.hack// Vol.SAO   作:imuka

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第三十三話

 

 

 体制を整えたと言うのに、その日以降の襲撃は起きなかった。

 それから一週間。アインクラッドを包んでいたのは、不気味なほどの静けさだった。

 防衛網はスムーズに整い、各層の警戒体制も維持されている。

 

 PoHにとっては、これだけ強固になった状態は下手に動けば包囲されるリスクがある。彼の今までの行動を見ればリスクは負わない性分のはず。

 

 (けど……)

 

 そもそもこれほどの大規模な事件を起こしたこと自体がPoHの今までの行動とは逸脱している気がしている。それに、これまで「自らの手で直接殺す」という目撃例もない気も……。

 

 (……何かに焦ってる?)

 

 胸の奥で燻る違和感。その正体を掴めずにいると――

 

 ギルドホームの扉が勢いよく開かれた。

 

 「――カイトさん!!大変ですッ!!PoHのやつが……!!」

 

 駆け込んできた偵察係の青年が、荒い息を整えながら叫ぶ。

 

 「PoHのヤツが……“始まりの街”のプレイヤーを人質に取って、フィールドを占拠しました!!要求は……“カイトさんだけで来い”って……!」

 

 その場が凍りついた。僕も思わず立ち上がる。

 

 「始まりの街……!?」

 

 クラインが青ざめた顔で呻く。

 

 「いや、でも……あそこは襲撃されてない《安全圏》のはずだろ!?」

 

 「……プレイヤーたちが、気を緩めて街の外に出ていたらしい。事件後もずっと何も起きなかったからって、気分転換にフィールドへ……。」

 

 誰かの説明に、空気が一気に沈んだ。

 後からやってきたキバオウが、歯を食いしばりながら頭を下げる。

 

 「……すまん、カイト……ワイらが、もうちょい気を張ってたら……!」

 

 「キバオウ、顔を上げて。」

 

 僕はゆっくりと首を振った。

 

 「これはPoHが――“焦ってる”証拠でもある。体制が整った今、奴は時間をかければ追い詰められる立場になった。だからこそ、人質という形で僕を引きずり出したんだ。」

 

 そして、それは明確に“僕”を狙った行動。

 

 「他の目的がある可能性もあるけど……僕との決着を望んでるはず。」

 

 僕の言葉に、仲間達が不安げに視線を交わす。

 

 (……分かってる。行くのは危険すぎる選択だ)

 

 それでも――僕は、行かなきゃならない。

 

 「皆が心配するのは当然だよ。でも、今は一人でも多くの人を守ることが先決なんだ。……僕がいない間に、何か仕掛けてくる可能性もある。だから――。」

 

 意識的に、いつもの調子で皆を見渡す。

 

 「他のギルドとも連携を取って、警戒は続けてほしい。防衛網は絶対に緩めないで。……僕は、ちゃんと帰ってくるから。」

 

 一人ひとりの顔を順番に見る。

 

 ディアベルが力強く頷き――そしてアルゴ。

 

 揺れる瞳。それでも静かに頷いてみせた。

 

 僕はそれを確認し、扉に手をかける。

 

 「……あとは、頼んだよ。」

 

 振り返りざまに、強く言葉を残す。

 

 「行ってきます!」

 

 そう宣言すると同時に、迷いなく駆け出した。

 PoHが待つ、“始まりの街”の先へ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”始まりの街”の外――そのフィールドを支配していたのは、不気味なほどの静寂だった。

 

 その中心に立っていたのは、数十人のプレイヤーを人質に取った男――PoH。

 僕の姿を認めると、彼は淡々と人質を見下ろしていた顔をゆっくりと持ち上げ、ぞっとするほど緩慢に口角を上げた。

 

 「――よぉ、カイト。やっと来たか。」

 

 まるで旧友にでも声をかけるような、呆れるほど軽い口調。

 

 「PoH……彼らを、解放しろ。」

 

