クラディールの事件から一日が経って。
僕がキリトとアスナ宛に「しばらく休暇を取るように」とメールを送ると、2人から「話したいことがある」とギルドを訪ねてきた。
扉を開けた2人の顔色を見て、胸の奥が少しだけ軽くなる。
追い詰められてはいないようだ――それだけで十分に安堵できた。
ギルドマスターの部屋へ案内すると、ちょうどアルゴとディアベルも顔を出していた。
2人に確認すると「一緒に聞いてほしい」ということで、そのまま4人を部屋に招き入れる。
アルゴとディアベルには「ギルド活動の話は後で」と言って待ってもらうと、キリトが少し恥ずかしそうに頭を掻きながら――アスナと想いを伝え合い、結婚したことを教えてくれた。
その瞬間、アルゴは僕の前以外では珍しくロールを外してアスナに抱きつき、涙ぐみながら喜んでいた。
ディアベルも満面の笑みで盛大な拍手を送る。
「そっか……。じゃあ2人で支え合って歩いていくんだね。うん、嬉しい報告だ。――おめでとう、キリト、アスナ。」
僕も祝福の言葉を口にし、2人の頭をそっと撫でてやった。
しばらくテンション高くはしゃいでいたアルゴは、やがて照れ隠しのように咳払いをして話を戻す。
「……で、本題は。少しの間、静かな場所で暮らしたいんだって? いい場所、知ってるヨ。」
指を鳴らしながら紹介を始めるあたり、まだ興奮が冷めきっていないらしい。
アルゴが提案したのは――湖と森林が広がる、穏やかな第二十二層。一緒に現地を訪れると、2人は目を輝かせて感嘆の声を上げた。
「物件は……あそこだナ。丘の上のログハウスなんてどうダ?」
アルゴが指さす先には、小高い丘の上に建つログハウス。
周囲を一望でき、確かに2人で暮らすには申し分ない場所だった。
「アルゴ、いつの間に不動産なんて始めたの?」
冗談めかして問うと、アルゴは肩をすくめる。
「やってるわけないだロ。……個人的に気になって調べただけサ。」
最後だけ少し濁した声色に、僕は首を傾げる。
けれど――その知識が2人のためになるなら、今はそれで十分だ。
攻略組として稼ぎに困らない2人は、迷うことなく即決でそのログハウスを購入。
幸せそうに中へ入っていく姿を、僕達は静かに見守った。
キリト達の結婚報告を聞いてから、数日。
クラディールからの供述は支離滅裂で、不明瞭な情報ばかり。結局それ以上の手掛かりは得られず、調査は停滞したままだった。
そんな折、アスナから連絡が入って。
前に僕がお願いした血盟騎士団についての話について聞くために、僕はアルゴを連れて、2人の新居――第二十二層のログハウスへと向かっていた。
「結局、あれからヒースクリフに関する新しい情報は入ってないナ。」
中間報告を告げるアルゴの声に、僕は重く頷く。
血盟騎士団に入る前の彼の経歴。ぽっかりと空いた空白の期間。
不自然で仕方がなかった。
今日、最古参であるアスナから話を聞くことで、その疑念はより鮮明になるかもしれない。
「カイトの考えていることはわかるよ―――。」
僕の考えを読んだアルゴが気を使うように僕の顔を覗き込む。
――――最悪の最悪。ヒースクリフの正体について。
まだ、結論つけるには早い。でも――正直、可能性は上がっているのかもしれない。彼が――茅場晶彦である可能性は。
僕は大きく息を吸って深呼吸をすると頬を叩く。
「よし。今は考えを捨てよう。変な顔してたら、キリトやアスナに心配かけちゃう。」
「そうね。……可能性を詰めすぎても仕方ないし。」
僕の言葉に、アルゴも柔らかく微笑んだ。
――そして訪れた第二十二層。
静かな湖畔のログハウスの扉をノックすると、少し慌ただしい様子のキリトが顔を出した。
「カイト! いいタイミングだ!」
首を傾げながら案内されて中に入ると――そこには、幼い少女がベッドに横たわっていた。
ただ、プレイヤーであればあるはずのカーソルが存在しない。
