剣鬼が弟子に人生をそのまま奪われるお話 作:@abc
「……万全の体制を整えてから、必ず彼を救出しましょう。彼は国家の英雄です。相応しい場所で、相応しい精神状態へ直してから、再び世に戻すのが貴族としての配慮というものですわ。 私はただ、彼を正しい形に復元したいだけ。先生あなただってわかってくれるでしょう、私のことを。」
令嬢はそう言い残すと、優雅な所作で手綱を引いた。
パカッ、パカッ……
遠ざかっていく馬の蹄の音が、荒野の静寂に吸い込まれて完全に消えた。
先生はその音の余韻を、心臓を直接撫でられるような不快感と共に反芻していた。令嬢が放った言葉は、先生の心に拭い去れない毒を注いでいった。だが、それがこれほどまでに深く突き刺さったのは、先生自身の心の奥底にも、正体の知れない「違和感」がずっと燻っていたからだ。
(彼女は、気づいていたのか……。私が、教え子であるはずのあの子に感じていた……あの、得体の知れない『違和感』に)
やがてその音が遠ざかり、再び不気味な静寂が荒野を包み込んだ頃――。
瓦礫の向こう側から、ジャリ、と砂利を踏む小さな足音が聞こえてきた。
「先生……お待たせしました。もう、大丈夫です」
戻ってきた少女は、先ほどまでの激しい嗚咽が嘘のように、憑き物が落ちたような清々しい顔をしていた。だが、彼女は先生の返事を待つより先に、獣のような鋭さで周囲の空気を嗅ぎ取った。
その瞳が、令嬢が先ほどまで馬を止めていた地面の跡を射抜く。
「……先生。どなたか、いらしていたんですか?」
その声は、優しげな彼女のそれではない。自分の聖域に無断で立ち入った侵入者を即座に噛み殺そうとする、飢えた獣の響きを孕んでいた。
先生は心臓の鼓動が跳ね上がるのを必死に抑え、意識的に肩の力を抜いてみせた。
「ああ……。公爵令嬢だよ。偶然、この近くを通りかかったようでね」
「あの方が……? こんな廃墟に、何の用ですか?」
少女の瞳がじりじりと細められる。先生は、令嬢から投げつけられた不穏な言葉をあえて伏せ、彼女が語った建前だけを伝えることにした。
「彼女もまだ、彼のことを探していると言っていた。国家の英雄として、しかるべき場所に戻さなければならないってね……。それについて、少しだけたわいもない話をしていたんだよ。捜索の進捗とか、当時の状況とかね」
「……たわいもない、お話ですか…」
少女は数秒間、無言で先生の瞳を凝視した。
だが、彼女はすぐに、痛々しいほど健気な笑みを浮かべてみせた。
「まあ……。令嬢様も、まだ諦めていらっしゃらなかったのですね。ふふ、嬉しいです。いつかどこかで、師匠がひょっこり見つかるかもしれないって、みんなが信じてくれるのは……。
令嬢様には、ぜひ頑張って探していただきたいですね。しかし私にはもう、そのような気力がもう残っていませんけれど……」
自分は絶望して動けないから、代わりに見つけてほしい。そう語る彼女は、一見すれば殊勝なものだった。
しかし、そう語る彼女の言葉を聞いた瞬間、私の彼女に対する違和感は最高潮に達していた。
(……おかしい。君は、そんなに諦めの良い子だったかい?)
誰よりも彼を慕い、その背中を追い続けてきた君が。彼のためなら、たとえ地の果てであろうと、地獄の底であろうと掘り返しに行くはずの君が。
彼の生死が、まだ確定出来ていないのにこんなにあっさりと諦めるのか?
