木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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第九話 油揚げは狐肉ではない(真顔)・後編

前回のあらすじ:

 

 カップ麺の油揚げを「同族の肉」と勘違いして発狂した紅だったが、猿渡の思い出話により和解。

 

 現在は、最強の神(ニート)と特級幻種(キツネ)が並んで仲良く麺を啜るという、奇跡的に平和な時間が流れている。

 

 私の胃痛も、ようやく小康状態に入った――かに思われた。

 

 だが、忘れてはならない。

 

 この物語において「静寂」とは、次に訪れる「爆音」のための助走に過ぎないということを。

 

■□■□

 

 ♪通りゃんせ~ 通りゃんせ~……

 

 ダンジョンの冷たい空気を震わせ、陰鬱極まるメロディが響き渡った。

 

 紅の懐からである。

 

「ひぃッ!?」

 

 紅が麺を喉に詰まらせかけながら、慌ててスマホを取り出した。

 

 画面に表示された文字を見た瞬間、彼女の顔から先程までの幸福な表情が消え失せ、絶望の色が張り付く。

 

 発信者:『八重』

 

 それは、この世で唯一、紅を「躾ける」ことができる老婆の名だった。

 

 彼女は紅が祀られている神社の現宮司だが、彼女にとっては「姉妹」であり「母」でもある特別な人間だった。

 

 話は数十年前に遡る。

 

 先代宮司――八重の父親が、まだ生まれたばかりの紅を拾ってきた時、八重もまた幼い子供だった。

 

 二人は本当の姉妹のように育った。だが、不老の紅に対し、人間である八重だけが皺を刻み、腰を曲げていった。

 

 今の紅にとって、八重はただの飼い主ではない。

 

 自分のおねしょの回数から「痛い時期」の話まで、全ての過去を知る「生き証人」なのだ。

 

 最強の幻種といえど、自分のオムツを替えてくれた相手にだけは、生物としての格付けで勝てないのである。

 

「も、もしもし……? あら八重、奇遇ですわね……」

 

 紅は震える指で通話ボタンを押し、裏返った声で応答した。

 

「い、今ちょっと電波の悪い遠方におりまして……ええ、ええ。すぐには帰れませんの。ほら、ここ、海外の……」

『嘘お言い』

 

 スピーカー越しでも分かる、ドスの効いた声が遮った。

 

『配信見たよ。アンタの背景に映ってた青い苔、あれ『碧の岩窟』だろ? 昔アンタが迷子になって泣きわめいてた場所じゃないか』

「ッ!? み、見てましたの!?」

『アンタの嘘なんざお見通しだよ。……で、帰ってくるのかい? こないのかい?』

 

 逃げ場はない。

 

 八重という老婆は、伊達に数十年この駄狐の飼い主をやっていない。画面の端に映る植生だけでGPS以上の精度で位置を特定してきやがった。

 

「そ、それは……その……」

 

 紅が冷や汗をダラダラと流し、助けを求めるように猿渡を見た。

 

 猿渡は、カップ麺の残り汁を飲み干すと、スッと手を差し出した。

 

「貸せ」

「きょ、恭介!?」

 

 紅のスマホを取り上げ、猿渡は耳に当てる。

 

 その瞬間、彼の表情から「マッドサイエンティスト」の狂気が消え、「好青年」の仮面が装着された。

 

「――お久しぶりです八重さん、猿渡です」

 

 声色が、甘い。

 

 まるで実家に帰省した孫のような声だ。

 

『おや、恭介ちゃんかい? 元気にしてたかい?』

「ええ、おかげさまで。……紅先生ならここにいますよ。ご心配をおかけしました、すぐに帰らせます」

 

 売った。

 

 この男、1ミリの躊躇もなく恩師を売り渡した。

 

「きょ、恭介ぇぇぇッ!? なんで売りますの!?」

『ああ、そうかいそうかい。恭介ちゃんが居てくれるなら安心だねぇ』

「はは、恐縮です。……ああ、また貴女の糠漬けを食べに伺っても?」

『おや嬉しいねぇ。最高に漬かった古漬けを用意して待ってるよ』

 

 和やかな会話である。

 

 背景で絶望の表情を浮かべる美少女がいなければ、ハートフルなホームドラマのワンシーンだ。

 

■□■□

 

「では、代わりますね」

 

 猿渡はにこやかにスマホを紅に返した。

 

 受け取った紅の手は、痙攣している。

 

『……さて、紅ちゃん?』

 

 八重の声色が、一瞬で絶対零度に戻った。

 

『恭介ちゃんもこう言ってることだし、帰ってくるね?』

「い、嫌ですわ! 私はまだ恭介と……それに、あの不敬な死神に教育を施さねば気が済みませんの!」

 

 紅は必死に抵抗した。

 

 ここで帰れば、次にいつ猿渡に会えるか分からない。その執念だけが彼女を突き動かしていた。

 

 だが、相手が悪すぎる。

 

『そうかい。じゃあ――大掃除だ』

「え?」

『天袋の結界箱、開けるよ。中に入ってる……そうさね、まずはこの黒い革装丁のノートからいこうか』

 

