木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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第八話 修羅場は京都からやってくる・前編

前回のあらすじ:

 スライムによる粘液地獄(ご褒美)を乗り越えたルートは、精神的なダメージを負って幼児退行していた。

 

 一方、私の胃壁も限界を迎えていた。

 

 そろそろ労災を申請したい。

 

■□■□

 

 ダンジョンの安全地帯セーフティエリアに、シクシクという情けない泣き声が響いている。

 

うぅ……ぬるぬるした……気持ち悪かった……

 

 ルートは、予備のバスタオル一枚を身体に巻き付け、体育座りで小さくなっていた。

 

 その姿は、まるで雨に濡れた捨て犬のようだ。

 

 濡れた白髪が頬に張り付き、銀色の瞳は涙で潤んでいる。

 

 白い肌は、先程の衝撃波ビンタ自爆と熱湯消毒(魔法)によってほんのりと桜色に染まり、湯気を立てていた。

 

 はっきり言おう。

 

 今の彼/彼女は、銀河最強の生体兵器には見えない。

 

 ただの「守ってあげたい系美少女」である。

 

 そして、そんな姿が高画質で配信されれば、インターネットの海がどうなるかなど、火を見るより明らかだった。

 

「俺が貰う!!」

「いや俺だ! 結納金(スパチャ)なら払う!」

「¥10,000 結婚してくれ」

「¥50,000 式場押さえた」

「S氏、その子を泣かすな! 俺が幸せにする!」

「タオルになりたい」

 

 画面を埋め尽くす、有象無象の求婚コメント。

 

 それを見た猿渡恭介は、冷え切った目でタブレットを操作した。

 

「……チッ。発情した猿どもが。民度が低すぎる」

 

 彼は無表情のまま、指先を高速で動かした。

 

ポチッBAN

ポチッBAN

ポチッBAN

 

「あ、コラ猿渡! 何をしている! それは吾輩への信仰心(コメント)だぞ!」

 

 ルートが涙目で抗議するが、猿渡の手は止まらない。

 

「黙れ。これは『掃除』だ。研究の場に、知性の欠片もない求婚厨は不要だ」

 

 猿渡にとって、ルートはあくまで「貴重なサンプル(実験動物)」である。

 

 自分のペットに欲情する人間など、彼にとってはゴキブリ以下の存在なのだ。

 

「いいか、よく聞け。お前は神かもしれないが、今はただの『濡れた駄犬』だ。自覚を持て」

「うぅ……ひどいぞ人間……。吾輩は……吾輩は、もうお嫁に行けんのだぞ……」

「安心しろ。お前の嫁ぎ先なんぞ、保健所か動物園くらいしかない」

 

 なんという冷徹さ。というかそもそも死神は嫁に行くのか……?

 

 だが、この男の塩対応こそが、今のルートには一番の安定剤なのかもしれない。

 

 ……と、私が少しだけほっこりした(胃薬を飲んだ)、その時だった。

 

見つけましたわよぉぉぉッ!!!

 

 ダンジョンの静寂を切り裂く、ヒステリックな絶叫が響き渡った。

 

■□■□

 

 霧の向こうから現れたのは、紅白の巫女服に身を包んだ、金髪の少女だった。

 

 外見年齢は十代前半。

 

 しかし、その背後には九つの尻尾(幻覚)が揺らめき、青い瞳には修羅の炎が宿っている。

 

 特級幻種、べに

 

 またの名を、猿渡恭介ガチ勢のヤンデレ狐である。

 

「は、破廉恥ですわ! 公衆の面前でバスタオル一枚!? 教育はどうなっていますの!?」

 

 紅はツカツカと歩み寄ると、猿渡の胸倉(実際には届かないのでシャツの裾)を掴み上げた。

 

「久しぶりだな、BBA……いや、先生」

「今、BBAと言いましたわね!? 聞こえてますわよ!?」

 

「え、誰この美少女」

「ちょ、これ紅先生じゃね!?」

「本物? なんでこんな所に?」

「てかBBAって言ったぞ今のwww」

「修羅場の予感」

「S氏、知り合いかよw」

 

 猿渡の失言にもひるまず、紅はまくし立てる。

 

「貴方という男は! 学会を追放されたと思ったら、こんな幼い幻種を連れ回して! しかもあんな……あんな破廉恥な動画を世界に発信するなんて!」

「誤解だ。あれは学術的な耐酸性実験の記録であり――」

「言い訳はあとで聞きます! 今すぐその子を保護しますわ!」

 

 紅は猿渡を突き放すと、うずくまるルートの元へと駆け寄った。

 

「さあ、貴方も! こんな変態からは離れなさい! 私が保護してあげますから!」

 

 紅はルートの二の腕を掴み、グイッと引っ張った。

 

 グイッ。

 

「…………」

 

 動かない。

 

「……あら?」

 

 紅はもう一度、腰を入れて引っ張った。

 

 グイイイィィッ!

