PoHの姿が光の中へと消えた、その瞬間――
「……カイト!?」
彼の身体がガクンと崩れ落ち、私は慌てて駆け寄り、その身を抱き留めた。
顔は青白く、瞳の焦点も合っていない。
息は浅く、まるで魂が抜けかけているかのようで――胸が凍りつく。
「……っ、カイト……!」
動揺しかけた、その時。
――――空から、光が降ってきた。
それは神聖なほど静かで、温かく、そして――どこか懐かしい輝きだった。その光が、カイトの右腕へとそっと触れる。
「……無茶をしたわね、カイト。」
澄んだ声が響く。姿を現したのは――《アウラ》。
白銀の衣を纏った彼女は、カイトの頭に触れる。
すると彼の呼吸が次第に整い、虚ろだった瞳にも光が戻っていく。
「アウ……ラ……。」
カイトがかすれた声で、その名を呼ぶ。
「まったく……あなたという人は……。」
アウラは静かにため息をつきながら、彼の顔を見つめ続けていた。
「カイト……前にも言った通り、あなたの“腕輪”は《The World》で設計されたものを完全に再現している。」
カイトの瞳が揺れる。明らかに叱るような言い方。
「でも……あなた自身の“身体”は、そうじゃない。」
「……!」
その言葉に、思わず私は息を呑んだ。
「確かに、腕輪の加護は強力よ。けれど――それにも“限度”があるわ。」
その心配そうに言うアウラの表情は、すごく……“人間的”に見えた。
「《The World》では、腕輪に合わせてあなたの“PCボディ”も調整していた。けれど今は違う。
ここは、リアルのあなた自身の肉体と精神。データドレインを使うたびに――その負荷は、すべてあなたに返ってくる――そう伝えたつもりだったのだけど。」
「はい……。」
アウラは静かに、そして確かに頷いた。
「今は……ぎりぎりで踏みとどまっているけれど、次は……どうなるかわからない。」
その声には、AIという枠を超えた“温度”が宿っていた。
「あなたは……無理をしすぎる。誰かを守ろうとして……自分のことは後回し。」
彼女の瞳が揺れる。ほんの一瞬、涙のようなものが浮かんだ気がした。
「だからこそ……ちゃんと“今”を考えて。あなたが“あなた”であり続けるために――。」
カイトは静かに、彼女を見つめ返す。
「わかってる。でも、僕は誰かに強制されてるわけじゃくて……。」
「ええ、そうね。きっと……あなたはそう言うと思ったわ。」
アウラは少し困ったように、けれどどこか誇らしげに微笑んだ。
「……本当に、あなたという人は……どうして、そんなに。」
そこで言葉を切り、彼女はふと私たちの方へと視線を向ける。
「……彼を支えてくれている皆さん。本当にありがとう。」
そして、少しだけ寂しそうに笑いながら続けた。
「頑張れちゃう人でよく突っ走る人なの。昔から。」
その言葉に、私達は思わず顔を見合わせる。
そして――。
「「「知ってる。」」」
全員が声を揃えて頷いた。
アウラは、全員の反応に小さく微笑みを浮かべ、静かに続けた。
「……先ほどのプレイヤー、“PoH”についてだけど――。」
その名が出た瞬間、全員の顔に緊張が走る。
「彼は本来……あれほどのAIDAの影響を受けている以上、自我を保てるはずがないの。」
「……アイツ、まるで楽しんでるみたいだった……。」
キリトが忌々しげに呟く。アウラは重く頷いた。
「ええ。だから――彼は“異常”なの。」
その声音は淡々としているのに、背筋に冷たいものが走る。
「強い願望を持った者ほど、AIDAに飲み込まれて自我を失う……それが本来の流れ。けれど彼は、その願望に呑まれることなく、制御している。そして、それはこれまででは考えられない危険性を孕んでいる。」
「……どういうことだ?」
エギルが腕を組んで尋ねる。アウラは一拍置き、慎重に言葉を選ぶようにして告げた。
「端的に言えば――“PoHはAIDAそのものに近づきつつある存在”。もはや彼自身が、一種の“AIDAの塊”と化しているのよ。」
「AIDAの塊……?」
思わず私が繰り返すと、アウラは肯定するように頷いた。
「反面、プラスの事もあるわ。……彼がAIDAを“吸収”し続けている影響で、世界全体への“バグの拡散”が抑えられている。」
「なに……?」
「……PoHがいることで、バグモンスターの発生が“減ってる”ってことかよ!?」
クラインの声が上ずる。
「ええ。皮肉なことだけど、彼はAIDAを集める“障壁”として機能しているの。」
PoHがAIDAを吸収することで、世界の崩壊を遅らせている。しかし同時に、それは彼自身を異常なまでに強化する行為でもあった。
「……つまり、PoHを倒せば――バグモンスターがまた増える可能性がある……?」
ディアベルの低い声が、重く空気を揺らす。
アウラは静かに頷いた。
「可能性はあるわ。けれど、このまま放置すれば……彼はやがて“システムの外側”の存在にまで至るでしょう。」
