そして迎える、クリスマス・イブの夜――。
「デスゲームの中でも、”クリスマス”は”クリスマス”だろ?――素直に楽しんだっていいはずだ。」
それが、僕が誰かに向けて放った言葉だったのか――正直、僕自身もう覚えていない。けれど、そんな風に言った言葉はまるで風に乗るように、気づけばプレイヤー達の間に広がっていた。
あるいは情報屋が噂として流したのか、それとも耳にした誰かが繰り返し口にしたのか。ともあれ、不思議なことに、プレイヤー達の間には“静けさ”が戻りつつあった。
街に渦巻いていた諍いは、雪解けのように次第に消えていき――。結果として、僕達はすんなりと目当てのフィールドへと向かうことができた。
僕を先頭に≪黄昏の騎士団≫のメンバー、キリトを含めたソロプレイヤー、最近攻略組に参入したクライン率いる≪風林火山≫と大所帯で、最も出現確率が高いとされていたエリア――《迷いの森》へ足を踏み入れる。
雪が舞う静寂の森。夜の闇を反射して淡く光る木々の葉が、足元を仄かに照らす。吐く息は白く、遠くで雪が枝を滑り落ちる音すらはっきりと聞こえてくる。
その神秘的な空気の中――僕達は別の一団と鉢合わせた。
≪ALS≫と≪DKB≫。普段なら、方針の違いから一触即発になりかねない相手。けれど、この日ばかりは、彼らもどこか穏やかな表情を浮かべていた。
「……カイト。お前さんの言葉が、ワイらの耳にも届いとったで。」
口火を切ったのは、キバオウだった。
どこか気恥ずかしそうに頭をかく彼に、後ろのメンバー達も一様に頷いている。
「異を唱える奴も少しはおったけどな……でも、“確かにな”って、皆が妙に納得しとったわ。」
続いて、ディアベルの後を継いだ≪DKB≫のギルドマスターが一歩前に出る。
「オレ達も同じだ。”クリスマスイベント”をシンプルに楽しもうぜ。だから、ボス攻略に関しては――“みんなで挑んで誰が倒しても恨みっこなし”。……それでいいか?」
「――もちろん!」
僕は穏やかに微笑み、手を差し出した。その手に2人の手が力強く手を重なる。
いつもではありえない、ギルドの垣根を超えた《クリスマスイベント・ボス討伐》。少しでも僕の想いが皆に届いていてそれが形となった。そう思えると嬉しく感じていた。
そんな矢先。
森の奥で、空気の流れがわずかに“歪む”感覚があった。
(……これは)
目の奥をノイズが走るような違和感。空間が揺れ、僕の“感覚”が鋭く反応する。
(バグの……。しかも――誰かが近くにいる)
視線を森の奥へと滑らせ、僕はすぐに判断を下した。
「ディアベル、ちょっと確認してくる。」
「……確認?」
「人影を見たんだ。しかもソロ。無茶してないか見てくるよ。」
ディアベルは一瞬だけ僕の表情を見つめ――信頼を込めて頷いてくれる。
「……わかった。すぐ戻れよ?」
「もちろん。」
短く答え、僕は森の奥へと向かう。
* * *
皆、カイトの背中を見送っていたが――その動きを鋭く捉えていたのは、俺だけではなかった。
「……待ちナ、ディアさん。」
呼び止める声に振り返ると、そこにいたのはアルゴだった。
ローブのフードを少し上げたまま、低く告げる。
「今のカーくん……ヘンだったヨ。焦ってた。何か隠してル。」
言われてみれば、確かにそう見えなくもない。
俺の中にあった小さな違和感を、彼女ははっきりと言葉にしてくれた。
「お前も……やっぱり、そう感じたか。」
視線を向けると、アルゴは一歩前に出てきた。
「行くんだろ?」
「もちろんナ。」
迷いのない即答。フードを深くかぶり直し、彼女は小さく笑った。
「カーくんが何を抱えてるか……オイラが見届けてくる。」
その背に、俺は静かに言葉を投げかける。
「……気をつけろ。あいつが何かを隠してるなら、きっと“それなりの理由”があるはずだ。」
「わかってル。」
短く答え、アルゴは軽く手を振った。そしてカイトを追うように森の闇へと消えていく。
その背中を見送りながら、胸に去来するのは不思議な感覚だった。――彼女は“仲間”であると同時に、あいつにとって確かな“相棒”でもある。きっと彼女なら――。
* * *
仲間達から離れ、静かに雪を踏みしめながら森の奥へ進んでいた。
冷たい風が木々を揺らし、白い粉雪が視界を覆う。――その奥で、胸の奥に確かな“いつもと別の違和感”が疼く。
(……間違いない、バグの……)
足を速め、木々の合間を抜けた先――僕は息を呑んで、思わず木の陰に隠れた。
「……っ!」
黒い霧を纏ったバグモンスターが、歪みながらひとつの“影”へと吸い込まれていく。
雪を透かして揺れる霧と炎。その中に浮かび上がるシルエットを見て、思わず声を押し殺す。
「……僕ッ……!?」
否。正確には“僕ではない”。
――青黒い炎を纏う双剣士。
――蒼炎を噴き上げ、冷たい闇に立つ存在。
それはかつて《The World:R2》でアウラが作り出した、“蒼炎のカイト”。僕自身を模した、もうひとつの姿。
(……なんで…………!?)