 

「…………」

 

 やはり、動かない。

 

 ルートは体育座りのまま、1ミリたりとも移動しなかった。

 

 当然だ。

 

 こいつの体重(質量)は可変式であり、その気になればブラックホール級の密度を持つことすら可能なのだから。

 

「な、なんなのですの、この重さは!? 岩!?」

「……ん? なんだ、騒がしいな」

 

 ルートがようやく顔を上げた。

 

 涙で濡れた瞳が、目の前で顔を真っ赤にして踏ん張る美少女(中身50代)を捉える。

 

 そして、ルートは首を傾げ、爆弾を投下した。

 

「誰だ? このおばさんは」

 

 ピキッ。

 

 空間に亀裂が入る音がした。

 

 いや、紅の理性がひび割れる音か。

 

「あ」

「言っちゃった」

「放送事故確定」

「その人はあかんwww」

「死神ちゃん逃げてェェェェ!!」

「地雷をタップダンスで踏み抜いた」

 

「……お、おば……?」

 

 紅の動きが止まる。

 

 痙攣する笑顔。

 

 彼女のこめかみに、青筋がピキピキと浮かび上がる。

 

「あーら、聞き間違いかしら? 私はまだピチピチの美少女(外見)ですわよ? さあ、復唱しなさい。お姉さん・ ・ ・ ・と」

 

「ふむ……。知らんが、邪魔だ」

 

 ルートは興味なさそうに紅の手を振り払うと、ヨロヨロと立ち上がった。

 

 そして、あろうことか猿渡の背中に抱きついたのだ。

 

 ギュッ。

 

「さわたりぃ〜。腹減った〜。ポテチ食いたい〜」

 

 濡れたバスタオル越しの、柔らかな感触。

 

 そして、石鹸の香りと共に押し付けられる体温。

 

「おい、離れろ。濡れる」

 

 猿渡は眉をひそめ、汚いものを触るかのようにルートを引き剥がそうとする。

 

 だが、その光景は、紅の目には「イチャつくカップル」にしか映らなかった。

 

「…………」

 

 プツン。

 

 今度こそ、完全に切れた。

 

離れなさいッ! この泥棒猫ォォォォォッ!!!

 

 ドォォォォォンッ!!!

 

 紅の背後から、青白い狐火が噴き上がった。

 

「私の恭介に! 私ですら指一本触れさせてもらえなかったのに! そのふしだらな身体を擦り付けるなんてぇぇぇッ!!」

 

 嫉妬の炎が、物理的な炎となってルートに襲いかかる。

 

「うわっ、熱っ!? なんだ貴様、急に!」

 

 ルートは猿渡の背後に隠れながら、飛来する火の玉を「シッシッ」と手で払った。

 

 パァン! パァン!

 

 特級幻種の放つ高密度の魔力弾が、ただの平手打ちでバドミントンのように叩き落とされる。

 

「なっ!? 私の狐火を素手で!? どういう理屈ですの!?」

「ええい鬱陶しい! 吾輩は今、スライムのせいで機嫌が悪いのだ! 消えろおばさん!」

「またおばさんって言ったぁぁぁ!! 死になさい! 社会的に死になさい!」

 

 紅は我を忘れて印を結んだ。

 

 狙うは、二人の「物理的な切断」。

 

「風よ! 二人を引き裂きなさい! 鎌鼬ウィンド・カッター!」

 

 ヒュオオオオオッ!!!

 

 ダンジョンの狭い通路に、局地的な竜巻が発生した。

 

 真空の刃が、ルートと猿渡の間に割り込むように殺到する。

 

 猿渡はとっさに身を伏せた。

 

「チッ、馬鹿が! 屋内で広範囲魔法を使うな!」

 

 だが、ルートは避けなかった。

 

 いや、避ける必要を感じなかったのだ。

 

「ふん、そよ風が」

 

 ルートは鼻を鳴らし、仁王立ちで風を受け止める。

 

 この程度の風圧、木星の大赤斑(巨大嵐)に比べれば、赤子の吐息にも等しい。

 

 だが。

 

 一つだけ、計算外のことがあった。

 

 彼女が今、身につけているのは「最強の神の装甲」ではなく――。

 

 ただの、「結び目の甘いバスタオル」だったということだ。

 

 ヒュンッ。

 

 風が、ピンポイントでその「結び目」を通り抜けた。

 

「あ」

 

 ルートの声。

 

 スルリ。

 

 重力に従い、白い布切れがハラハラと落ちていく。

 

 そして。

 

 風が止んだ。

 

 ダンジョンに、完全なる静寂が訪れた。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 時間は、おそらく三秒ほど止まっていただろうか。

 

 猿渡が、ゆっくりと顔を上げた。

 

 紅が、口をあんぐりと開けて固まった。

 

 そしてルートは、自分の足元に落ちたタオルを見下ろし――自分が今、生まれたままの姿で、高画質のカメラの前に立っていることを理解した。

 

 徐々に。

 

 ルートの顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。

 

 コメント欄が、文字として認識できない速度で加速した。

 

「!?」

「うおおおおおおおおおお!!」

「解禁」

「白ッ!!」

「神回」

「¥50,000 眼福」

「スクショした」

「運営仕事しろ(遅い)」

「BAN不可避www」

 

 人類の欲望が爆発した、その直後。

 

「見ぃぃぃるぅぅぅなぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」

 

 銀河を砕く絶叫が、カメラのレンズを、タブレットの画面を、そして世界中の視聴者の鼓膜を破壊した。

 

 プツン。

 

 唐突に、配信が途切れた。

 

 真っ暗になった画面には、呑気なBGMと共に、以下の文字だけが表示されていた。

 

 【しばらくお待ちください】

 

 ……合掌。

 

 私は静かに胃薬の封を切った。

 

 誰か、東京行きのチケットをくれ。

 

 彼らの葬式に出席しなければならないからな。

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