木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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第七話 死神

 帝都の夜は、光と闇のコントラストがきつい。

 

 表通りではネオンが極彩色の夢を垂れ流し、路地裏ではドブネズミが腐った夢を(かじ)っている。

 

 今夜は特に(ひど)い雨だった。

 

 空から降り注ぐのは、大気汚染物質と魔力残滓(ざんし)をたっぷりと含んだ酸性雨。コンクリートを濡らすその液体は、どこか鉄錆のような臭いがする。

 

 もっとも、今のこの場所において、鉄の臭いの発生源は空ではない。

 

 地面に転がる肉塊だ。

 

「ヒッ、ひぃッ……! くるな、来るなァ!!」

 

 廃工場の最奥。湿ったコンクリートの上に、男が一人、腰を抜かして後ずさっていた。

 

 彼は帝都の地下で非認可の魔導触媒(ドラッグ)を売り捌いていた組織の幹部だ。数分前までは、武装した護衛に囲まれ、ふんぞり返っていたはずの男である。

 

 だが今、彼の視線の先にあるのは、積み上げられた護衛たちの成れの果てと――闇の中に佇む、一人の「掃除屋」だけだった。

 

「……五月蝿(うるさ)い」

 

 雨音を切り裂くように、低い声が響く。

 

 闇の中から現れたのは、黒いロングコートを(まと)った青年――特務八課所属、(いぬい)煉太郎。

 

 その手には銃も剣もない。ただ、右手だけが異様に肥大化し、不気味な黒い毛皮と、剃刀(かみそり)のような爪に覆われていた。

 

 『部分的顕現』

 

 全身を獣化させるまでもなく、身体の一部だけを「(ぬえ)」のそれに置換する、効率的かつ燃費の良い殺害手段である。

 

「た、助けてくれ! 金ならある! 魔導石も、未公開のルートも全部やる!」

 

 男が懐から札束を掴み出し、雨の中にばら撒く。

 

 乾は、足元の泥水に浸かる紙幣を無感動に見下ろし、小さく息を吐いた。

 

「勘違いするな。私は交渉に来たわけじゃない」

 

 乾が一歩、踏み出す。

 

 それだけで男は悲鳴を上げ、失禁した。

 

「それに、その金は血で汚れている。……私の手と同じだな」

 

 乾の右手が、瞬きする間に振るわれた。

 

 風を切る音すらしない。ただ、肉と骨が物理的に破断する鈍い音だけが、雨音に混じって響いた。

 

 男の声が途絶える。

 

 首から上がなくなった胴体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 

 静寂が戻った。

 

 乾は肥大化した右手を振るい、付着した赤黒い液体を払い落とす。そして、ゆっくりと息を吸い込み、人間の腕へと戻した。

 

「……全目標の排除を確認」

 

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 

 その瞳には、達成感も高揚感もない。あるのはただ、終わりのない事務作業を淡々とこなした労働者の、乾いた疲労感だけだった。

 

 冷たい雨が、彼の頬を伝って落ちる。

 

 いくら雨で洗っても、染み付いた血の臭いは取れそうになかった。

 


 

 工場のシャッターが上がり、ヘッドライトの白い光が闇を切り裂いた。

 

 パトランプもサイレンもない、黒塗りのセダン。

 

 車から降りてきたのは、傘を差した男――特務八課現場調整役、堂目木(どうめき)中佐だった。

 

 堂目木は革靴で水溜まりを踏み砕きながら現場へ歩み寄り、惨状を見回して眉をひそめた。

 

「……派手にやったな、乾。現場保全班(クリーナー)が泣くぞ。もう少し綺麗に殺せんのか」

「迅速な処理を優先したわ。それに、こいつらは苦痛を感じる暇もなかったはずよ」

 

 乾は表情一つ変えずに答える。

 

 堂目木は「ふん」と鼻を鳴らし、懐から取り出したタブレット端末に何かを打ち込んだ。

 

「ターゲットの死亡を確認。これで『上』への報告は終わりだ。……まったく、こんな雨の日に泥仕事とはな。お陰で俺の楽しみにしていた『秋葉原限定・極上なめらかプリン』の賞味期限が危うい」

