翌日、第四十七層――『思い出の丘』。
昨日渡した装備を身に纏ったシリカが、僕の隣を歩いていた。
赤を基調としたダガー用の軽装。かつて僕が使っていたものだけど、女性用モデルに変わるとシルエットが柔らかくなり、彼女の雰囲気によく似合っている。
「すごい……。」
思わず零れたシリカの声に、僕も目を細めた。
丘の斜面一面に咲き誇る花々。
柔らかな風が吹くたび、白や黄色、薄桃色の花びらが波のように揺れ――まるで夢の中に迷い込んだような景色が広がっている。
「良い場所でしょ。景色も穏やかで、空気も澄んでる。」
「はい……。こんな場所があるなんて……。」
少し緊張の残っていた彼女の表情が、ようやくほぐれていく。
「他にも、こういう名所は結構あるよ。今度また案内するね。」
「本当ですか!? ……楽しみにしてます!」
僕達は、花の丘を登りながら頂上を目指した。
「きゃああああああっ!?カイトさぁぁぁん!!見ないで助けてぇぇぇ!!」
「いや、見ないってば!でもそれ弱モンスターだから!自分で倒して!」
丘の道中で現れた植物系モンスター――某配管工のゲームでお馴染みの敵に酷似した“何か”――が、ツルを伸ばしてシリカの足を絡め取り、逆さに吊り上げていた。
当然、スカート姿でぶら下がれば……その、まぁ、色々と大変なわけで。
僕は「見てません!」というアピールとして首を90度逸らしつつ、腰に手を当てながら、しっかりと彼女のHPバーだけを確認していた。
「うぅ……気持ち悪いぃぃ……!」
「大丈夫。これくらいの敵、君ならやれる。」
「……っ、やぁっ! 喰らえ――《スラッシュ・ウィップ》!」
シリカのダガースキルが閃き、ツルを一刀両断。
ぶん、と音を立てて彼女の身体が解放されると、モンスターは情けない電子音を響かせて倒れていった。
「……見ました?」
「見てないって。本当に。」
苦笑交じりに首を振ると、シリカは顔を真っ赤にしながらも、どこか安堵したように小さく笑った。
そんな軽いやり取りを交えつつ、僕は以前彼女に教えた基本動作の復習と、新しい応用技術のレクチャーを挟みながら――
ふたりで、『思い出の丘』の頂上を目指して歩を進めていった。
『思い出の丘』頂上。
道中の戦闘で少しずつ腕前を上げていったシリカの姿を横目に、僕は胸の奥で小さな安堵を覚えていた。
「ここも……すごく綺麗……。」
シリカが息を呑む。
そこに広がっていたのは、色とりどりの花々が一面に咲き乱れる光景。
柔らかな風が吹くたび、白や黄色、薄桃色の花びらが舞い上がり、視界を幻想的に染めていく。
丘の中央――静かに咲く、ただ一輪の白い花。
「これが……『プネウマの花』?」
シリカはおそるおそる花に手を伸ばす。僕は背中を押すように、静かに声をかけた。
「シリカなら大丈夫。行こう。」
振り返った彼女が小さく頷き、緊張しながらも花に手を添える。
瞬間、システムメッセージが浮かび上がった。
――【アイテム獲得:プネウマの花】
「……!と、取れました……!」
喜びに頬を綻ばせるシリカ。その表情に、僕も自然と笑みを浮かべる。
「ここはまだモンスターも出る。蘇生は、街に戻ってからにしよう。」
「……はい!」
逸る気持ちを抑えるように、彼女は力強く頷いた。
ピナの蘇生は何より大切だが、安全を確保してからでなければ意味がない。
僕達が丘を降り始めて――街まで、あと少し。
そんな時、索敵スキルに微かな反応が引っかかる。
「……止まって。」
「え……?」
戸惑うシリカの前に手を出して制すると、静かな声で問いかけた。
「――僕達に、何か用かな?」
その言葉に応えるように、木陰から一人の女性が姿を現す。
赤毛の槍使い――ロザリア。
「……ロザリアさん!?」
シリカが驚愕の声を上げる。ロザリアは肩をすくめ、唇の端を吊り上げて笑った。
「へぇ……私のハイドを見破るなんて。索敵スキル、相当上げているみたいね?」
挑発する声音に、僕は静かに視線を落とす。
(やっぱり……願わくば違っていてほしかったけど、現実はそう甘くないか。)
「その様子だと、『プネウマの花』はちゃんと手に入ったみたいね。……なら、その花を渡してもらおうかしら。」
「な、なに言ってるんですか!?渡せるわけ――!」
