ハリー・ポッターの呪われた双子 作:フォンテ
アイラは、まだ外が明るくなりきらない時間に目を覚ました。
もうここはダーズリー家でもない。朝食の準備も必要もなく、まだまだ時間がある。
静かな地下の空気はひんやりとしていて、眠気よりも先に身体が起きる。長く染みついた癖のようなもので、環境が変わってもそれは変わらなかった。
しばらく天井を見つめてから、昨夜のことを思い返す。毛布に包まれ、教科書を開いたまま、気づいたら眠っていた。そこで初めて、昨日は入浴していないことに気づいた。
ペチュニアは世間体を気にする。いくら水道代や光熱費がかかるといっても、最低限の時間のシャワーを浴びることだけはさせてくれた。1日の疲れが癒されるようで、アイラはそこそこ好きな時間だった。
ホグワーツではどうなんだろうと、手で握っている杖に向かって首を傾げてみる。当然答えは知らないし、しゃべることもできない。
毛布からごそごそと抜け出せば、制服のままなことに気づく。
着心地抜群すぎて、そのまま寝てしまっていた。見事にしわだらけである。
「……ぅ」
まだ自室で杖を振る勇気もない。ダーズリー家で使っていたアイロンもホグワーツ城にあるかは謎だ。
とりあえずせめて、顔を洗える場所を探そうと思った。
個室の扉を開けて廊下に出ると、スリザリン寮の朝は想像以上に静かだ。まだ自分の部屋で、各自が自分の時間を淡々と過ごしているのだろう。
アイラは周囲を見回しながら歩いてみる。洗面所や浴場らしき場所を探していると、角を曲がった先で、逆に戻ってくるような人影と出会った。
「……あら、おはよう。早いのね」
それはダフネだった。整えられた髪と落ち着いた表情で、すでに制服姿だ。もう1日の支度を終えたようにも見える。まさしくお嬢様、しかもこれほどまでに朝が早いとは予想外だった。
起きれなかったらと頼まれたが、それは万が一にも寝坊しないためのことだったんだろう。
「えと……おはようございます」
友人に会えたことにはホッとする。ダフネは視線を少し下げ、アイラの様子を確かめるようにした。
「もしかして昨日は、浴場がわからなかった?」
責める調子ではない、ただの確認だった。
「……気づいたら、寝ちゃってて。忘れてました」
言い訳をせずにそう謝罪するように告げると、ダフネは一瞬だけ目を瞬かせ、それから頷いた。
「そうね。私たちは当然あるものと思って過ごしていたけど……案内するわ」
自然な流れでそう言って、隣に並んでくれて、アイラと同じ方向を見る。
「教えていただけないでしょうか」
「当然ね。スリザリンの淑女として恥ずかしくないように」
アイラが連れて行ってもらえたのは、女子寮の奥にある広い浴場だった。
脱衣所で制服を一旦脱いで、丁寧に畳んでおいた。
しかもここまで案内するだけではなく、ダフネも付いてきてくれるようだ。心の中だと『心配になるほど痩せてるわね』って思われている。
そして扉を開けた瞬間、アイラは思わず足を止めた。中は想像していたよりもずっと広く、石造りの空間の中央には、大勢が同時に入れそうな浴槽が据えられている。
また、足を踏み入れた途端、近くに置かれていたタオルが、風もないのにふわりと浮いて身体に巻きつく。思わず目を見開いた。
「……すごい」
「慣れれば普通よ」
ダフネはそう言いながら、平然と中に促す。
浴槽の大きさや、魔法で満たされた湯の気配には驚いたが、周囲を見渡して、アイラは別のことに戸惑った。鏡と蛇口はあるものの、見慣れた設備がない。
「……シャワーは、ないんですね?」
「シャワー?」
アイラは言葉を選びながら説明した。立ったまま身体を洗える仕組みのことを。
ダフネは興味深そうに耳を傾け、ふっと微笑む。