 自分でも驚くほど、声が荒れていた。

 怒りか、焦りか、それとも――言葉にできない感情が、胸の奥で渦を巻いている。

 

 僕の言葉に対してPoHは軽く肩をすくめ、片手をひらひらと振る。

 

 「ああ、いいぜ。最初からそのつもりだったしな。」

 

 その言葉とともに、人質達は拘束を解かれた。

 けど――

 

 「……ッ!?」

 

 彼らの瞳に焦点はなく、虚ろな口からは意味を成さない囁きが漏れる。次の瞬間、彼らは一斉に狂ったように僕へ駆け出してきた。

 

 「まさか……AIDAを……!」

 

 叫んだ僕に、PoHは両腕を大きく広げ、舞台俳優のように誇張した動きで告げる。

 

 「――イッツ・ショー・タイム!!」

 

 その瞬間、狂気の幕が上がった。

 

 

 

 押し寄せる人波。けど、これは“戦闘”じゃない。

 彼らは本来なら守られるべき被害者だ。攻撃はできない。レベル差を考えれば、たとえ一撃でも致命傷になる。

 

 「PoH……っ!」

 

 拳を握りしめた瞬間、全身を黒い感覚が蝕んだ。

 AIDA――数人、いや十数人分のAIDAが、人質を媒介に僕へと干渉してくる。

 

 黒い靄のような衝動、恐怖、怒り、混乱――そのすべてが心の奥へ流れ込み、僕を侵食しようとしていた。

 

 「これが……狙いか……!」

 

 苦痛に顔を歪める僕を、PoHの嘲笑が塗りつぶす。

 

 「どうした、カイトァ!!守るだの優しさだの――そんなもんで何が救えんだよォ!!」

 

 声はどこか遠く、けれど脳髄に直接突き刺さる。

 

 「殺せ!その手で!一人残らず!お前に逆らったやつは皆、敵だ!!その聖人ヅラを剥がして、感情のままに暴れろ!!さもねぇと……AIDAに喰われて、終わりだぜぇ?」

 

 彼の狂った声と、僕の心の奥で蠢く黒い本能が、共鳴する。

 

 (――だめだ。これは……)

 

 足が震える。視界が揺れる。意識が、黒に沈もうとしていた。

 優しさが、無力に思えてしまう。

 

 

 

 でも――

 

 (……違う。僕は――こんなところで、屈するわけにはいかない!)

 

 僕の中で渦巻く感情は、決して“黒”ばかりじゃない。

 

 ――《ラフィン・コフィン》討伐戦で、自らの手で命を奪ってしまったこと。

 その重さはいまも胸の奥に沈殿している。けど、それだけじゃない。

 

 あの出来事は僕に様々なことを気づかせるきっかけだった。

 皆との繋がり。想い。これまでの歩み。

 

 AIDAは感情に反応する。

 なら――僕は心に“光”を灯す。

 信じてくれる仲間達の姿を。

 傍にいてくれたアルゴの手のぬくもりを。

 

 (負けられない。負けるわけにはいかない――!)

 

 よろめいた脚を、地面へと強く踏みしめる。

 PoHを正面から睨み据えた僕を見て、奴は舌打ち混じりに忌々しげな表情を浮かべた。

 

 「チッ……思ったよりしぶといな。」

 

 まるで僕を試すように、PoHが感染者の一人へ腕を伸ばした。

 咄嗟にその腕を弾き落とした僕に、PoHはわざとらしく口角を吊り上げる。

 

 「お前が殺せねぇなら、俺が代わりに殺してやるよ。……死に際を見りゃあ、さすがの“聖人さま”も冷静でいられねぇだろ?」

 

 「……そんなこと、させない。」

 

 静かに返すと、PoHは両手を広げて芝居がかった声を響かせた。

 

 「なんだ? “聖人君子”にでもなったつもりか?」

 

 「――今日は随分と芝居がかってるね、PoH。……要するに、AIDAを“活性化”させたいだけなんだろ?」

 

