木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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評価・感想感謝


第十六話 ニート、地球に定住する

 前回のあらすじ:

 

 山の管理人・源蔵の激怒を、「あいつは新種の幻種(バケモノ)だ」という猿渡の機転(大嘘)で回避したルート。

 

 彼女は晴れて「危険な不審者」から「保護観察対象のVIP」へと昇格し、堂々と人間社会へ降り立つ切符を手に入れた。

 

 ちなみに、私の胃薬の在庫はマイナスだ。

 

 誰か、この茶番を止める非常停止ボタンを押してくれ。

 


 

 夕暮れ時の帝都(東京)

 

 日本探索者協会(NDK)支部のロビーは、異様な静寂に包まれていた。

 

 普段なら、ダンジョン帰りの探索者たちが戦果を自慢し合い、換金所のカウンターが騒がしく鳴り響く場所だ。汗と鉄と欲望の匂いが充満する、荒くれ者たちの社交場。

 

 だが今は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほど静まり返っている。

 

 その中心にいるのは、一人の少女だった。

 

 透き通るような白磁の肌に、星屑を散りばめたような銀髪。

 

 本来なら「天使」と称賛されるべき美貌だが、今の彼女が纏っている空気は、そんな生易しいものではない。

 

 彼女の瞳には、光がなかった。

 

 深海よりも深く、虚無よりも暗い、完全なる「無」の瞳。

 

 周囲の探索者たちは、本能的な恐怖に震え上がり、遠巻きにヒソヒソと囁き合っていた。

 

「おい……見ろよあの目。ヤバいぞ」

「ああ……。この世の全てに絶望し、万物を塵に還そうとしている目だ……」

「特級クラスか? まるで深淵(アビス)を覗き込んでいるようだぜ……」

 

 違う。

 

 あれは深夜アニメのリアタイ視聴で三徹したオタクが、早く帰って寝たいと思っているだけの目だ。

 

(ダルい……。帰りたい……。今の時間なら、夕方アニメの再放送に間に合うのに……)

 

 ルートの脳内は、世界への絶望ではなく、番組編成表への未練で埋め尽くされていた。

 

 だが、悲しいかな。

 

 彼女の腕に張り付いたトカゲ――通称ルーター君が、ビカビカビカッ!と極彩色のゲーミング発光を繰り返しているせいで、その姿はどう見ても「終末をもたらす邪神と、その眷属」にしか見えなかった。

 

「あ、あのぅ……」

 

 窓口の受付嬢が、涙目で声をかける。

 

「し、新規の幻種登録……ということで、よろしいでしょうか……?」

 

 ルートは無言だった。

 

 彼女の脳内メモリの9割は「帰りたい」、残りの1割は「プリン食いたい」で占められており、会話機能がオフラインになっていたからだ。

 

 沈黙。

 

 それは人間社会において、最も雄弁な威圧となる。

 

 受付嬢の顔色が土色に変わる。

 

(ひぃぃッ! 無視!? それとも『貴様ごときが話しかけるな』という意思表示!? 殺される! 書類不備があったら殺されるぅぅッ!)

 

 見かねた猿渡が、スッと横から割って入った。

 

「申し訳ありません。彼女は高位の存在ゆえ、下界の言葉(公用語)を使うのが億劫なのです。手続きは私が代行します」

 

 猿渡恭介は、眼鏡の位置を直しながら涼しい顔で嘘をついた。

 

 この男、嘘をつくことに関してだけは特級の才能がある。

 

「は、はい! ではこちらの書類に、お名前と種族、そして職業を……」

 

 猿渡がペンを取り、サラサラと記入していく。

 

 名前『ルート』。種族『擬人化幻種・死神(特異個体)』。

 

 そして職業欄。

 

 猿渡がペンを走らせようとした瞬間、死んでいたはずのルートの手が、マッハの速度で動いた。

 

 ガシッ。

 

「……おい、猿渡」

 

 地獄の底から響くような声(寝起き)で、ルートが言った。

 

「勝手に決めるな。吾輩の職業は一つだ」

 

 彼女は猿渡からペンを奪い取ると、職業欄に迷いなく書き殴った。

 

『自宅警備員』

「……却下だ」

 

 猿渡は無慈悲に言った。

 

 そして即座に二重線を引き、その横に『魔術師』と書き直す。

 

「な、何を消す! それは吾輩のアイデンティティだぞ!」

「黙れ。公的書類に『ニート』と書いて通るわけがないだろう。殺処分されたいのか」

「む……。魔術師などという外道に染まった労働階級は嫌だ。せめて『高等遊民』とか……」

「いいから黙って立ってろ、このポンコツ死神!」

 

 小声で繰り広げられる痴話喧嘩(?)。

 

 だが、周囲の目にはこう映っていた。

 

『見ろ……! あの猿渡恭介が、特級幻種を言葉巧みに封じ込めている……!』

『すげぇ……命知らずにも程があるぞ……』

 

