前回のあらすじ:
最強のニート神・ルートと、変態学者・猿渡の凸凹コンビは、ついにダンジョンの最深部へと足を踏み入れた。
だが、そこは現代っ子が最も恐れる場所――圏外だった。
ちなみに、私の胃薬の在庫はゼロだ。
誰か、笑ってないで救援物資を送ってくれ。これから始まるのは、通信の途絶えた世界で繰り広げられる、誰のためにもならない戦いの記録なのだから。
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配信端末の画面には、無慈悲な白文字だけが静止していた。
つい先刻まで滝のように流れていたコメントも、耳障りなスパチャの通知音も、全てが消え失せた。
残されたのは、ダンジョンの重苦しい静寂と、湿った空気だけ。
「……やはりか。完全な『圏外』だ」
猿渡恭介は、死んだ画面を見つめて淡々と呟いた。
彼は舌打ち一つせず、慣れた手つきで機材のスイッチを切り替えていく。
「チッ、同接の収益が途絶えたな。ここからはタダ働きか」
嘘をつけ。お前の目は笑っているぞ。
「視聴者」というノイズが消え、心置きなく目の前の「実験体」に集中できると、そう顔に書いてある。
「いいかルート。ここからはオフラインだ。誰も見ていないし、誰も助けに来ない」
猿渡は、カメラの設定を『高画質ローカル録画・データ保存モード』に変更した。
「だが、データは残す。死ぬなよ、被写体。お前の死に様をクラウドに上げるまではな」
「……む? おい猿渡、信者どもの声が動かんぞ? 壊れたか?」
ルートが端末をバンバンと叩いている。昭和のテレビじゃないんだから、叩いても直らないぞ。
「仕様だと言っただろう。電波がない」
「ム……張り合いがないな。吾輩の美しさをリアルタイムで崇める者がいないとは」
ルートは少し寂しげに唇を尖らせた。
承認欲求モンスターめ。お前のモチベーションはすべて「ちやほやされたい」という一点のみか。
だが、そこは腐っても(元)銀河の支配者。
ルートはすぐにフンと鼻を鳴らし、髪をかき上げた。
「まあよい。真の神に観客など不要……だが猿渡、ちゃんと撮れよ? 後でアップロードする用にな? 絶対だぞ? 吾輩のキメ顔、撮り逃したら給料カットだからな?」
「はいはい。さっさと進め」
カメラを意識してチラチラとレンズを見るその姿は、完全に「自撮りに命をかけるインスタグラマー」のそれだった。
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通路を抜けた先には、息を呑むような光景が広がっていた。
巨大なドーム状の空間。
地面も、壁も、天井も。視界の全てが鋭利な水晶で覆われている。
わずかな光を乱反射させ、虹色に煌めくその場所は、まさに「美しき墓場」と呼ぶに相応しい。
「おお……! 綺麗だな! まるで課金ガチャの確定演出のようだ!」
「感性が終わってるな」
感動しつつ奥へ進むと、ルートの足が止まった。
「む。あれは……」
水晶の柱の陰に、何かがある。
ルートが探していた「泥棒熊」――マッド・グリズリーの変異種だ。
だが。
それはもはや、熊の形をしていなかった。
「…………」
水晶に半ば埋まり、融解しかけた肉塊。
鋼鉄よりも硬いと言われるマッド・グリズリーの体毛や骨格が、まるで飴細工のように溶かされ、水晶と同化している。
明らかに「捕食」された跡だった。
「Cランク上位の熊が……餌扱いか。生態系のランクが違う」
猿渡の声が、初めて戦慄を帯びた。
熊をゴミのように粉砕したルートも、さすがに眉をひそめる。
「ふむ。誰かが先に食べたようだな。食べ残しは感心せんぞ」
そこかよ。
「可哀想」とか「怖い」とかないのか。食育の話をしている場合ではないぞ。
その時だった。
ズズズズズズズズズズ…………
空間全体が震えた。
ルートたちの目の前にあった、巨大な水晶の柱。
そう思っていた「景色」の一部が、ゆっくりと動き出したのだ。
バキキキキキッ!!