 その一言で、奴の目がわずかに鋭く光る。

 だが、次の瞬間には愉悦に満ちた笑みを浮かべ、手を打って笑い出した。

 

 「さすが勇者カイトさまだ。正解だよ。」

 

 狂気を孕んだ笑顔のまま、奴は饒舌に語り出す。

 

 「街への襲撃も、今回のこれも――全部、AIDAを成長させるための舞台装置だ。だが……どっかの誰かさんが防衛体制なんか整えちまったせいで、プレイヤーどもはちっとも動じなくなった。」

 

 肩をすくめながらも、瞳は異様に輝いていた。

 

 「安全圏が壊れる恐怖ってのは、感情を揺さぶる最高の燃料だったんだがなぁ……。仕方なく次の一手に出たわけよ。“プレイヤー自身”を使うってな。」

 

 感染者を捌きながら聞く僕に、PoHは狂気じみた指先を突きつけてきた。

 

 「けど、それすら簡単にはいかねぇ。ギルド同士で固まり、仲間意識だの信頼だの……くだらねぇもんを積み上げちまってる。だからよ――俺には“お前”が必要だったんだ。」

 

 「……僕が?」

 

 「そうさ。お前みてぇな“感情の耐性”を持つ異常なヤツが。」

 

 「……耐性?」

 

 「そう。AIDAは強い想念に引き寄せられる。だが普通のプレイヤーはキャパが小せぇ。少し揺らせばすぐパンクして、使い捨ての燃料にしかならねぇ。だが――お前は違う。」

 

 PoHは舌なめずりをするような声で告げた。

 

 「お前って“水槽”になら、AIDAって“水”をいくらでも注げる。溜め込んで、膨れ上がらせて、限界まで育て上げることができる。……そして最後に、それを“奪い取る”。」

 

 「……だから僕の中でAIDAが成長しても構わない、ってことか。」

 

 冷ややかに返した僕に、PoHは嬉々として頷いた。

 

 (――PoHの狙いは、僕という“器”を利用し、AIDAを最大限に進化させること)

 

 僕が普通のプレイヤーとは違うかは、僕自身にはわからない。

 強いて言えば、≪黄昏の腕輪≫によって、バグやAIDAを“視て・感じてる”ことができる程度。けれど確かに今の僕はAIDAに屈することなく、こうして正気を保てている。

 それにPoHは目をつけているんだ。

 

 (……けど、それを止めるには――)

 

 僕の周囲には、いまだ虚ろな目のプレイヤー達が取り囲んでいる。

 この状態でPoHと戦えば、彼らを巻き込み、命を奪ってしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 

 考えている暇はない

 PoHの言葉通り――僕の中のAIDAは、確実に“膨れ上がって”いく。いくら僕でもいつまでもコレを受け続けるわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 ひとつ、打開策が浮かんだ。

 この場を崩すために――感染者を巻き込まずに済ませるには。

 

 まずはAIDAに感染している彼らからAIDAを取り除けばいい。

 けれど……《データドレイン》を、他人に撃ったことはない。ハセヲ達はそれでAIDAの除去をしていたらしいけど、彼ら碑文使いと、僕の《データドレイン》が同じで、安全である保障はない。

 

 だったら――まずは試すべきだ。他人ではなく、自分で。

 

 これは、僕自身にも向けられる。

 

 覚悟を決め、右腕を掲げる。

 眩い光が走り、幾何学模様の“円環”が宙に浮かび上がった。

 

 

 そして――僕はその光を、自らの胸元へと突き立てる。

 

 「……おいおいカイト。AIDAにやられて頭バグったか?」

 

 PoHの声が、嗤うように響く。

 

 「――賭けだよ。」

 

 真っ直ぐに彼を見据え、静かに答える。

 

 「賭けるのは……僕自身の“全部”だ。」

 

 PoHの表情が微かに引きつった。

 

 (僕の中にあるAIDAを、この手で排除する。そしてその影響が他者に及ばないことを、自分で証明する)

 

 もし間違えば――ここで終わる。

 それでも。

 

 「いいぜ……見せてもらおうじゃねぇか!その命懸けの“賭け”の結末を――!」

 

 PoHが狂気じみた声で両腕を広げた。

 

 「――データドレイン!!」

 

 閃光が弾けた。

 青白い奔流が視界を埋め尽くし、僕の世界は――沈黙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは虚無だった。

 音も色もなく、輪郭すら存在しない空間。

 

 意識だけが浮遊し、思考は溶け出していく。

 

 (……ここは……?)