「マグルの便利なもの、使ってみたいわね」
そう言って持ってきていた杖を使い、呪文を唱えながら、蛇口に向けて軽く振った。すると、お湯の流れが細かく分かれ、上から降り注ぐような形になる。完全に同じではないが、とても近い。
「……わぁ!」
アイラは驚きを隠せず、そのまま身体を洗い始める。
ダフネももう1つの蛇口に魔法をかけて、同じように椅子に座る。
「ありがとうございます。新入生なのにすごいですね」
「生活魔法くらいなら、家で習っていたもの」
ダフネは何でもないことのように言う。
「そのうち教えてあげるわ」
アイラは頷き、ダフネの優しさに甘えさせてもらっていた。
こうして入浴を終え、タオルで身体を拭いて着替える。しかも制服を手に取ったとき、ダフネがさらりと言った。
「さっき、軽く整えておいたから」
確かに、しわひとつない。
「選択も、外に干す手間も、時間もいらないなんて……!」
アイラが思わず声に出すと、ダフネは少しだけ視線を逸らした。
魔法を使うことは、彼女にとって当たり前だった。学ぶことも、ホグワーツの授業も、義務の延長にすぎない。
「すごいです! ダフネさん!」
アイラが珍しく興奮して大きな声を出している。
そこまで感動されると、照れてしまう。
「そんなに驚くこと?」
「はい。ダフネさんの魔法すごいです」
その言葉に、ダフネは小さく笑った。
杖で呪文を唱え、自分の髪は手早く乾かし、綺麗に整える。
別の人に魔法を使うまでは、まだ自分は未熟だと思っている。だから、久しぶりに自分の手でタオルを手に取った。
アイラの肩を優しく叩いて、タオルで丁寧に水気を取って、そして櫛で髪を整えていく。
「スリザリンのの淑女として、髪型も整えなきゃね?」
整え終わる頃には、髪は明らかに指通りが変わっていた。
シャンプーがよかったのと、ダフネの手際がよかったのと。
「ありがとうございます、いろいろ」
「どういたしまして」
そう答えるダフネの表情は、どこか柔らいでいた。
身支度を終えた二人は、浴場を出て談話室へ向かった。
昨夜、慣れるまで上級生の女子が大広間まで案内してくれると告げられていたのを、アイラは思い出している。あの動く階段は、方向も規則もまるで分からない。ひとりで歩くには不安が残る造りだった。
談話室には、すでに数人の一年生が集まり始めていた。全員が揃うまでは、ここで待つことになっているらしい。火の落ち着いた暖炉のそばに、ダフネは紅茶を二つ用意し、低いテーブルを挟んで向かい合う形のソファに腰を下ろした。アイラもそれに倣う。
「待ち時間もあるし、少しだけ練習してみる?」
湯気の立つカップを持って、ダフネはふと思い立ったように言った。
「……練習?」
「魔法よ。使ったことは?」
アイラは首を横に振った。
「ほとんど、ないです」
「そう。マグル育ちなら、珍しくないわね」
責める調子ではなく、事実を確認するだけの声音だった。ダフネはテーブルの上に残っていたコースターを指で押した。
「最初から大切な髪で、練習することもないわ。これを使いましょう」
そう言われるが明らかな備品で、アイラにとっては高そうなものだ。ダフネはもし何か言われたら弁償すればいいと思っている程度だ。
「上手くやろうとしなくていい。まず形を変えてみせて」
そう言われ、アイラは一瞬ためらってから、杖を握り直し、恐る恐る先を向けた。
何をどうすればいいのか、身体がまだ理解していない。意識を集中させると、コースターがかすかに震え、縁が歪むようにうねった。
「……っ」
「いいわ。その調子」
励ます声は控えめだった。歪みは不格好で、元の形を保っていない。それでも、確かに変化は起きている。
しばらくすると、談話室の出入りが増えた。
