未完の証明   作:爆裂祝福オニガタメメントス

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僕は死にまシェ~ン!!!あなたのことが好きだからァ~!!!!


三、旅順攻囲戦

 

_土は黒く、重かった。

乾いていたはずの地面は、砲撃のたびに裏返され、水と血と火薬を吸い込み、粘つく泥へと変わっていた。靴底が沈み、引き抜くたびに、不快な音がする。まるで大地そのものが、生者を離すまいとしているようだった。

 

塹壕は狭い。

 

身を縮め、銃を抱え、頭を下げていなければならない。立ち上がれば、死ぬ。それだけの場所だった。

怒号と爆音の中で、間宮静一は淡々と動いていた。

 

撃つ。

装填する。

位置を変える。

 

命令を聞くより先に、身体が次を選ぶ。

思考は遅れる。ここでは、それでいい。

 

――落ちる。

 

そう思った瞬間、視界の端に動きが入った。

前方の塹壕縁で、一人の兵が足を滑らせていた。体勢を崩し、露兵の射線に身体をさらす。

 

考える前に、静一は踏み込んでいた。

腕を伸ばし、襟を掴む。

 

重さが腕にかかる。だが、止まらない。引き寄せ、引き倒す。

兵は泥の中に転がり込み、同時に銃弾が土嚢を叩いた。

 

「……っ、助かった!」

 

顔を見る間もなく、叫ぶ声を背に、静一はすでに次の位置へ移っていた。

礼を言われる必要はない。生きていれば、それでいい。

 

奇妙にも、それは一度ではなかった。

 

二度目は、砲撃で崩れた土嚢の下敷きになりかけたとき。

三度目は、銃弾に追われて後退できずにいたとき。

 

静一は、そのたびに引き上げた。

 

何故簡単に、と後で言われたが、自覚はなかった。山で木を引きずり、獣を運んできた身体だ。人一人、引くくらい、造作もない。

何度目かの救出のあと、兵は息を切らしながら、こちらを見た。

 

「……あんた、名前は?」

 

幾度か助けたあの兵に名を問われた。静一は初めてその兵の顔を見た。

傷だらけで、もしこれが勲章であれば別の意味で大変だっただろう、と思案するほどであった。

 

「間宮だ」

「俺は杉元だ。……助けられてばっかだな」

 

泥だらけの顔で、杉元は笑った。生き延びた者特有の、妙に明るい笑いだった。

 

「気にするな」

「いや、気にするっての。……あれ、あんた、階級は?」

「上等兵だ」

 

その言葉に、杉元は一瞬、目を見開いた。それから、慌てて姿勢を正そうとする。

 

「じ、上等兵殿……!」

「普通でいい」

遮るように言った。

 

「ここじゃ、階級より、撃てるかどうかだ」

杉元は一瞬戸惑い、それから、ふっと肩の力を抜いた。

 

「……じゃあ、間宮さん」

「ああ」

 

それで終わりだった。

 

この戦場で名前を知ることは、生きている証明でしかない。

――じゃあ、また生きて。

そう言って別れてからしばらくして、塹壕の奥で聞き覚えのある声がした。

 

「相変わらず、静一はお人よしだなぁ。気持ちが悪い」

 

振り向くと、時重_宇佐美上等兵がいた。

兵舎時代からの仲で、妙に明るく、どこか人を食ったような男だ。

 

柔術の訓練では力技で押し切ろうとする自分をいつもちぎっては投げ、いなしては投げ、そのたびにニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていた。まあ悪い男ではない。

 

やい野良猫だ何だと、揶揄されていた自分ともそれなりにかかわっていた。飯とか。 飯とかで。

 

百之助とも仲がいいのだろうな、とか考えているうちにそういえばまだ柔術の稽古をつけてもらっている途中であったことを思い出した。

 

「お、時重。また投げてくれよ。」

「なんでそうなるんだよ、今俺お前のこと馬鹿にしたんだけど?」

宇佐美は、壊れた土嚢を蹴りながら笑った。

 

「さっきの見たよ。一等卒程度、放っておけばいいのに。」

「死なせない方が、後が楽だ。それに何回も話してる。他人じゃない」

「そうでもないけどね」

 

二人の会話は、それだけだった。

戦場では、長話は死に繋がる。

 

その日は露兵の攻撃は、比較的早く収束した。 防戦一方であったためか、兵たちが休息につくのにさほど時間は掛からなかった。

 

 

夜が明けきらない早朝。

霧が低く垂れ込み、視界は悪いが、音だけがよく通る時間帯だ。

 