 

 そのとき。

 耳ではないどこかから――でも確かに届く声があった。

 

 『――自分自身にデータドレインなんて。ずいぶん無茶をするじゃない、カイト。』

 

 「……ヘルバ!!」

 

 姿は見えない。けれど、その声は間違いなく彼女のものだ。

 

 『まぁいいわ。そのおかげで、“こっち”から介入する余地ができた。』

 

 虚無の中に、ひとつの光が灯る。

 小さな輝き。けれど確かに、“存在”を証明する光。

 それが僕を前に留まり、僕はそれを包むように手に取る。

 

 『それは《Xthフォーム》――ハセヲやブラックローズ達が設計した装備。≪The World≫での貴方の恰好を基盤に、AIDAと戦えるよう調整した特別なモノよ。』

 

 (Xthフォーム……!)

 

 皆の名とその送りモノに、胸の奥が熱くなる。

 あの世界で共に戦った仲間達の記憶が、確かにここにも生きている。

 

 『ただし、できる限りの工夫をしただけ。絶対じゃない。どうせ――また無茶するんでしょうけど。』

 

 呆れを滲ませながらも、どこか優しい声。

 思わず笑みが漏れる。

 

 『ブラックローズが言ってたわよ。「アイツはどうせ突っ走るんだから、釘を刺しといて」って。』

 

 まるで本当に隣で頭を小突かれたようで、苦笑いを浮かべてしまう。

 

 (僕は独りじゃない。仲間がいる。想ってくれる人たちがいる)

 

 それだけで、何度でも立ち上がれる。それが、僕にとっての――“光”だ。

 

 『――さぁ、目を覚ましなさい。まだその世界で、“やるべきこと”があるのでしょう?』

 

 温かく背中を押すような声。

 次の瞬間――虚無に、眩い光が差し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界が晴れると、僕は――変わらず元の場所に立っていた。

 けれど、すべてが同じではない。

 

 周囲には依然として、AIDAに蝕まれたプレイヤー達が立ち尽くし、その光景をPoHが嘲笑するように見下ろしていた。

 けど、その表情に浮かんでいたのは驚愕。いや――混じりけのない困惑だった。

 

 そして、何より変わっていたのは――僕自身。

 

 視線を落とす。

 朱の半袖アウターは姿を消し、そこにあったのは深紅のロングコート。

 首元を覆うハイネック。

 だぶついていたパンツは、機能的に脚へと馴染む仕様に変わっていた。

 

 そっと首元へ触れる。

 指先に伝わる感触は、現実で好んで着ていた服と同じ。

 

 (……これは……僕のリアルの服をベースにしたもの……)

 

 浮かんだのは、一人の女性の顔。

 

 (ふふ、きっと晶良だね)

 

 胸の奥に、じんわりと熱が広がる。僕は静かに胸へ手を当て、微笑んだ。

 

 (……みんな、ありがとう。――きっと、この想いは皆に届いているよね)

 

 その静寂を破ったのは、PoHの乾いた笑い声だった。けれどそこには、焦燥が滲んでいる。

 

 「ハハハハハッ!!いいじゃねぇか、その姿!お似合いだよ――勇者サマ!」

 

 歯を剥いて笑う声は、どこか牽制を含んでいた。

 

「けどよォ……それで終わりか?その姿で、こいつらを殺すのか?えぇ!?カイト!!」

 

 挑発。嘲笑。――それに僕の心は、揺れることはない。

 