空間から染み出すように姿を現したのは、全身を鏡のようなクリスタル装甲で覆った、巨大なトカゲ――いや、ドラゴンだった。
結晶捕食者・変異種。
全長二十メートル。
その圧倒的な威容は、まさにこの深層の王。その圧倒的な威容は、まさにこの深層の王。 ようやくまともなファンタジー展開だ。これなら私も語り部として仕事がしやす――
しかし、ルートの視線はボスの顔には向いていなかった。
彼女の銀色の瞳が釘付けになったのは、ボスの胸部。
そこに埋め込まれている、拳大のクリスタルだ。
「あっ」
ルートが声を上げた。
「あった! 吾輩の祠から盗まれた『御神体』!」
間違いない。
あれこそが、彼女が探し求めていたWi-Fi中継用パーツ。
だが、様子がおかしい。
ボスの膨大な魔力がクリスタルに流れ込み、制御を失って暴走しているのだ。
その結果、クリスタルは激しく明滅していた。
赤、消灯。
緑、消灯。
青、消灯。
RGB RGB RGB……!!
凄まじい速度でチカチカと輝くその光は、深層の神秘的な雰囲気をぶち壊す、あまりにも人工的で下品な輝きだった。秋葉原の裏通りでも、もう少しマシなネオンを使っているぞ。
いや、それは秋葉原の裏通りに失礼か。
それを見た瞬間。
ルートの中で、何かが切れた。
「…………は?」
低い声。
嵐の前の静けさ。
「ああっ!? 吾輩の神聖なWi-Fiパーツが! なんだその下品な配色はァ!!」
ルートが地団駄を踏んで激昂した。
「安物のゲーミングPCか貴様は!!」
怒るポイントがそこかよ。世界の危機とか、生態系の破壊とか、怒るべきことは山ほどあるだろうに。なぜ色彩設計にキレる。
「光ればいいと思っているのか! 性能に関係ない無駄なLED装飾! センスがないにも程がある! 中華製の格安キーボードでももっとマシな光り方をするぞ!!」
「いや、そこじゃないだろ」
猿渡のツッコミも虚しく、ルートは大鎌を振りかぶった。ダメだ、この神に美的センスの話をさせてはいけない。
「許さん! そのふざけた色彩感覚、吾輩が直々に教育してやる!」
ルートが地面を蹴る。
スーパーヒーロー着地からの、ダッシュ。
速い。カメラですら捉えきれない速度で懐に飛び込み、必殺の大鎌を一閃させる。
「砕けろ、ゲーミングトカゲ!!」
ガキンッ!!!!
盛大な金属音が響き渡った。
「……ん?」
ルートの手が痺れている。
鎌の刃は、ボスのクリスタル装甲に弾かれ、傷一つつけられていなかった。
読者諸君、思い出してほしい。
彼女が持っているそのカッコイイ鎌。
それはナノマシンで生成された「コスプレ用アイテム(飾り)」であり、切れ味など最初から存在しないことを。学習能力ゼロか。
「な、なぜだ!? 吾輩の死神ごっこが通じない!?」
「そりゃそうだバカ! お前の鎌はプラスチックみたいなもんだ!」
猿渡が叫ぶのと同時に、ボスが咆哮した。
ギャオオオオオオオオオオッ!!!
ボスの胸にあるゲーミングクリスタルが、激しいストロボ発光を始めた。
空間に満ちた魔素が帯電し、バチバチと火花を散らす。
ドォォォンッ!!
