評価感謝です。
前回のあらすじ:
最深部ボス「結晶捕食者」の求愛(物理)に対し、ルートの武器(飾り)は無惨に砕け散った。
武器消失。貞操の危機。
私の胃壁?
もう、胃薬とか諦めて、座禅で耐えることにしたよ。
ダンジョンの空気が、変質した。
それは、気温が下がったとか、殺気が満ちたとか、そういった生物的な変化ではない。
まるで、賑やかな動画の最中に、突然イヤホンのプラグが抜けたような。
あるいは、世界の「解像度」がそこだけ抜け落ちたような。
不自然で、無機質な「静止」だった。
「…………あーあ」
ルートが、手の中に残っていた数センチの木片を、カランと無造作に放り捨てた。
乾いた音が、やけに大きく響く。
彼女はうつむいている。表情は見えない。
だが、カメラ越しにその姿を見ていた猿渡恭介の背筋に、冷たい虫が走った。
生物としての本能が、警鐘を鳴らしている。
『あれは、もう別物だ』と。
「気に入ってたのに。鏡の前でポーズ取るのに、最適だったのに」
呟きは、感情が抜け落ちて平坦だった。
怒りも、悲しみも、焦燥もない。
そこにあるのは、深い井戸の底を覗き込んだ時のような、底知れない「虚無」だけ。
彼女がゆっくりと顔を上げる。
銀色の瞳。
その瞳孔が、爬虫類のように縦に細く、鋭く収縮していた。
――ひゅっ。
喉の奥で、悲鳴が凍りつく。
猿渡は見た。その瞳の奥に、人間的な感情が一切存在しないことを。
そこには、敵に対する敵意すらなかった。
目の前の巨大なドラゴンを、彼女は「敵」として見ていない。
道端の石ころ。あるいは、画面上のノイズ。
排除すべき「システムエラー」としてしか認識していなかった。
ギ……!?
襲いかかろうとしていたボスが、空中で硬直した。
本能的な恐怖。
目の前の「小さな獲物」が、突如として「理解不能な災害」へと変貌したことを、その獣の勘が悟ったのだ。
だが、遅い。
ルートは、もはやボスを見てすらいなかった。
彼女はただ、邪魔な汚れを弾き飛ばすように、右手をだらりと持ち上げた。
親指と中指を合わせる。
「デコピン」の構え。
「……うるさい」
囁くような声。
「消えろ」
パチン。
指が弾かれた。
魔法の光も、派手なエフェクトもない。
ただ、指先が空間を叩いただけ。
だが。
その瞬間、世界が一瞬だけ「白黒」に反転した。
ドォォォンッ……!!!
音が、あとから追いついてきた。
衝撃波ではない。空間そのものがねじ切れるような破壊音。
ボスの上半身が、弾け飛んだのではない。
「最初からそこになかった」かのように、分子レベルで分解され、砂のようにサラサラと崩れ去っていく。
圧倒的な理不尽。
指先から放たれた余波は、そのままボスの背後にあったダンジョンの岩壁を貫通し――。
ズガガガガガガガガッ!!!
直径数十メートルの、綺麗な円形の風穴を穿った。
穴の向こうに、外の夜空が見える。月が綺麗だ。
風が吹き抜ける。
静寂。
猿渡は、口を半開きにしたまま、エラーを吐き続ける計測機器を握りしめていた。
恐怖? 驚愕?
いや、理解不能だ。
彼の科学的知識のすべてが、「今の現象はありえない」と叫んでいる。
得体のしれない怪物。
そう表現するしかなかった。
ルートは、結晶の反射する光の下で、ただ静かに佇んでいた。
その背中は、あまりにも遠く、そして恐ろしかった。
ガサゴソ、ガサゴソ。
「……ない」
ガララッ。ドサッ。
「ないぞ……どこだ……」
猿渡が我に返ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
先程までの「絶対的な死神」はどこへ行ったのか。
そこには、瓦礫の山に四つん這いになり、必死な形相で地面を掘り返す「残念な美少女」がいた。
「お、おいルート……? 何をしている?」
猿渡が恐る恐る声をかける。
ルートは、煤だらけの顔をバッと上げた。
その瞳からは、先程までの底冷えするような虚無は消え失せている。
代わりに宿っているのは、おもちゃ売り場で小銭を落とした小学生のような、必死すぎる焦燥感だった。
「ないのだ猿渡! 吾輩のWi-Fiが! さっきまでここにあったはずなのに!」
「……は?」
「まさか、さっきのデコピンで一緒に消し飛ばしてしまったのか!? ああ、なんてことだ! 吾輩の録画予約が! 限定プリンの注文が!!」
頭を抱えて絶叫するルート。
さっきのシリアスを返せ。
私の戦慄を返せ。
彼女は半泣きになりがら、自分が消し飛ばしたドラゴンの灰をかき分けていた。
「出てこい! 出てきてくれぇぇぇ! お前がないと、吾輩は木星でただポテチを食うだけの生物に戻ってしまうぅぅぅ!」
切実すぎる叫び。
猿渡は大きくため息をつき、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。
「……あそこだ、馬鹿」
「え?」
猿渡が指差した先。
瓦礫の陰に、キラリと光るものが転がっていた。
赤、緑、青に明滅する、拳大の結晶体。
ボスの心臓部であり、かつてルートの祠から盗まれたコアパーツである。
「あ! あった! あったぞ!!」
パァァァァッ!