 腰のダガーを抜く。

 一対の刃――柄と柄を合わせると、それは音もなく変形を始め、 美しく湾曲した弓の姿へと姿を変えた。

 

 「……!」

 

 誰に教わったわけでもない。表示されるスキルでもない。

 それでも、僕は確信していた。

 ――使える、と。

 

 弓と≪黄昏の腕輪≫が共鳴し幾何学模様の螺旋を描く。

 僕は迷わず、弦を引き絞り――解き放った。

 

 「……《ドレインハート》!!」

 

 蒼い閃光が音もなく駆け抜ける。

 矢は次々と感染者たちを貫き――命を奪うのではなく、その内に巣食うAIDAだけを確実に穿ち、消し去っていった。

 

 「――っ!」

 

 矢が通り過ぎた後、虚ろだった瞳に少しずつ光が戻っていく。

 やがて彼らは静かに膝をつき、その背から黒い影――AIDAの残滓が霧のように立ち昇り、風に散った。

 

 PoHの笑い声が途切れる。

 やがて、怒気を孕んだ低い声が吐き出された。

 

 「やるじゃねぇか、勇者サマよ……。」

 

 「お前の思い通りにはさせないよ。」

 

 最後の1人を浄化し終え、弓を解いてダガーを両手に構え直す。

 そして、まっすぐにPoHへと視線を向けた。

 

 僕が地を蹴った瞬間、PoHもまた、まるで応じるように走り出した。

 しなる腕はゴムのように伸び、刃は狂気を帯びて僕を襲う。

 

 「俺達のアジトで人、殺したよなァ!!お前もオレと同じだぜ!また誰かを殺そうぜ!?残念だぜカイトォ!!あの時のお前の顔は最高だったのによォ!!」

 

 狂気の叫びが飛び交う。

 それでも僕は、刃の軌道を冷静に捌き、受け流し、一歩も退かずに前へ出る。

 

 「ッ……!!なんなんだよ、その瞳はよぉッ!!!」

 

 PoHが一瞬、後ろへ跳ね退いた。

 まるで理解できない何かを見るように。

 

 ――彼が語っていた“クソみたいな組織”。

 きっと彼は僕にはまったく想像できない現実の地獄を、生きてきたんだろう。そして理由はわからないけど、その怒りや憎しみを、彼は“僕達”にぶつけてきた。

 

 理由を知りたいとは思う。けれど、どれだけ理想を掲げても、誰とでも手を取り合えるわけじゃない。現実は夢物語のようにはいかない。手を取り合える現実と取り合えない現実があることは、大人になった僕にはわかっている。

 だから――PoHとは――決して分かり合えない。永遠に。

 

 ゆえに僕は、言葉を返さない。

 ただ静かに彼の攻撃を捌き、隙を突き、確実にダメージを与えていく。

 

 「クソが……!なんなんだよ、テメェは……!」

 

 怒声と同時に、PoHの身体が膨れ上がった。

 皮膚の下を這う黒い線――AIDAの暴走。

 

 「初めて感情が……ぶれたね、PoH。」

 

 口にした言葉に、自分でも複雑な感情が芽生える。

 ――暴走するPoHは、もはや舞台を演出する狂気の支配者ではない。ただ怒りと混乱に囚われた、一人の化け物だ。

 

 「これで、終わりにしよう。」

 

 僕はダガーを流れるように二本を投げる。

 蒼白い光を纏った刃が、彼の両腕を貫き――空中へと磔にするように固定した。

 

 (……オルカを捕えたときのスケィスに似てる。真似はしたくなかったけど……)

 

 暴れる腕。狂気の叫び。

 それも――もう、終わりにする。

 

 僕は右腕を前に突き出す。

 《黄昏の腕輪》が展開され、幾何学模様の陣が幾重にも重なっていく。

 今までで最も大きく、最も眩い光。

 

 「――データドレイン。」

 