シリカが動揺しながら声を上げた。だが、ロザリアは鼻で笑い、指を軽く鳴らす。
「お願いしてるわけじゃないのよ。」
周囲の木陰から、複数のオレンジカーソルのプレイヤーがにじみ出るように姿を現す。
「なんでオレンジの……っ!」
シリカが怯えたように僕の腕を掴む。その手をしっかりと握り返し、ロザリア達をまっすぐに見据えた。
「……貴方たちの手口は知っているよ。≪タイタンズハンド≫。」
僕の言葉に、ロザリアは、最初は首を傾げたもののすぐに薄く唇を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「……へぇ?」
静かな口調で続ける。
「あなたはグリーンの状態でパーティーに入り込み、戦力や行動パターンを探る。そのあと仲間を呼んで待ち伏せ、まとめて狩る……違うかな?」
「……!」
隣のシリカが驚きに息を呑む。
信じられない、と震える視線がロザリアへと向けられた。
「そんな……。ロザリアさん……じゃあ、二週間もパーティーにいたのって、最初から……!」
しかしロザリアは悪びれることなく肩をすくめた。
「そこまで気づいていながら、その子に付き合ってたわけ? 馬鹿みたい。その子に、そこまで入れ込んでるの?」
僕は目を細め、ゆっくりとダガーに手をかけた。
「ロザリアさん――いや、《タイタンズハンド》のリーダー、ロザリア。」
その一言に、ロザリアの表情が一瞬鋭さを帯びる。
「……何よ。」
「最初から君達に用があったのは、僕の方なんだ。」
「はぁ? 何言ってんの?」
訝しむように眉をひそめるロザリア。その視線から目を逸らさず、僕ははっきりと言葉を紡ぐ。
「少し前に≪シルバーフラグス≫ってギルドを襲ったよね?」
「ああ、あの湿気てた連中ね。」
彼女は興味なさそうに指で髪先を弄っていた。その態度、言葉に僕は目付きが鋭くなった気がしたけど淡々と続けた。
「最前線の広場で、そこのリーダーが土下座して懇願していた。――“タイタンズハンドに殺された仲間の仇を討ってくれ”って。」
ロザリアの顔は”だからどうした”と言わんばかりの表情が滲んでいる。
「……。」
「でも彼は、“君たちを殺してほしい”なんて一言も言わなかった。ただ、“牢獄に送ってほしい”――そう願ったんだ。」
一瞬の沈黙。
次いで、ロザリアは鼻で笑い、嘲笑混じりの声を放った。
「あんた、本気でそんな戯言を信じて動いてるわけ? 馬鹿じゃないの。このゲームで人を殺したって、現実で死ぬ証拠なんてどこにもないのにさ。」
僕の中で、何かが静かに切り替わった。
自分でいうのもなんだけど、普段の僕は、人前で激昂したり、怒りを露わにすることなんてほとんどない。
そう思っていた。
けれど。
胸の奥底で、はっきりとした熱が立ち上る。
静かに、しかし確実に、怒りが形を持ち始めていた。
一歩踏み出し、視線をさらに鋭くしてロザリアたちを睨みつける。
「カイトさんっ!?」
背後でシリカが驚きの声を上げる。
けどそれ以上に動揺を見せたのは、ロザリアの後ろに控えるオレンジプレイヤー達。
彼らの一人が僕を指差し、叫ぶ。
「カイト……!?ベレー帽に、オレンジ基調の装備……ダガー2本!? ロザリアさん!あいつ、『黄昏の騎士団』のギルマス、カイトだ!!」
ざわめきが広がる。けれどロザリアは動じるどころか、唇を吊り上げて嗤う。
「……だから何よ?」
彼女は肩をすくめ、背後の仲間を冷ややかに一瞥する。
「確かに最前線のプレイヤーでしょうね。でも所詮は一人。数で勝ってる私達が負ける理由なんてないでしょう?」
さらに声を張り上げる。
「むしろ幸運だと思いなさい!最前線プレイヤーのレア装備、好きなだけ奪えるチャンスよ!震えてる暇があったらかかりなさい!」
その言葉で、オレンジ達は覚悟を決めたように武器を構え直した。
……やっぱり、話にならないか。
僕はダガーを2本抜き放ち、逆手に構える。
「……後悔しても、もう遅いから。」
「なにィ!?」
突っ込んできた1人目の攻撃を身を捻って躱し、腹に強烈な蹴りを叩き込む。体術スキルの加速が乗った一撃で、男は数メートル吹き飛び、地面に転がった。
「ぐはぁッ!?」
「このっ――!」
別のプレイヤーが武器を振り下ろす。僕は逆手のダガーでその刃を弾いた。
シャリィンッ!
