前回のあらすじ:
チキンを温める。
ただそれだけの行為が、極東の島国に「観測史上最大級の魔力パルス」を撒き散らす大惨事となった。
軍は右往左往し、私の胃の健康はまた金切り声をあげ始めている。
だが、元凶であるニート神・ルートは、そんな騒ぎなど露知らず、今日も今日とてコタツで惰眠を貪っている。
平和だ。
私の胃壁を除けば、世界は平和そのものだ。
しかし、忘れてはならない。
この物語において「平和」とは、次に訪れる「カオス」のための「助走期間」に過ぎないということを。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン!!!
嵐の夜。
築数十年のボロアパートに、けたたましい電子音が鳴り響いた。
NHKの集金ではない。
新聞の勧誘でもない。
ドアの前に立っているのは、銀髪のボブカットに、漆黒の修道服を身に纏った一人の少女――ソフィア・I・イスカリオテである。
彼女の片手には、禍々しい反応を示す「
もう片方の手には、悪魔を滅ぼすための「銀の杭」。
その瞳には、異端を狩る聖職者としての、冷徹な使命感だけが宿っていた。
「……見つけました。ここですね」
ソフィアはギリリと奥歯を噛み締める。
羅針盤が指し示しているのは、この部屋だ。
先日、世界を震撼させた「謎の魔力パルス(電子レンジ)」の発信源。
帝国軍は防衛システムの誤作動だと騒ぎ隠蔽工作を夜通し行っていたが、バチカンの霊的なレーダーは誤魔化せない。
これは、明らかに「
「放置すれば、明日の販売会が中止……いえ、帝都が消し飛ぶかもしれない……。私がここで、食い止めなければ」
彼女はゴクリと唾を飲み込む。
相手がどんな化け物なのか、なぜ帝国軍が放置しているのかは分からない。だが、退くわけにはいかない。
ソフィアは決意と共に、ドアノブに手をかけた。
鍵はかかっていない。
日本の治安を過信しているのか、それとも罠か。
「
バーンッ!!
勢いよくドアが開け放たれる。
さあ、決戦だ。
魔女よ、震えて眠れ。バチカンの最終兵器が、貴様に神の裁きを――。
「遅いぞ! 吾輩の腹は限界だ、さっさとその箱をよこせ!」
……はい?
ドアを開けた先にいたのは、魔女でも悪魔でもない。
ジャージ姿で仁王立ちし、手を差し出している銀髪のニートだった。
「あ、貴女は……コンビニの!? それに、アキバの!?」
ソフィアの思考がフリーズする。
なぜここに、あの時の少女がいるのか。
シュークリームを争った因縁(一方的)の相手であり、共に販売会の列に並んだ同志(?)。
まさか、あの時の「彼女」が、特級の魔力源だったというのか。
「ん? ……誰かと思えば、アキバのシスターか」
ルートは興味なさげにソフィアを一瞥すると、すぐに視線をその背後へと逸らした。
そこには、ソフィアに続いて階段を上がってきた、本来の来訪者が立っていたからだ。
「お、お待たせしましたー。ピザ・カリフォルニア、お届けにあがりましたー」
「待っていたぞ! チーズ増量は忘れていないだろうな!」
ルートはソフィアを空気のように押しのけ、配達員からLサイズの平箱を受け取る。
漂ってくる暴力的なまでのチーズとガーリックの香り。
……うん。
分かるよ、ソフィアちゃん。
君は今、「え? 悪魔召喚は? 儀式は?」って顔をしてるね。
私もそうだ。このアホたちにシリアスを期待した私が馬鹿だった。
数分後。
六畳一間のアパートは、厳粛な尋問室ではなく、ジャンクフードの匂いが充満するパーティ会場と化していた。
部屋の中心には、絶対的な結界として君臨する「
その天板の上には、開封されたピザの箱。
『
イタリア人が見たら激怒して宣戦布告しそうなメニューだが、ここは日本だ。美味ければ正義である。
「……状況を整理させてください。貴女が、この『異常魔力』の発生源なのですか?」
ソフィアは部屋の隅で、警戒心を解かずに尋ねた。
しかし、その視線はピザに釘付けになっている。
お腹の虫がギュルル……と鳴いているのを、私は聞き逃さなかったぞ。
「うるさいな。魔力だなんだと、食事中に小難しい話をするな。冷めるだろ」
ルートはコタツに入ったまま、一切れのピザを持ち上げた。
お前はもう少し「迷惑」という言葉を勉強しろ。
とろり、と糸を引くチーズ。
その伸縮性は、深夜のテレビショッピングにおける補正下着並みである。
「……ッ」
ソフィアの喉が鳴る。
バチカンの寮生活は質素だ。こんな「暴力的な熱量《エネルギー》の塊」を目にする機会など滅多にない。