静一は、尾形と並んでいた。

言葉はない。視線と動きだけで、意図が伝わる。

塹壕の縁に、ゆっくりと銃口をかける。

 

敵の塹壕。

わずかな気配。

 

――出る。

 

尾形の呼吸が、わずかに変わった。

同時だった。顔を出した露兵の額に、静一の弾が吸い込まれる。

 

どうやら、尾形の獲物だったらしい。

確認だけして、すぐに身を沈める。

 

「…静一、」

獲物を獲られた尾形が、低く言った。

 

「悪い」

それだけだった。

 

称賛も、感情も、そこにはなかった。

しばらくはこの繰り返しだったのだ。

 

来る日も来る日も、同じことの繰り返しだった。

昼は激戦の中、ときおり杉元を助ける。

夜は、体力が残っていれば尾形百之助と並び、塹壕越しに敵を撃つ。

 

いつから名前で呼ぶようになったのかは、覚えていない。

気づけば、向こうも下の名前で呼んでいた。それが、この戦場での距離感だった。

 

まあ、そんな感じで夜は、塹壕から頭を出した露助を撃ったりしていたわけだが。

 

 

 

そしてある夜、静一は決断を迫られる。

 

百之助が「用事がある」と言って塹壕を離れてから、なかなか戻ってこなかった。

もうすぐ夜明けだ。先に休めと言われても、到底できる話ではない。

 

心配というほどではない。だが、嫌な予感だけが、腹の底に残っていた。

 

静一は夜目が利く。

それなりの暗闇でも、銃弾を外すことはない。

灯りはなかった。

 

それでも静一は、死体の影を縫うように歩き出した。

空が、少しずつ白み始めたころ。

 

塹壕沿いで、人の声が聞こえた。

 

「…見つかったら…」

「…ちらです…作殿…」

 

ん、こりゃ百之助め、花沢少尉連れ出してんな?と静一は暢気にも思った。

そう、暢気に思った自分を、後で何度も呪うことになる。

身を低くし、距離を取って会話を盗み聞く。

 

「捕虜ですか?どうしてここに?」

 

戸惑う花沢少尉の声が聞こえる。何をしている。百之助。

 

「勇作殿…旅順に来てから誰かひとりでもロシア兵を殺しましたか?」

 

尾形が神妙に、しかし感情のない声で勇作に問いかける。

 

「え…?」

 

花沢少尉はさらに混乱の渦へと巻きこまれている。__これ俺もやられたな。

 

旅順に来てから、百之助は執拗に「殺したか」と問うてきた 。 *1

まあ仕方ないことだし、と初めての殺人を犯したとき。百之助が浮かべた、見たことのない笑みを、静一は忘れていない。

 

「確かに旗手は小銃すら持たず前線に突撃して味方を鼓舞する役割です。ただ他の旗手は刀を抜いて戦っているのに勇作殿はなぜそうしないのか」

 

あー。そこか。

お偉いさんの息子が一人だけ、皆と違うことをしているから?

 

静一は尾形百之助の出生について大変興味がなかった。

生まれがどうだ、こうだなどで他人のことを決めつけたくなかったからである。

生まれで人を測るのが、嫌だった。

 

実際、百之助は陸軍将校と芸者の子供で山猫の子供だ何だと揶揄されているが、素晴らしい射撃の腕を持っている。

 

あの男は、確かな腕を持つ狙撃手だ。 それで充分ではないか。

 

それに俺も()()()()()()()だしなあ。と静一は物陰でウンウンとうなずいていた。

 

しかし、百之助はどうやら腹違いの弟が”清いまま”、人を殺さぬままやり過ごそうとしているのが気に食わないらしい。

 

珍しい。

 

どうやら最近の百之助はどこかおかしい。

これまで俺に散々してきた出世尋問*2が無くなったと思えば、妙に優しい日もある 。

 

静一がそんな考えを巡らせているあいだに、向こうの様子は緊迫していた。

その違和感が、今ここで、形になろうとしていた。

 

「…この男を殺して下さい」

「兄様…捕虜ですよ」

 

確かに。

 

「自分は清いままこの戦争をやり過ごすおつもりか?」

 

やめておけ。

 

「勇作殿が殺すのを見てみたい」

 

止めに入るべきか。迷って腰が上がらない。

 

「出来ませんッ!父上からの言いつけなのです、『お前だけは殺すな』と」

 

静一は冷や汗が止まらなかった。いつもの仏頂面が心なしか青くなる。

 

「軍旗はまわりの兵士にとって神聖なものであるから旗手はゲンを担ぐために童貞であり…なおかつこれは軍のしきたりでもなんでもなく、あくまで父上の解釈ですが…敵を殺さないことでお前は偶像となり勇気を与えるのだと…

 

なぜなら誰もが人を殺すことで罪悪感が生じるからだと…!!

