ハリー・ポッターの呪われた双子 作:フォンテ
1話 汽車に乗り込む
その日、キングズ・クロス駅の構内は、朝から人で満ちていた。
革靴が床を打つ乾いた音、アナウンスの反響、金属が擦れるような高い響きだ。それらが混ざり合い、空気は絶えず揺れている。
埃と油の匂いが鼻につき、夏の終わりとは思えないほど、駅全体が重く感じられた。
アイラは、カートの取っ手を両手で握ったまま、周囲を見回す。人の流れは一定の方向へと押し出すように動き、立ち止まるだけで流されそうになる。
視線の先には、9番線と10番線の表示が確かにある。しかし、その間はただの壁にしかなかった。
「……ないね」
「……ん」
そんな短いやり取りのあと、2人とも口を閉じる。
説明がないという事実を、アイラはそのまま受け止めていた。魔法界は、そういうものだとわかってきた。ダイアゴン横丁の入り口が魔法で隠されていたように、何か魔法の仕掛けがあるのだろう。
周囲の人々は誰一人として、壁を意識するような様子を見せない。そのことが、逆に異様だった。たぶん、魔法界の存在を知る者以外には、ほとんど認識できないようになっている。
時計を見れば、まだ午前10時だ。
時間に余裕はあるから、他の生徒は駆け込んできていないらしい。
「ハグリッドも言ってたよね!」
「ん、他の人たちも来ると思う」
入り口は変わっているが、他の生徒も来ると言っていた。
自分たちと同年代、特にカートの荷物を見れば明白だろう。
ほら、全体的に赤毛の家族が向かってくるのが目に入った。人数が多くて、カートを運ぶ生徒が多い。そしてすぐに、少年の一人が勢いよく壁に向かって走り出した。
そしてその姿が消えた。
壁に触れたはずの身体は、ぶつかるようなこともなく、ただそこから消失した。壁は確かにそこにあるのにだ。
これまた異様な光景だが、何事もなかったかのように人々の流れはある。いうなれば、非魔法族では、誰かが通過したことすら認識できていないようだ。
「あそこだよ! 行こう!」
ハリーはそう言い切ると、もう歩き出していた。確信に満ちた動きだった。迷いがない。早くホグワーツに行く、そのために汽車に乗りたい。無邪気な子どもらしい姿を見せるのは、最近多くなっていた。
「……ぅ」
アイラも追いかけようとしたが、人の波に遮られてしまう。ほんの少し背伸びしてハリーの様子を見ようとしても、大人たちの背で見えない。
ハリーの名前を呼ぼうとして、やめる。
ここで叫んで呼ぶほど、大声も出したことはない。
それに、たとえ一時的に離れても、目的地は同じだ。再会できると彼女は信じていた。遠くで、振り返らない背中を、しばらく見つめる。もうハリーは勢いのまま、壁に向かって突き進んでいく。
1人、取り残された。
「……あの…えっと」
人々の流れは容赦なく、アイラの立ち位置を押し流そうとする。カートは重く、横に動くことなどできない。身動きが取りづらい。
このまま流れに身を任せて、自分だけいけないんじゃないか。
胸の奥に、そんな焦りが生まれかける。
そのときだった。
「久しぶりだな」
背後から、落ち着いた声がした。
騒音の中にあって、妙に澄んだ響きだった。
隣を見れば、すでに紫がかった黒髪の少年が立っている。
同年代にしては背が高く、アイラは少し見上げることになる。彼は荷物は持っていないようで、アイラのカートを支えるように手を添えた。
左目の奥が、ごく微かに疼いた。
一瞬だけ。すぐに消える。
「ルークさん?」
「ルークでいい」
そう言われ、この人が望むならと、アイラは頷いた。
「ハリーは?」
「先にいってます」
尋ねられ、アイラは事実を告げる。
それで充分だった。ルークは、迷子のハリーを探してやることもない。ならば追いかけるだけだ。
「目的地は同じだろ、行くぞ」
「はい」
問いではなく、確認に近い口調だった。
アイラは小さく頷く。
やがて、壁の前に立った。
周囲には、同じようにカートを押す子どもたちが集まり始めている。誰も説明しない。だが、誰も疑っていない。
どこからどう見ても、壁そのものだ。ほんの少し立ち止まってしまうが、隣にルークもいる。彼がカートを片手で押してくれるタイミングに合わせて、アイラも両手で押す。
次の瞬間、空気が切り替わった。