 こうして、数々の誤解と猿渡の胃壁の犠牲の上に、ルートは法的な「市民権(首輪)」を手に入れた。

 


 

「……はぁ」

 

 猿渡の自宅兼研究所であるボロアパートに帰宅した瞬間、猿渡は今日一番の重い溜息をついた。

 

「とりあえず、これで憲兵に撃たれる心配はなくなった。……さて」

 

 猿渡はコンビニ袋をテーブルに置き、振り返った。

 

「手続きも済んだし、お前の望む『ネット環境』も確保できた。……で、どうするんだ? お前の『(住処)』に帰るのか?」

 

 猿渡の認識では、彼女はどこかのダンジョンの深層、あるいは人の立ち入らない秘境からやってきた幻種だ。

 

 用が済んだなら、自分のテリトリーへ戻るのが野生動物の習性というものだろう。

 

 だが。

 

「……ん? 帰る?」

 

 ルートは、当然のようにコタツの中に半身を埋没させ、猿渡が買ってきた「なめらかプリン(限定品)」の蓋を開けながら、キョトンとした顔をした。

 

「馬鹿を言え。あんな何もない僻地になど戻らんぞ」

 

 ルートが言う「僻地」とは、木星のことである。

 

 あそこはガスと嵐しかない。Amaz○nもなければ、○MMとのやり取りも難しい。コンビニスイーツなど夢のまた夢だ。

 

 だが、猿渡はそれを「ダンジョンの深層(過酷な環境)」のことだと解釈した。

 

(……まあ、そうだろうな。魔素が濃いだけの岩場より、この駄犬にとっては文明社会の方が快適に決まっている)

 

 猿渡が勝手に納得していると、ルートはスプーンを指揮棒のように振りかざし、高らかに宣言した。

 

「それに、ここには財布(お前)がいる。最高の環境だ」

「……は?」

「Wi-Fiよし。食料よし。そして面倒な手続きを代行する下僕よし。……うむ、決めたぞ」

 

 ルートは瞳をキラキラと輝かせ、ビシッと猿渡を指差した。

 

「よって、吾輩はこの部屋を『前線基地』として占拠する! 家賃と光熱費は、吾輩の動画収益から勝手に引いておけ! 以上だ!」

「…………」

 

 猿渡の思考が停止した。

 

 占拠? この狭いワンルームを? この災害指定級のニートが?

 

「ふざけるな! 俺は静かな研究生活を送りたいんだ! 出て行け!」

「嫌だ。外は寒い」

「知るか!」

「なら、このアパートの隣に『新しい穴』を開けて増築してもいいが?」

 

 ルートの腕で、ルーター君がギューン……と不穏なチャージ音を立てる。

 

「……ッ!!」

 

 猿渡は言葉を飲み込んだ。

 

 こいつはやる。平気でやる。

 

 もしここで追い出せば、近隣住民を巻き込んだ「マップ兵器」が発動し、猿渡は保護責任者として社会的に抹殺されるだろう。

 

(……詰んだ)

 

 猿渡は膝から崩れ落ちた。

 

 これは契約ではない。脅迫だ。

 

「……分かった。部屋の隅なら貸してやる」

 

 猿渡は震える手で胃薬の瓶を取り出し、錠剤を三粒、水なしで飲み下した。

 

「その代わり……死ぬ気で稼いでもらうぞ。ニートは許さん。明日から馬車馬のようにダンジョンへ潜らせてやる」

「ふん、望むところだ。スパチャのためなら多少の労働は厭わん」

 

 ルートは勝ち誇った顔で、プリンを一口頬張った。

 

 その顔は、間違いなく今日一番の「良い笑顔」だった。

 


 

 市ヶ谷。地下深く。

 

 一般の地図には存在しない区画に、紫煙と、鼻をつく線香の匂いが立ち込めていた。

 

「特務八課」。

 

 表札にはそう書かれているが、そこを訪れる者はいない。

 

 そこは帝国のゴミ捨て場であり、同時に、決して開けてはならないパンドラの箱だった。

 

 作戦室のデスクで、初老の男が報告書を広げている。

 

 頬に古傷のある強面。特務八課を統べる古狸、葛城剛一郎陸軍中将である。

 

「……『空から降ってきた』幻種か。きな臭いな」

 

 葛城が呟くと、部屋の隅にある濃密な「影」が、ドロリと動いた。

 

「ウフフ……。いい匂いがするわねぇ、中将」

 

 闇の中から音もなく現れたのは、旧式の軍服にマントを羽織った青年将校だった。

 

 病的なまでに白い肌。

 

 口元は包帯で覆われ、その隙間からは鋭い牙が覗いている。

 

 そして何より異様なのは、その瞳。

 

 右目が金色、左目が赤色

 

 人間のものではないオッドアイが、妖しく光っている。

 

