前回のあらすじ:
銀河最強のニート・ルートは、高級焼肉と黄金林檎という「資本主義の暴力」によって見事に餌付けされた。
一方、猿渡恭介はスパチャの味を占め、ルートを「ドル箱」として運用する覚悟を決めた。
私の胃薬のストックは、残り三錠である。
■□■□
ゲフッ。
品のないゲップが、ダンジョンの安全地帯に響いた。
ルートは空になった皿の前で、満足げに腹をさすっている。
その腹の中には、一般市民の月収に匹敵する価格の食材が収まっている。
「ふぅ……。悪くない膳だったぞ、人間。貴様の信仰心、胃袋で確かに感じた」
ルートは爪楊枝(猿渡が削った枝)で歯をシーシーさせながら、偉そうに頷いた。
神としての威厳は、食欲というブラックホールに飲み込まれて消滅したらしい。
対する猿渡は、余韻に浸ることもなく、タブレット端末に表示される数字の羅列を凝視していた。
「……なるほど。咀嚼音に対する需要がこれほど高いとはな」
彼の目は、科学者のそれだった。
「『ASMR』というジャンルか。お前が林檎をかじった瞬間、同接数が15%跳ね上がった。視聴者は『良い音だ』『鼓膜が幸せ』と書き込んでいる。……理解不能だが、金になるなら採用だ。次からはマイクのゲインを上げよう」
猿渡はブツブツと独り言を言いながら、次回の実験(配信)計画を練っている。
その背中を、暇を持て余したルートが覗き込んだ。
「おい人間。さっきから何をニヤニヤ見ているのだ? エロ画像か?」
「仕事だ。……ほら、これを見ろ」
猿渡は面倒くさそうに、タブレットの画面をルートに向けた。
そこには、滝のように流れる文字列――コメント欄が表示されていた。
「死神ちゃん完食えらい!」
「いい食べっぷりだったw」
「S氏、次はデザートも頼む」
「この子、口の周りベタベタで草」
「尊い……これタダで見れていいのか?」
猛烈な勢いで流れていく文字の奔流。
それを見た瞬間、ルートの銀色の瞳が見開かれた。
「な、なんだこれは……!?」
「視聴者のコメントだ。リアルタイムでお前の行動を見ている人間たちの反応だよ」
猿渡は適当に答えた。
だが、その言葉はルートの脳内で、都合よく超訳された。
(リアルタイムの……反応だと……!?)
ルートは震えた。
かつて彼/彼女が見てきた文明では、祈りは一方的なものだった。
神殿の奥で、捧げられる供物をただ待つだけの退屈な日々。
だが、これは違う。
彼らの声が、文字となって直接届いている。
「こ、これはつまり……信者からの祝詞ということか!?」
「まあ、広義にはそうなるな(スパチャも飛んでるし)」
「おお……! 見ろ猿渡! この『w』という文字! これはきっと、吾輩への畏怖を表す古代ルーン文字に違いない!」
違います。それは「笑い(warai)」の略です。お前は笑われています。
しかし、悲しいかな。数万年引きこもっていたニート神(死神)に、ネットスラングを解読する知識はない。
ルートは画面に顔を近づけ、流れる文字を貪るように読み始めた。
「顔近っ!」
「肌きれいすぎだろ……毛穴どこだよ」
「ドアップ助かる」
「『w』がルーン文字は草」
「厨二病設定守ってて偉いねぇ〜」
「かわいい」
「『かわいい』……? ふっ、またその言葉か」
ルートはフンと鼻を鳴らし、カメラに向かってバッと髪をかき上げた。
「ククク……人間どもよ。吾輩の恐ろしさを『かわいい(=愛すべき恐怖)』と表現するとはな。その歪んだ感性、嫌いではないぞ!」
ドヤァ……。
完璧なキメ顔。
しかし、口元にはステーキのタレがついている。
コメント欄が「かわいいwww」「タレついてるぞ神様」「誰か拭いてあげて」で埋め尽くされる。
ルートはそれを「称賛の嵐」と受け取り、満足げに頷いた。
「うむ、うむ! 苦しゅうない! もっと崇めるがよい!」
チョロい。
チョロすぎるぞ、銀河最強種。創造主たちが草葉の陰で泣いているぞ。