 言葉と共に、光が放たれた。

 青白い閃光がPoHの胸を貫き、その全身を飲み込む。

 

 黒い瘴気が悲鳴を上げ、肉体が溶けるように崩れ、霧散していく。

 狂気そのものだったPoHの存在は――まるで穢れごと、光に吸い込まれていくかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放たれた光が収束すると、そこには――完全に初期化されたPoHが残っていた。

 虚ろではなく、確かな自我を取り戻した瞳で、忌々しげに僕を睨みつけている。

 

 「……殺さねぇのかよ。」

 

 「殺さない。――その必要がないから。」

 

 短く告げた言葉に、PoHは一瞬だけ侮辱されたような表情を浮かべた。だがすぐに、皮肉げな笑みを口の端に吊り上げる。

 

 「はっ……その判断、後悔するぜ。オレは何度でも―――。」

 

 彼は最後まで言葉を吐くことはできなかった。

 冷たい風が渦を巻き、次の瞬間――PoHの全身は分厚い氷の中へと封じ込められていた。

 

 「ッ……!?これは……!」

 

 思わず身構える僕の前に、淡い光が集い、彼女――アウラが姿を現した。

 

 「……カーディナルの説得が、ようやく終わったわ。彼はこちらで預かります。」

 

 「アウラ……!」

 

 思わずその名を呼ぶ。胸のざわめきを抑えながら、僕は問いかけた。

 

 「……どういうこと?」

 

 アウラは静かに、けれど一切の迷いなく語る。

 

 「PoHの存在は、この世界そのものを崩壊へ導く危険因子。だから私はカーディナルに、彼の排除――いえ、幽閉と治療の必要性を提案していたの。

 けれど、“真の世界を完成させたい”という茅場晶彦の意志との兼ね合いで、カーディナルが結論を出すまでに時間がかかってしまった。」

 

 一呼吸置いて、真っすぐ僕を見据える。

 

 「でも――あなたがPoHを“初期化”してくれた。そのおかげで、彼を放置、幽閉に対するカーディナルの意見はどちらでもなくなった。だから私が彼を隔離できるようになったの。……言ってみれば、最後の鍵を回したのは、あなた。」

 

 「……そうだったんだ。」

 

 「この件は、茅場晶彦の了承も得ている。彼も“世界の崩壊”までは望んでいない。だから、ある程度のイレギュラーには目を瞑っているのよ。……きっと、あなたのその姿も“私からの贈り物”だと勘違いしているでしょうね。」

 

 アウラの言葉に、思わず苦笑が漏れた。

 視線を落とすと、深紅のロングコートに変わったXthフォームの装い。

 胸元にそっと手を当て、小さな声で告げる。

 

 「ヘルバ……ううん、みんなによろしく伝えておいて。……僕、必ず帰るって。」

 

 アウラは静かに微笑み、PoHを封じた氷塊と共に淡い光に包まれて消えていった。

 

 僕はその光景を見送り、ゆっくりと息を吐く。

 

 (……終わった)

 

 心の底から湧き上がる安堵。けれど、その直後――背後から呻き声が響いた。

 振り返れば、AIDAに侵食されていたプレイヤー達が、少しずつ意識を取り戻していくところだった。

 

 僕は急いでウィンドウを開き、仲間へメッセージを送る。

 

 『PoHの対処完了。始まりの街に皆を連れて行くから、人を集めて』

 

 送信を終えると同時に、再び彼らのもとへ駆け寄る。

 

 「カ、カイトさん……!!」「ありがとう……本当に……ありがとう……!」「すごく……怖かったんです……!」「何かに乗っ取られて……自分じゃなくなるみたいで……!」「でも、あなたが助けてくれたんですよね……!」

 

 震える声。涙で顔を濡らす者。言葉にならない嗚咽。彼らの混乱と恐怖が痛いほど伝わってくる。

 

 僕はできるだけ刺激しないように、落ち着いた声で「大丈夫だよ」「もう安心だから」と宥めながら、全員を連れて「始まりの街」へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 街が見えてくると、多くのプレイヤー達が迎えに駆け出してくるのが見えた。