「……弟子ちゃん。君は、あの子の遺体すら、まだ確認出来ていないんだろう?まだ生きている可能性だってあるのに、 なのに、なんで君は彼を探すのをやめてしまうんだい?」
先生の静かな問いかけに、彼女の肩がわずかに跳ねた。
死を象徴する「遺体」という言葉。それを突きつけられてなお、彼女の瞳には愛する者を失った悲痛な動揺ではなく、まるで「想定外の質問をされた」ことへの不快感のような色が、一瞬だけ過った。
そして先生は、未だ自分の胸を締め付けていた拭いきれない違和感を、静かに口にした。
「……そうだね。だが、弟子ちゃん。……ひとつ、聞いていいかな」
「はい、何でしょう、先生?」
「君は、悲しいはずだ。あの子がいなくなって、世界が壊れてしまうほどに。……だが、今の君は、なんだかそんなに……そこまで悲しくなさそうに見えるんだ」
先生がそう告げた瞬間、弟子ちゃんの瞳の奥で、微かな、しかし決定的な「ナニカ」を先生は見逃さなかった。
それは恐怖でも、悲しみでもない。自分の最も甘美な秘密を暴かれそうになった時の、狂気的なまでの高揚と、それを隠し通そうとする剥き出しの防衛本能だった。
数秒の不気味な静止。そして、彼女の喉の奥から、壊れた楽器のような甲高い笑い声が漏れ出した。
「……悲しそうじゃない? 私が……? あは、あははははっ! 先生、今なんて仰いました!?」
彼女は突然、自らの髪を掻き毟り、狂ったように叫び始めた。先ほどまでの清々しい仮面は粉々に砕け散り、その瞳は血走り、見るに堪えないほど歪んでいく。
「酷い……酷すぎますわ、先生! 私は、私は師匠がいなくなってから、一睡もできずに、食事の味も分からず、そしてただ師匠の影を追って死に物狂いで生きているこの私が! それを悲しそうじゃない!? 私が……師匠を失ったこの地獄を、悲しんでいないとおっしゃるの!?」
彼女の体は小刻みに震え、地べたに膝をついて私を指差した。ヒステリックな絶叫が、静かな廃墟に木霊する。
だが、その激動する表情を間近で見た先生は、戦慄した。
泣いているはずの彼女の瞳だけが、驚くほど冷えていたのだ。
口から零れ落ちる絶望の言葉。激しく動く四肢。しかし、その奥にある瞳だけは、鏡のように静かに、じっと先生の反応を「観察」していた。まるで、どの程度の悲鳴を上げれば先生が引き下がるのか、その最適解を冷徹に計算しているかのように。
さらに、先生の疑念を確信に変える決定的な綻びがあった。
(……ああ。やっぱり、君は嘘をついているね)
彼女は、本当に心から怒り、やり場のない激情を爆発させる時、無意識に「自分の右腕を掴む」という癖があった。溢れ出しそうな衝動を必死に抑え込もうとする時に必ず現れる、彼女なりの「怒りの修め方」だ。
だというのに、今、目の前で地を叩き、髪を乱して泣き叫ぶ彼女の左手は、私を指してはいるが力を感じさせない。
どれほど激しい声を上げ、絶望を演出してみせても、その右腕は自由なままで、掴まれることはなかった。そこには「抑えるべき本物の怒り」など微塵も存在しなかったのだ。
「……すまない、弟子ちゃん。……ごめんよ、こんなにも君が思い詰めているとは思わなくて。私の配慮が足りなかった」
先生は、自分の声が震えないよう細心の注意を払いながら、彼女の肩をそっと抱き寄せた。
掌に伝わる彼女の震え。それは悲しみによるものではなく、嘘が通じたことへの「歓喜」によるものだと、今の先生には分かってしまう。
「……う、ううっ……、先生……。信じて、くださるのですか……?」
顔を上げた彼女の瞳は、潤んでいながらも、その奥底では冷徹な「怪物」が満足げに喉を鳴らしていた。
「ああ、信じているとも。とりあえず帰ろう、君の家へと」
「はい……。先生、ありがとうございます。……私、ずっと先生にだけは、味方でいてほしいんです」
彼女は満足げに微笑み、先生の胸に顔を埋めた。
その瞬間、先生は決意した。
この子の「三文芝居」を完成させてやる。彼女が油断し、彼を解放するその日まで、私は世界で一番騙されやすい師を演じよう、と。
弟子ちゃん
感情的になりすぎた自覚はあるものの、結果的には話を丸め込めたと判断している。
先生の態度に違和感は覚えつつも、「信じる師」を続けてくれることを確認できたため、ひとまず良しとしている。
――少なくとも、そう“振る舞っている”。
先生
令嬢ちゃんの話を聞いた時点で芽生えた疑問が、今回のやり取りで確信に変わった。
弟子ちゃんの狂気と嘘を理解した上で、あえて何も知らない師を演じ続けることを選択。
剣鬼くんを取り戻すため、ここで初めて覚悟を決めた。