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休憩を終え、二人は再びダンジョンの探索を開始した。
猿渡は右手にカメラ、左手にタブレットを持ち、常にコメント欄を監視している。
「おい猿渡。民草が『右の道が気になる』と言っているぞ。右に行こう」
「却下だ。右は風の通り方からして行き止まりだ」
「むぅ……冷たい奴め。せっかくの願いを」
猿渡は、いわゆる「指示厨」のコメントは徹底的に無視するスタイルを貫いていた。
探索のプロにとって、素人の指図ほどノイズになるものはない。
だが。
¥10,000
【S氏へ。その子の衣装、背面構造どうなってるの? 鎌がどうやって固定されてるのか気になる。一回回ってみせて】
画面が赤く光った瞬間、猿渡の足が止まった。
「ルート、止まれ」
「ん? 敵か?」
「いや、スポンサー様からの勅命だ。……回れ」
「は?」
ルートが間の抜けた声を上げる。
「回れだと? なぜ吾輩がそんな……」
「一万円だ」
「!」
「一万円あれば、あの『コンソメパンチ(Lサイズ)』が数十袋買える」
「…………」
ルートの喉がゴクリと鳴った。
プライドとポテチ。
天秤にかけるまでもない。
「……ふ、ふん。まあよい。信者がどうしても吾輩の背中を見たいと懇願するなら、見せてやるのが神の慈悲というもの」
ルートはその場で軽く屈伸すると、カメラに向かって不敵に微笑んだ。
「瞬きするなよ? 吾輩の華麗なるターン、その網膜に焼き付けるがいい!」
そして。
ルートは回った。
フィギュアスケート選手も裸足で逃げ出す、超高速スピンで。
ヒュンッ!!!
『あ』
視聴者がコメントを上げる間もなかった。
ルートの背中には、身長ほどもある巨大な「死神の大鎌」が背負われている。
それが、超高速で旋回したらどうなるか。
物理学の授業を始めよう。
遠心力によって加速された鎌の刃先は、音速を超え、凶悪な回転ノコギリと化す。
ガガガガガガガガガッ!!!
「ぬおぉ!?」
けたたましい破砕音と共に、坑道の壁(岩盤)が豆腐のように切り裂かれていく。
さらに、回転の軌道上には、カメラを構えた猿渡の首があった。
「危なっ――」
猿渡は無表情のまま、マトリックスのような動きで上半身を直角に逸らした。
一瞬前まで彼の首があった空間を、鎌の刃がブンッ!!と通過する。
数本の髪の毛が、ハラハラと宙を舞った。
「……ふぅ。止まれ馬鹿! 殺す気か!」
「おわわわわ! め、目が回るぅぅぅ……!」
ルートは三半規管をやられたのか、千鳥足でヨロヨロとよろめき、最後は顔面から地面に突っ込んだ。
ドサッ。
静寂が戻る。
残されたのは、水平に深く切り裂かれた岩壁と、頭を抱える猿渡、そして目を回して伸びている死神の姿だけ。
コメント欄は、阿鼻叫喚と爆笑の渦に包まれていた。
そして――。
「うぅ……ぐにゃぐにゃする……」
地面に倒れ伏したルートのローブが、衝撃ではだけていた。
もともと背中が大きく開いたデザインだったのか、それとも今の回転でズレたのか。
雪のように白い背中が、ライトに照らされて露わになっていた。
華奢な肩甲骨が、まるで折れた天使の翼のように浮き出ている。
ダンジョンの無機質な岩肌の上に、場違いなほど滑らかで、透き通るような肌が晒されている。
それは、不覚にも「神々しい」とすら思える光景だった。
「!?」
「うおおおおおお!!」
「背中! 背中キタ!」
「え、めっちゃ綺麗……」
「S氏! グッジョブ! もっと寄って!」
「ありがとうございますありがとうございます」
コメント欄の速度が倍になった。
悲しいかな、人類の欲望はわかりやすい。
なお、ルートの種族に明確な性別はない。
猿渡は、ため息をつきながらカメラを近づけた。
「……チッ。衣服の露出構造か」
彼は視聴者の熱狂など意に介さず、露出した背中へレンズを向けた。
いや、正確には背中ではない。
「脊椎のラインに歪みはないな。……ほう、肩甲骨周りの筋肉、ヒューマノイドタイプにしては可動域が広い。今の遠心力に耐えたのか」
