ハリー・ポッターの呪われた双子 作:フォンテ
その朝も、特別なことは何もないはずだった。
アイラ・ポッターは、いつも通り家の誰よりも早く目を覚ます。ハリーの寝息を乱さないよう、古びた毛布は整えておいた。階段下の物置部屋を静かに出て、きしむ床をゆっくりと歩く。その動作は身体に染みついている。
キッチンでは、今日も朝食の準備が始まる。やかんに水を入れ、それを火にかけ、ペチュニアが買ってきている食材を確認して、頭の中で手順や量を考える。そうするのが当たり前になっているだけだ。
違和感があったのはその途中だ。
静かな玄関のほうで、かすかな音がした。
新聞受けに、ことんことんと、2つ何かが落ちる音がする。この時間に来るとすれば新聞のはずだが、どこか違った。もっと軽い音だった。
アイラは一瞬だけ手を止めるが、すぐに食材の準備を再開する。郵便の仕分けは、ペチュニアの仕事だ。勝手に触れてはいけないことを、彼女はよく知っている。
しばらくして2階から足音が聞こえ、ペチュニアが台所に入ってくる。いつもより動きが早く、視線が落ち着かない。エプロンをつけることもなく、真っ先に玄関へ向かっていく。
「……郵便、見てないわよね?」
そう恐る恐る聞かれるので。
「はい」
そうアイラは素直に返事する。
いつもなら、台所に戻ってきて紅茶を受け取って飲むはずだった。ペチュニアが階段を降りてくるタイミングで、その準備も既に始めていた。しかしこの日は違った。玄関先で、何かを確認するように立ち止まっている。
ペチュニアは、すぐにそれをポケットの内側に押し込み、何事もなかったかのようにキッチンに戻ってくる。
「……今日は、パンは少なめでいいわ」
理由もなく、そう言った。
アイラは頷いて、それ以上は聞かなかった。聞いても答えは返ってこないだろう。それをこれまでの生活で学んでいる。
やがてバーノンとダドリーが起きてきて、いつもの朝食が始まる。ハリーも少し遅れて席につき、何も言われないまま、与えられた分だけを食べる。
だが、ペチュニアの様子は明らかにおかしかった。
何度も時計を見る。玄関の方に無意識に視線をやっている。バーノンがそれに気づいて、眉をひそめる。
「どうした、落ち着かないな」
「なんでもないわ」
そう言い切る声が、妙に硬い。
朝食が終わると、ペチュニアは食器の片付けをアイラに任せたまま、何度も玄関に向かう。郵便受けの前にしゃがみ込み、何かが残っていないかを確認する。
そこには、もう何もないはずだったが。
そして、その日の昼前に再び郵便が届く。
「……え? なに?」
厚みのある封筒が2通、いきなりはみ出てくるように顔を出したのだ。外から玄関に入れただけでは、そうはならないはず。
そんな光景にアイラは声を出して驚く。雑巾を持って廊下の床拭きをしていたが、その動きが完全に止まってしまう。
「ちょっと!? 手紙が来たなら早く言いなさい!」
昼食の準備をしていたペチュニアが物音を立てながら走ってきて、封筒を素早く回収する。
「すみませんでした」
内心では首を傾げながら、アイラは素直に謝った。
さっきの封筒は、どこか見慣れないものだった。羊皮紙と言うべきだろうか、古びているが質のいい紙でできていたはずだ。
その日の夜も、次の日の朝も、その昼も、夜も、手紙は届いた。まるでご飯を食べる前の時間を完璧に見計らっているかのようだった。
2通ずつ、必ずだ。
ペチュニアは、郵便が届くたびに顔色を変えて、誰にも触れさせないよう神経を尖らせる。仕分けは完全に彼女の独占で、アイラに任せることも、ハリーやダドリーにも見せることはなかった。
そして夫であるバーノンにすら見せていなかった。
ある日、彼は次第に苛立ちを募らせ、ついには声を荒げる。
「いい加減にしろ、何の手紙なんだ!」
「誰にも関係ないわ! ただのイタズラよ!」
その言葉は、家の空気を凍らせた。
アイラは黙って聞いていた。何も知らないふりをしながら、確信だけが強まっていく。これは偶然ではない。間違いでも、手違いでもない。
この家に、何か異変が起きている。
そんな異変は、それきり収まる気配を見せなかった。
翌日も、その次の日も、手紙は必ず届いた。しかも、決まって2通ずつだ。朝、昼、夜と、あえてなのかタイミングを不規則にずらしつつも、その封筒は必ず現れる。その封筒は、まるでこの家の生活リズムを把握しているかのようだ。食事の準備の時間を狙って差し込まれてくる。