「“管理者ですら手が出せない存在”になる……ってこと……?」
アスナが、思わず息を呑んで言った。
「その通り。今の彼は、“理の外”に手をかけている。PoHが完全に境界を越えてしまえば……この世界そのものが崩壊する可能性すらある。ただ、今のところPoHについては茅場晶彦も静観している。」
沈黙が、私達全員を包んだ。
耳鳴りがするほどの重圧。誰も口を開けない。
そんな中で――カイトが、拳をぎゅっと握りしめた。
「……奴は……絶対に、止める。」
その声は小さかった。
けれど、誰よりも強く、揺るぎなく響いた。
止めなければならない。けれど、今止めれば別の問題が始まる。
矛盾、葛藤、ジレンマ。
私達は誰もが言葉を失い――ただそれぞれの中で、その“重さ”を噛み締めていた。
アウラは少し沈黙を置いたあと、話題を切り替えるように口を開いた。
「……この街のことと、“茅場晶彦”についても話しておかないとね。」
張りつめていた空気を気遣ってのことだろう。彼女は淡々と、けれど柔らかな言葉で続ける。
「“安全圏の崩壊”については……彼も対処しようとしているわ。だけど、“カーディナルシステム”の変化速度の方が、それを上回っている。」
「……カーディナルは、何を根拠にそこまでの改変を行ってるんだ?」
キリトが真剣な目で問う。アウラは一拍おいてから静かに言った。
「“完全な現実の再現”――それが、カーディナルの目的。だからこそ、安全圏のような『ゲームならではの救済措置』は、“矛盾”と判断されたの。」
「つまり……この世界は、ゲームじゃなくなっていく……?」
アスナの言葉に、私も思わず息を呑む。アウラは無言で頷いた。
「“現実”と同じ……いいえ、“現実らしく”あろうとしているの。カーディナルの変革は、ゆっくりだけど、確実に進んでいる。」
「……それを止める方法は……?」
誰ともなく漏れた問い。
キリトだったか、エギルだったか――あるいは私自身だったのかもしれない。
アウラは目を伏せ、そして告げた。
「……今のところ、“ない”。」
その言葉は冷たい真実となって、私達の胸に突き刺さる。
「……ただ。」
「……ただ?」
私たち全員が一斉に顔を上げる。
アウラは、まっすぐにカイトを見つめた。
「“あなた”なら……もしかしたら、どうにかできるかもしれない。」
「……え?」
「あなたの“データドレイン”は、単なる能力じゃない。この世界の構造そのものに干渉できる、極めて特異な力。だから……。」
「強い力...使う人の気持ち一つで、救い。滅び。どちらにでもなる。すべては“使う人”次第、だったよね。」
カイトが呟く。アウラは薄く笑いながら頷いた。
彼はゆっくりと深呼吸をして――その瞳に、決意の光を宿す。
「……僕は、やるよ。最後まで、必ず。」
思わず、私はその名前を呼んでいた。
「カイト……。」
心配で、胸がぎゅっと締めつけられる。
けれど彼は、こちらを向いて優しく笑った。
「大丈夫。もちろん……“みんなと一緒に”やるから。だから、平気だよ。」
その笑顔は、少しだけ頼りない。
でも――どこまでも真っ直ぐで、あたたかかった。
アウラもその言葉を聞き、柔らかな表情を浮かべる。
「そう……それなら、大丈夫ね。」
そう言って、彼女は私達から数歩下がった。
「気をつけて。私にできる手助けは限られている。それでも――いつも、あなたたちを見守っているから。」
光に包まれながら、アウラは静かに消えていった。
この世界のどこかで、彼女は今も私達を見ている。
それは――不安に満ちた未来を歩く私達の胸に、確かに灯った小さな灯火だった。
アウラの姿が光に溶けて消えていった後――私達はしばし呆然と、その場に立ち尽くしていた。
その空気を断ち切るように、カイトが立ち上がり、低く言葉を落とす。
「……じゃあ、街の件。整理しよう。」
その声で、皆がようやく現実に引き戻され、動き始めた。
第五十層で起きた“安全圏の崩壊”。
まずは《黄昏の騎士団》としての対応方針を決める。
結論はシンプルだった。
――街に迫るモンスターは、これまでのように無視はせず、見つけ次第、即座に討伐すること。
「街が壊されるかもしれねぇって話なら、黙ってるわけにいかねーな。」「だな。俺たちで止めなきゃ、誰がやるってんだ。」
全員の声に、重苦しい空気の中でも確かな決意が宿る。
さらに全プレイヤーに向けた注意喚起も含め、翌日までに告知をまとめることを決め、その場は一旦解散となった。
「う……っ。」
ギルドホームに戻った途端――カイトが、もつれるように膝をついた。
「カイト!?」
すぐにディアベルが駆け寄り、肩を貸してその身体を支える。
「……大丈夫。」
そう言い張るが、顔色は青白く、額には冷や汗。
アウラが言っていた“負荷”という言葉が、胸をよぎる。