 先頭にいたクラインが真っ先に僕に駆け寄り、肩をがしっと掴む。

 

 「カイト!!無事か!? PoHのやつは!? それとその格好は何だよ!?!?」

 

 矢継ぎ早の質問攻めに、僕は少したじろぐ。けれど、今はそれよりも――被害者達を街の中へ入れることが先決だった。

 

 「後で話すよ。それより、彼らを先に……。」

 

 そうして始まりの街の門をくぐると、そこには見慣れぬ姿のNPCたちが待っていた。

 白衣のような衣装に清らかな装飾を纏い、まるで“看護師”のように患者を迎える彼ら。

 

 「私達がお話を聞きましょう。ひとりずつ、ゆっくりと。」

 

 NPC達は優しく声をかけながら、被害者プレイヤーたちを導いていく。

 その中の一人が僕に振り返り、柔らかく微笑みながら告げた。

 

 「私達に任せてください。“女神様”からの信託ですので。」

 

 女神様――間違いない。アウラがAIDA感染者のために準備した存在だ。

 

 「……大丈夫。彼らに任せていい。」

 

 不自然そうにNPC達を見ていたアスナやキバオウへ向けて、僕は静かに頷いてみせる。

 彼らもようやく安堵の息を吐いた。

 

 そして僕は振り返り、皆に告げる。

 

 「PoHとの戦闘を含めて、今の状況を整理しよう。……ギルドホームで話すよ。」

 

 仲間達を伴い、僕はゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 

 ギルドに戻った僕達は、まず防衛体制について各メンバーに「日常へ戻ってほしい」と伝えた。

 そして、集まった仲間達に向けて――PoHとの戦いで起きたことを、一つひとつ説明していった。

 

 PoHの目的は、《AIDA》を活性化させることだったこと。

 そのために“安全圏崩壊”という恐怖を利用し、不安を煽っていたこと。

 しかし思い通りにいかず、最終的に僕を直接呼び出し、AIDAの“水槽”として利用しようとしたこと。

 

 人質に取られたプレイヤー達はすでにAIDAに感染し、僕は身動きが取れなかったこと。

 そのままでは自分自身も侵食されると悟り――自分に《データドレイン》を行うという危険な手に出たこと。

 

 

 その結果、窮地を脱し、そして……“アウラの助力”によって新たな力を得たこと。

 その力でAIDAを排除し、PoH本体も初期化に成功したこと。

 ――最後にはシステム側が彼を凍結し、治療のために幽閉したこと。

 

 一息ついて、皆を見渡しながら言葉を結んだ。

 

 「……今回の事件は、これで完全に終わったよ。」

 

 部屋の空気が一気に和らぎ、あちこちで安堵の吐息や感嘆の声が上がる。

 誰もが重く圧し掛かっていた影を取り払われたように、肩の力を抜いていた。

 

 そんな中――ヒースクリフが前に出てきた。

 いつもの能面のような表情ではなく、どこか高揚した声音で。

 

 「見事だった、カイト君。……君には心から感謝しよう。」

 

 そう言って、彼は僕に握手を求めてきた。

 力強く握られたその手からは、奇妙な熱が伝わってくる。

 

 そして彼は短く言葉を残すと、足早に部屋を後にしていった。

 

 その後ろ姿を見送っていたアスナが、小さく呟いた。

 

 「……団長が、あんなふうに感情に出すなんて……初めて見た。」

 

 副団長として常に近くにいた彼女ですら驚くほど――ヒースクリフの珍しいらしい。

 

 

 

 ラフィン・コフィンとの因縁。そしてPoHとの戦い。それは――ようやく終わりを告げようとしている。

 そんな僕達に待っているのは”日常”だ。

 

 

 

 




”Xthフォーム”はLinkの”Xthフォーム”をイメージしてもらえれば、と思います。
PoHとの戦いはこれにて完結です。


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