理解が追いつく前に、“蒼炎のカイト”がこちらを振り向く。そしてその瞳が、まっすぐに僕を“射抜いた”。
瞬間――――――
「ッ!!」
蒼炎が爆ぜる。
地面を焼き切るように、双剣が閃きながら一直線に迫る。
「くっ!」
咄嗟にダガーをオブジェクト化し、双剣の構えをとる。
衝突――炸裂する刃と刃。
放たれたのは間違いなく、《The World》の――疾風双刃。
「っ!!」
奥歯に力を入れる。
けど――大丈夫。《The World》の技で構成されているなら初見じゃないから戦いようが――
そう考えた瞬間、“蒼炎のカイト”はすぐにそれを否定してきた。
「硬直がない!?」
スキル発動後の、最低限の硬直すら存在せず、彼は次々とスキルを放ってきた。本来は存在しない《The World》の技だから、そうだと言えばそうなのかもしれない。
けれどあまりにも理不尽な連撃に僕は舌を巻く。
「くそ!!技再現するなら《The World》の硬直も再現しろ、よ!!!」
システムの制約にない“完全な理外”。必死に受け流すが、刃は容赦なく迫り、少しずつ押し込まれていく。完全な防戦一方。
(このままじゃ……!)
胸に浮かぶのは――右腕に感じる腕輪の存在。
(……データドレイン……)
それはこの世界でも何度も使ってきた力。けど、未だ“底”を解放したことはない、と僕は直感的に感じている。その力を完全に解き放てば、今まで以上のイリーガルな存在であるだろう“蒼炎のカイト”でも消せるかもしれない。
けれど同時に――それはこの《SAO》そのものを揺るがす危険も孕んでいる。
僕の手にあるのは、世界を“壊すことができる力”。
けれど、目の前の“僕”は――仲間を脅かす、紛れもない異常。
(……でも、試すなんて……!!)
迷い、恐れ、責任が渦巻く。
そうしているうちに“蒼炎のカイト”の刃が無慈悲に振り下ろされた。
「ッ……!」
ダガーの一本が砕け散った。
その刹那、索敵スキルが告げた――アルゴの接近。
(……アルゴ!?なんで――)
思わず振り返ろうとした隙を突かれ、もう一本のダガーも弾かれる。
手元に武器は、ない。
“蒼炎のカイト”は双剣を振り上げ、トドメの一撃を放とうとしている。
その刃の先にいるのは、僕だけじゃない。
(僕がここで倒れたら……次はアルゴが……皆が……!)
「カイトッ!!」
背後から、アルゴの声。“相棒”の、心からの叫び。
(信じろ……!これは、僕が一番使ってきた力だ。《The World》で命を懸けて磨いた、誰よりも知っている――僕の力!)
その声が――迷いを断ち切った。
「……行くよ、“僕”!」
右腕を突き出す。幾何学模様が大きく展開されていく。
「――データドレイン!!」
眩い閃光が蒼炎のカイトを包み込んだ瞬間、世界が轟音を立てて“揺れた”。
* * *
カイトの右腕から出現した幾何学模様の腕輪から放たれた光が、瞬く間に視界を塗りつぶした。
「カイト……ッ!!」
目の前で起きていたことは、わたしの理解を軽々と越えていた。
カイトが対峙していたのは――間違いなく《The World》の伝説的PC、“蒼炎のカイト”。
長いプレイ歴の中で、何度も目にした名前。雑誌の特集で見た姿。プレイヤー達の憧れと畏怖を一身に背負った象徴。
その存在が、この《ソードアート・オンライン》に現れて、カイト自身と刃を交えていた。
(どうして……!? なんでこいつが……!)
