遅刻してすまない。
前回のあらすじ:
猫はコタツで丸くなり、オカンは掃除機で全てを浄化した。
猿渡のアパートは物理的に綺麗になったが、住人たちの
そして今、新たなカオスが秋葉原の片隅で産声を上げようとしていた。
ちなみに、私の胃薬の在庫はまだある。だが、この後の展開を知っている身としては、今のうちに点滴を打っておきたい気分だ。
秋葉原、電気街口から徒歩五分。
雑居ビルの隙間に、赤い提灯を掲げた一軒の中華料理店がある。
店名は『
知る人ぞ知る、激辛四川料理の名店である。
昼のピークタイム。戦場のような厨房で、一人の男が中華鍋を振っていた。
「……火力よし。油温、二百度。投入角、修正プラス三度」
男の名は、
黒髪に銀縁眼鏡、清潔なエプロン姿。
一見すれば、真面目な学生のアルバイトリーダーだ。
だが、その動きは異常だった。
ガシャン! ガシャン! ジャァァァァァッ!!!
中華鍋を振る速度が、視認できない。
炎が天井まで巻き上がり、食材が空中で幾何学的な軌道を描いて舞っている。
彼はただチャーハンを作っているだけなのだが、その所作はまるで精密機械の組み立て作業か、あるいは爆弾処理の現場のように張り詰めていた。
(……報告。現在のオーダー消化率、98%。客の波状攻撃は止まらない。だが、この厨房は私が死守する)
表向き、彼の身分は中華民国から日本への留学生だった。
しかし、正体は大ドイツ帝国・
イタリア教皇国から日本に派遣されている異端審問官たちの監視のために日本へ潜入し、完璧な偽装身分を手に入れたエリート軍人である。
彼にとって、中華鍋を振ることもまた、帝国への忠誠を示す崇高な任務だった。
「……王さん、すごいですネ! 今日もマッハですネ!」
店長(本物の中華系)が感心して声をかける。
王は眼鏡をキラーンと光らせ、無表情で答えた。
「当然です。給料分以上の働きをする。それが私の……いえ、労働者の義務ですから」
嘘をつけ。
お前の時給千二百円には、その超人的な身体能力は含まれていないぞ。
そんな完璧超人・王さんの視線の先には、一つの懸念事項……いや彼の「監視対象」が存在していた。
ホールの片隅で、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている新人アルバイトである。
「あ、あの……お、お待たせしまひた……! 『地獄の釜茹で麻婆』で、です……!」
チャイナドレス風の制服(スリット深め)に身を包んだ銀髪の少女。
その名はソフィー。
正体は、バチカンでも指折りの異端審問官、 ソフィア・I・イスカリオテ だ。
なぜ彼女がこんな所で、しかもあんな恥ずかしい格好でバイトをしているのか。
理由は単純。
「推し活(同人誌購入)」 のための軍資金が底をついたからである。
清貧を旨とするバチカンの聖職者に、日本のオタク物価(特にプレ値がついた薄い本)はあまりに過酷だったのだ。
「(ううぅ……恥ずかしいですわ……! なんですのこのスカート丈は! 太ももがスースーします!)」
ソフィアは顔を真っ赤にし、内股でヨロヨロと歩いていた。
トレイの上には、煮えたぎる激辛麻婆豆腐。
緊張と羞恥心で手元が狂い、トレイが大きく傾く。
「あッ……!」
熱々のスープが、客の頭上に降り注ぐ――その寸前。
ヒュンッ!!!
風が吹いた。
次の瞬間、傾いたはずのトレイは、水平に戻っていた。
「え?」
ソフィアが瞬きをする。
彼女の横には、いつの間にか厨房にいた筈の王が立っていた。残像が見えるほどの高速移動だ。
「……新人。トレイの重心がズレています。小指に力を込め、丹田を意識しなさい」
王は小声で囁き、スッと厨房へ戻っていった。
「は、はいっ! ありがとうございます、王さん!」
ソフィアは後光が差して見える先輩に最敬礼した。
だが、王の脳内処理は違った。
(……見ろ。あのような不安定な衣装で、あえて己に枷を課している。トレイを持つ手が震えているのは、溢れ出る聖なるオーラを抑制している反動だ)
王は眼鏡の位置を直し、鍋を振りながら独白する。
(彼女は……やはり聖女だ。市井に紛れ、下々の者に奉仕する荒行を行っているのだ。ならば、私がその修行を影から支えるのが、騎士の務め……!)
