剣鬼が弟子に人生をそのまま奪われるお話 作:@abc
「……なぜだ」
恐怖よりも先に、あまりにも巨大な疑問が私の思考を支配した。
目の前にいるのは、かつての北伐において、我が国の誇る最強の軍勢をその拳一つで蹂躙し、戦線を強引に押し上げ続けた伝説の怪物。一国を亡国の淵へと追いやった、我が国にとっては文字通りの厄災そのものだ。
戦争の結果自体は、双方の国が疲弊しきった末の「痛み分け」という形で幕を閉じた。だが、その過程で彼女が我が国に刻みつけた傷跡は、今も消えてはいない。そんな存在が、なぜ。かつて刃を交えた敵国の、それも国家の枢軸を担う公爵家の令嬢の傍らに、事もなげに潜んでいるのか。
「……なぜ、貴女が、ここに……。敵国の英雄として、我が国の軍隊を完膚なきまでに叩き潰した絶拳が、なぜ今、かつての敵対者の護衛に甘んじているのです」
震える声を絞り出し、私は視線を窓際の主へと向けた。
「令嬢……君は一体何を考えている。国を揺るがし、多くの同胞を屠った災厄をわざわざ招き入れて、一体何を企んでいるというのですか。……貴女に、行方知れずとなった彼を救い出す気が、本当にあるのですか?」
私の問いを受け、闇の中から現れた護衛ちゃんは、鼻で笑うように短くため息を吐いた。そして、彼女は令嬢のすぐ隣まで音もなく歩み寄ると、主従の礼など微塵も見せず、椅子の背に無造作に肘を預けた。
「……護衛に甘んじているか。相変わらず、この国の者は物の見方がなってないね」
彼女は令嬢の肩越しに私を見下ろし、金色の瞳を細めた。
「俺は、この女の掲げる悪だくみが気に入った。それだけの話だ。……国家の法や軍の規律、ましてや過去の因縁など、この拳を縛る鎖にはなり得ない。俺がここにいるのは、俺の意志。……そして、この女が、消えたあの男……剣鬼を引きずり出すための手段を用意すると約束したからだ」
彼女の視線が、一瞬だけ野性を帯びて鋭さを増す。
「俺はもう一度、あの男と戦わねばならない。あの痛み分けという中途半端な幕引きを、俺は認めていない。その決着のためだけに、俺は俺の力をこの女に貸し与えている。……令嬢、この男恐怖で腰を抜かすかと思いきや、真っ先に俺の所在とお前の覚悟を問うてきた。……くく、面白いね」
私は、彼女のその言葉に、自分でも意外なほど冷静に、あるいは無意識に教育者としての顔を覗かせていた。普段の私なら、国家を揺るがす怪物を前に、ただ保身のために言葉を飲み込んでいただろう。だが、彼を……剣鬼くんを守らねばならないという切迫した使命感が、私の生存本能を上書きしていた。
「……面白い、ですか。貴女方は、人の人生を盤上の駒のように扱い、戦うことだけを至上の喜びとしている。だが、その勝手な執着に巻き込まれている彼は、今、どれほどの孤独の中にいると思っているのですか。彼を救うという言葉すら、彼を操るための撒き餌に過ぎないというのなら、私は――」
私の震える糾弾を、令嬢は遮ることもせず、ただ愉悦に細めた瞳で見つめていた。その時、闇の中から低く、呆れたような溜息が漏れた。
「……なあ、令嬢。こいつ、勝手に盛り上がって熱弁してるけど、もう喋ってもいいか? 律儀に待ってやるのも面倒なんだよ」
闇を切り裂いて現れた護衛ちゃんは、あからさまに面倒そうな顔で首の骨を鳴らした。令嬢の椅子の背にドカリと体重を預け、不遜な笑みを浮かべる。
「ふふ……ええ、構いませんわ。先生が見えていない物を教えて差し上げましょう」
令嬢は扇子を閉じ、静かに、しかし冷徹な声音で私を見据えた。
「まず先生、彼を救いたいという願いは共通していますわ。……けれど、あの彼が自らの意志ではなく何者かによって『攫われた』のだとするならば、その相手は彼と同等、あるいはそれ以上の実力者である可能性が高い。そうは思いませんこと?」
私の心臓が、嫌な音を立てた。
「そんな化け物相手に、正面切って挑むだけでは死体が増えるだけですわ。……だから私は、かつての敵対者にすら頭を垂れてまで協力を仰いでいる。対抗しうる唯一の戦力として、どうしても彼女の腕が必要なのです。たとえその動機が、不純な闘争心であったとしてもね」
「……不純、ね。違いない。俺が欲しいのはあの男の首だけだ」
椅子の背に肘を預けていた護衛ちゃんが、喉の奥で低く笑った。自分が「唯一」ではない可能性を理解しながらも、なお揺るがない圧倒的な自負。彼女は令嬢の思惑を鼻で笑い飛ばすように、目の前の「獲物の関係者」に興味を移す。
ふわり、と死の気配が揺れた。
瞬きをする間に、彼女は私の目の前に立っていた。見上げるような体躯から放たれる威圧感に、肺が押し潰されそうになる。
「……評価、だっけか。令嬢、あんたらがこの男を評価する理由、やっとわかったわ。……こいつ、俺らとは毛色の違う化け物だね」