「……中佐。私の残業代は?」

「現物支給だ。そのプリンをやる」

 

 堂目木は呆れたように肩をすくめると、部下たちに死体の処理を指示し、再び車のドアに手をかけた。

 

 そして、雨の中に立ち尽くす乾を振り返る。

 

「乗れ。送ってやる」

 

 短い命令。

 

 それは上官としての義務感か、あるいは長年この汚れ仕事を共有してきた相棒としての、僅かな気遣いか。

 

 だが、乾は動かなかった。

 

「……いや。遠慮しておくわ」

「あ? この雨だぞ」

「血の臭いがしてるから。……それに、中佐の車を汚すと、始末書が増えるしね」

 

 乾は自嘲気味に笑い、視線を自身のコートへと落とした。

 

 肉眼では見えずとも、そこには数え切れないほどの怨嗟(えんさ)と死臭が染み付いている。少なくとも、乾自身にはそう感じられた。

 

 堂目木は、乾の言葉の裏にある感情――自己嫌悪と、他者への拒絶を読み取ったのだろう。

 

 深く追求することはせず、短く息を吐いて煙草を取り出した。

 

「……そうか。好きにしろ」

「はい。お疲れ様でした」

 

 乾は一礼し、(きびす)を返した。

 

 背後でドアが閉まる音と、タイヤが水を弾く音が遠ざかっていく。

 

 再び、雨の音だけが残された。

乾はコートの襟を立て、闇の中へと歩き出す。

 

 帰るべき場所は決まっているはずなのに、足取りは重かった。

あの暖かなアパートの光は、今の自分には(まぶ)しすぎる。

 

「……不器用な野良猫め」

 

 遠ざかる車の中で、堂目木がそう呟いたことを、乾は知る由もなかった。

 


 

 雨脚は弱まるどころか、強さを増していた。

 

 乾は、古びたアパートの前で足を止めた。

 

 築四〇年、木造モルタル、防音性皆無。

 

 セキュリティという概念が欠落したそのボロアパートの二階から、暖かな光が漏れている。窓の向こうからは、何やら騒がしい笑い声と、テレビの電子音が微かに聞こえてくる。

 

(……あの中は、別の世界)

 

 乾は冷え切った指先を握りしめた。

 

 今の自分は、死と暴力の臭いを纏まとった化け物だ。あのような日向(ひなた)に土足で踏み込んでいい存在ではない。

 

 踵を返そうとした、その時だった。

 

「……あ? なんだお前」

 

 背後から、不躾(ぶしつけ)な声がした。

 

 乾が振り返ると、そこにはビニール傘を差したルートが立っていた。片手にはコンビニの袋。

 

 その肩には、小さなビニール袋をカッパ代わりに被ったルーターが乗っている。

 

 最悪のタイミングだ。乾はとっさに身構え、殺し屋としての鋭い視線を向けてしまう。

 

「ッ……」

 

 その視線を受けたルートの反応は、劇的だった。

 

 彼女は露骨に顔をしかめ、ゴミを見るような目で乾を見下したのだ。

 

「うわ、なんだその目。死んだ魚の煮付けみたいだぞ」

 

 ルートは一歩後ずさり、スマホを取り出すフリをして乾から距離を取る。

 

「あの、ウチ宗教とか新聞とか間に合ってるんで。あと敷地内で立ち止まるとWi-Fiの電波が悪くなるから、とっとと消えてくれません? 通報しますよ?」

 

 氷のような塩対応。

 

 だが、それが乾にとっては心地よかった。

 

(……ああ。それでいい)

 

 乾は、胸の奥で納得する。

 

 この少女は、本能的に理解しているのだ。目の前の男が、平穏な日常を害する「異物」であることを。

 

「……失礼した。すぐに立ち去る」

 

 乾が短く告げ、雨の中へ歩き出そうとした瞬間――。

 

「キュイッ!!」

 

 ルートの肩から、緑色の閃光が飛び出した。

 