NPC…? いやでもNPCはプレイヤーハウスに連れてくることはできないはずだし…特有の無機質さも感じられない気がする。
「……この子ハ?」
アルゴが確認するように問いかける。
2人によれば、森の中で突然倒れていた少女を見つけて連れてきたのだという。
しかし彼女にはプレイヤーカーソルがなく、NPCとも思えない。
その違和感を抱えたまま――僕達が訪れた、というわけだ。
「2人が感じてることと、僕達が覚える違和感は同じだと思う。……これは、NPCではないと思う。」
そう言いながら、眠る少女にそっと右手を伸ばした。
その瞬間――通常では見えないはずの《黄昏の腕輪》が淡く光を放つ。
「ッ……!?」
驚きで息を呑んだ僕をよそに、少女の瞼がゆっくりと開く。
大きな瞳で周囲を見渡し――そして、真っ直ぐに僕を見つめて口を開いた。
「……おとうさん?」
「えっ!??!」
思わず大きな声を上げて、自分を指さした。
振り返れば、キリトもアスナもアルゴも、揃って驚きの表情をしている。――とはいえ身に覚えはない――というかこの仮想世界で子どもとかできるのかな?なんて頭によぎりながら慌てて頭を振り少女に問う。
「えっと……たぶん、僕は君のお父さんじゃないと思うんだけど……。」
「……違い、ますか?」
今にも泣き出しそうな顔。
胸が痛むようなその表情に、僕は思わずしゃがみ込んで視線を合わせ、そっと小さな手を取った。
「君の名前は?」
「……ユイ。」
「ユイちゃん、か。僕はカイト。後ろにいるのがアルゴ、キリト、アスナ。――君を見つけてくれたのはキリトとアスナなんだ。覚えてる?」
ユイは一度、全員の顔を見渡したが……やがてゆっくりと首を振った。
「じゃあ、どうして森にいたのかは……?」
もう一度、首を横に振る。
(記憶喪失のNPC……? でも、クエスト開始の気配はない。僕の知る限り、似たクエストも存在しない。それに――)
少女の手を握ったとき、一瞬だけ光った黄昏の腕輪。今は沈黙しているけれど、必ず意味があるはずだ。
僕は小さく息を吐き、ユイの頭を優しく撫でた。
「わかった。じゃあ……君のお父さんが見つかるまで、僕が代わりに“お父さん”になろう。」
その言葉に、ユイはぱぁっと笑顔を咲かせ、勢いよく僕の首に抱きついてくる。
「おとうさん!!」
抱きしめ返すようにユイを抱きかかえて立ち上がると、背後から3人の視線が突き刺さった。
戸惑いと……どこか生暖かい眼差し。
「カイトさんって……いいお父さんになりそうですよね。」
アスナの微笑ましげな一言に、僕は頬をかき、曖昧な笑みでごまかすしかなかった。
その横で、アルゴが小さく肩をすくめると、真剣な顔でユイに向き直る。
「ユイちゃん、私はアルゴ。よろしくね。」
ロールプレイを捨て、素の声で自己紹介をする彼女。
「アルゴさん!!――キリトさん!!アスナさん!!」
ユイはまるで名前を覚えたての子どものように、一人ひとりを指差しながら呼んでいく。その姿に、僕達の胸は不思議と温かさに満たされていった。
その後、僕達はユイを連れて、彼女を見つけた森へとキリト達に案内してもらった。
けれど、ユイは何かを思い出すわけでもなく、ただ小さく首を横に振るばかり。
その後も森や湖の周辺を中心に、第二十二層をあちこち歩いてみたけど……やはり彼女が記憶を取り戻す気配はなかった。
キリトに目をやってみても、特にクエストが発生している様子はないらしい。
僕はユイを肩車し、無邪気に喜ぶ彼女の笑顔を見上げながら、頭の中で考えを巡らせた。
――確かに、この世界のNPCは人間に近い挙動を見せるようになってきた。けれど「記憶がない」というのは、今まで前例がない。
となると……可能性の一つとして考えられるのは、何かしらの不具合でプレイヤーカーソルが表示されない“プレイヤー”という線だ。
記憶喪失も、その不具合の影響と考えればゼロではない気もする。
でも……そんな致命的なバグを、アウラが放置するだろうか?
