木星引きニート、回線落ちしたから地球へ行く   作:佐竹福太郎

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第七話 死神の鎌はゼリーの夢を見るか

前回のあらすじ:

 銀河最強のニート・ルートは、視聴者という名の信者を獲得し、承認欲求を満たし始めていた。

 

 しかし、ダンジョンはそう甘くない。

 

 彼らの前に立ちはだかるのは、生理的嫌悪感の塊――スライムである。

 

 私の胃薬は、残り二錠。

 

 どうか、これがなくなる前に、この茶番が終わってくれることを切に願う。

 

■□■□

 

 薄暗い坑道に、ピチャピチャという不快な水音が響いている。

 

 壁も床も、半透明の粘液でコーティングされたそこは、潔癖症の死神()にとって地獄そのものだった。

 

「ええい、寄るな! 寄るなと言っているのだ下等生物め!」

 

 ルートが悲鳴を上げながら、愛用の武器である死神の大鎌デス・サイズを振り回す。

 

 相手は「アシッド・スライム」。

 

 強酸性の消化液を撒き散らす、ゼリー状の群体だ。

 

 ルートは腰が引けた状態で、精一杯の威嚇攻撃を繰り出した。

 

「消え去れ! 死刑執行!」

 

 ブォンッ!!!

 

 風切り音と共に、巨大な刃がスライムの核を捉え――

 

 ボヨヨンッ。

 

「……は?」

 

 刃は、スライムの弾力あるボディに深く食い込み、そして止まった。

 

 切断できない。

 

 物理的な刃物は、不定形の流体に対してあまりに無力だった。

 

「ぬ、抜けん!? なんだこの弾力は!?」

 

 ルートが慌てて柄を引っ張る。

 

 しかし、スライムは獲物を逃がすまいと、その粘着質な身体で刃を包み込んでいく。

 

 まるで、愛しい恋人にしがみつくかのように。

 

 ……いや、違うな。

 

 ただの表面張力と粘着だ。

 

 銀河を破壊できる筋力があるなら、鎌ごと引きちぎればいいものを。

 

 なぜこの神は、パニックになるとIQがミジンコ以下になるのか。いや元からか。

 

「し、しまっ――」

 

 さらに、不幸は重なる。

 

 武器に気を取られていたルートの足元に、別のスライムが音もなく忍び寄っていたのだ。

 

 ニチャア……

 

「ひぃっ!?」

 

 冷たく、濡れた感触が足首を掴む。

 

 スライムはブーツを覆い隠し、そのままふくらはぎへと這い上がってきた。

 

 接着剤のような拘束力に、ルートはバランスを崩し、その場に縫い止められる。

 

「う、嘘だろ!? 足が動かん! 離せ、離れろ!」

 

 藻掻けば藻掻くほど、粘液の糸が絡みつき、ルートの自由を奪っていく。

 

 完全な捕食体勢。

 

 だが、スライムの狙いは捕食だけではなかったらしい。

 

 背後から忍び寄った三体目のスライムが、触手のように変形し、ルートが纏っている漆黒のローブの裾を掴んだのだ。

 

「あ、おい、何をする気だ貴様!?」

 

 スライムが触手を持ち上げる。

 

 それに従い、闇のように重厚だったローブが、ゆっくりと捲れ上がっていく。

 

 パラリ。

 

 露わになったのは、ローブの下に隠されていた、これまた漆黒のゴシック・ドレスだった。

 

 白い肌とのコントラストが眩しい、重厚なフリルとレースの塊である。

 

や、やめろぉぉぉ! 見るなぁぁぁ!!