 ルーター君だ。彼は小さな身体で雨の中へダイブし、バシャリと《ruby》水飛沫《rt》みずしぶき《/ruby》を上げて着地すると、迷わず乾の足元へと駆け寄った。

 

「おいルーター!? 何してんだ!」

 

 ルートの制止を無視し、ルーター君は乾の革靴にしがみつく。

 

 そして、『ゲーミング・ヒーター・モード(暖房)』を全開にした。

 

 七色に激しく明滅しながら、彼は必死に熱を発し、冷え切った乾の足を温めようとする。

 

「ギュウ、キュウ!(猫の人だ! 冷たいよ、風邪ひいちゃうよ!)」

 

 その小さな瞳は、乾の正体を――「黒猫」としての彼を、匂いと魔力ではっきりと認識していた。

 

 人間としての汚れなど関係ない。ただ、家族(コタツの仲間)が寒そうにしていることが、トカゲにとっては一大事なのだ。

 

 乾の凍った心が、ほんの少しだけ揺らぐ。

 

 汚れた靴に、七色の光が反射している。

 

「……お前」

 

 乾が手を伸ばそうとした、その時。

 

「こらルーター! 離れろ! そいつ絶対カタギじゃないぞ!」

 

 ルートが傘の先端で、器用にルーター君をひっくり返して回収した。

 

「野良犬とか野良殺し屋には触るなと言っただろ! 変なウイルスとか呪いとか貰ったらどうするんだ! 家で消毒だ、消毒!」

 

 ルートはルーター君を懐にねじ込むと、乾に対して「シッシッ!」と野良猫を追うような仕草を見せた。

 

「ほら、お前もさっさと行け! ここは私のテリトリーだ!」

 

 吐き捨てるように言い放ち、ルートは逃げるようにアパートの階段を駆け上がっていった。

 

 バタン、とドアが閉まる音が響く。

 

 残されたのは、雨音だけ。

 

「……ふっ。消毒、か」

 

 乾は自嘲し、濡れた髪をかき上げた。

 

 拒絶されたはずなのに、足元にはルーターが残していった「微かな熱」が残っていた。

 

 それが、致命的だった。

 

 一度知ってしまった温もりは、麻薬のように理性を(むしば)む。

 

(……情報の整理が必要。今夜だけ。そう、今夜だけよ)

 

 乾は物陰へと足を踏み入れ――その姿を、闇に溶かした。

 


 

 数分後。

 

 アパートのドアが、控えめに引っ掻かれた。

 

「ん? 誰だ、出前か?」

 

 中からルートが出てくる。

 

 彼女が見たのは、ドアの前でずぶ濡れになり、震えている一匹の黒猫だった。

 

 その瞬間、ルートの表情から「人間への不信感」が消滅した。

 

 代わりに浮かんだのは、全銀河を溶かすほどのデレデレな甘やかし顔だ。

 

「うわあああ! 猫! お前、どこ行ってたんだバカヤロウ!!」

 

 ルートは叫び、自分の高いアニメTシャツが汚れるのも構わず、泥だらけの黒猫を抱き上げた。

 

「こんなに濡れて……! おい猿渡、お湯だ! 今すぐ風呂を沸かせ! あとタオルを持ってこい!!」

「騒がしいなニート……って、うわ泥だらけだな。洗ってから入れろ」

 

 部屋の奥から猿渡が呆れたように顔を出すが、ルートは聞く耳を持たない。

 

 彼は猫を抱きしめたまま、神の権能を使って室内の温度を上げ始めた。

 

「よしよし、寒かったな。すぐ乾かしてやるからな。……ルーター、ドライヤー準備!」

「ギュイッ!(了解!)」

 

 部屋の奥から、ルーター君が嬉しそうに飛び出してきた。

 

 乾は、ルートの腕の中で小さく息を吐く。

 

(……チョロい死神で助かったわ)

 

 その瞳は、先程までの殺し屋のものではなく、完全に「飼い猫」の計算高い光を宿していた。

 


 

 世界には二種類の平和がある。

 

 一つは、争いのない理想郷。

 

