剣鬼が弟子に人生をそのまま奪われるお話 作:@abc
目を通していただき本当にありがとうございます。
正直、これほど多くの方に読んでいただけるとは思ってもみなかったので、ただただ驚いています。
読んでくださる皆様の存在が、何よりの執筆の励みになります。感謝の気持ちを込めてお届けします。
村にいた頃のことを、私はあまり思い出さないようにしている。
思い出したところで、そこにあるのは腐った泥のような記憶だけだからだ。
掘り返せば、指の間から逃げ場のない臭気が染み出してきて、心まで汚していく。
名前で呼ばれた記憶が、ほとんどない。
あったとしても、それは確認のためではなく、嘲りのための呼び声だった。
代わりに投げつけられるのは、尖った石か、あるいは石よりも鋭い罵声。
皮膚に当たる痛みよりも、「そこにいていい存在ではない」と何度も突きつけられる視線の方が、ずっと辛かった。
親がいない。
家がない。
寄る辺がない。
ただそれだけの、誰にでも使い回せるような安っぽい理由で、
私は村の「汚れ役」に固定されていた。
誰かが失敗すれば、私のせい。
誰かが不幸になれば、私の存在が悪い。
その日も、村の外れへと追い出された。
「二度と戻ってくるな」という嘲笑を背中に浴びながら。
声は軽く、楽しげで、まるで悪ふざけの延長のようだった。
だから余計に、逃げ場がないことを思い知らされる。
ボロ布のような服を握りしめて、私は立ち尽くしていた。
泣く理由も、怒る理由も、もう残っていなかった。
その時、背後から声をかけられた。
「腹、減ってるだろ」
あまりにも自然で、あまりにも普通の声だった。
疑うという発想すら浮かばず、私は反射的に足を止めてしまった。
それが罠だとも知らずに。
次の瞬間、腕を掴まれた。
力は強く、逃げ道は最初から用意されていなかった。
逃げようともがいて、足をもつれさせ、無様に転ぶ。
頬に伝わる土の冷たさだけが、やけに鮮明だった。
まるで、これから起こる絶望を、先に教えられているみたいに。
――ああ、ここまでか。
そう思った、その時。
空気が、鋭く鳴いた。
音が遅れて、悲鳴が続いた。
何かが切り落とされ、何かが地面に落ちる鈍い音。
顔を上げると、そこには一人の剣士が立っていた。
返り血に濡れた剣を無造作に下げ、
まるで道端に転がる邪魔な小石を退かしただけ、というような顔をして。
英雄でも、救世主でもなかった。
ただ、そこに立っているだけなのに、周囲の空気が変わっていた。
「怪我は」
短く、感情のこもらない声。
私は首を振った。
その瞬間、分かった。
この人は、私を「獲物」としても、「汚物」としても見ていない。
同情でも、憐れみでもなく、
ただの「人」として、正しく認識している。
胸の奥で、生まれて初めて、何かが弾けた。
熱くて、痛くて、でも確かに生きている感覚。
「なら、ついて来い」
理由も、説明もなかった。
けれど、その一言で、私の世界は塗り替えられた。
泥にまみれた村に戻る理由なんて、最初からなかった。
戻りたいとも、思えなかった。
私は、彼の大きな背中を追った。
血の匂いがした。
空は低く、地面は湿っていて、
それでも一歩進むごとに、呼吸が少しだけ楽になった。
それから、私は彼に剣を教わった。
修行は過酷で、褒められたことなど一度もない。
剣を振れば倒れ、立てばまた振らされた。
それでも、彼の視線はいつも同じだった。
不要でも、邪魔でもない。
「そこにいる弟子」を、確かに見ている。
それだけで、私は呼吸ができた。
夜、焚き火を囲む時間は、いつも沈黙が支配していた。
私は影のように彼の隣に座り、
その横顔を、背中を、魂に焼き付けるように眺めていた。
短く話しかければ、短く返ってくる。
それで十分だった。
少なくとも、この人は私を拒絶していない。
――一度だけ、死線を潜った夜があった。
不意を突かれた奇襲。私は初めて、死に物狂いで剣を振るった。