上級生の女子が通りかかる度、ダフネは自然に会釈をし、アイラもそれに倣った。遠くからも視線が向けられる。
グリーングラス家の令嬢と、生き残った双子の妹だ。
囁き声が、完全に隠されることはない。
『捨てられて、マグル育ちだそうよ』
『やれやれ、かわいそうに』
同情の色と同時に、別の視線も混じる。
『ポッターの妹は、グリーングラスの派閥になりそうか』
コースターは、相変わらず思うように言うことを聞かない。
アイラは唇を噛み、無意識にダフネの方を見た。派閥という言葉は難しい。ただ、自分が足手まといになっているのではないか、その不安だけが胸に残る。
ダフネはすぐに気づいた。
「アイラは、気にしなくていいわ」
短く、迷いのない声だった。
そのとき、背後から低い声がした。
「そうだな。グリーングラス家の長女と、愉快な仲間たちと思っておけばいい」
振り向くと、ルークが立っていた。
その隣には、目を半分閉じたままのセオドール・ノットがいる。
「ということで決定だ。おはよう、アイラ。ダフネ」
「それでいいわよ。おはよう」
「いいんですか、おはようございます」
「……おはよ」
そんな短いやり取りで、その場の空気が少しだけ緩んだ。
「それにしても朝から魔法特訓とは感心だな」
「ご覧の通りでして……」
「最初はそういうものよ」
「他の寮、ほとんどそうだと思う」
元に戻さなきゃと思いながら、アイラが再び呪文を唱えれば、むしろテーブルのコースターが膨らんでしまう。魔法によって形が変化しているということは事実であり、その点で言えばアイラの進歩は感じる。
「セオドール、あなたもアイラを見習ったら?」
「むっ、僕もこれくらいできる」
「いやいや、朝早く起きて、身だしなみを整えるという点だろ? アイラのサラサラな髪を見てみろ」
「……あまり見ないでください」
呪文を唱えている途中だったので、今度はコースターが思いっきり縮んでしまった。形は歪なままだが、物の拡大と縮小、それをすでに感覚的にこなせている。
「あぁ、そういう」
そう言ってセオドールが杖を振って唱えれば、自分の髪が清潔感あるように整えられる。さすがは純血一族の出身なだけはある。
「なんだ、俺やアイラ以外、マスター済みなのか」
ルークはそう言って、杖をコースターに向けて呪文を唱えれば、横方向に細長く伸びるだけだ。
「あら意外ね」
「意外とはなんだ。アイラとすぐに追いついてみせるとも」
「……そうですね、私もがんばってみます」
アイラは杖を振って、また魔法を唱える。
ルークのことだから、自分に合わせてくれるのかもしれないし。そうでなくともコツさえ身に着ければすぐできるような気がした。
でも、できないことを焦るというより。教えてくれる人たちがいて、一緒に学んでくれる人たちがいる、そんな楽しみを感じていた。
やがて、上級生の女子が談話室に顔を出し、移動の時間だと告げる時間がくる。
それまでアイラは魔法の練習をした。ダフネは静かに見守りアドバイスしてくれる。最終段階は、自分の髪を整えるということなので、魔法の緻密性が求められるだろう。
ルークは目的が違うからなのか、途中から紙飛行機のように変化させて遊んでいた。セオドールや上級生も釣られ、このままでは談話室でブームになりかけていただろう。
ともかく、次第にスリザリン1年組女子も全員揃ったことで、ルークやセオドールもその流れに便乗する。まだ起きてこないマルフォイたち男子は、彼が上級生に命令して連れてくることだろう。
大広間へ向かうその途中、またあの階段が待っている。アイラは前を向いたまま、静かに息を整えた。でたらめにしか見えないが、時間帯で法則はあるらしい。
覚えることも、学ぶことも、たくさんある。
でも友人と一緒ならがんばれそうだ。