「この写真の白い子……。可愛いわねぇ。幻種かしら? とっても美味しそう……。真空で干からびた死体のような、乾いた味がしそうねェ」

 

 男――(いぬい)は、ルートの写真を見つめ、包帯の下から長い舌を這わせた。

 

「ああ、(そそ)るわァ……。中身を引きずり出して、解剖してあげたい……♡」

 

 殺気が室内に充満する。

 

 それは生物としての格の違いを見せつける、絶対強者のオーラ。

 

 常人ならば、その場にいるだけで発狂するほどのプレッシャーだった。

 

 だが、葛城は眉一つ動かさず、懐から一本の「ペン」を取り出す。

 

「……乾」

「なぁに? 今、食欲で忙しいんだけど……」

 

 カチッ。

 

 葛城が無言でスイッチを押す。

 

 ペン先から放たれた赤いレーザーの点が、床の上をチロチロと走った。

 

 その瞬間。

 

 乾のオッドアイが、カッ! と見開かれた。

 

 爬虫類のように細かった瞳孔が、黒目勝ちの真ん丸な目に変わる。

 

「ニャッ!?」

 

 理性が消し飛んだ。

 

 乾は四つん這いになり、猛烈なスピードで床を走る赤い点を追いかけ始めた。

 

「あっ、待て! その動き卑怯よ! チョロチョロすんじゃないわよ!」

 

 ズサーッ!

 

 赤い点が壁を登ると、乾もまた重力を無視して壁に張り付き、爪で壁紙をガリガリと引っ掻いた。

 

「フシャーッ! 捕まらない! なんで捕まらないのよこの赤い虫ィィッ!」

 

 軍服の裾が乱れ、マントが絡まり、威厳もへったくれもない。

 

 ただの「デカい猫」である。

 

「……本能には抗えんか。やはり、まだ躾が必要だな」

 

 葛城は無表情でポインターを動かしながら、やれやれと溜息をついた。

 

 これが、帝国の暗部を担う特務八課の実態である。

 


 

 数分後。

 

 ハァハァと息を切らせながら、乾は乱れた軍服を直した。

 

「……コ、コホン。取り乱したわ」

 

 顔を真っ赤にして咳払いをする乾。

 

 彼は気を取り直すようにマントを翻した。

 

「とにかく、その『死神』には興味があるわ。……挨拶に行ってくる」

「その姿で行くのか? 憲兵が騒ぐぞ」

「まさか」

 

 乾が指を鳴らすと、彼の身体がドロドロとした黒い霧に包まれた。

 

 骨が組み替わる不快な音。

 

 肉が再構成される湿った音。

 

 霧が晴れると――そこに「軍服の男」はいなかった。

 

 代わりに立っていたのは、フリルたっぷりの黒いドレスを着た、黒髪の可憐な少女。

 

 その頭には、ピョコピョコと動く「猫耳」が生えている。

 

「……どう? これなら、誰でも『可愛らしい幻種』だと油断するでしょ?」

 

 見た目は完璧なゴシックロリータ美少女。

 

 だが、その瞳だけは、獲物を狙う猛獣のままだった。

 

「待っててね、可愛い死神ちゃん♡ お姉さんが可愛がってあげるから」

 

 少女はスカートを翻して闇の中へと消えていった。

 


 

 猿渡のアパート。

 

 コタツで丸くなり、幸せそうに寝息を立てるルート。

 

 その横で、電卓を叩きながら胃薬を噛み砕く猿渡。

 

 神はコタツを手に入れ、男は胃痛を手に入れ……

 

 そして街には、猫なで声の殺意が解き放たれ始めていた。

 

 最強のニートと、最凶の猫被り。

 

 二つの厄災が出会う時、物語は加速する――たぶん、変な方向に。

 

  第一章・地球降下編 完




 ここまでお読みいただきありがとうございました。これにて、第一部「地球降下編」は完結となります。

 ルートは日本のコタツと戸籍を手に入れ、猿渡は諸刃の剣(自律式)を持ち運ぶことになりました。本当は紅ちゃんも出したかったのですが、尺と展開の都合上厳しかったので断念しました。赦せ、お稲荷様。

 第二部連載の可否を問うアンケートは実施中ですが、現段階では連載を希望する方の方が多いようなので、一応、そのつもりでこちらは動いています。まだの方は、是非とも投票していただけると幸いです。投票していただいた方は、本当にありがとうございました。これを連載できたのも、「あ、読んでくれてるんだ」と実感させてくれた読者の方々のお陰です。感想や評価、お気に入り登録も嬉しかったです。

 とりあえず、第二部の連載開始までは少し時間が空くと思われるので、ここでしばらくお別れとなります。最後にもう一度、ここまで読んでくださった全ての方々に感謝の気持ちを表します。ありがとうございました。それでは、また第二部でお会いしましょう。

二〇二六年一月二十二日 佐竹福太郎

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