ルートの顔が、俗物丸出しの輝きに満ちた。
「へへへ……よかった……これでやっと、高画質でアニメが見られ――」
ルートが、涎を垂らしそうな笑顔でパーツに触れた、その瞬間だった。
ギュンッ!!!
「ぬおっ!?」
異変が起きた。
地面に散らばっていたボスの残骸――クリスタルの欠片たちが、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、猛烈な勢いでルートの手元へと集まり始めたのだ。
「な、なんだ!? 離れん! 手が、手がぁぁぁ!」
輝きが増す。
ルートの膨大な魔力が、無自覚にパーツへと流れ込む。
そして、光の中で再構築が行われた。
パァン!
光が弾ける。
ルートがおそるおそる目を開けると、そこには。
手のひらサイズの、つるんとしたクリスタルのトカゲが乗っていた。
「……は?」
ルートが固まる。
トカゲも固まる。
そのトカゲは、背中にコアを背負い、つぶらな瞳でルートを見上げ……。
そして。
ピカピカピカッ!!!
激しく、七色に発光し始めた。
眩しい。
目が潰れるほどに原色で点滅している。
「
「……はい?」
トカゲが、ルートの指にスリスリと、その発光する頬を擦り付けた。
明らかな「
破壊された肉体が、ルートの神の魔力を触媒にして幼体へと転生し、あろうことか目の前の
「ええい、離れろ! なんだこの光るナマコは! 気持ち悪い!」
ルートが手を振る。
しかし、トカゲは強力な吸盤でへばりつき、離れない。
「
「好かれる覚えはない! 吾輩はさっきお前をデコピンで消し飛ばした死神だぞ!?」
その時、横から猿渡がぬっと顔を出した。
「……ほう。興味深い」
彼はスマホの画面を見せつけた。
「見ろ、ルート」
「なんだ今は忙しい!」
「アンテナだ」
ルートが視線をやる。
そこには、見たこともない表示があった。
アンテナピクトが枠を突き破り、『∞』の記号になっている。
「……む?」
「おめでとう。そいつは、お前の無駄に多い魔力を電気信号に変換し、増幅する『生体ルーター』に進化したようだ」
猿渡は、ビカビカ光るトカゲを指差して言った。
「そいつがいれば、地球の裏側だろうが、ラグなしで通信可能だ。理論値で……下り500テラbpsは出ているな」
「ご、ごひゃく……てら……!?」
ルートがゴクリと唾を飲む。
それは、ニートにとっての「聖杯」だった。
「だ、だが……! こんなゲーミングデバイスみたいに光るトカゲを連れて歩くなど……!」
ルートは葛藤した。
自分の「クールでダークな死神」というキャラ設定。
そして、目の前にある「最強の回線」。
トカゲはルートを見上げ、期待に満ちた目で(七色に点滅しながら)見つめている。
「
「くっ……! くっ……!」
ルートは天を仰いだ。
穴の開いた天井から、美しい月が見える。
かつて、数多の文明の興亡を、ただ冷ややかに見つめてきたその瞳。
今、そこに宿っているのは――「諦め」だった。
「……採用だ」
ルートが、血を吐くように言った。
「背に腹は代えられん。……今日から貴様の名は『ルーター』とする」
「
ビカビカビカッ!!!
喜びのあまり、トカゲの発光パターンが「パーティーモード」に切り替わった。
暗いダンジョンが、ディスコのように照らし出される。
「……眩しい。目がチカチカする」
「ネーミングセンスが絶望的だな」
こうして、配信は復旧した。
画面の向こうの視聴者たちが目にしたのは、カッコいい死神の姿ではない。
漆黒のローブの袖口から、ド派手な七色の光を漏らしながら、死んだ魚のような目で歩く美少女の姿だった。
「何あれwww」
「ゲーミング死神?」
「腕になんかつけてるwww」
「めっちゃ光ってて草」
「隠密行動する気ゼロでワロタ」
神は、最強の回線を手に入れた。
だがその代償として、「闇の住人としての威厳」と、「安眠できる暗闇」を永久に失ったのである。
(※ルーター君は、スリープモードでも常夜灯くらいの明るさで光り続ける仕様です)
私の胃痛?
大丈夫、まだ助か