木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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第九話 油揚げは狐肉ではない(真顔)・前編

前回のあらすじ:

 

 全世界に向けてポロリ全裸したルートは、羞恥心で物理的に爆発しかけた。

 

 運営の迅速な仕事により配信は即座にBANされたが、私の胃痛が治まるわけではない。

 

 むしろ、ここからが地獄の本番である。

 

■□■□

 

 ダンジョンの安全地帯セーフティエリアに、殺伐とした空気が流れていた。

 

 配信端末の画面は真っ暗であり、現在は『しばらくお待ちください』の文字が表示されている。

 

 つまり、今の彼らは世界からの監視を逃れ、完全にオフの状態にあるわけだが――。

 

「……ふむ。やはり肥大化サイズがおかしい。通常時の三倍には膨れ上がっている」

 

 猿渡恭介は、気絶して白目を剥いている紅の頭元にしゃがみ込み、真剣な眼差しでその「狐耳」を検分していた。

 

 彼の手には、いつの間にかツールポーチから取り出した大型のカッターナイフが握られている。

 

「血流過多で脳を圧迫している恐れがある。即刻、切除が必要だ」

 

 警察を呼べ。

 

 今すぐだ。電波が届かないなら狼煙でも上げろ。

 

 このマッドサイエンティストは、気絶した幼馴染(恩師)の耳を、迷いなく切り落とそうとしている。

 

 猿渡が狂気的な診断を下し、刃を紅の耳に当てようとした、その時。

 

「待て猿渡。早まるな」

 

 スマホでエゴサをしていたルートが、画面から目を離さずに片手を挙げた。

 

 おお、ルート。

 

 お前だけはまともだと思っていたぞ。そうだ、止めてやれ。

 

ドロップアイテムが消えるぞ

「……は?」

「見ろ、その見事な毛並み。おそらく『レア敵』判定による部位破壊報酬ドロップアイテムだ。今無理やり切除すれば、判定バグでアイテムが消失ロストする恐れがある。倒した後に回収するのがゲームの鉄則だ」

「……なるほど。一理ある。バグで検体が消滅するのは避けたいな」

 

 猿渡は納得したように頷き、カッターナイフをしまった。

 

 ……。

 

 撤回しよう。ここには狂人しかいない。

 

 「人としてどうなの」という倫理的なツッコミを期待した私が馬鹿だった。

 

 こいつらはどっちも、目の前の美少女を「アイテム」か「検体」としか見ていない。

 

 私の胃薬はどこだ。

 

 その時だった。

 

 ギュルルルルルルルルッ!!!!!

 

 ダンジョンの底から響く地鳴り――ではない。

 

 気絶している美少女(中身50代)の腹の虫が、第九の合唱のごとく盛大に鳴り響いたのだ。

 

「……うわぁ。燃費が悪いな、このレイドボス」

「お前が言うな」

 

 私は即座に心の中でツッコミを入れた。

 

 お前も大概、ポテチ数袋をブラックホールのように吸い込んでいるだろうが。

 

■□■□

 

「仕方ない。休憩にするか」

 

 猿渡はため息をつきながら、巨大なリュックサックを下ろした。

 

 彼がそこから取り出したのは、保温ポットと、見覚えのある赤いパッケージのカップ麺。

 

 それを見た瞬間、ルートの銀色の瞳がカッ!と輝いた。

 

「おぉっ! それは!」

 

 ルートがスライムのように這い寄り、パッケージを凝視する。

 

「ネット広告で見たぞ! 有名な『赤いやつ』ではないか!」

「ああ。栄養バランスは最悪だが、カロリー効率だけはいい」

 

 猿渡が慣れた手つきで蓋を開け、湯を注ぐ。

 

 立ち昇る湯気と共に、かつお出汁と醤油の、暴力的なまでに食欲をそそる香りが充満した。

 

 3分後。

 

「いい匂い……」

 

 出汁の香りに引かれたのか、死体のように転がっていた紅が、ゾンビのように上半身を起こした。

 

 食欲が生存本能を上回っている。さすが特級幻種。

 

「お、起きたかおばさん。タイミングがいいな」

 