音が消え、圧迫感がなくなる。
視界が開け、白い蒸気が立ちのぼって。
「おぉ」
「わぁ……」
赤い汽車が、そこにあった。
巨大な蒸気機関車が、動物かのように低い声を上げているようだ。汽笛が鳴り、胸の奥まで音で震わせる。鉄と煤の匂いで、熱を帯びた空気で。
さっきまでの世界とは、完全に断ち切られていた。
アイラは深呼吸しながら、カートを押して歩く。
期待と不安が、同時に胸に満ちる。
ここから先は、戻らない。
ペチュニアたちと暮らした『家』から、巣立つこととなる。
ルークも片手てカートを押しつつ、汽車を見上げて、その歴史には圧倒されるかのようだ。一体いつから動いているのか、毎年これほどまでの生徒をホグワーツまで安全に送り届ける汽車だ。
「これはすごいな」
その言葉に、アイラは静かに同意した。
ホームは、生徒たちの声で満ちていた。
名前を呼ぶ声、笑い声、初めての旅に浮き立つ響き。それらが蒸気と混ざり、空気は白く霞んでいる。
巨大な鉄の塊に、次々と生徒は乗り込んでいる。このホームで家族との別れを悲しむような生徒も多いらしい。
アイラはそんな光景を眺めて、一瞬振り返ろうとしてしまうけど、それはできない。
古風な制服の駅員が近づいてきて、穏やかな表情でカートを指し示した。ここでカートの荷物を預かってくれて、ホグワーツまで責任を持って運んでくれると。
大荷物の生徒は、どうやら寮の部屋にまで運んでくれるサービスなようだ。
説明は簡潔で、疑問を挟む余地がない。
魔法界では、それが当たり前なのだと理解できた。
「さすがはホグワーツだな」
「……では、よろしくお願いします」
他の生徒たちもそうしているようで、アイラは迷ってカートを任せることとした。
カートからはトランクだけを取り出すべく、がんばって両手で持ち上げる。制服一式、杖、教科書数冊、金貨などが入っている。
小柄な身体には、まだ少し重い。
「持とうか?」
「……大丈夫です」
即答だった。
頼れる相手がいることと、全部を任せることは違う。アイラはその線を、はっきり引いている。それに、相棒とも言える杖まである。これは何があっても離してはならないだろう。
「そうか」
ルークはそれ以上何も言わず、視線を前に戻した。
干渉しすぎない距離感が自然で、アイラはそれが心地よかった。
「ありがとうございます、いろいろと」
「貸し1つだ。簡単なことでいいが、それは学校でな」
自分より背が高く、強そうで、何か手伝えることがあるだろうかと思いながら。
アイラは頷いた。たとえ貸し借りでも、学校で交友関係が続くのは、わるくない気分だと思う。
そして、ホームをキョロキョロと見渡す。
ハリーはすでにこちらに気づいていて、赤毛の少年とすでに汽車のそばにいるのが見えた。
彼と目が合う。
安心したように、それから手を振ってくる。
アイラも、小さく手を上げる。
人の流れが、2人の間に割り込む。
ハリーは周囲に押されるようにして、先に乗り込んでいった。振り返る余裕はなさそうだ。それでいいと、アイラは思った。
それぞれの場所で向かう。ホグワーツでまた出会える。
今は、それだけだ。
汽笛が再び鳴った。
音が、身体の奥に響く。
「早く俺たちも乗り越むとしよう。そのトランクも入れて、3人分は席を取らねばならない。優雅な旅になりそうだ」
ルークはそう言い、どうやら彼は広いスペースを確保したいらしい。アイラとしても見知らぬ上級生と過ごすのは肩身が狭いが。
「……なら貸し2つですよ」
「おっと、やるようになったな。これで俺の借りが1つというわけか」
彼は軽く笑いながら、アイラの隣に立って、汽車の入り口に手のひらを向けた。
アイラの歩調に合わせてくれるらしく、まるで少女と歩き慣れているかのようだった。
アイラは、自分の足元を一瞬見つめ、そして前を見る。
不安はある。けれど、それ以上に、進むしかないという実感があった。
きっとここは境界だ。
非魔法界と魔法界の、最後の接点だ。
一歩踏み出せば、もう戻れない。
「いきましょうか」
アイラは、自分に言い聞かせるように、トランクの中の杖や、隣の少年に語り掛けた。
一歩ずつ歩き出す。
まだ誰かに頼らなければ生きていけないけれど、この一歩は自分で選んだ道だ。