前回のあらすじ:
最深部ボスの「求愛行動」に対し、主人公ルートは「死神の大鎌」による必殺の一撃で答えようとした。
しかし、物理法則(神)は残酷だった。
鎌の刃は粉砕され、ルートの手元には無惨な「柄」だけが残った。
現在、ボスは「愛の証(指輪的なもの)」を待って目を閉じている。
私の胃薬? 先ほどAmaz○nでポチったが、配送予定日は三日後だ。間に合わない。私が胃潰瘍で死ぬのが先か、この茶番が終わるのが先か。
ファイッ!
■□■□
ダンジョンに、気まずい沈黙が流れていた。
キラキラと舞い散る刃の破片が地面に落ち、乾いた音を立てる。
ルートは、冷や汗で顔面をナイアガラの滝にしながら、震える手で「棒(元・鎌)」をボスの鼻先に突きつけた。
「ふ、ふふふ……! 見たか! これこそが、装甲を
嘘をつけ。
どう見ても、ホームセンターの園芸コーナーで売っている支柱だ。あるいは、老婆が使う杖ですらない、ただの黒い棒切れである。
しかし、ルートの表情は必死だった。
彼は、この棒が「伝説の武器」であるかのように振る舞うことで、現実(ただのゴミを持っている事実)をねじ曲げようとしていた。
だが、恋する乙女トカゲ)の目は誤魔化せない。
スゥ……。
ボスが、ゆっくりと目を開けた。
そこにあったのは、期待に満ちた瞳。
しかし、視線の先にあったのは、煌めく宝石でも、美しい指輪でもない。
折れた棒だった。
数秒の静止。
ボスの脳内で、事態の処理が行われる。
求愛ポーズ(アフロ)確認。
接近許可。
プレゼント(攻撃)待機。
結果 ―― ゴミ(棒)。
それは、人間に例えるなら、プロポーズの瞬間に婚約指輪の箱をパカッと開けたら、中から使用済みの爪楊枝が出てきたようなものだろう。
侮辱。
裏切り。
そして、弄ばれた乙女心。
ギ……ギギギ…………
ボスの喉の奥から、低周波の振動が漏れ出した。
直後。
ボスの全身を包んでいたラブリーピンクの燐光が、瞬く間に変色していく。
可愛らしい桃色は濁り、澱み、そして――。
ドス黒く、禍々しい怨念の紫へと染まりきった。
キィィィィィィィィェェェェェェッ!!!!!!
鼓膜をつんざく絶叫。
それは威嚇の咆哮ではない。ヒステリックな金切り声だ。
「うおっ!? なんか色がヤンデレになったぞ!?」
ルートが素っ頓狂な声を上げる。
ボスが暴れ出した。
もはや魔力による熱線などという上品なものではない。
手当たり次第に岩を砕き、地面を抉り、尻尾を振り回す。純粋な質量と暴力による、八つ当たりの嵐だ。
「おい馬鹿! 走れ! 『可愛さ余って憎さ百倍』モードだ!」
猿渡が、嬉々としてシャッターを切りながら叫ぶ。こいつ、修羅場を撮るのが一番楽しそうだな。
「わ、わかっている! ……話せばわかる! おいトカゲ! 吾輩が悪かった! その棒はやるから落ち着けぇぇぇッ!」
ルートは棒を握りしめたまま、必死に逃走を図る。
だが、不運の連鎖は止まらない。
ボスの暴走により、天井の鍾乳石が砕け散った。
その衝撃で、地下水脈から漏れ出していた水溜まりが、バシャリと跳ねる。
大量の冷水が、逃げ惑うルートの頭上から降り注いだ。
「あ冷たっ!?」
瞬間。
シュゥゥゥ…………。
そんな間の抜けた音がして。
静電気で見事に膨らんでいたルートの銀髪アフロが、水分を含んで重力に負け、一瞬にして萎んだ。
後に残ったのは、頭に濡れたワカメを乗せたような、貧相で情けないペタンコ髪の美少女(?)。
「あぁぁぁッ!? 吾輩のセットが! ボリューム感が!」
いや、そもそもセットではないだろ。
ルートが濡れた髪を押さえて悲鳴を上げる。
それを見た猿渡が、冷徹に告げた。
「……終わったな。
「な、何になったのだ!?」
「ただの『食料』だ」
猿渡の言葉通りだった。
ボスの瞳から、知性や感情の色が消える。
そこにあるのは、目の前をチョロチョロと逃げ回る小動物を、プチリと踏み潰したいという純粋な殺意のみ。
ガァァァァァァッ!!!
ボスが跳躍した。
巨大な質量が、ルートの頭上から落下してくる。
回避スペースはない。
背後は壁。左右は崩落した岩。
「ひぃぃッ!?」
ルートは反射的に、手持っていた唯一の武器――「棒」を頭上に掲げた。
それは、彼が「死神」になりきるために用意した、こだわりの一品。
たとえ刃が砕けても、柄のデザインやグリップの感触だけは、彼のお気に入りだったはずだ。
「折れるなよ!? グリップにこだわった特注品だぞ!?」
ルートの叫びは、虚しく響いた。
ボスの爪が、棒に接触する。
バキンッ!!!
無慈悲な破壊音が、ダンジョンに木霊した。
棒は、飴細工のように容易くへし折れた。
折れた先端が回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さる。
ルートの手の中に残ったのは、わずか数センチの、ゴミのような木片だけ。
……あ。
ルートの動きが止まった。
迫りくるボスの追撃。
シャッターを切り続ける猿渡。
崩れ落ちる天井。
それら全てが、スローモーションのように感じられた。
ルートは、ゆっくりと視線を落とした。
地面に転がる、砕けた刃。
濡れてペタンコになった髪。
そして、へし折られた柄。
彼が地球に来て、アニメを見て、一生懸命考えた「カッコイイ自分」を構成する要素が、すべて消え失せていた。
恐怖?
焦り?
いや。
ルートの顔から、それら人間らしい感情が、急速に抜け落ちていく。
代わりに浮かび上がったのは、底冷えするような「虚無」と、深海のような「不機嫌」。
「…………あーあ」
ルートが、つまらなそうに呟いた。
「気に入ってたのに。鏡の前でポーズ取るのに、最適だったのに」
カラン、と。
手の中に残っていた木片を、無造作に投げ捨てる。
その動作には、もはや「死神」を演じる道化の姿はなかった。
スッ、と。
彼の銀色の瞳孔が、爬虫類のように縦に細く収縮する。
同時に、猿渡の手元にある計測器が「ERROR」の文字を吐き出してショートした。
空気が、凍りつく。
ボスが本能的な恐怖を感じて動きを止めた時には、もう遅い。
かつて銀河を股にかけた「兵器」が、そこに立っていた。
「もういい」
絶対零度の声が、ダンジョンを支配する。
「……飽きた。死ね、トカゲ」