 

 

静一は、震えた。話がいけない方向に走って行っている気がする。

 

「罪悪感?殺した相手に対する罪悪感ですか?そんなもの…みんなありませんよ」

 

百之助の顔は見えなかった。

 

「そう振舞っているだけでは?

 

みんな俺と同じはずだ」

 

大体異母兄弟とは言えこの二人を近づけてはいけなかったのだ。境遇と価値観が違いすぎる。

この違いは正せない。なぜなら正しい価値観など存在しないからだ。

結局”正しい”とは多勢が作る基準に過ぎない。静一はよく知っていた。

 

自分自身が親不孝者で孤独で、”正しくない”人間であったからだ。

 

静一の頭にふと微塵も関係のない父親の顔が浮かんだ。やめろ。もう意味のないことを考えるな。

目の前にあるものを護れ。空を切る手は切り落としてしまえ。

 

感傷的になるな。

 

布の擦れる音。花沢少尉の涙ぐんだ声。

 

「兄様は決してそんな人じゃない!きっと分かる日が来ます、人を殺して微塵も罪悪感を感じない人間がこの世にいて良いはずがないのです…!」

 

ふと覗けば、こちらに背を向けた百之助を抱きしめる花沢少尉。

目が合った気がした。少尉は身じろぎ一つせず百之助を抱きしめていた。

 

終わった。

 

それは百之助を否定する言葉だ。罪悪感。無感情に人を殺すことはできない。それはわかる。しかし、罪悪感をいまいち理解できていない人間にそれを突き付けるのはあまりにも残酷というもの。

 

静一の頬は濡れていた。

涙ではない。冷や汗だった。

 

間宮静一は知っている。尾形百之助はすごく怖い。頼りになるが、決定的に、恐ろしい。

 

これまでうまくやってこれたのは偶然静一の性格がマッチしたからであって、静一は尾形が嫌な思いを極力しない様に過ごしてきたのだ。

 

間宮静一は知っている。尾形百之助は誰でも殺す。

 

やりかねないと理解しているからだ。このままでは、乱戦の最中に花沢少尉を撃ち抜きかねない。

 

静一の脳はオーバーヒートしていた。青かった顔色はだんだん白くなり、気づけば露兵の死体の影で気を失ってしまったのだった。

 

 

_幸い、半刻後には目を覚ますことができたが。

 

 

尾形百之助は、花沢勇作を撃ち殺すことを決めた。

 

鶴見中尉の件もあったが、花沢中将も嫡子が死ねば、自分のことが愛おしくなるだろうか、と。

 

それに高潔な勇作殿は俺に罪悪感があると言いたいらしい。

 

ははあ。

 

 

ではその死を以て俺に教えてくれ。罪悪感とやらを。

 

 

 

間宮静一は、花沢勇作を”殺す”ことを決めた。

 

 

お前には殺させない。百之助は勘違いをしている。罪悪感が無いのではない。分からないだけだ。

 

これでも静一は割と普通の男なのである。ひどいことを言われればそれなりに傷つくし、それに友人が取り返しのつかないことをしようとしていたら止める。

 

 

それだけだ。

 

静一は走り出した。目指すは塹壕、高潔な旗手殿のもとへ。

 

 

 

_銃を構える。

 

狙いは勇作。

 

なんせ大きな旗を持っている。敵から見てもいい的だろう。

 

走り出す歩兵たちをよそ目に、標準を合わせる。

 

 

狙いは頭部。

 

 

一撃だ。それ以上はいらない。

 

 

辺りには兵士たちの怒号が響く。

 

 

狙いは命。

 

 

狙いはその座。

 

 

狙いはその寵愛。

 

 

狙いは_

 

 

尾形の指に力が入り、弾が放たれた。その瞬間だった。

 

 

「砲が来るぞ!!伏せろ!!!!」

 

 

見間違いだろうか。脇から飛び入る_、後方で狙いを定めているはず。

 

静一が

 

その瞬間、

 

 

轟音。

 

 

とてつもない量の土埃が舞う。

 

轟音は止まない。

 

「おい!!露助ども砲を向けてきやがった!!!下がるぞ!!!」

 

誰かが叫ぶのが聞こえる。

 

敵の砲がこの傾斜をまさか越えてくるとは思うまい。

味方は大混乱だった。

 

_だが確実に撃ち抜いた。それにあの砲撃では確実に死んでいる。

 