PoHの件以来、彼女からの接触はなく、バグ対応すら僕自身は行っていない。
言葉にならない不安が胸を占める。
すると、それを感じ取ったのか、ユイが小さな手で僕の頭を優しく撫でてくれた。
(……ありがとう、ユイちゃん)
結局、この日は何の成果も得られないまま夕暮れを迎えた。
ユイを見つけた場所が第二十二層だったこともあり、彼女はキリトとアスナに預けることに決める。
幸い、ユイも目を覚ましたときに比べて落ち着きを取り戻しているし、2人にもすっかり懐いて、2人のことをパパ、ママと呼んでいる。――早くも子持ちだねってからかったのは”お前もお父さんだろ”って藪蛇だった。
だから預けることに不安はなかったけれど――それでも前途多難な問題だと、僕は思わず頭をかいてしまう。
「どうしたらいいのかなぁ……。」
「――可能性は低いけど、“始まりの街”に年少プレイヤーの面倒を見てる人達がいるでしょ?そこに連れて行ってみる?」
困っていた僕に、アルゴが提案をくれる。
「うん、そうだね。考えられることを、一つひとつやっていこう。」
行き詰まるよりはずっといい。
「そういえばキバオウからも『顔を出してほしい』って頼まれてたね。一緒に済ませちゃおうか。」
「そうね。久しぶりに“始まりの街”の様子も見ておきたいし。」
そう言ってアルゴは、不安を払うように僕の背中をぽんっと叩いてくれた。
次の日。
キリトたちにユイを任せて、年少プレイヤーの支援施設に連れて行ってもらい、僕はひとり、アインクラッド解放軍のギルドを訪れていた。
……どこか、少し慌ただしい。何かあったのだろうか。
案内されて入った部屋では、キバオウが部下に次々と指示を飛ばしていた。
部下たちが慌ただしく出て行くのを見届けると、キバオウはようやく僕の方へ向き直る。
「カイト!すまん!わざわざ来てもろうて!」
開口一番に頭を下げ、椅子を勧めてくる。
「なんか慌ただしいみたいだけど……何かあった?」
「……ああ。ギルド内でちょっとゴタゴタがあってな。カイトに来てもろたのも、その件や。」
そう言って、キバオウは解放軍の現状を改めて説明してくれた。
――アインクラッド解放軍は、ギルド《MTD》と《アインクラッド解放隊》が合併して生まれたギルド。
始まりの街での支援活動はギルドマスター・シンカーが指揮を執り、サブマスターであるキバオウは主に資材調達を主導。
2人の役割分担は合併の時にしっかり決められ、双方が納得していた。
けど――つい先日の第七十四層ボス攻略。
犠牲者を3名出しながらも撃破に成功した件が、皮肉にも災いした。
その「結果」だけが独り歩きを始め、もともとシンカーを快く思っていなかった一部の攻略班が増長し、ギルド内に亀裂を生んだのだという。
「……またウチの内情に巻き込んで申し訳ないんやが――シンカーはんを探してきてほしい。」
キバオウの声は苦しげだった。
聞けば、シンカーをよく思わない連中が彼を半ば拉致するように連れ出し、隠しダンジョン《黒鉄宮》の地下に置き去りにしたらしい。
「ホンマはワイが行くのが一番ええんやが……今ワイが席を外したら、ギルドのイザコザがもっと悪化しかねん。かといって他の連中に頼めるわけもない……。」
《黒鉄宮》地下――そこは上層の攻略進行に伴い解放されるダンジョンで、階層が深いほどモンスターも強くなる。
「連れて行った連中のレベルを考えれば、そう深くまでは潜っとらんはずや。シンカーはんは戦闘型のビルドじゃないし、レベルも高うない。……せやけど、フレンド欄から表示が消えてへんから、まだ生きとるはずや。安全地帯がいくつかあるはずやから、そのどこかにおると思う。」
悔しさを噛み殺すように拳を握るキバオウ。
「ホンマにすまん……。ワイは……カイトみたいに誰かのために動ける奴こそ、ギルドマスターにふさわしいと思って、シンカーはんに任せたんや。それが、まさかこんな形で反感を買うとは……。」
重苦しい空気を断ち切るように、僕は明るく笑って彼の肩を叩いた。
「気にしないで、キバオウ。僕と“君”の仲だろ?――わかった、任せて。必ずシンカーを連れて帰る。」