 

 ルートの絶叫が響く。

 

 しかし、スライムは無慈悲にもローブを腰の高さまで持ち上げ、さらにその粘着質の触手でドレスの裾をも侵食し始める。

 

 絶対領域があらわになり、白く滑らかな太腿に、半透明の触手が這う。

 

「!?」

「黒ドレス!?」

「ローブの下、ゴスロリだったのかよ!!」

「スライム有能すぎる」

「触手プレイきたあああああ」

「あざとい……だがそれがいい」

「¥10,000」

 

 コメント欄が加速する。

 

 人間の欲望とは、かくも浅ましく、そして正直なものか。

 

 神聖なる儀式用のローブを、こうも安易な「めくりイベント」に使われるとは、古代銀河文明のデザイナーも泣いているだろう。

 

 それを見た猿渡恭介は、冷静にカメラのズームを調整した。

 

 相棒が触手に吊るされかけているというのに、彼に焦る様子は微塵もない。

 

「ふむ。表面張力と粘度のバランスが絶妙だ。それに、あの素材……」

 

 猿渡は、科学者の狂気を宿した瞳で、ニヤリと笑った。

 

「スライムの消化液はpH1.5。それに対し、お前のドレスの繊維――おそらく特殊な合成繊維だろうが――がどのような耐酸性を示すのか。そして皮膚がどのような防衛反応を示すのか……見せてもらおうか」

 

 ……おい。

 

 今すぐ警察に通報したいが、残念ながらここには配信以外の電波も法律も届かない。

 

 この男、相棒のピンチに際して、心配するどころか「実験動物」を見る目で観察を始めたぞ。

 

「ま、待て猿渡! 撮影している場合か! 助けろ! 吾輩の特注のドレスが汚れるだろうが!」

「断る。お前の『生体反応』を記録する絶好の機会だ」

 

 次の瞬間。

 

 鎌の柄を伝っていたスライムの一部が「分離」した。

 

 それは蛇のように柄を這い上がり、ルートの白い手袋を侵食し、二の腕へと到達する。

 

「ひっ!?」

 

 ルートが硬直した。

 

 スライムは衣服の隙間を的確に見つけ出し、めくれ上がったドレスの内側、そして背中へと滑り込んだ。

 

「ひッ、ぁ……!? やめ、冷たい……! ドレスの中に入ってきてるぅぅ!!」

 

 スライムは、ルートの背中へと回り込んだ。

 

 人間よりも数℃低い体温を持つスライムの冷たさが、敏感な背骨のラインを愛撫するように這い上がる。

 

んひぃっ! 冷たいっ、変な感じがするぅ……!

 

 ルートの口から、死神にあるまじき声が漏れる。

 

 生理的な不快感と、未知の感触に対する恐怖。

 

 その結果、彼の反応は、傍から見れば極めて「艶めかしい」ものになっていた。

 

 猿渡は、その様子を高解像度のマクロレンズで執拗に追う。

 

「素晴らしい……! 見ろ、この脊柱起立筋の収縮を!」

 

 猿渡の声が、興奮で上ずった。

 

交感神経が刺激され、立毛筋が収縮している! だが、お前には毛穴がない! 毛穴がないのに鳥肌が立とうとしている、この矛盾した皮膚の質感! そして異物の侵入に対する、血管の急激な拡張!」

 

 彼は被写体の「色気」など見ていない。

 

 見ているのは、未知の生物の「生体データ」のみ。

 

 ……ドン引きである。

 

 普通の男なら鼻の下を伸ばす場面だろうが、この男は顕微鏡でも覗くような目つきで、美少女の鳥肌を分析している。

 

 どっちがモンスターなのか、そろそろ定義を見直すべきではないか?

 

「いいぞ、もっと悶えろ! その紅潮した肌こそが、生命の神秘だ!」

「き、貴様ぁ……! ひとごとだと思って……! くぅッ、そこはダメだ、背中は……っ!

 

 スライムは容赦ない。

 

 背中を堪能した次は、前へと回り込む。

 

 首筋から鎖骨、そして無防備な胸元へ。

 

 ヌルリ。

 

ひあぁっ!?♡

 

 ダンジョンに、甘く、か細い悲鳴が響き渡った。

 

 スライムの本体が、ついに胸元――黒いドレスと白い肌の境界線へと侵入を果たしたのだ。

 

 だが、そこで悲劇が起きる。

 

 スライムは戸惑っていた。

 

「あるはずのもの」がないからだ。

 