この男、骨と筋肉しか見ていない。
世の男性諸君が色めき立つ白い肌も、彼にとっては「外皮サンプル」でしかないのだ。
「んぅ……撮るな……恥ずかしい……」
ルートが顔を赤くして身じろぎする。
その微かな抵抗が、かえって背中のラインを艶めかしく強調させてしまうことを、この残念な神は知らない。
「『恥ずかしい』いただきました!!」
「ご褒美です」
「S氏、そのアングル天才か?」
「骨格フェチのS氏が輝いているw」
「スクショ止まらん」
こうして、インターネットの海に、また一つ新たな「神の奇跡(サービスシーン)」が刻まれたのだった。
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騒動が一段落し、再び歩き始めた頃。
コメント欄に、異質な存在が現れた。
Inari_Fox_09: 「破廉恥ですわ!!!」
Inari_Fox_09: 「公衆の面前で肌を晒すなど、言語道断! はしたないにも程があります!」
Inari_Fox_09: 「S! あなたもあなたです! なぜすぐに隠してあげないのですか!? デリカシーという言葉をご存じなくて!?」
Inari_Fox_09: 「その娘もその娘です! 隙がありすぎます! 幻種としての誇りはないのですか!?」
連投される長文。
古参のファンか、口うるさい姑か。
IDの「Inari(稲荷)」と「Fox(狐)」が、その正体を隠す気がないほど主張している。
猿渡は眉間の皺を深くした。
「……チッ。タチの悪い指示厨が湧いたな」
彼は「Inari_Fox_09」のコメントをタップすると、迷うことなく操作した。
ポチッとな。
【ユーザー Inari_Fox_09 をブロックしました】
「よし。浄化完了」
「ん? 今、何か言ったか?」
「いや、スパム報告をしただけだ。行くぞ」
ああ……。
京都の方角から、世界を揺るがすほどの絶叫と殺気が放たれたのを、私は確かに感じ取った。
猿渡よ。お前は今、核ミサイルの発射ボタンよりも危険なスイッチを押したのだぞ。
私の胃がキリキリと音を立てる。
しかし、彼らの受難はそれだけでは終わらない。
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「む……? なんだこの道は。ヌルヌルするぞ」
ルートが不快そうに足を上げた。
いつの間にか、ダンジョンの通路は変貌していた。
硬い岩盤だった床や壁が、半透明の粘液に覆われている。
天井からは、スライム状の滴がポタポタと落ち、酸っぱいような刺激臭が鼻を突く。
「うわ、靴の裏が糸を引く。汚らわしい! 吾輩の新品のブーツが!」
「静かにしろ。……成分分析完了」
猿渡は指先で粘液を拭い、携帯用のリトマス試験紙に付けた。
紙が瞬時に赤黒く変色する。
「pH1.5。強酸性だ。ここは『アシッド・スライム』の群生地だな」
「あ、あしっど? 酸だと!?」
ルートが飛び退く。
しかし、猿渡の目は怪しく輝いていた。
彼は懐から高解像度のマクロレンズを取り出し、装着する。
「素晴らしい……。ルート、前に出ろ」
「は? 嫌だぞ! 服が溶けるではないか!」
「服などどうでもいい。貴重なデータが取れるチャンスだ」
猿渡は、科学者の狂気を宿した瞳で、ニートの神を見据えた。
「お前の皮膚が、強酸に対してどのような耐性を示すのか……あるいは溶けて爛れるのか。その過程を4K・60fpsで記録する」
「き、貴様ァァァ!! さっきの肉の恩をもう忘れたのかァァァ!!」
ルートの悲鳴が、粘液まみれの通路に木霊する。
コメント欄には「溶解プレイ」「S氏の性癖が歪みすぎている」「逃げて超逃げて」という文字が踊る。
だが、逃げ場はない。
前方からは、ゼリー状の巨体が、不気味な音を立てて迫ってきていた。
次回、「粘液まみれの耐久テスト」。
私の胃に穴が開くのが先か、ルートの服が溶けるのが先か。
賭け率は五分五分である。