そう告げると、キバオウは深々と頭を下げた。僕は頷き返し、足早に部屋を後にする。
僕は一度、キリト、アスナ、アルゴと合流し、キバオウから聞いた話を伝えた。
シンカーが拉致され、《黒鉄宮》の地下に置き去りにされたこと。だから僕は救出に向かうつもりだと。
「手伝うか?」
ユイを肩車しながらキリトが真剣な顔で尋ねてくる。
結局、ユイについては年少プレイヤーの支援施設でも「知らない」と言われたらしい。
「浅い階層なら僕ひとりで大丈――」そう言いかけたとき、不意にユイの視線に気がついた。
じっと、まっすぐに僕の顔を見ている。その瞳は幼いはずなのに、どこか決意を宿していた。
「ユイ……どうかした?」
「おとうさん。わたしも、連れて行ってください。」
「!」
思わず息を呑んだ。
彼女の声はまっすくで。その瞳には揺るぎない意思が灯っている。
梃子でも動かない――そんな強い意志を。
「……ごめん、キリト、アスナ。手伝ってくれる? ユイを連れて地下に行くよ。」
諦めたように微笑み、2人に協力を願う。――子供のお願いを叶えるのも”お父さん”の役目だもんね。
結局、地下へはアルゴを含めた5人で挑むことになった。
先頭を僕。左右にキリトとアスナ。中央にアルゴとユイ。陣形を組み、慎重に《黒鉄宮》の地下を突き進む。
層の浅い部分は以前調査したときと同じで、特に問題はなかった。
アルゴがMAP情報を見ながら先導し、セーフゾーンをひとつひとつ確認しながら下へ降りていく。
「いない……結構下まで降りてるな。」
「ソウダナ。把握している限りだとまだレベル的にはそこまで脅威じゃナイ。ケド、シンさんの装備やレベルじゃきついだろうナ――その先が階段ダ。」
アルゴが即座に進路を指し示す。
「しかし……初めて入ったけど、地下の割に広いな、ここ。」
「ええ。話には聞いていたけど、まさかここまでとは……。」
上層に合わせて解放されるダンジョンだったけど、最前線のプレイヤーが攻略するまでの価値を見出せなかったゆえに、ここにはキリトやアスナの様なプレイヤーでも訪れていない。初めて入る身としては驚くには十分すぎる広さかもしれない。
そして辿り着いた地下十五階。
胸の奥に、説明のできない焦燥感が走る。僕は足を止め、仲間に告げた。
「キリト、アスナ……ここからは僕らにとっても未知のフロアだ。前階がそこまで強くなかったから、極端には変わらないと思うけど……気を付けて。」
僕達は一歩一歩を確かめるように、先ほどよりもさらに慎重に進んでいった。
通常のエネミーは問題なく倒せる。
けど――それでも拭えない。胸を締め付けるような、この得体の知れない焦りはなんだろう……?
大広間に出ると、奥にセーフゾーンの灯りが見えた。
そこに――人影。
「……いた。シンカーだ。周囲に注意しつつ、セーフゾーンに駆け込もう!」
僕の合図で全員が駆け出す。と同時、シンカーが僕たちに気が付く。
「来るなぁぁーーーっ!! 来ちゃ駄目だぁぁぁーーー!!!」
シンカーの絶叫が響いた、その瞬間。
背筋を悪寒が駆け抜ける。反射的に双剣を構え、僕は振り返った。
振り返った僕の視線の先――そこにいたのは、まさに死神と呼ぶに相応しい存在だった。
漆黒のローブに骸骨のような仮面。巨大な大鎌を振り下ろそうとしている。
「――走れっ!!!」
咄嗟に双剣を交差させ、振り下ろされた大鎌を受け止める。
その衝撃で僕の身体は宙へと跳ね飛ばされた。
「ぐっ……!!」
空中で必死に体勢を立て直す。けれど、目に飛び込んできた自分のHPバーに思わず息を呑む。
一撃でHPの三分の一を持っていかれた。しかもこれは防御しての数値だ。
こいつまずい・・・!!多分だけど最前線より上の階層レベルのボスだ。
耳に届くのは仲間たちの悲鳴に近い声。
「カイト!!」
「レベルが違いすぎる!!!早くセーフゾーンに!!!」
大鎌の次の一撃を紙一重で避け、反動を利用して反撃を叩き込む。けど――
「……全然、効かない……ッ!」
HPバーはほとんど揺らがない。
(くっっそ……ッ!!)