ペチュニアは完全に神経を尖らせるようになった。郵便受けの音がするたびに肩を跳ねさせ、誰よりも早く玄関へ向かう。アイラやハリーの位置にも意識し、とにかく封筒に触れさせないことだけに執着している。
バーノンの苛立ちも、日を追うごとに露骨になっていった。
「またか……また来たのか?」
低く唸るようにそう言いながら、彼は何度もペチュニアを問い詰める。しかし、返ってくるのは同じ言葉だけだった。
「あなたにも……誰にも関係ないのよ……」
それは拒絶であり、同時に恐怖の裏返しでもあった。
アイラは、二人のやり取りをキッチンの隅から静かに見ていた。怒鳴り合いに発展する一歩手前で、いつもペチュニアが話を打ち切る。その表情には、強情さよりも切迫感が滲んでいる。
ハリーは、露骨に落ち着かなくなっていた。
「ねぇ、アイラ。あれ、僕たち宛てなんじゃないかな」
夜に物置部屋で小声でそう言われ、アイラは少し考えてから答える。
「……可能性はあると思う」
「だよね」
ハリーの声には、不安よりも、奇妙な期待が混じっていた。
それが、アイラにははっきりとわかった。何かが変わるかもしれない、という感覚だ。閉じた世界の外から、扉を叩かれているような気配だ。
一方で、アイラは違った。
彼女の胸にあるのは、期待よりも困惑だった。もしこの手紙が、自分たちの生活を揺るがすものだとしたら、それが必ずしも良い方向に転ぶとは限らない。今まで耐えてきた均衡が、壊れる可能性のほうが強く思えた。
実際にペチュニアが過去のように、どんどんやつれていく。何度送ってでも伝えたいことがあるなら、こんな嫌がらせ行為ではなく、直接伝えにくればいいのに、と思った。
その次の日の昼は、ついに決定的なできごとが起きた。
玄関の郵便受けに、ぎちぎちに封筒が詰まっていたのだ。
もはや新聞を入れる隙間もなく、厚みのある封筒が押し込まれ、それが生き物かのようにゆっくりと出てこようとしている。もう2通どころではなくなっていた。数え切れないほどの封筒が届いている。
「……どういうことだ、これは、一体」
バーノンの声が震えたのを、アイラは初めて聞いた。
「なんなんだよ、これ……」
ダドリーもまた、恐怖する。
ペチュニアは顔面蒼白になり、2通の手紙を拾った手が小刻みに揺れている。もはや隠しきれる量ではなかった。それでも彼女は、身体で隠すように、子どもたちに見せまいとする。
「捨てるのよ。全部、今すぐ!」
「あ、ああ。いや、誰がこんな真似を……」
アイラとハリーとダドリーはリビングに行かせ、バーノンとペチュニアで協力して全て袋に詰め込んだ。
その日のうちに、手紙はすべて処分された。全て破り、細かくして、ゴミ袋に詰め込んで全て捨てにいく。バーノンとペチュニアはそれを自分の目で確認し、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻したように見えた。
しかし、更にその夜のことだ。
ふと目を話していた隙に、玄関に山のように封筒が積み上がっていた。郵便受けに収まりきらず、床に広がるのは羊皮紙の束だ。
ペチュニアは、その場で声を失って倒れそうになる。
バーノンは彼女を支えるが、すでに理由はわかってきていて、悪夢を見させられているかのようだった。
その夜から、ダーズリー家は完全に落ち着きを失った。
夜中のうちに郵便受けは封鎖され、外からも中からも、隙間という隙間に布や板が詰め込まれた。
それでも、朝になると必ずどこからか封筒が現れている。窓枠の内側、暖炉の前、階段の踊り場など、誰も見ていない瞬間に、そこに最初からあったかのように置かれている。
ペチュニアは、久しぶりに満足に眠れない夜を日々味わうこととなっていた。
「あの……手伝いましょうか?」
「しなくていいわよ! ……そうね、ハリーが万が一にでも読まないように、それだけでいいわ」
恐る恐るアイラが尋ねたこともあった。しかし、ひどく叱りつけるくらいに大声を出してしまえば、少女の身体が縮こまる。ペチュニアは罪悪感を感じながら、アイラにも手伝わせなかった。
バーノンもまた、仕事があるのに、少しでも妻を休ませるべく協力する。だがペチュニアの体調は日々悪くなっていく。普段より簡単な昼食や夕食とはいえ、アイラが毎食作ることにもなって、少女の負担も大きい。
とにかく限界となり、ある日の朝に、バーノンはついに決断した。
「この家から避難するぞ。今すぐだ」
