翌日。
僕は一人、再び第五十層のボス部屋を訪れていた。
昨夜の激戦の余韻がまだ身体に残る中――それでも、あの戦いでデータドレインしきれなかった“何か”が、この場所に残っているのではないかという考えが頭から離れなかった。
けど、現実は。
「ま……何も、ないよね。」
虚ろな声が、広い空間に吸い込まれていく。ただの大広間。
僕は肩から息を吐き、ふと腰に装備した“虎王”をオブジェクト化する。
――二本の刃が、音もなく手に収まった。
いつの間にか“二本に増えていた”虎王。
あれからメニューで確認したところ、どうやらこの虎王は《二本で一つの存在》らしく、一方を動かせばもう一方も追随するという、明らかにSAOの仕様外の挙動を示していた。
片方だけで扱うこともできるが――二本を揃えたときのほうが、しっくりと腕に馴染む。これはただのダガーじゃない。間違いなく、“双剣”だ。
(……まるで、僕専用に調整されたみたいだ。)
その考えが浮かんだ瞬間、アウラの姿が脳裏をよぎる。
でも彼女が僕に“何か”を託すなら、きっともっと分かりやすく、直接的な形を取るだろう。
――“黄昏の腕輪”の時のように。僕が気づく前に、でもそれが“当然”のように馴染むやり方で。
けれど、この【虎王】は違う。
愛用していた武器でも、過去に因縁のあるものでもない。
ただ、いきなり“仕様外の形”で僕の手に現れた。
となれば……この異常はSAO側のシステム――カーディナルが≪The World≫の影響を強く受け始めている。そう考える方が自然だった。
事実、昨日のフロアボスもそうだ。
明らかに“僕”に反応し、異常な挙動を見せた。
そしてその後、AIDAの気配がポリゴンに混ざって消えるのを――僕は確かに見た。
(……僕一人では、対処しきれない時が来るかもしれない…そうなった時……)
そう遠くない未来に、決定的な“変質”が訪れる。そんな予感が、強く胸を締めつける。
けれど。
(それでも、足を止めるわけにはいかない。)
止まれば、その分だけ――誰かが傷つく。それは僕の望まないことだ。
だから、進む。
震える足を、心で押し出しながら。
異常に飲まれる前に、それを断ち切る術を探すために。
僕はゆっくりと背を向け、静まり返ったボス部屋を後にした。
ボス部屋を出ると、そこに――彼女が立っていた。
「……アルゴ?」
見慣れたマント姿。けれど、彼女がこんなダンジョンの奥深く、しかも単独でいることは滅多にない。薄暗い石造りの回廊で、ただ一人待っていたその姿は、どこか非現実めいて見えた。
「どうしたの? こんなところで。」
僕の問いかけに、アルゴはジト目気味に眉を下げ、腕を組んだまま小さく溜息をついた。
「それは、わたしのセリフだよ、カイト。攻略が終わったボス部屋で、何してるの?」
僕は一瞬だけ肩をすくめる。アルゴの声には、柔らかさの奥に確かな“気づき”があった。
「昨日の報告以外に――何か、あったの?」
疑問形。でもそれは、確信に満ちた追及だった。……誤魔化すのは、無意味だ。
「……昨日のボス戦で、僕が狙われたのは――たぶん、バグ……AIDAの影響を、ボスが受けてたんだと思う。」
「AIDA……!」
「だから、痕跡が残ってないか調査に来たつもりだった。でも、何もなかったよ。」
そう言いながら微笑もうとしたけれど、アルゴは僕の顔をじっと見つめたまま、ふいに一歩近づいた。
「大丈夫、大丈夫だよ。皆にはバレないように、データドレインも細かく分けて使って――。」
その言葉を、両頬を優しく包む両手が遮った。
「カイト。」
驚いて視線を合わせると、アルゴはまっすぐに、静かな声で言った。
「わたしが心配してるのは、“貴方自身”のことだよ。」
その声音には、怒りも呆れもない。ただ――ただ、深い心配が滲んでいた。
「ボス攻略中に、本来は考えなくていいことまで考えて、抱え込んで、休みもしないで、またこうして……独りで動いて。あんまり、自分を削るのはやめて。」
はっきりと目を合わせて伝えてくる彼女。その瞬間、胸の奥に張り詰めていたものが――ふっと、緩んだ。
視界がほんのりとにじむ。
一粒、ぽたりと涙が頬を伝う。
「あはは……思ってた以上に、きてたみたいだ。」
情けなく笑ってみせる僕に、アルゴは言葉ではなく抱擁で返した。
「……だったら、もっとわたしに寄りかかってよ。」
彼女の声が、すぐ耳元でささやかれる。
「戦闘は一緒にできないけど――一緒に悩むこと、考えること、ならできる。だから……頼って。怖くなっても、不安になっても、弱音を吐いても……わたし、絶対にカイトを失望なんてしないから。」
柔らかく、でも強く。アルゴの腕のぬくもりは、盾でも武器でもない。
けれど、いまの僕には――何よりも心強かった。
「……うん。ありがとう。」
ぎこちなく、でも確かに。僕は彼女の腕の中に、ほんの少しだけ身体を預けた。
敵わないな、本当に――この相棒には。
* * *
あの日、ボス戦を終えて帰ってきたカイトの顔。――わたしには、見逃せなかった。
また、何かを抱えてる。疲れの色、焦りの色、そして……ほんのわずかな迷い。
次の日。カイトが一人で、外に向かったのを見て――その背中を、何も言わずに追いかけた。ああいう時のカイトは、止めたところで無駄だ。なら、付き合うのが“相棒”ってもんでしょ?
結局彼は攻略済のボスの部屋まで訪れて、何かを確認していた。私は扉の前で彼を待ち、出てきたタイミングで声をかけて、そしてやっぱりね、という確信を得る。
昨日の戦いは、通常の範疇を超えていた。バグ。AIDA。……きっとそのすべてを、またひとりで背負い込んでいた。
わたしが目を見て「頼って」と言ったら――ようやく、カイトはわたしの肩に、ほんの少しだけ寄りかかってきた。
(まったく。世話の焼ける相棒だよ、ほんとに。)
だったら、やることは一つ。
わたしはギルドの拠点に戻ると、すぐにディアベルに連絡を入れた。
『カーくん、しばらく借りるゾ!』
ディアベルは「はは、またか」って顔で笑って快諾してくれた。……ありがとナ、相棒その2。
実際、カイトと二人っきりで行動するのは今に始まったことじゃない。βテストの頃から、何度も、何層も、ふたりで歩いてきた。だから今さら誰にも変に思われない。
それに――何よりも今のカイトにとっては、大勢でいるより、二人の方が気を張らずに済むはず。なら、わたしが連れ回してあげる。
情報屋の仕事なんて、調査も聞き込みも歩き回ることが多いし、次から次へとタスクがある。考えごとなんてする暇、なくなるくらいにね。
貴方が無理して笑うのも、孤独に震えるのも、わたしは見たくない。
カイト――貴方は、悩んでいい。迷ってもいい。英雄だの、リーダーだの、そんな看板は一旦置いて。
わたしの前では、ただの“人”でいていいんだよ。……大丈夫。わたしが支えるから。
間幕って感じです。
以前にも書いた通り、カイトが弱るのには一応理由はありますが、それは今後のお楽しみ、というところで。
アルゴとの関係についても、今後のお楽しみ、というところ。
まぁでも朴念仁ですからね、彼。