ディアベルはそんなカイトを見て、苦笑まじりに呟いた。
「無理しすぎだ、お前は。」
そして――ギルドのサブマスターとして、長であるカイトに苦言を突きつける。
「今日から、お前は強制休暇。異議は認めない。」
「え……いや、でも……。」
「――ダメだ。さっきの戦いを見てた皆が、きっと全員そう思ってる。今は、“俺達”が動く番だ」
さすがのカイトも、それ以上は抗えなかった。渋々と頷き、ディアベルに付き添われて自室へと向かう。
そして――寝台に体を預けるや否や、あっという間に寝息を立て始めた。
「……ったく。しょうがないな。」
ディアベルは呆れ半分、安心半分といった顔でその寝顔を見下ろし、そっとため息をつく。
私もそばに腰を下ろし、あどけない寝顔を見つめて呟いた。
「いつもはあんなに頼れるのに……こんな顔もするんだね。」
「……アルゴ、後は任せた。」
ディアベルがふと私を見た。
「お前がそばにいれば、こいつも安心して休めるだろ。」
「リョーカイ。」
肩をすくめながらも、真剣なまなざしでその言葉を受け止める。
……だが、ディアベルはそこで言葉を切らなかった。
「……それと、ちょっと気になることがある。」
彼の声が、わずかに低くなる。
「データドレインで初期化したっていうけどさ……AIDAの“中身”、つまり“電子生命体そのもの”って、本当に消えてるのか?」
「っ……。」
息が止まった気がした。
「カイトの睡眠障害や、時折見せるネガティブな落ち込み――もしそれが、“AIDAの残滓”による影響だとしたら……。」
「……むしろ、“あれだけで済んでる”のが奇跡、かもしれないってこと……?」
私も無意識に表情を引き締めていた。
「……うん。もう少しカイトのこと気に掛けるわ。」
その返事を聞いたディアベルは、ふっと口角を上げる。
「君が“素の声”で話すの、初めて見た気がするな。」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出た。自分がロールしてないことに今気が付いた。
「それだけ想われてるってのは――カイトも、幸せ者だな。」
ぽつりと呟くと、ディアベルは再び真面目な顔に戻る。
「悪いが、今夜の情報整理と告知文、頼んでもいいか?」
「ちょ、ちょっと待て……ンン、ごほんッ!」
慌ててロールプレイモードに切り替えた私は、咳払いしてから言い直す。
「了解ダ!文章はオレっちがまとめておく。明日、告知スル!」
「頼んだぞ、情報屋。」
そう言い残し、ディアベルは部屋を出ていった。
ディアベルは最後に、少しだけからかうような口調で言い残し、わざとらしい笑みを浮かべながら部屋を後にした。
……カイトの前では、私はもう“情報屋アルゴ”としてのロールプレイをしていない。
だから、あんなことを言われても仕方ないんだけど――改めて口にされると、やっぱり……ちょっとだけ照れる。
(……まったく、からかい上手なんだから。)
そう思いつつ、私は寝台のそばへ戻る。
彼の寝顔は、いつになく穏やかだった。
その表情に安堵しながらも、胸の奥にはどうしようもない不安が押し寄せてくる。
今回の一件で、ほんの少しでも――彼の心が軽くなれば、それだけで十分だった。
けれど、きっとまた次も、“ここ一番”の時には、彼が最前に立たなきゃならないんだ。
――そして、皆も、それを“当然”のように望んでしまう。
それが、悔しかった。
悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
私は、彼の力になりたい。支えになりたい。彼に、頼られたい。
……こんなにも、想っているのに。
ディアベルは「お前がいれば」なんて言ってくれたけれど――
本当に、私に何ができているっていうの?
結局、私は“カイトの隣”を、まだ並んで歩けていない。
そんな弱さを噛みしめながら、私は彼の頬にそっと手を伸ばした。
その瞬間――
カイトの右手が、眠ったまま、私の手をゆっくりと握り返してきた。
「……カイト……?」
思わず名前を呼んだけれど、返事はなかった。
けれど、その手の温もりと、わずかに安らぎを増した寝顔に、私は言葉を失った。
……こんなことで、彼が少しでも休まるなら。
だったら、いくらでも。
私は、彼にできることは全部すると決めた。そう、あの夜に――。
だから今も、彼の手を握ったまま、もう片方の手でそっと彼の髪に触れる。
「……大丈夫。大丈夫だよ。わたしは、ここにいるからね。」
小さく、小さく囁いた。
「絶対に、独りになんてしないから――。」
この想いは、きっと届いていると信じて。
この手の温もりが、少しでも彼を支えていられるのなら――私はそれだけで、十分だから。
カイト以外からの視点でのお話でした。
意外としっかりと心配されてるし、見ても居る周囲、というところです。