィィィィン……! 不快な金属音が響く。デスレイヴンは「音を食う」怪物だ。その性質が、グラードの絶対的な静寂と最悪の形で干渉し合った。

 

 グラードの周囲の空気が、テレビの砂嵐のようにノイズ混じりに歪む。静寂が安定しない。グラードが眉をひそめ、苛立ちを露わにする。その瞳孔が、完全に「獣の裂け目」の形に開いていた。

 

 ──ギャアアアアッ! 怪鳥が急降下する。グラードは斧を振るうが、静寂の干渉で反応がわずかに遅れる。それでも、膂力だけで怪鳥の翼を斬り裂いた。

 

 しかし、血は出なかった。斬られた翼は、黒い霧のような光の粒となって空中に霧散したのだ。まるで、現実の存在としての強度が足りていないかのように。

 

「……消えた?」

 

 ピクスは呆然と呟く。だが、恐怖の本番はそこからだった。霧散して逃げたデスレイヴンが、空中で再構成され、今度は明確にピクスのほうへ狙いを変えて突っ込んでくる。

 

「う、わあぁぁっ!?」

 

 ピクスは無様に転がり、ギリギリで鉤爪をかわす。なぜだ。なぜ、一番強いグラードではなく、自分を?

 

(俺の……匂いか? 弱者の匂いを嗅ぎつけてるのか?)

 

 デスレイヴンは、グラードの静寂を嫌い、より殺しやすい「餌」を選んだのだ。グラードは遠くで、苛立たしげに斧を構え直している。ピクスを助ける気配はない。

 

「くそっ、くそっ!」

 

 ピクスは必死に石を投げ、逃げ惑う。最終的に、グラードが放った斧の投擲が怪鳥の頭部を粉砕し、戦闘は終わった。怪鳥は黒い(すす)となって消滅した。

 

 静けさが戻った。だが、ピクスの震えは止まらなかった。グラードの周囲の空間が、まだ薄く歪んで見える。そして何より──。

 

(狙われた……。俺だけが、ピンポイントで)

 

 今まで「台風の目」にいれば安全だと思っていた。だが、その理論が通じない──あるいは、台風の目だからこそ引き寄せてしまう「何か」が存在するのではないか。

 

 ピクスは、歪んだ空気を纏うグラードの背中を見つめながら、初めて「未来への明確な死の予感」を感じ取っていた。

 

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