 紅の顔色が、白から透明になった。

 

『タイトル……漆黒の堕天使フォールン・エンジェルクリムゾン、第4巻』

「~~~~ッ!?」

 

『書き出し……「ククク、我が右腕が疼く……これが原罪シ・ンの痛みか……」』

「や、やめ……!」

 

『あと、こっちの薄い本もいいねぇ。表紙は……おや、これ恭介ちゃんに似た男の子が、お姉さんにイタズラされている絵だねぇ? 作・紅って書いてあるけど』

「あ、あ、あ……」

『来週の公民館の朗読会、演目はこれにするよ』

 

 核兵器のボタンが押された。

 

 社会的死。

 

 いや、尊厳の完全なる消滅。

 

やめてええぇぇぇぇッ!!!

 

 ダンジョンに、悲鳴とも咆哮ともつかない絶叫が木霊した。

 

「か、帰ります! 音速で帰りますから! 朗読だけは勘弁してぇぇぇぇッ!!」

 

■□■□

 

 通話が切れた後、そこには燃え尽きた灰のような狐がいた。

 

「……ううっ……覚えてらっしゃい恭介! 八重に媚びを売るなんて卑怯ですわ!」

 

 紅は涙目で立ち上がると、悔しげに地団駄を踏んだ。

 

 そして、未だにカップ麺の容器を舐めているルートを睨みつける。

 

「あとダメ死神! お揚げの礼はいつかしますわ! ……なんか嫌な予感がするから気をつけるのよ!」

「ん? おかわりか?」

「会話になりませんわね! ごきげんよう!」

 

 ドヒュンッ!!

 

 衝撃波を残し、紅の姿がかき消えた。

 

 文字通りの神速。

 

 最初からその速度で動けば、私の胃痛も半分で済んだというのに。

 

 嵐が去った後の静寂の中、ルートがきょとんとした顔で呟いた。

 

「……いなり寿司か。美味そうだな。今度行ってみるか」

「ああ。八重さんの飯は、このキツネの百倍価値がある」

「ほう、貴様がそこまで言うとは。……よし、このダンジョンを攻略したら連れて行け」

 

 能天気な会話を交わしながら、彼らは再び歩き出す。

 

 だが、彼らは知らない。

 

 紅が感じ取った「嫌な予感」が、すぐそこまで迫っていることを。

 

■□■□

 

 時刻は深夜。

 

 Cランクダンジョン『碧の岩窟』の麓は、虫の声だけが響く静寂に包まれていた。

 

 だが、その静けさは異質だった。

 

 本来ならいるはずの夜回りの管理人や、野良探索者の姿が一人もいない。

 

 ざり、と砂利を踏む音と共に、紅が山から飛び出してくる。

 

「はぁ、はぁ……間に合った……」

 

 息を整える彼女の前に、闇に溶け込むように佇んでいた黒服の男たちが、無言で現れた。

 

 総勢十名。

 

 全員が同じような没個性的なスーツを着ているが、その身に纏う空気は、紅のような「人外」に近い鋭さを放っている。

 

「……紅殿。帝都からの緊急呼集コールです」

 

 先頭に立った男が、抑揚のない声で告げた。

 

 紅は乱れた巫女服を直し、スッと目を細めた。

 

「なるほど、そういうことですか」

「えぇ、八重様にお話を伺ったところ、こことのことでしたので」

 

 先程までの「ポンコツな駄狐」の雰囲気は消え、「土地神」の威厳が戻る。

 

「……こんな山奥まで出迎えとは。いつものスタンピードではありませんわね?」

「肯定します」

 

 男は声を極限まで潜め、周囲の闇にすら聞かれぬよう、隠語(コード)だけを告げた。

 

「大本営より、『駿河スルガ(マルフタ)』が発令されました」

 

 その単語を聞いた瞬間、紅の表情が凍りついた。

 

「……正気? あれはただの『保険』でしょう? 予算獲得のための御伽噺……」

「米国からの“親切な”情報共有により、条件が満たされました。……これ以上は、車中で」

 

 男はそれ以上語らず、待機していた黒塗りのセダンのドアを開けた。

 

『条件が満たされた』

 

 その言葉だけで、紅は状況を察したようだった。

 

 紅は、背後のダンジョンのある山を一度だけ振り返った。

 

 その瞳には、恭介への未練はなかった。

 

「……分かりました。私のシマで好き勝手はさせませんわ」

 

 紅はシリアスな顔で車に乗り込む。

 

 重厚なドアが閉ざされ、車列は音もなく走り去った。

 

 ――一方その頃。

 

「あー、うどん食ったら甘いもん食いたくなった。猿渡、コンビニ寄ってくれ」

「ダンジョンの中にコンビニがあるわけないだろ。苔でも舐めてろ」

「えー。……あ、そうだ。あの『限定プリン』が食べたい」

 

 日本政府が総力を挙げて警戒し、最強の戦力を結集させつつある『元凶(ただのニート)』は。

 

 今まさに、コンビニのプリンを心配していた。

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