瞬間、相手の武器が光の粒子となって砕け散る。
「な、なん!?」
呆然とする間に、僕は畳みかける。
間合いを詰め、ダガーで刃をはじき、拳と蹴りで急所を叩く。武器は次々に砕け、男達は呻き声を上げながら地に崩れ落ちた。
「ば、化け物か……!?」「嘘だろ、数で圧倒してるのに……!」
時間にしたらわずか数十秒程度。取り囲んでいたオレンジプレイヤー達は膝をつき、腰を抜かし、戦意を失った。僕と彼らのレベル差を考えれば当然だろう。
「……情けないわね!」
ロザリアが顔を歪め、怒声を飛ばす。
その瞬間――
シャキンッ!
ロザリアの首筋の左右に、2本の剣が交差した。
「――ッ!?」
驚愕する彼女の背後から姿を現したのは、キリトとディアベル、そしてアルゴ。
「相手をしてもらえただけ、感謝するんだな。」
キリトの声は冷ややかだ。
「ふざけるんじゃないわよッ!」
ロザリアが叫ぶ。それにディアベルは首を振った。
「カイトの現在レベルは89。HPは18200。バトルヒーリングで毎秒約820回復する。」
「……なっ!?」
ロザリアの顔が引きつる。
「見たところ……お前達のレベルや装備じゃ、カイトが無抵抗でも、一生カイトに傷一つ付けられないだろうな。何より――プレイヤースキルの差が、絶望的すぎる。」
冷徹な宣告に、しかしロザリアは諦め悪く声を上げた。
「グリーンである私を攻撃したらあんた達だって…!」
「その時はソロである俺がオレンジになるさ。数日間オレンジなったところで痛くもないからな。」
「……チッ。」
キリトの剣に力が入り、ロザリアは強張ったように両手を上げ、武器を手放す。それを見たほかのメンバー達も習うように両手を上げていった。
全員が完全に戦意を喪失し、ただ立ち尽くしているだけのを確認するように視線を走らせたあと、振り返りシリカに声をかける。
「怖がらせてごめんね。もう大丈夫だから。」
安堵を与えるつもりでそう告げた、その直後――。
「なっ!?」
ロザリアの肩に鋭いスローイングナイフが突き刺さった。
突然の事態に全員が硬直する。ナイフの飛んできた方向を見ると――拍手をしながら歩み出る、一人の男。
漆黒のポンチョ。フードで顔を半分以上隠しているけど、その口元に浮かんでいる狂気を僕は忘れていない。
その姿を見た瞬間、背筋に氷のような冷たさが走った。
(……PoH……ッ!!)
僕がSAOで最初に遭遇したPK。
現在、SAO最凶の殺人ギルド《ラフィン・コフィン》のリーダー。
「Yo――最前線の英雄サマ。なかなか愉快なショーを見せてくれたじゃねぇか?」
PoHは楽しげに両手を広げる。
「で、俺も牢獄送りにしてくれるのかよ?」
冗談めかす声。けれど、視線は冷酷そのもの。僕は無意識にシリカを庇うように前へ出た。
――けど、PoHの興味は僕達じゃなかった。
「……しまったッ!」
彼の狙いは、ロザリア達。
麻痺毒で倒れ込むロザリアに近づき、PoHは腰の包丁を抜く。その刃をためらいなく振り上げ――。
「させるかぁッ!!」
僕は咄嗟に踏み込み、ダガーでその刃を弾き返す。
ギィィィン――ッ!!
甲高い金属音。火花が散り、PoHの眉がわずかに動いた。
「……はぁ?」
「何のつもりだ……PoHッ!!」
怒気を込めて睨むと、彼はニヤリと口角を吊り上げる。
「おいおい、カイト。そいつらは守る必要なんてねぇだろ? 悪人には違いねぇんだぜ?」
ギリギリ……刃と刃が軋む音が響く。だけど僕は、真っ向から否定する。
「だからって――お前に好き勝手やらせる気はない!ロザリア達は確かに罪を犯した。でも“お前に”裁かせる気はないんだ!!」
「……チッ、相変わらずクソ真面目でつまらねぇ理由だなぁ。」
PoHは舌打ちし、強烈な力で僕を押し返す。
「くっ……!」
後退する僕の前に、キリトとディアベルが並び立ち、アルゴがシリカの元へ駆け寄った。
その光景を見て、PoHは愉快そうに肩をすくめた。
「やれやれ……さすがは『勇者サマ』ってとこか?」
――すぐに、その笑みはすぐに狂気へと変わる。
「いや……正しくは――。」
彼の目が、僕を射抜いた。
「《.hackers》の“蒼炎のカイト”サマ、だろ?」
怒るカイトを書きたくて、キリトには出番を譲ってもらいました。
あとロザリアの首に剣がクロスしてる姿が想像できたので。
そしてPoHの登場。彼は何故カイトについて知っているのか・・・!