見間違いだ。

静一は右舷に展開しているはず。後々合流しようという話だった。

すぐ顔を合わせるだろう。

 

しかし、罪悪感とやらは湧かなかったか。

 

 

やはり自分は欠けた人間なのだ。静一も同じく。これまでも、これからも欠けたまま。

 

 

何も変わらない。

 

 

 

_今日の侵攻が収まって、尾形は静一を探していた。

 

 

柄にもないが。静一が”合流する”と言った後は必ず合流して静一が勝手に観測手を務めるのだが、今日は合流してこなかった。

 

尾形はそれに腹を立てているわけではなかった。ただ”合流できなかったな”と嫌味を言ってやるつもりだったのだ。

 

「…間宮は」

 

焚火を囲っていた兵_静一とは仲が良かったはず_に声をかける。

 

「間宮上等兵?いや今日は見てないですね…なあ谷垣、間宮上等兵見たか?」

「いや、自分も今日は…」

 

眉の太い男_谷垣も知らないという。

 

 

…まさか、昼間のは見間違いでないと?

 

あの後確認しに行ったが、ぐちゃぐちゃになった尉官服の死体(花沢勇作)と何体かの顔も背格好もわからなくなった日本兵の死体しかなかった。

 

_死体は回収されたはずだ。ならばもう一度確認するのみ。

 

冷たい地面に回収ができた遺体たちが並べられている。まだ異臭は放っていなかった。

 

袋にまとめられた遺体のひとつに、違和感を覚える。

 

 

 

黒い血がこびりついた上等兵の階級章。

 

 

弾薬盒から除く、ひしゃげた津軽飴の缶

 

 

_これもう中身ねえけど、匂ってるとさ、落ち着くんだよ。おい、馬鹿だろって顔するなよそこはさ。

_日本に帰ったら百之助にも食わせてやるよ。うんと美味いから。

 

 

尾形の顔は固まったままだったが、目だけは開いていた。

 

 

 

は、お前、感情で死んだのか。

 

 

狙撃手が。

 

 

あの”怪力の間宮”が。

 

 

対して話したこともないくせに、俺の弟だからか?

 

 

庇って、しかも両方死んだ?

 

 

馬鹿か。

 

 

静一、お前、死んだのか。

 

 

可能性を秘めたまま。

 

 

山猫に付き従った野良猫は、無残にも轢き殺されたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__のちに死体安置所にいたものに聞けば、どうやら尾形上等兵は小一時間その場を動かなかったらしい。

 

嗚呼_あの無感情な山猫も人の子だったらしい!

 

不運にも自ら選んだ行動が相棒を殺すとは!何たる悲劇か!

 

…もっとも、それが真実かどうかを確かめる術を私は持ち得ないのだがね、滑稽だとは思わんかね?月島軍曹。

 

え?なぜその話を、だと?

 

 

フフ、この前山内閣下がいらっしゃってだな。花沢少尉についてお聞きになられたのでな。

ついつい間宮上等兵の話をしてしまった。

 

間宮は花沢少尉とそれなりの仲だったという。まあ花沢少尉は兄君の友人_それだけで興味を持ったのだろうがね。

 

…山内閣下?それはもう実に熱心に間宮についての話を食い入るようにお聞きになられていた。

 

あそこまで狙撃の腕もよければ近接戦もできる、いい兵はそういないからな。

ぜひわが師団に来てほしかった、と悔やんでおられたよ。

 

私も、間宮についてはそれなりに知っていた。

知っているだろう?開戦前から、個人的に何度か話したことがあってな。案外、話の面白い奴だったのだ。

 

しかし_どうにも実感が湧かなくてな、まだ間宮が生きているのではと思うことさえある。

 

 

あの野良猫の亡霊が、いつしか私の前に”黒猫”として現れないことを願うばかりだがね____

 

 

 

 

 

 

 

そして、回想は静かに現在へと戻る_

 

「_まあそれからしばらくして、色々頑張って船乗って日本に戻ってきて、一旦津軽に帰ったんだよ。逃げ帰った逃亡兵さ、俺は。」

 

静一の話はそれなりに長かったので、気づけば杉元たちはすでにウサギ鍋を平らげている。

いつの間にか不思議と脳内の風景はまた雪山へと戻されていた。

 

鮮明に話の再現が頭の中で行われたのは_近い場所に自分もいたからだろうか。

杉元は神妙な顔つきでじっと、静一の顔を見つめていた。

 

「その…色々大変だったな、せいい、レラさん…」

言葉を選びながら続ける。

「その尾形ってやつはとんでもねえな…」

 