全方位への放電攻撃。
EMP(電磁パルス)付きの雷撃が、エリア全体を焼き尽くす。
「しまっ――」
猿渡が慌てて機材を庇う。
だが、遅かった。
バチッ! プスン……。
手元の高額な計測機器から、嫌な煙が立ち昇る。
「ああっ! 僕のスペクトル解析機が! カメラのセンサーが! 締めて二百万円が!!」
猿渡の悲鳴。命よりも機材を心配するその姿勢、ある意味プロフェッショナルだが、今は逃げろ。
そして、直撃を受けたルートは――。
「うおっ、ビリビリするぞ!?」
無傷だった。
さすが最強の生体兵器。雷撃程度ではダメージが入らない。
しかし、無傷だったのは「肉体」だけだ。
ボワッ。
静電気の爆発により、ルートのサラサラだった美しい銀髪が、一瞬にして膨張した。
まん丸に。
まるで綿菓子のように。
見事なボンバーヘッド(アフロ)へと変貌を遂げていた。
「ん? なんだか頭がスースーするぞ? 猿渡、どうしたその顔は。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」
ルートは気づいていない。
自分が今、死神のローブを着たアフロヘアーという、ギャグ漫画の住人になっていることに。
いや、それは元からか。
■□■□
「まずい、EMPは電子機器の天敵だ! 映像が飛ぶ! データが破損する!」
猿渡は即座に岩陰へと退避した。
この状況で優先すべきは命ではない。SDカードの中身だ。こいつも大概狂っている。
「ええい、鬱陶しいピカピカトカゲめ! ならば魔法で黒焼きにしてくれる!」
アフロ死神様は、ビシッと手を突き出し、詠唱を開始した。
銀河を焦がす恒星級の炎魔法。
それが放たれれば、ボスどころかダンジョンごと蒸発するはずだった。
「消えろ! 恒星フレア!」
……シーン。
「ボシュッ」と、ライターの種火のような小さな煙が出ただけだった。
「……は?」
ルートが自分の手を見つめる。
「なっ……!? 出ない!? 魔法が出ないぞ!?」
「周りを見ろ! あのトカゲが魔素を吸っている!」
猿渡が岩陰から叫んだ。
そう、このボスの名は「結晶捕食者」。
空間内の
つまりここは、魔法使いにとっての「酸素のない部屋」。
しかし、ルートの解釈は違った。
「なっ……!? 魔素が薄いだと!? 回線が重いということか!?」
彼女にとって魔力とはWi-Fiの強度と同じ概念らしい。小学校の理科からやり直してこい。
「まさか……通信制限か!? まだ月半ばだぞ!? ギガが足りないというのかーッ!!」
違う。そうじゃない。世界の法則をスマホの契約プランで理解しようとするな。
だがパニックになったニートに理屈は通じない。
「駄犬! 撤退だ! 相性が悪すぎる!」
猿渡が叫ぶ。
「武器は通じない、魔法は封じられた、おまけに機材も壊れそうだ! コスパが悪すぎる! 一度引いて対策を練るぞ!」
賢明な判断だ。
どんな優秀な指揮官でも、ここでは撤退を選ぶだろう。私も帰りたい。今すぐ帰りたい。
だが。
「断る」
アフロ頭の死神は、仁王立ちのまま即答した。
「はぁ!? 死ぬ気か!?」
「猿渡、貴様には知らせていなかったのだが、実は……」
ルートは、チカチカ光るボスの胸元を睨み据え、静かに告げた。その表情は真剣そのものだが、頭はアフロだ。緊張感が迷子になっている。
「今夜24時から『異世界転生したら自動販売機だった』の最終回特番があるのだ」
「…………は?」
猿渡が絶句する。私も絶句した。
そもそも転生して自販機だったとはどういうことだ。デカマクラトンか。
「あれがないと、録画予約が間に合わん。リアルタイム視聴もできん」
ルートは、折れかけた鎌を構え直した。
「今ここでWi-Fiを取り返さないと、吾輩の推しが……自動販売機としての生涯を終える瞬間を見届けられないのだ!」
「知るかバカ!!」
猿渡の魂のツッコミが木霊する。同感だ。 人類の存亡よりも、自動販売機のアニメを優先する。 これが神の思考回路か。ニーチェも裸足で逃げ出す虚無だ。
だが、ルートは止まらない。
「行くぞゲーミングトカゲ! 吾輩の推し活を邪魔する奴は、神罰覿面だ!」
ドンッ!
ルートが地面を踏み抜いた。魔法が使えないなら物理で殴ればいい。 脳筋理論の極致である。
ボスもまた、眼前の小さな敵に対して最大の敵意を向けた。
振り上げられる巨大な水晶の爪。
迎え撃つ、ナノマシン製の飾り鎌。
「うおおおおおおおッ!!」
激突。
ドガァァァァァァァンッ!!!!
衝撃波が水晶を砕き、破片がダイヤモンドダストのように舞い散る。
力と力。
質量と質量。
一瞬の拮抗。
だが、悲しいかな。材質の差は、気合や推しへの愛では埋まらなかった。
静寂の中、不吉な音が響く。
ピキッ……
ルートの目が見開かれる。
彼女の愛用する「死神の大鎌」の刃に、致命的な亀裂が走っていた。
あーあ。言わんこっちゃない。