 ルートが割り箸を割りながら声をかける。

 

 紅は虚ろな目で、湯気を立てるカップ麺へと視線を彷徨わせ――そして、凍りついた。

 

 パッケージに躍る、きつねの文字。

 

「ッ!?」

 

 紅の青い瞳が見開かれる。

 

 彼女は震える指で、その文字と、中に入っている「黄金色の座布団(油揚げ)」を交互に指差した。

 

「きょ、恭介……? これは……どういうこと……?」

「何がだ」

「き、ききき、きつね……!?」

 

 紅が悲鳴を上げた。

 

 その顔は蒼白になり、ガタガタと震えだす。

 

「こ、これ……神社の供物でよく見るアレですわよね……? じゅわっとして美味しい……」

「ああ、お前もよく食べていただろう」

「嘘……嘘ですわ……! これの名前……『きつね』と言いますの……!?」

 

 紅が頭を抱えて絶叫した。

 

「私は……私は今まで知らず知らずのうちに……同族を食べていたと言うのですかぁぁぁッ!!?」

 

 ああ、はいはい。なるほど。

 

 彼女は古風な「稲荷神の使い」。

 

 供物として「油揚げ」は知っていても、それが現代のカップ麺で「きつね」と表記され、あまつさえ「狐の肉」だという最悪の勘違いを起こしたわけか。

 

 いわゆる「カニカマはカニの肉」理論である。

 

 IQ200の頭脳はどうした。飾りか。

 

「いやぁぁぁッ! 私の手は血に染まっていたのですか!? あんなに美味しく食べていたのに!? 共食い!? まさかこの黄金色の皮は、私たちの皮を剥いで揚げたもの……!?」

 

 パニックに陥り、涙目で自分の腕や尻尾を確認する紅。

 

 博識な教授でありながら、妙なところで世間知らずな彼女らしい暴走だ。

 

 見ていられない。誰かこのポンコツに「原材料:大豆」の文字を見せてやれ。

 

「おい猿渡。なんだか知らんが、こいつが食わんのなら吾輩が貰うぞ」

「待て。話がややこしくなる」

 

 猿渡はため息をつくと、パニックになる紅の前にしゃがみ込んだ。

 

「先生、落ち着け。瞳孔が開いているぞ」

「お、落ち着いてなどいられますか! 貴方は私に、同族の屍を食えと……!」

「違う。思い出してくれ、先生」

 

 猿渡の声色が、ふと、優しくなった。

 

「20年前。私がまだ小学生だった頃、神社の裏で先生にこれをあげた時のことを」

「え……?」

 

 紅の動きが止まる。

 

「当時、小遣いで買ったスーパーの徳用油揚げだ。あの時、私は説明したはずだ。『これは大豆から作った豆腐を揚げたものだ。狐が好きだから、人間が勝手にキツネと呼んでいるだけだ』と」

 

 猿渡は、遠い目をして続けた。

 

「あの時、先生は言ったじゃないか。『人間の知恵とは素晴らしい。畑の肉を、これほどジューシーな肉のような珍味に変えるとは』と、五枚一気に平らげただろう」

「あ……」

 

 紅の瞳から、涙が引っ込む。

 

 彼女の脳裏に、セピア色の記憶が蘇ったのだろう。

 

 まだ背の小さかった少年・恭介。

 

 生意気だけど、一生懸命お供えを持ってきてくれた、可愛い教え子との思い出。

 

「……そ、そう……そうでしたわね……」

 

 紅の頬が、ほんのりと朱に染まる。

 

「ふふ……懐かしいですわ。あの頃の恭介は、本当に可愛くて、素直で……」

 

 なんだこれは。

 

 いい話だ。悔しいがいい話だ。

 

 種族を超えた、師弟の絆。

 

 誤解も解け、感動的な空気が流れる――はずだった。

 

「なのに、どうしてこうなった」

 

 ルートが、台無しジュルルッ!な音を立てて麺を啜り上げた。

 

「んん~っ! つまりこれはただの豆か! 紛らわしい名前をつけおって!」

 

 空気!!