喉元まで出かかった悪態を押し殺し、必死に攻撃へ集中する。
視線を後方に向ければ、アルゴとユイはすでにセーフゾーンに入り、入り口でキリトとアスナが必死に手を振っていた。
なんだっていきなりレベルの違うボスを配置されてるんだ。
そんなことを考えながら僕は大鎌を受け、その反動を利用して一気に後ろに下る。着地、反転、すぐにセーフゾーンへとかけたけど、瞬間移動の如くボスは僕の前に立ちふさがった。
「ちッ……!!」
思わず舌打ちがこぼれる。
「アルゴ!!シンカーに転移結晶を!君達もそれで撤退しろ!!僕はどうにかしてこいつを――。」
言い終えるより早く、大鎌が振り抜かれる。モーション自体は読みやすい。
避けに専念すればそう易々と倒されはしない。
――けど、この異常な移動速度。距離を取ることすら難しい。
僕のHPは残り三分の一。
次の一撃は受けられない。回復する隙すら与えられない。
(どうする……!?キリトとアスナが加わっても、これじゃ焼け石に水だ……!)
バックステップを繰り返し、間合いを保ちながらカウンターを放つ。
「三爪炎痕ッ!!!」
斬撃が走り、死神をよろめかせる。だけど――そのHPバーは微動だにしない。
「……僕とずっとダンスしてたいって?」
苦い冗談を吐いたその時――アルゴの悲鳴が響いた。
「待って!!だめ!!ユイ!!!」
「……ッ!?」
視界に飛び込んできたのは、セーフゾーンから飛び出したユイの姿。
小さな身体がまっすぐ僕の前へ駆け出してくる。
「ユイ――ッ!!」
大鎌が再び振りかぶられる。僕の意識が彼女へと奪われた、その刹那。
死神の一撃は僕に届かなかった。
ユイが――その小さな身体で、僕の前に立ち塞がっている。そして彼女の頭上に浮かぶシステムメッセージ。
《システム的破壊不可》
「……ッ!?どういう……?!」
振り下ろされた大鎌は、ユイを傷つけることなく霧散していた。
ユイは振り返り、まっすぐ僕を見つめる。
その幼い瞳には、もう迷いはない。
「カイトさん……すべて、思い出しました。」
ユイはそう告げると、ふわりと宙に浮き、右手に炎をまとった剣を顕現させた。次の瞬間、凄まじい光が走り、“死神”を一撃で斬り払う。
「……っ!」
信じられない光景に僕は呆然とし、口を開けたまま言葉を失っていた。
キリトやアスナも同じ表情をしているのだろう。ユイはそんな僕たちを見て、くすくすと小さく笑い、手を取ってセーフゾーンへと導いた。
シンカーはすでに転移結晶で撤退していた。残されたのは僕たち4人とユイ。
ユイはセーフゾーンに設置された台座――まるでコンソールに酷似したそれに腰を下ろし、静かに語り始めた。
「私は――《メンタルヘルスカウンセリングプログラム試作一号(MHCP001)》、コードネーム・ユイ。それが本当の私です。」
「メンタルヘルスカウンセリング……?」
僕は首を傾げる。
「はい。この仮想世界で現実との乖離が起きたプレイヤーのメンタルケアなどを担当する予定でした。――ですがSAO開始とともに私は不要と判断され、権限を剥奪。 プレイヤーの観測だけを行っていました。」
「じゃあ……どうして、あの森に?」
「――プレイヤー達の感情の激しい揺らぎ。とりわけキリトさんとアスナさんの心の強い共鳴に触れ、私は……会いたいと思ってしまったんです。」
ユイは寂しげにうつむく。
「ですが、その感情自体をカーディナルは“バグ”と判断し、私を削除しようとしました。……でも“お母さん”――アウラが、私を守るためにこの身体を与え、森へ逃がしてくれたんです。」
「アウラが……お母さん?」
「はい。私の思考ルーチン、基本構造は、アウラをベースに作られています。だから私は……アウラの娘のような存在です。」
「アウラの……娘……。」
僕はどこか感動を感じていた。彼女が母親―――。
けれど、ユイの言葉は次第に陰りを帯びていく。