しかも、彼女はここ数日、秋葉原の張り込みや任務でロクなものを食べていなかった。主食がカロリーメイトだったことは私も知っている。
「なんだ、貴様も食いたいのか?」
「ば、馬鹿にしないでください! 私はイタリア仕込みの舌を持っています。そんな……マヨネーズとテリヤキと餅が乗った、
その時だった。
部屋の隅で、先ほどからタブレット端末にかじりついていた男――猿渡恭介が、不気味な早口でブツブツと呟き始めた。
「……
「ひっ!?」
ソフィアが肩を震わせる。
男の目は虚ろで、画面をスクロールする指は残像が見えるほど速い。
「……対象の
「な、なんなのですかコイツは! 呪いですか!? 東洋の邪教の呪詛ですか!?」
ソフィアが悲鳴を上げる。
無理もない。端から見れば、死霊使いが呪文を詠唱しているようにしか見えない。
ただのデータ分析オタクなのだが、彼女のフィルターを通すと特級のホラーだ。
いや、それでもシスターの一挙手一投足を観察している30代男性も別の意味でホラーだが。
「気にするな。ただの変態だ。ほら、変態も五月蝿いからピザ食え」
「変態呼ばわりは心外だな。私はただ、聖職者が『食欲』という
「それを変態と言うのだ!」
猿渡はカメラのレンズをソフィアに向け、ニヤリと笑った。
その目は、獲物を狙うハンターではなく、珍しいカビの繁殖を見守る学者のそれだった。
「……さあ、食べてみたまえシスター。これは毒ではない。ただの炭水化物と脂質の化合物だ。神も、空腹には勝てないだろう?」
猿渡の言葉は、悪魔の囁きよりも
ソフィアは震える手で、ルートが差し出した一切れを受け取る。
「……ど、毒見です。審問対象が何を摂取しているか確認するのも、審問官の義務ですから」
誰に対する言い訳なのか。
彼女は意を決して、ピザを口に運んだ。
カリッ。もちっ。
じゅわぁ……。
口の中に広がるのは、四種のチーズの濃厚な塩気と、それを優しく包み込むハチミツの甘み。そして、日本独自の「ふっくらとした生地」の食感。
それは、神への祈りよりもダイレクトに脳髄を揺さぶる、快楽の味だった。
「…………っ!」
ソフィアの瞳孔が開く。
猿渡がすかさずタブレットに打ち込む。
「……
「う、ううっ……! 悔しい……悔しいですが……生地がモチモチで……神よ、私は
ソフィアは涙目で叫び、二口目に食らいついた。
もう止まらない。
彼女はコタツの魔力に引き寄せられるように、ズルズルと体勢を崩していく。
「んむ……この、生地の
一心不乱にピザを貪る聖女。
その時、彼女の視線がふと、ルートの背後にある本棚に吸い寄せられた。
そこには、無造作に積み上げられた雑誌や同人誌の山。
その中の一冊に、彼女は見覚えのある表紙を見つけた。
「――ッ!? あれは、『週刊少年チャンプ』の合併号!?」
ソフィアがピザを咥えたまま絶叫した。
任務が長引き、書店に駆け込んだ時には既に売り切れていた幻の一冊。
「なぜ……なぜこんなところに!?」
「ん? ああ、それか。間違えて二冊買ったから、鍋敷きにしようと思ってな」
「な……鍋敷きだとぉおおおお!?」
ソフィアの聖職者としての理性が完全に吹き飛んだ。
彼女は聖職者のコートを脱ぎ捨て、修道服のままコタツの中へダイブする。
「そのふざけた使い道、神が許しても私が許しません! よこしなさい、私が正しく(熟読して)保護します!」
先客であった黒猫(乾)が「シャーッ!(狭い!)」と威嚇するが、今の彼女には聞こえていない。
「……ああ、暖かい。ここは……
「日本のコタツだ。一度入れば、人間も神も猫も、等しくダメになる」
ルートがリモコンを操作し、テレビ画面にアニメが映し出される。
ソフィアはピザとジャンプを両手に持ち、食い入るようにそれを見つめた。
コタツを囲み、ピザを貪りながら堕落していく
その光景を、猿渡は満足げに記録し続けていた。
翌朝。
徹夜でジャンプを熟読し、完全に目が死んでいるソフィアが、アパートの玄関で言い放った。
「……審問対象の近くにいたほうが、効率的です」
そう言って、彼女は当たり前のようにアパートの合鍵を要求したという。
日本の魔改造ピザとコタツの魔力は、かくして一人の聖女を
……誰か、私の胃薬を知らないか?
この部屋にまともな人間がいなくなるまで、あと何話かかるのだろうか。
いや、もういないか。
第二部欲しいですか?
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欲しい
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次話で完結で良いよ