ハリー・ポッターの呪われた双子 作:フォンテ
車は、ぎこちない音を立てながら住宅街を抜けていった。
8人乗りの車内は、決して快適とは言えなかった。前方ではダドリーが落ち着きなく身を揺らし、隣に座っているペチュニアが甲高い声で注意を飛ばしている。バーノンはハンドルを握り、休日らしい上機嫌を装いながらも、時折りバックミラーに目をやった。
一番後ろの座席に並んで座っているのは、ハリーとアイラだった。
慣れた様子で黙って座り、車窓から流れていく景色を眺めている。
ハリーは、動物園という言葉に、心の奥で小さく期待を膨らませていた。学校の遠足以外で、どこかへ連れて行ってもらえる機会はほとんどない。ましてや、ダドリーのためとはいえ、休日に外出するなど珍しい。
一方で、アイラは静かだった。
膝の上に揃えた手に視線を落とし、時折り、窓の外を見やるだけだ。長い前髪は左目を隠し、右目で外の広い世界を見る。車の振動に合わせて、長い髪が細かく揺れる。
動物園。
それがどういう場所か、知らないわけではない。なんとなく動物がいると思っている。それが自分にとって楽しい場所になるかどうかは、分からなかった。動物と言えば、空を飛ぶ鳥だろうか。
アイラは、鳥が自由に羽ばたく姿が、どこかうらやましかった。
ハリーが小声で言う。
「ねえ、アイラ、動物、好き?」
「ん?」
アイラは少し考え、正直に答える。
「嫌いじゃない」
「ふうん」
それ以上、会話は続かなかった。
付かず離れず、それが今のこの双子の兄妹の関係性だった。
2人とも、前の席から飛んでくるダドリーの大声や、ペチュニアの甲高い叱責に慣れすぎていた。今さら反応する気にもならない。
車はやがて、駐車場に滑り込んだ。
「着いたぞ」
バーノンの声が響くと同時に、ダドリーが歓声を上げる。
「動物園だ!」
ダドリーは扉を開け、素早く外に出る。ペチュニアがそれを追いかける。ハリーとアイラは、その後から降りた。2人とも誰に急かされることもない。
門をくぐると、独特の匂いが鼻をついた。土と草、動物の体臭が混ざった、むっとするような空気だ。人の声も多く、子どもたちのはしゃぐ声があちこちから聞こえてくる。
仲がよさそうな親子がたくさんいた。
アイラが横目に見ると、たぶんハリーはうらやましがっている。
アイラもハリーも、本当の両親と過ごした記憶はないが。
割り切っているか、割り切っていないか、の違いである。
ダドリーは早速、行きたい場所を叫び始めた。
「最初は爬虫類館! それからお菓子!」
「はいはい、順番にね」
ペチュニアは笑顔で応じる。バーノンも満足そうに頷き、家族サービスをしているつもりらしい。
「あんたたちも、ちゃんと付いてきなさい。迷子になんてなるんじゃないわよ」
そう釘を刺され、ハリーとアイラは、その少し後ろを付いていく。
ハリーはすぐにでも自由に見て回りたかったが、バーノンの巨大な身体に押されるように、爬虫類館へ進む。まるでバーノンに見張られているようだった。
爬虫類館に入ると、空気が一気に変わった。ひんやりとした室内に、ガラスケースが並び、様々な蛇やトカゲが展示されている。
「気持ち悪いわね」
「そうですね」
ペチュニアが眉をひそめる。
アイラは咄嗟に相づちを打ったとはいえ、動物を狭い部屋の中で飼育し、見せ物とする。そんな光景が、アイラにとって、同族嫌悪のように感じた。
「最高だ!」
ダドリーは逆に興奮し、ガラスに顔を近づけて叫ぶ。走って次々と見て回る彼は単純に、様々な蛇がカッコいいと思っているのだろう。本来は危険なヘビだろうと、ぶあついガラス1枚によって危害を加えることもない。
ハリーはじっくり見ながら、巨大な蛇のいるケースの前で足を止めた。
とぐろを巻き、じっと動かない。ガラス越しに、その目と視線が合った気がした。
ハリーは、なぜか目を逸らせなかった。
気のせいかもしれないが、目の前にいる大蛇が、ひとりごとを呟いているかのように聞こえた。
退屈だ、狭い、と。
ハリーは戸惑い、無意識にギリギリまで近づいた。