 もう一つは、コタツの中だ。

 

(……ふぅ。生き返るわ)

 

 乾は、コタツの中で完全に液状化していた。

 

 シャワーで泥と血の臭いを洗い流され、ドライヤーで毛並みをふわふわに整えられた彼は、今やコタツの一等(ヒーターの真横)を占拠している。

 

 その背中の上には、ルーター君が乗っかっていた。

 

 爬虫類特有のひんやりとした感触と、内蔵された発熱器官の温かさが心地よい。ルーター君もまた、乾の柔らかい毛皮をクッションにして、幸せそうに明滅している。

 

「あら、猫ちゃん。こっちのピザの耳、食べます?」

 

 コタツの対面から、けだるげな声がした。

 

 バチカンの異端審問官、ソフィアだ。彼女はジャージ姿でコタツに潜り込み、片手にはコーラ、もう片手には『週刊少年チャンプ』を持っていた。

 

 その瞳に、いつもの聖職者の威厳はない。あるのは「怠惰」という名の原罪だけだ。

 

「やめろソフィア。猫に塩分過多なものを与えるな。あと私のコーラを勝手に飲むな」

 

 ルートがポテチを(かじ)りながら、テレビのリモコンを操作する。

 

 画面には深夜アニメの再放送が流れている。

 

 外の冷たい雨が嘘のような、堕落しきった空間。

 

 乾は、ルーター君の重みを感じながら、ぼんやりとテレビを眺めた。

 

「そういえばな、猫」

 

 ルートが、不意に口を開いた。

 

「さっき外に、ヤバい奴がいたんだ」

 

 乾の耳がピクリと動く。

 

「目が死んでて、全身から血の臭いがするような男だ。あんなのと関わったら、ロクなことにならんぞ。お前も外に出る時は気をつけろよ」

 

 ルートは本気で心配していた。

 

 彼にとって、先程の「人間」は排除すべき敵であり、この「乾」は守るべき家族なのだ。

 

 その滑稽なすれ違いに、乾は小さく喉を鳴らして笑った。

 

「ニャー(……そうね。あんな男、私も大嫌いだわ)」

 

 乾は同意するように鳴き、コタツの中に顔を埋めた。

 

 ここには、殺し屋の「乾煉太郎」を知る者はいない(一匹のトカゲを除いて)。

 

 だからこそ、この場所だけが、彼が唯一仮面を外せる安息地なのかもしれない。

 

 その時、アパートのチャイムが唐突に鳴り響いた。

 

「ん? 誰だ、またピザか?」

 

 ルートが顔を上げる。

 

 猿渡が「頼んでないぞ」と(いぶか)しげに立ち上がり、玄関へ向かう。

 

 やがて戻ってきた猿渡の手には、高級そうな和紙で包まれた重箱のような包みがあった。

 

「……なんか、ウーバー○ーツが来たぞ。宛名は『そこの黒猫』。送り主は『D』だと」

「は? 猫宛て?」

 

 ルートが包みを開ける。

 

 中から現れたのは、美しく盛り付けられた『特上・カツオのたたき(薬味マシマシ)』の山だった。

 

 コンビニの惣菜とは格が違う、料亭レベルの輝きを放っている。

 

「うおおお! 刺身だ! さすが日本の物流、猫へのサービスも手厚いな!」

 

 ルートが歓喜し、勝手に箸を伸ばそうとする。

 

 ソフィアも「日本酒に合いますわね」と目を輝かせる。

 

 だが、乾だけは、その送り主に気づいていた。

 

 『D』――堂目木(Doumeki)。

 

 あの堅物が、わざわざ現物を送りつけてきたのだ。メールひとつ送らず、物理的な餌付けで済ませようとするあたりが、いかにもあの男らしい。

 

(……フン。余計なお世話よ)

 

 乾は呆れたように鼻を鳴らしたが、その口元はわずかに緩んでいた。

 

 彼はコタツから這い出し、その新鮮な赤身に舌鼓を打つことにした。

 

 冷え切った身体には、他人の不器用な優しさが一番の薬だ。

 

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