彼女は私の瞳を覗き込み、面白そうに目を細める。
「死ぬほどビビって膝が笑ってんのに、あいつへの思いだけで、この俺にまで食ってかかる。……普通の人なら、俺が目の前に立っただけで威圧感に負けて縮こまるぜ? なのにあんたは、自分の死を予見しながらも、まだ教師面をやめようとしねえ。……なるほどな、あの理不尽の塊みたいなあいつが、唯一背中を預けたわけだ。その存在の在り方、端から見りゃただの狂気だわな」
彼女の大きな手が、私の首筋を値踏みするように薄く撫でる。
「いいぜ、令嬢。この男の行く末、最後まで特等席で見せてもらうわ。こいつが剣鬼の元へ辿り着くなら、道中の掃除くらいは俺が引き受けてやるよ」
「いえ、先生には彼女を誘き寄せる為の囮になってもらいます」
「えー、なんだ。つまらねぇこと言うね。本当に囮なんてやらせるのか?……こいつじゃ、すぐに壊れちまうぜ」
「ふふ、そんなに早く死なせたりしませんわ。先生は彼にとって、唯一無二の『先生』なのですから」
令嬢は、机の上に数枚の写真を並べた。そこには、かつての私の教え子――彼女の、あまりにも変貌した姿があった。
「先生、よくお聞きなさい。あの子は、あの剣鬼という男に酷く執着しています。そして同時にあの子は剣鬼に嫌われることを何よりも恐れている。だから、彼が唯一信頼を預けた大人である貴方の危機を、あの子が無視できるはずがありませんわ。だから、どんな条件を提示するよりも、貴方が窮地に陥る方が、あの子を引きずり出すには確実なのです」
私は写真の中の少女を見つめた。返り血を浴びたコートに身を包み、人混みの中で誰とも視線を合わせず歩く姿。その瞳には、かつて私に向けられた憧憬の光は欠片も残っていない。瞳は生きているのかわからないほどに曇りきり、底なしの沼のように暗く沈んでいる。
「ですから先生。貴方がその師匠に対する愛情を、あの子を誘い出すための罠として差し出しなさい。彼の信頼する大人を見殺しにしたと知れば、それこそ剣鬼に合わせる顔がなくなりますもの。師匠好きな弟子として、これほど逃げ場のない招待状はないでしょう?」
私が唇を噛み締めると、横で酒瓶を弄んでいた護衛ちゃんが、あからさまに肩を落として深い溜息をついた。
「……はぁ。ああ、そうかい、そりゃ残念だな」
彼女は私を射抜いていた金色の瞳を、どこか退屈そうに逸らした。
「ふふ。では先生、せいぜい死に物狂いで、囮としての役割を全うしてくださいな」
令嬢の冷酷な激励に、私は一度だけ強く拳を握り、自らの逃げ道を完全に断つように絞り出した。
「……ああ、やってやるさ。私が出来る精一杯の足掻きを」
私は、その場で私をじっと見つめている令嬢と、退屈そうにあくびを噛み殺した護衛ちゃんを真っ向から見据えた。
「その代わり、一つだけ約束してください。……あの子が私の前に現れたなら、私は泥を被ってでも精一杯の時間を稼いでみせる。あの子の足を止め、その視線を私だけに向けさせてみせましょう」
私は、自分の内側に潜む卑怯な覚悟を言葉に乗せる。
「その間に、貴女方は必ず……あの子が何よりも守ろうとした、彼を救い出すんだ。彼を、あの場所から解き放ってやってくれ」
私のその言葉に、護衛ちゃんは私の目を見て、肩越しに不敵な笑みを投げかけた。
「……くく、いいぜ。あんたがその細い命を削って時間を稼ぐってんなら、俺は俺の仕事をするだけだ。あの剣鬼を引きずり出して、今度こそ最高の決着をつけさせてもらうわ」
令嬢もまた、満足げに扇子を揺らした。
「ええ。約束いたしましょう。……先生、貴方の『自己犠牲』という名の傲慢が、どこまで通用するか……楽しみにしておりますわ」
薔薇の香りと金の装飾に満ちたこの煌びやかな部屋の中で、私は弟子と剣鬼くん、二人の顔を同時に思い浮かべていた。
「……待っていろ、二人とも。今度こそ私が、必ず救ってみせる」
先生
覚悟を決めた。
自分が囮にされると分かっていても、剣鬼くんを救うためなら退かない。
弟子ちゃんに対しても悪感情は抱いておらず、たとえ彼女が道を踏み外していたとしても、「生徒として救う」という立場を最後まで捨てるつもりはない。
彼にとって弟子ちゃんもまた、守るべき教え子の一人である。
令嬢ちゃん
剣鬼くんを取り戻すため、護衛ちゃんに協力を持ちかけたところ、
思っていたよりもずっとあっさり承諾され、内心かなり驚いている。
先生も仲間に加わったしそろそろ、、、
護衛ちゃん
先生のことを「戦える人間」ではないと理解しているが、それでもなお、その精神性と覚悟を面白いと評価している。
令嬢ちゃんとは、「剣鬼くんと全力で戦える場を用意してもらう」ことを条件に協力関係を結んだ。