目の前に、巨木がそびえ立っている。
いつからここにあったのだろうか。
そびえ立つ木に花は咲かず葉も付かず、年季を感じさせるごつごつとした木の肌が、荘厳さを際立てている。
気付けば、私はこの木の前に立っていたのだが、私はいつからここに居たのだろうか。
ふと周りを見渡してみると、隣に誰かが立っていた。
それは男だった。
青年とも壮年ともつかないが、整った顔貌、男らしい体つきに、腰には二振りの刀を差している。
「お前と、この桜の花を見た日も、限りなく昔のことになってしまった」
彼が唐突に語り出した。
どうやら、私と彼は互いに知り合う仲らしい。
というか、この木は桜の木だそうだ。
「酷い話だった。お嬢様のことも、お前のことも」
ほう、私は何らかの問題でも起こした、若しくは巻き込まれたらしい。
とはいえ、そんな記憶は無いから分からないけれど。
「謝りたい、ことがある」
そう言うと、彼は私の方を向いた。
私も、そう言われれば彼の方を向かねばならない。
「お嬢様…いや、『西行寺幽々子』様についてのことだ」
その名前を聞いた瞬間、私の心は疼いた。
平静だったはずの心が俄に総毛立つような感覚に襲われた。
「誰ですか?その人は」
誤魔化すように本当のことを言うと、彼は驚いた表情になった。
「…覚えていないのか?」
「ええ、全く覚えていません」
ああ、心が疼く。
素っ気ない返しをした瞬間に、彼の表情は沈痛なものとなり、私の心は更にざわめいた。
「…確かに、お前は儂にそんな態度で接していなかったな。よもや、儂のみならず幽々子様のことまで忘れておるとは思わなんだ」
重い雰囲気を纏いながらも、少し軽薄な調子で彼はそう言った。
恐らく『私が実は覚えている』ということを願ったのだろう。
しかし、事実である故に、何も言うことはできない。
「巫山戯ることもない…か」
彼はとうとう、目頭を抑えて静かに俯いた。
「……知らぬと言うなら仕方あるまい。儂の名は『魂魄妖忌』という。少し、話に付き合ってくれ」
程々に時間が経った所で、彼は私を話し相手に誘った。
「この桜は妖怪桜でな、『西行妖』と呼ばれておるのだが、今は封印されて花も咲かぬ」
どうやら、この桜は曰く付きであるらしい。
「何故封印されたかと言えば、命を吸い過ぎたからだ。あまりに多くの、才ある者達の精気を吸い過ぎたことで、妖となってしまった。多くの者が桜の下で死にたがり、自然と精気が集まってしまった。そして、元々美しい桜だったのだが、殊更魅力的になって手が付けられなくなった」
…逆にどんな花が咲くのか気になってきた。
「…桜の花が見たいと思っておるな」
何故見破られた。
「ははは、そんな、滅相もない」
「はぁ……思えば、嘗てのお前もこんな調子で、軽薄なやつだった。そう思えば、懐かしくもあるなぁ」
彼は視線を遠くに向け、過去を思い出すように呟いた。
「…儂は元々、お前と友であったのだ」
「そうなんですか」
「ああ、と言っても友と言うよりは腐れ縁かもしれぬが」
成る程、そこそこ長い時間を私と彼は共有したらしい。
それなら、さっきの涙にも多少の納得がいく。
「もう、かなり昔の話だ。覚えている事柄も少なくなった」
「どれ程昔なのですか?」
「さあ、百年か二百年か、此処に居る者達も何度も顔が変わっておる故、詳しいことは分からぬ。ただ、語る人間が居なくなる程度には昔の話だ」
何代もの人間の入れ替わりがあったようだ…ん?
「それなら、貴方は何故生きているのですか?」
本当は見た目よりお爺さんなのでは?
「長生きの秘訣はよく食べ、よく眠り、よく働くことだ。それに、それを知ってもお前には何もできまい」
「それもそうですね」
うまくはぐらかされてしまった。
「それより、未だに覚えている事はあってな、この桜を封じた時のことも、よく覚えておる」
やはり目を細めつつ、彼は桜を眺めた。
「…もし、お前が暇でないのなら、この辺りで締めにするが?」
恐らく、本当に長くなるのだろう。
しかし、無知とは罪なもので、何も
「何時の間にか此処に居て、桜を眺めていたもので、残念なことに時間が有り余っているのですよ」
「残念とはひどいことを言う。しかし、話を聞くのならよいか。暫し、付き合って貰うぞ」
心なしか、彼が嬉しそうに見えた。
語る者も聞く者も、最早絶えたのだろう。
「儂はお前より3年程早く生まれたらしいのだが、武の技量も勉学の出来も、お前が相手では敵わんくてな。大体のことはお前の一歩後ろを歩いておったから、子供の頃は同じことをして過ごしておった…」