「だろ、さすがだぜ」

静一は、妙に誇らしげだった。

 

「流石って、ちょっと違うと思うけどね!?てか、あんた勇作と知り合いだったのかよ…」

杉元は、かつて自分が替え玉を務めた男のことを思い出していた。

 

あのいけすかねえお坊ちゃん。 まさか、異母兄弟がいたとは。

 

「ん?待て、レラ。その”ユウサク”という男はどうなったんだ?死んでしまったのか?」

話を聞いていたアシリパがふと眉を寄せた。

 

 

その瞬間、静一は、あ”、と声を詰まらせた。

 

 

「…さっき、合流しようとしてたんだった…」

 

 

どうやら先程、腹を鳴らす前に行こうとしていた場所で、落ち合う約束をしていたらしい 。

 

杉元佐一は震えた。生きている。あの男が。

二〇三高地で死んだと聞いた、花沢勇作が。

 

縁は希薄だったはずなのに、

胸の奥に、妙な温かさが広がっていった。

 

_しばらくして。静一たちは先ほどの場所に戻ってきていた。

 

「勇作ゥ~!!!!」

 

冷や汗をかいたせいか、やや震えている静一が、一生懸命叫んでいる。

雪の斜面を、必死に登る。

 

「ゆ、勇作ゥ~!!」

 

「ここだよ、レラさん。待っていたんだからね?」

「うわァ!!!!!!!!!?」

 

いきなり足元から声とともに飛び出した腕に足を掴まれ、静一は派手に尻餅をついた。

 

()()が生き延びた花沢勇作、らしい

 

がばっと雪の中から上半身を起こし、立ち上がった好青年_勇作の首には、襟巻であまり見えないが、ひどい火傷痕がある。

 

砲撃の際に受けた傷だろうか。戦場から逃げ延びた傷というのは、あまり名誉なものではないのかもしれない。

 

「すまん、そこで知り合いと会って…先に飯食っちゃった…すまん…」

「ええ⁉んもう、仕方ないね…ちゃんとお土産買ってたよ、津軽飴」

 

勇作は苦笑し、懐から包みを取り出した。

特徴的な眉をㇵの字にする静一に、なぜか緊張していた杉元は、思わず口元を緩めていた。

 

「おや…君は東京の…? 」

 

勇作は杉元を見て、目を細める。

 

「ずいぶん男前になったみたいだね。格好いいよ。すまないね、いかんせん逃亡兵の身だからあまり言えないのだけど…それにアイヌのお嬢さん、こんにちは」

 

勇作は自身の足にしがみつく静一など気にも留めず、にこやかに、実に嬉しそうに杉元に声をかけた。

 

「…覚えてたのか…あんまし覚えててほしくなかったんだけど…殴ったし…」

杉元は目をそらす。気まずかった。あまり誇れることでもなかったからだ。

 

「お前ら知り合いか!早く言え早くゥ!」

 

いや勇作の名前言ったけどね?と杉元は思った。

もう静一の顔はズビズビだった。空腹に勝てず連れを置いてきたことが余程堪えたのだろう。

 

「…その、レラさん、」

杉元は、おずおずと切り出す。

「あんまり憶測で話すべきじゃないと思うんだけど…その尾形って男は二十七聯隊か?」

 

おずおずと訊く。まさか自分を襲ったあの第七師団の男ではないかと、いやないな。

 

 

その瞬間、勇作は固まり、静一の表情が硬くなった。

 

 

「…そうだけど、さっきも話してたな。知り合いか?旅順?奉天?どこかで会ったか?」

「上等兵?」

「いやそう話しただろ」

「兄様の話かい?」

「ちょっと勇作ごめん静まってて」「うん」

「狙撃得意?」

「そうだね」「そうだな」

 

「…接近弱くて目が特徴的?」

 

「お、おう…詳しいな、どうした」

静一はまた冷や汗をかき始めた。嫌な予感がした。

 

 

「お、俺さっきそいつ崖から落としちゃった…かも…」

 

 

 

「ゴラ杉元ォ!!!!表出ろ!!!!!!勇作さんこいつやっちゃいましょうよ!頭に来ますよ!」

 

 

静一の怒号が、白い森に響いた。

 

アシリパはもう何が何だかわからない。とりあえずレタラは今何してるのかなーとか、ちゃんと食べてるかなーとか、よくわからないことを考えていた。

 

「う~ん、これは他人事じゃなくなってきたみたいだね…」

 

 

勇作の神妙な声が、白い樹林に溶けていった。

*1
殺ハラ

*2
出ハラ




リュークはんこいつ殺しましょうよ!頭に来ますよ!
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