問いは喉の奥で凍りつく。
代わりに、彼の名を叫んだその瞬間――カイトは迷いを断ち切るような顔をして、その“力”を放った。
光は”蒼炎のカイト”を貫き、その背後の森ごと呑み込む。
轟音と共に雪と木々が掻き消え――そこにはぽっかりと“穴”が開いた。
「……なに、これ……?」
ただの地形破壊じゃない。
そこにあったはずの木々も、雪も、空気さえも――“存在の痕跡ごと”削り取られている。世界そのものが抉り取られたような光景に、全身の血が冷える感覚さえ覚える。
(カイトは……!?)
視線を前に移せば、カイトは膝から崩れ落ちるところだった。
「カイトッ!!」
咄嗟に抱きとめる。
けれど――彼の身体は異様に冷たかった。仮想世界のはずなのに“現実の体温”すら冷たくなっているんじゃないかと思うほどに。
「カイト!しっかりしてッ!」
必死に呼びかける。彼の瞳は虚ろに揺れ、かすれた声で――
「……アルゴ。」
そう、わたしの名を呼んだ。
次の瞬間には、力なく意識を手放していた。
「カイト!!」
恐怖に胸が締め上げられる。
このまま彼が“消えてしまう”――そんな恐怖が頭をよぎり、思わず強く抱きしめた。
わたしの中で渦巻く思考は、まとまらずに空回りを続ける。
そんな時――視界を照らす柔らかな光。そしてそれと同時に――銀髪に白衣を纏う、一人の女性が現れてた。
「……変わらないわね、カイト。」
懐かしむような眼差しで、彼女は静かにカイトを見つめる。
「……だれ……?」
思わず声が漏れた。
初めて見るはずなのに――どこかで見覚えがある気がする。記憶の奥に、忘れ去った断片が疼く。
彼女は答えない。
ただ静かに片手を振ると、柔らかな光の波が森一帯を包み込んだ。
「……ッ!」
次の瞬間――削り取られた大地が、“巻き戻されるように”修復されていく。抉れて消えていた木々も、舞い散った雪も、まるで最初から何事もなかったかのように戻っていく。
「うそ……。」
世界そのものが“編み直されていく”光景に、声が震えた。
まるで――。
そして彼女はカイトの腕にそっと触れる。
ショートするように火花を出していた、砕けそうだった右腕が静かに修復されていく。
「これは、あなたが背負ってきたもの。……でも、あなたが壊れてしまっては意味がないわ。」
彼女は慈愛に満ちた微笑を浮かべると、カイトの頭に手をかざした。
途端に彼の呼吸が落ち着き、安らいでいく。
「だから今は……少しだけ”おやすみなさい”。」
「……ッ!」
ようやく正気を取り戻したわたしは、慌てて彼女に詰め寄った。
「アナタは誰!? 今の力は何!? カイトの腕のアレは……カイトはどうしたの?!!」
問いをぶつける。必死で、喉が震えるほどに。
彼女そんなわたしを静かに見つめ返した。
その瞳は、すべてを知っている者のそれ――深く、穏やかで、抗えない。
「……私は、アウラ。」
淡く名を告げ、彼女は言葉を続ける。
「あなたの“大切な人”を――少し、預かるわ。」
「えっ……!? 待って、それどういう――。」
言い終えるより早く、光がカイトの身体を包み込んだ。
黄金の輝きはやがて少女自身にも広がり、2人の輪郭を溶かすように掻き消していく。
「カイト!! 待って!!」
必死に手を伸ばす。
でも――掴めない。
光は、指の隙間をすり抜けるように消え去り、気づけばそこには――誰もいなかった。
「……カイト……。」
残された森は、ただ静まり返っていた。わたしの声だけが、虚しく木霊して消えていった。
少しずつ侵食を始めたバグ。
そしてアウラの登場。
カイトはどうなってしまうのか。