全員、認識が間違っている。
本来、彼の任務は大ドイツ帝国が警戒する脅威の一つ、異端審問官の動向監視だった。
見た目は普通の聖職者でも、神具を装備した彼らの戦闘能力は一個師団も凌駕する。
それ故に、特に海外で活動する異端審問官たちの監視任務は重要だ。
ところが、あろうことか彼は彼女を監視している内に、彼女に 脳を焼かれてしまった 。
要は監視のし過ぎて彼女が本物の聖女に見えてきてしまった。
実際にはバチカンの公費でBL雑誌を買い漁る腐女子系
つまり、この男は真面目だけど馬鹿だったのである。
真面目過ぎて彼女の一挙手一投足を
結果、彼は彼女の行くとこ全てに張り付き、バイト先も常連の店も行動を予測して先回りしてバイトに入る。
もはや質の悪いストーカーみたいなナニカである。
今ここには、勘違いしたスパイと、金欠の異端審問官しかいない。
まともな料理が出てくるのが奇跡と言えよう。
その時、入り口のドアベルが鳴った。
ランチタイムの喧騒を切り裂くように、異質な四人組(?)が入店してくる。
ボサボサ頭に白衣を羽織り、死んだ魚のような目をした男――猿渡恭介。
その横には、ガスマスクを首から下げ、やたらと態度のデカい銀髪の美少年(?)――ルート。
ローブの首元からひょっこりと顔を出す発行体――ルーター。
そして、猿渡のリュックから顔を出している、不機嫌そうな黒猫――乾。
役満である。
この世の終わりのような客層だ。
「いらっしゃいませー……ひゃっ!?」
お冷を持って駆け寄ったソフィアが、変な悲鳴を上げた。
彼女が驚いたのは、何もルーター君がピカピカと発光していたからではない。そんなものは秋葉原では当たり前(?)だった。
問題は、その飼い主である。
彼女の目が、ルートの顔に釘付けになる。
(――ッ!? あ、あいつは……! 先日コンビニで、私の『最後のクッキーシュー』を強奪した
ソフィアの脳裏に、あの屈辱の夜が蘇る。
さらに悪いことに、今の自分は「お忍びバイト中」の身。
もしここで、「あ、バチカンの異端審問官がチャイナドレス着てバイトしてるw」などとバレれば、彼女の威厳は地に落ち、本国へ強制送還(=同人誌が買えない)の憂き目に遭う。
(バ、バレてはいけませんわ……! 私はただの店員……中国からの留学生ソフィー……!)
別にそんなことはバレもしない筈なのだが、普段後ろめたいことをしている反動で、ソフィアは被害妄想をしながらガタガタと震えながら、メニュー表で顔を半分隠した。
だが、彼女のプライド(と時給への執着)が、逃走を許さなかった。
「ご、ごちゅ……ご注文をお伺い……ひます!」
噛んだ。
盛大に噛んだ。
猿渡は怪訝そうに眉をひそめたが、特に気にした様子もなくメニューを指差した。
「……一番辛くないやつをくれ。俺は胃が死んでいる。あと、この猫用に味付けなしの茹で鶏を」
「ニャー(水! 水持ってこい!)」
「キュキュ!(唐辛子!)」
乾が尊大に鳴く。
そして、問題児が口を開いた。
ルートはメニュー表をパラパラと適当にめくり、一番写真が赤い料理を指差した。
「おい店員。吾輩はこの『地獄のマグマ煮込み』にする」
「は、はい……」
「ただし」
ルートはニヤリと笑い、
「吾輩は猫舌だ。味と辛さはそのままで、物理的に**『人肌』まで冷まして**持ってこい」
「…………は?」
ソフィアの思考が停止した。
激辛の煮込み料理を? 人肌に?