なんとか敵を退けた後、傷だらけで血を流す私を見て、彼は手にした剣を投げ出した。
傷口を塞ごうとするその大きな手が、わずかに、けれど明確に震えていたのを、私は見逃さなかった。
「無茶をするな」
吐き捨てるような言葉。包帯の巻き方は驚くほど不器用で、ひどくきつかった。
けれど、その締め付けられるような圧迫感が、私の胸を熱く、狂おしく焦がした。
――ああ、そうか。この人は、自分では気づいていないだけで。もう、私という存在に縛られているのだ。
だから、私は誰よりも強くなった。
隣に並び立つためじゃない。彼を、二度とどこにも行かせないために。
やがて私たちは、いくつもの戦場を駆け抜けた。
彼は、私がかつて通わされた学園時代の仲間たちが、次々と戦火に散っていくのをただ黙って見ていた。
「守るべきもの」が、砂のように指の間からこぼれ落ちていくたび、彼の背中はより深く絶望の色に染まり、死に近づくほど安堵するようになっていった。
……馬鹿な人。
あんな連中のことなんて、早く忘れてしまえばいいのに。
死んだ者たちを背負って、独りで果てようとするなんて、私が許すわけがない。
彼が私を置いて死ぬ未来なんて、受け入れる義理はどこにもない。
だから、決めたのだ。
勝つ。私が彼を、この不毛な連鎖から殺して奪う。
私が勝てば、この人はもう、死んだ仲間との約束なんて守らなくていい。私だけを選べばいい。
そして今――。
土に深く突き刺さった、無残に折れた愛刀を前に、彼が呆然と膝を突いている。
その顔を見た瞬間、私の胸の奥は、これまでにないほど甘く、温かな悦びに満たされた。
「師匠」
そう呼んだ時、彼の視線が初めて「剣」を通さず、私だけを映した。
英雄でも剣鬼でもない、一人の男としての眼差し。
ああ、やっぱり。この人は、私だけのものだ。
他人のために死ぬなんて、そんなのは全部間違ってる。
彼は、私だけが生かせる人。私だけが選ぶ人生を歩く人。
「師匠」
もう一度、今度は至近距離で囁いた。
彼は私の瞳の中に、逃げ場のなさを認めたようだ。
私は確信する。この人を、完全に私のものにできる。
もう二度と、剣を持たせない。死に向かって走らせない。
私が、あなたの代わりにすべてを選び、すべてを与えてあげるから。
彼は最後に、何かを呟こうとした。
聞き逃すまいと耳を澄ませたけれど、漏れ出たのは――
「あぁ……」
それだけだった。
意味のない吐息。言葉になる前に溶けた、感情の残骸。
私の胸のつかえが、音を立てて消えていく。
……よかった。
いつか彼が守れなかった、学園の仲間たちの名前も。
悔やみ続けた過去の景色も。
彼はもう、何一つとして口にしなかった。
今ここに残されているのは、戦う理由を失った肉体と、私の愛という名の居場所だけ。
「あぁ……」
その弱々しい声を、私は大切に、胸の奥へキュッと閉じ込めた。
大丈夫。もう、何も思い出さなくていいの。
守りきれなかったかつての仲間も、誇り高き剣の教えも。
全部、私が代わりに背負って、殺して、埋めてあげる。
これからは――私だけが、あなたの世界のすべて。
意識を失い、私の腕の中に倒れ込んできたその横顔。
何も言わないという究極の服従を選んだ彼を、私は心の底から、たまらなく愛おしいと思った。
それは私にとって、この上なく幸福な「同意」だった。
弟子ちゃん
とある寒村生まれの少女
寒村で親なしだから本来は捨てられる所を
村のストレス発動の道具として活用されることで皮肉にも生き延びた
いつものように追い出され、人攫いにさらわれて人生に絶望し切る寸前、剣鬼くんと運命的な出会いを果たす
最後まで読んでくれてありがとうございました。
※ちなみに、第1話と少女のセリフが微妙に異なっている部分がありますが、どちらも彼女の抱いている感情は同じです。執筆していく中で「今の彼女にはこちらの表現がしっくりくる」と感じて調整した結果ですので、その違いもひっくるめて楽しんでいただければ幸いです。