「……最後に、皆さんと話せて……助けることができて、よかった。」
「最後――?」
その言葉に、僕たちは一斉にユイへ歩み寄った。
ユイは悲しそうに微笑む。
「ここにあるのはGMコンソールです。本来、一定の権限を持つ者しか操作できません。私は触れたことで記憶を取り戻し、そしてその力でボスを討伐しました……だから、私の存在はカーディナルに露見しました。じきに削除されるでしょう。」
「そんな……!」
キリトとアスナがユイを強く抱きしめる。ユイも涙を零しながら、必死に2人へ抱きつく。
その姿に胸が締め付けられ、僕もアルゴも顔を歪めた。
もう――時間はない。
でも、直感が告げていた。僕には、彼女を助ける方法がある。
「ユイ……僕を信じてくれる?」
突然の問いに、キリトとアスナは驚いたようにこちらを見た。
でもユイは迷わず、真っ直ぐな瞳で頷いた。
「当たり前です。貴方は……お母さんの恩人で……”勇者様”で……それに、私のお父さんだから。」
「……ありがとう。」
その言葉に、自然と笑みが零れる。僕は右腕を掲げ、黄昏の腕輪を起動させる。
「データドレインで、君を僕の中に取り込む。僕のデータ内なら、カーディナルも茅場晶彦も手を出せない。」
保証なんてどこにもない。失敗すれば、ユイは本当に消えてしまうかもしれない。
けれど――僕には確信があった。これは必ず成功する、と。
キリトもアスナも驚きながらも、今はそれしか方法がないと悟ったのか、ユイから静かに身を離す。
「……ところで、なんで僕を“お父さん”って呼ぶの?」
ふと気になって問いかけると、ユイは小さな唇を上げて、いたずらっぽく微笑んだ。
「ふふっ。私は――お父さんの記憶や記録、歩んできたことを学んで生まれたんです。」
目を瞑った彼女にデータドレインを放つ。削除するのでもなく、初期化するのでもない。ウイルスコアを吸収するときの様なあの感覚で――。
光が収束した。
ユイのデータが僕の中へと吸い込まれていく――本来なら知覚できないはずの流れを、なぜか僕ははっきりと認識できた。
そして確かに理解した。ユイは無事だ、と。
「……うん、大丈夫。ユイの保護はできた。――彼女のサルベージは、現実に戻った後で知人の力を借りて必ずどうにかするよ。」
そう口にすると、キリトとアスナ、そしてアルゴが胸を撫で下ろすように安堵の表情を見せた。
特にキリトとアスナは、この短い時間でユイと深い絆を築いていたのだろう。僕よりも強く気を揉んでいた。
「さ、帰ろう。……ここから先、また得体の知れないボスが出ないとも限らない。」
「そうだナ。――それに、この情報もしっかり周知しないと。カーくん達ですら苦戦するようなボスなんて、今のプレイヤーじゃ到底相手できないからナ。注意喚起は必須ダ。」
アルゴの冷静な言葉に頷き、僕たちは転移結晶を使ってダンジョンから脱出した。
――街へ戻ると、先に帰還していたシンカーが事情を話したのか、迎えの部隊が編成されていた。
ソロの攻略組、風林火山のメンバー、黄昏の騎士団の仲間達――そしてキバオウ自身も、ダンジョンに入ろうとしていたところだった。
僕は慌てて彼らを呼び止め、無事に戻ったことを伝える。
同時に、地下で起きた出来事を簡単に共有すると、その場は解散となった。
シンカーが無事に帰還したことで、アインクラッド解放軍の内紛も次第に収束へ向かうだろう。
深々と頭を下げ、ギルドへ戻っていくシンカーとキバオウの背を見送りながら、僕は救出に駆けつけてくれた面々へ振り返った。
「今日のことは本当にありがとう。――お詫びに、僕がご飯を奢るよ。」
その一言で場は大盛り上がり。笑い声と歓声が飛び交う。
キリトとアスナはそこで別れ、僕は残った仲間を連れて、行きつけのハンバーガーショップへ向かった。
――ユイが僕の中で、皆の喜びを感じ取り、嬉しそうに微笑んでいる気配を感じながら。
駆け足になりましたがユイ編でした。
独自設定だらけになりましたね。