「あ、あの……お客様……それは物理的に……」
「できないのか? これだから地球の飲食サービスは遅れているのだ。ウー○ーイーツなら、絶対零度からプラズマ温度まで指定可能だぞ」
どんなウー○ーイーツだ。
しかし、
その理不尽な態度に、ソフィアのこめかみに青筋が浮かんだ。
(……このガキ……ッ! 誰のおかげで安全に食事ができていると思っているのですか……! ここが店でなければ、今すぐパイルバンカーで脳天を叩き割ってやりますのに……ッ!!)
ソフィアの手が、怒りでプルプルと震える。
トレイがガタガタと音を立てる。
今にも「主よ、この迷える
スッ。
彼女の目の前に、頼もしい背中が割って入った。
「……下がっていてください、新人」
落ち着いたバリトンボイス。
王である。
彼は光る眼鏡でルートを見下ろし、事務的に告げた。
「(……見ろ、彼女の手が震えている。この客の放つ『邪悪なオーラ(ただのワガママ)』に、清らかな魂が怯えているのだ! 私が守らねば)」
大ドイツ帝国の親衛隊員にも、ルートはヤバイ奴に見えるらしい。
王はソフィアの「ブチギレ」を「怯え」と脳内変換し、勝手な使命感に燃え上がっていた。
「お客様。当店に不可能はありません」
「ほう?」
「ご要望の品、直ちにご用意します。……少々、お待ちを」
王は踵を返すと、厨房へと消えた。
厨房に戻った王は、中華鍋をコンロにセットした。
最大火力。
轟音と共に青い炎が上がる。
「……行くぞ」
王が鍋を振る。
しかし、それは調理ではない。
彼は完成した熱々の麻婆豆腐が入った鍋を、人間には不可能な速度で「旋回」させ始めたのだ。
ブォォォォォォォォンッ!!!!!
厨房から、ジェットエンジンのような音が響く。
遠心力。
そして、超高速回転によって生み出される気圧差と断熱膨張。
王は物理法則と己の筋力だけを使い、食材の水分と旨味を逃がすことなく、「熱エネルギーだけを大気中に強制排気」していたのだ。
どんな裏技だ。
熱力学の先生が裸足で逃げ出す荒行である。
数分後。
「お待たせしました」
王は、汗ひとつかかずにテーブルへ戻ってきた。
ドンッ。
ルートの目の前に置かれたのは、見た目は真っ赤で凶悪な麻婆豆腐。
だが、湯気は一切出ていない。
「……ほう」
ルートがレンゲですくい、口に運ぶ。
パクッ。
「…………」
静寂。
猿渡とソフィア(と愉快な仲間たち)が固唾を飲んで見守る中、ルートの目が大きく見開かれた。
「……辛い」
そして、ニヤリと笑った。
「辛いのに、冷たい。……スパイスの香りは爆発しているのに、熱さだけが消滅している。……ふっ、やるな」
ルートは満足げに頷き、ガツガツと食べ始めた。
「合格だ! 貴様、いい腕をしているな。名は?」
死神の称賛。
だが、王は眼鏡をクイッと押し上げ、冷徹に答えた。
「ただのバイトです。(訳:貴様ごときに名乗る名はない)」
完璧な塩対応。
王はくるりと背を向け、呆然としているソフィアに小声で囁いた。
「……行きますよ、新人。次のオーダーが待っています」
「は、はいっ……!(王さん……なんて無駄に高いスキルを……!)」
ソフィアは尊敬と困惑の入り混じった眼差しを向けながら、王の後を追った。
こうして、店内の平和は守られた。
勘違いと、超人的な無駄スキルによって。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
人間の関係というのは案外切れないものなのである。
第二部欲しいですか?
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欲しい
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次話で完結で良いよ