その隣で、アイラも足を止める。
彼女は、聞き取っていない。ただ、胸の奥に、かすかな引っかかりがあった。口を開けてあくびするヘビの感情のようなものが、薄く伝わってくる。
閉じ込められている。
自由ではない。
ハリーも、アイラも、ガラスの向こうの大蛇を見つめる。大蛇もまた、じっとこちらを見てくる。
ダドリーは2人の様子が気になって、その身体をどしどしと押しのけ、ガラスの前を独占した。しかし、相変わらず大蛇は動かない。芸が仕込まれているわけでもない。
彼は不満が爆発するように叫ぶ。
「なんで動かないんだよ! つまんない!」
ダドリーはガラスを叩き、ペチュニアが慌てて止めに入る。
「やめなさい!」
鈍い音は立てるが、ガラスは壊れることもない。大蛇は閉じ込められたままだ。あのガラスがなくなれば、あの大蛇は自由になれるかもしれないのに。
心の中で、強く、アイラはそう思った。
それがどのような現象を引き起こすのか、まだ理解していなかった。
けれど、確かに、ガラスの厚みがほんの少しずつ、薄くなっていっていた。
誰もそれには気づかない。
ペチュニアは不機嫌そうに早く爬虫類館を出たがる。
「さっさと見て出るわよ。こんなところ、長居する場所じゃないわ」
ダドリーは名残惜しそうにしながらも、すぐに別の展示へと興味を移した。彼にとって重要なのは、刺激があるかどうかだけだ。そこに命があるかどうかは関係ない。
バーノンに圧をかけられ、ハリーも付いていくしかないが、もう一度だけ蛇の方を見た。
蛇は、確かにこちらを見ていた。
意味のない視線ではなかった。だが、言葉にできるほど明確でもない。胸の奥に、奇妙な余韻だけが残る。
アイラは、そのやり取りを横目で見ていた。
シューシューと、何か細い音が聞こえる。
ハリーが口の動きから、何か声を発しているようだが。
「……ハリー?」
「えっと、なんでもないよ」
ハリーは首を振った。
自分でも、どう説明すればいいのかわからなかった。一瞬とはいえ、無意識に何かをしていた。ただ、さっきの感覚を言葉にするのは、なぜかとても危険な気がした。
そうして爬虫類館を出ると、外の空気が一気に押し寄せる。人の声、風の音、売店から漂う甘い匂い。現実に引き戻されたような感覚だった。
「アイス! あとポップコーン!」
「まだ早いわよ」
ダドリーにとって、動物は二の次だ。
屋台のような売店を見て、次々と要求を口にする。
「でもお腹すいた!
「さっき朝ごはん食べたでしょう」
呆れつつ、しかしペチュニアは息子に甘い。
それに、ハリーとアイラが含まれてはいない。
売店の前で、ダドリーは大きなアイスを買ってもらっている。ペチュニアはそれを当然のように受け取り、溶けないようにと世話を焼く。
ハリーは、無意識に喉を鳴らした。
彼も空腹は慣れている。だが、甘そうな食べ物は、容赦なく刺激してきていることだろう。
アイラも似た感覚はあるが、何も言わなかった。
言っても変わらないことを、彼女はよく知っている。代わりに、ハリーの視線を遮るように、少し前に出た。
ダドリーはペロッと食べきり、次はポップコーンを買ってもらって、それを片手に抱え込む。
「次は、どこに行くの?」
ダドリーはそう両親に尋ねる。
大蛇くらいカッコよく、面白い動物を期待するような瞳だった。
「あー、ゾウならどうだ?」
「早く行こう!」
バーノンが提案し、こうして再び園内を歩き回る。
ダドリーは腹が満たされたことで機嫌がよくなり、次はどこへ行くかを大声で主張している。ペチュニアはそれを肯定し、バーノンは頷く。
ハリーとアイラは、少し後ろを歩く。
列に加わるわけでもなく、完全に離れるわけでもなく、いつもの距離感である。むしろダドリーがちょっかいをかけてこないだけ、とてもマシである。
「……さっきの蛇」
ハリーが、小声で言った。
アイラは、視線を前に向けたまま答える。
「うん」
「なんかさ……」
言葉を探して、ハリーは黙り込む。
「……話しかけられた、気がした」