 

 読めよ! お前のその高性能なセンサーは「行間」や「情緒」を感知しないのか!?

 

「……雰囲気!」

 

 私が心の中で叫んだのと同時に、紅もまた、いつもの無表情に戻って言い放った。

 

「というわけで、成分は植物性タンパク質だ。先生の脳みそが、中身スカスカの油揚げ並みに記憶力が悪いという証明にはなったがな」

「ひ、一言余計ですわよ!!」

 

 台無しである。

 

 感動の再会シーンは、わずか十秒で罵り合いへと回帰した。

 

「ふははは! ならば遠慮なく食おう! いただきまーす!」

 

 ルートは箸で、汁をたっぷりと吸って重くなった「お揚げ」を持ち上げた。

 

 プルプルと震える黄金色の座布団。

 

 そこから滴り落ちる琥珀色の雫。

 

「見ろおばさん! この圧倒的ボリューム! 貴様が食わんのなら、吾輩が二枚とも貰うぞ?」

「なっ……!?」

 

 紅がゴクリと喉を鳴らす。

 

 誤解は解けた。

 

 ならば、あとに残るのは純粋な「食欲」のみ。

 

「……くっ、毒味ですわ! 恭介に変なものを食べさせるわけにはいきませんもの!」

 

 紅は苦しい言い訳を口にしながら、猿渡からカップ麺をひったくった。

 

 そして、恐る恐るお揚げの端を齧る。

 

「い、いただきます……ハムッ」

 

 瞬間。

 

 じゅわぁぁぁぁぁぁぁ…………

 

「んふっ!?」

 

 紅の肩が跳ねた。

 

 噛み締めたお揚げのスポンジ構造から、熱々の甘辛い出汁が、爆発的に溢れ出したのだ。

 

 砂糖と醤油、そして化学調味料が織りなす、脳髄を直接殴打するような旨味の暴力。

 

 それは、20年前に幼い恭介と食べた、あの懐かしい味。

 

 そして、現代科学が生み出した**「塩分と脂質の麻薬」**である。

 

「~~~~っ!?」

 

 紅の頭上の狐耳が、ピンッ!と直立する。

 

 さらに、背後の尻尾が、まるでプロペラのように高速回転を始めた。

 

 ブンブンブンブンブンッ!!!

 

「お、おい、風圧が凄いぞ! 埃が舞うだろうが!」

 

 猿渡が顔をしかめるが、紅はもう止まらない。

 

「はふっ、はふっ……! ああ、これですわ……! お豆腐なのに……どうしてこんなにジューシーで……甘美なのですか……っ!」

 

 言いながら、箸が止まらない。

 

 ズルズル、ハフハフ。

 

 特級幻種の威厳? そんなものは最初の麺と一緒に飲み込んだようだ。

 

 岩場の陰に並んで座る、死神(ニート)と、巫女(狐)。

 

 そしてそれを無表情で撮影する(※ただし録画モード)マッドサイエンティスト。

 

 シュールだ。

 

 あまりにもシュールな光景だが、とりあえず私の胃痛は少しだけ治まった。

 

 このまま黙って食べていてくれれば、世界は平和なのだが。

 

「ふぅ……食った食った」

 

 完食したルートが、満足げに腹をさする。

 

 そして、再びあの歌を口ずさんだ。

 

「♪あか~いキツネと~」

 

 すると、隣で空のカップを抱きしめていた紅が、無意識に、うっとりとした顔で続きを歌った。

 

「♪みどりのタヌキ~……ハッ!?

 

 我に返り、真っ赤になって口を押さえる狐が一匹。

 

 猿渡は、本日一番の冷ややかな視線を彼女に向けた。

 

「……タヌキも食うのか?」

「た、例えですわよっ! もう、いじわる言わないでくださいまし!」

 

 ダンジョンに、少しだけ楽しげな声が響く。

 

 不幸中の幸いと言うべきか。

 

 このやり取りが全世界に配信されていなかったことだけが、彼女に残された最後の救いであった。

 

 もし配信されていたら、明日から彼女のあだ名は「緑のたぬき教授」になっていただろうからな。

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