その声は焦燥が表れていた。ペチュニアは無言で頷いて、ふらつきながら立ち上がる。ダドリーは文句を言いつつも、バーノンの真剣な表情に頷くしかなく、自分の部屋へ向かった。
「……アイラ、手伝って」
「っ! わかりました!」
私物に触れさせることは初めてのことだった。
驚きながらアイラも寝室に向かい、小さな手のひらで彼女の私物を鞄に丁寧に詰めた。
そして、車に乗り込む直前に、アイラは一瞬だけ物置部屋を振り返った。
何も変わらないはずの場所が、もう戻れない場所かのように思えたからだ。ハリーも同じ気持ちだったのだろう、珍しく黙ったまま助手席の後ろに座り込んでいる。
向かった先は、町外れのさらに外れである。
海に囲まれて、地図にもろくに載らないような小さな岩場だ。その上に建っていて、古い小屋だ。
「ここなら見つからまい」
バーノンはそう呟いたが、その声には自分自身を納得させようとする響きがあった。だが、いつまで隠れていればいいのか、そもそも見つからないのか、彼にはわからない。
だが、ペチュニアが望むように、子どもたちを厄介な連中とは関わらせないために必要なことだった。
その日は嵐だった。夜になるにつれて激しさを増していく。
風が小屋を揺らし、雨が屋根を叩きつける。波の音が絶え間なく続き、外界との繋がりが完全に断たれたかのようだ。
ダドリーは怯えて眠りについた。ペチュニアは疲れ切った様子で、古びたソファに座り込んでいる。だが、眠ることはできない。
アイラやハリーは、物置から持ってきた毛布にそれぞれくるまって、部屋の隅で肩を寄せ合う。少しでも暖かくするためだ。
ここに何日くらい隠れるつもりなのか。
夜明けまでか、1週間か、それとも1ヶ月か。
そして、アイラはふと思い出す。
この7月31日は、自分たちの誕生日だったことを。
毎年ハリーが、せめてこの日くらいはダドリーのように祝ってほしいと、よく口に出していた。しかし祝われたことは一度もない。プレゼントを貰うこともなかった。アイラにとっては、ただ生まれた日という認識である。
夜が更け、小屋の中が完全に闇に沈んだ頃だった。
ドンと、低く重い音が響く。
最初は雷だと思ったが、再び同じ音がする。今度ははっきりと扉の方向からだった。
「……な、なんだ今のは?」
バーノンが立ち上がるよりも早く、3度目の衝撃が小屋を揺らし、扉が内側に歪む。誰かが外から扉を開けようとしているのだ。ペチュニアは息を呑む。
轟音とともに、扉が吹き飛んだ。
見つかったどころではない。直接乗り込んできたらしい。
雨と風と一緒に、巨大な影が小屋の中に踏み込んでくる。天井に頭がつかえそうなほど背が高く、ずぶ濡れの外套をまとっていた。
「こんばんはだ、お前さんたち」
低く、だが妙に穏やかな声だった。
全員が凍りついた中、その巨体の男は視線を巡らせ、やがてアイラとハリーを見つける。その瞬間、にっと歯を見せて笑った。
その笑みにより、恐怖は感じない。
「おぉ、大きくなったな! ハリー! アイラ!」
「……えっと?」
「もしかして、父さんか母さんの、知り合い?」
ハリーがそう尋ねると、大男は嬉しそうに笑う。
「おう。あの勇敢な魔法使いたちによく似ちょるぞ、お前さんたち」
アイラも、ハリーも、頭が追いつかない。けれど、その言葉が嘘ではないことだけは、不思議とわかった。
「そんで、ホグワーツ魔法魔術学校からの手紙を、おっと、これだ。これを届けに来たんだ。何度も送ったんだが、どうにも受け取ってもらえてないようでな」
その手には、見覚えのある羊皮紙の封筒が2通、はっきりと握られていた。
「ほれ、お前さんたち宛てに、入学資格があるっちゅうやつだ、ホグワーツのな」
嵐の音の中で、そんな言葉がはっきりと響いていた。
「あの……学校…なんですか? 魔法の?」
「そりゃそうだろ? あのホグワーツだぞ?」
アイラは、胸の奥がざわめくのを感じていた。恐怖と困惑が多く、彼女にとっての日常が崩れていくこととなるだろう。でも未知の世界を知りたい気持ちもある。
「父さん、母さん、魔法使いなの?」
「そうとも。なんだ、聞いちょらんかったか?」
ハリーは、ただまっすぐに男を見つめていた。その瞳には、長い間押し込めてきた感情が、ようやく行き場を見つけたかのような光が宿っている。
自分たちの両親は、魔法使いであったこと。
そして、自分たちも魔法を学ぶ権利が与えられたこと。
嵐の夜は、まだ続くだろう。
これからまた激しくなるかもしれない。
この瞬間から、双子は、己の運命に立ち向かうこととなる。