アイラの歩みが、ほんの一瞬だけ遅れた。
「声?」
「いや、たぶん声なんだ……」
ハリーは困ったように、ズレた眼鏡をかけ直す。
「変だよな」
「……変じゃない」
アイラは短く頷く。
自分も感情を読み取ったような気がしたし、ハリーは妹の自分にまで嘘をつくような兄ではないから。
「やっぱり、あのヘビが1番カッコいいじゃないか!」
「え、また?」
「ライオンですら、お気に召さないとはな」
ペチュニアは困り果ててつつも息子の希望通りに向かうこととする。バーノンもまた、ハリーやアイラを押すように、その場所に向かわせる。
「仕方ないわね。少しだけよ」
「うん!」
再び爬虫類館の前に戻ってくると、早速ダドリーはどしんどしんと走っていき、大蛇の前で足を止める。そして、他の誰にも場所を渡さないよう、大きな身体でガラスに張りつくように立つ。
「動けよ! なあ!」
ドンドンと、拳でガラスを叩いて音を鳴らす。
このままでは動いている姿を見ることもなく、帰る時間が来てしまう。
そのとき、ハリーが何か口を開いた。たぶん『キミも大変だね』みたいな軽いノリだったように思える。
大蛇はそれを聞き取ったのか、ゆっくりと動き始めて、頷くように頭を動かす。
『なんとかしろ』みたいな感情だけは、アイラも理解できた。
ハリーは、息を呑んだ。
やっぱり大蛇と会話できているのだと驚いた。
でも、自分より大きいダドリーを止めることなどできない。
「……ごめん」
気づけば、ハリーはそう謝る。
そして『キミは外に出たいの?』と尋ねた。
「お前、何してんの?」
大蛇と目線を合わせて、口を開けているハリーに、ダドリーが振り返る。ペチュニアは何かを察したかのようにダドリーのところに向かう。バーノンは慌てて、ハリーを突き飛ばす。
その瞬間だった。
ガラスが、消えた。
割れた音はしなかった。砕け散ったわけでもない。
ただ、そこにあるはずのものが、なくなった。
次の瞬間、ダドリーは悲鳴を上げて、後ずさりする。
「うわああああ!」
大蛇は、滑るように床へ降り立った。
周りの人々の悲鳴が、館内を満たす。誰かが転び、誰かが叫び、誰かが逃げ惑う。
ただし大蛇は、誰にも噛みつかなかった。
悠々と移動し、地面に転がって眼鏡をかけ直しているハリーの足元で、一瞬だけ立ち止まった。そしてハリーに向かって『ありがとう』と伝える。
アイラにもまた感謝の気持ちを伝える。
そのまま通気口の方へと消えていった。
ハリーは、動けなかった。
心臓が激しく鳴っている。
「貴様、何かしたな!」
バーノンの怒号。
「あなたね! ダドリーに何かあったらどうしてくれるのよ!」
ペチュニアの金切り声。
「ぼく、見た! あいつが、ハリーが! 蛇と話してた!」
ダドリーの叫び。
ハリーは、何も言えなかった。
蛇と話せることは当たり前ではなかった。この空間において、異常なことだった。
バーノンとペチュニアは騒ぎが大きくなる前に、逃げるように車に戻らなければならないと考えた。バーノンはハリーを荷物のように強引に担ぎ、ペチュニアはその細腕でアイラを抱え込む。
「帰るぞ、ダドリー!」
「えぇ!? もう!?」
「いいから!」
ハリーは眼鏡が落ちそうになるほど、揺れが大変そうだが。
アイラは久しぶりに抱っこしてもらえていることに、なんだかポカポカしていた。
その日の帰り道。
車の中は、凍りついたように静かだった。
家に着くと、ハリーは何も説明されないまま、階段下の物置へと押し込まれた。
そして、出られないよう外から鍵をかけられる。
アイラは、その外からそれを傍観するしかない。
「アイラ、今日は私の寝室の床で寝ること。間違ってもハリーを外に出さないこと。私が眠っても寝室から決して出ないこと。守れるわよね?」
そんな必死な表情から、きっとペチュニアは今日起きたできごとの理由を知っている。だが、きっと教えてくれないだろう。
「はい、わかりました」
いつも通り、従順に頷くだけだ。
でも、きっと自分を護るために言ってくれていて、ちょっぴり嬉しかった。