 膨らみという名の障害物が存在しないその平野(フラットランド)で、スライムは行き場を失い、あちこちを這い回り始めた。

 

「ひぁっ、うぅっ……! そこ、何もないぞ! 何もないのになぜ這い回る……! くすぐったい、気持ち悪い……!」

 

 ルートが涙目で身をよじる。

 

 スライムは、わずかな起伏を探すように、鎖骨の下から胸の中心、そして脇の方へと執拗に移動を繰り返す。

 

 冷たく、ヌメヌメとしたゼリーが、敏感な皮膚の上で踊り狂う。

 

「ふむ。興味深い」

 

 猿渡が冷静に呟いた。

 

「脂肪組織による抵抗が皆無なため、スライムの移動速度が落ちないな。大胸筋の表面を滑るように移動している。まるでスケートリンクだ」

うるさい! 解説するな! 吾輩の胸はリンクではない!

「ああ、すまない。まな板だったか」

「殺すぞ貴様ァ!!」

 

「まな板www」

「S氏容赦なくて草」

「スライム困惑中で草」

「そこは聖域だぞスライム君」

「ある意味、究極のバリアフリー」

 

 コメント欄が爆笑の渦に包まれる中、スライムによる陵辱(という名の散歩)は続いた。

 

 数分間にわたり、スライムはルートの胸元を思う存分に堪能し尽くした。

 

 そして。

 

 ピタリ。

 

 不意に、スライムの動きが止まった。

 

 胸の中心、心臓の鼓動が聞こえるあたりで、スライムが静止したのだ。

 

 どうやら、そこが一番温かくて居心地が良かったらしい。

 

「……ひっ、うぅ……?」

 

 ルートが怯えたように目を開ける。

 

 スライムはもう動かない。

 

 ただ、プルプルと微かに震えながら、ルートの胸元に鎮座しているだけだ。

 

 奇妙な静寂が訪れる。

 

 動けばまたヌルヌルされるという恐怖で、ルートは身動きが取れない。

 

「…………」

「…………」

 

 スライムは、まるでそこが自分の巣であるかのように、くつろぎ始めた。

 

 ルートのドレスの中で。

 

 ルートの薄い胸の上で。

 

 完全に「所有物」として扱われている。

 

 その事実が、じわじわとルートの脳に浸透していった。

 

(……吾輩は……銀河最強の生体兵器だぞ……?)

 

 恐怖が引いていくと同時に、底知れぬ屈辱と怒りが湧き上がってくる。

 

 こいつは、吾輩を餌と認識しているのではない。

 

 「手頃な暖房器具」扱いしているのだ。

 

「……いい加減に……」

 

 ルートの手から、鎌が離れた。

 

 カラン、と乾いた音がする。

 

 胸元で微睡むスライムを見下ろし、ルートは右手を高く振り上げた。

 

「いい加減にしろォォォォォォッ!!!」

 

 それは、拳ではない。

 

 平手打ち。

 

 乙女の(中身はニートだが)尊厳を守るための、渾身のビンタである。

 

 ただし、その腕力は惑星破壊級。

 

パァァァァァァンッ!!!!

 

 破裂音。

 

 いや、それはもはや爆発音だった。

 

 ルートの掌が、胸元のスライム(と、ついでに自分の鎖骨付近)を叩いた瞬間。

 

 運動エネルギーが熱エネルギーへと変換され、衝撃波が発生した。

 

 ボシュッ!!!

 

 スライムは、悲鳴を上げる暇もなかった。

 

 叩かれた箇所を中心に、細胞の一つ一つが瞬時に沸騰し、気化し、分子レベルで消滅したのだ。

 

 ……ニュートンが林檎の木の下で泣くレベルだ。

 

 「平手打ちで物体をプラズマ化させる」など、物理法則への冒涜にも程がある。

 

 後に残ったのは、もうもうと立ち昇る白い蒸気と、自らのビンタで少し赤くなった自分の胸元だけ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……気安く……くつろぐな……変態ゼリーが……

 

 ルートは肩で息をしながら、涙目で胸元を隠した。

 

 その姿は、暴漢を撃退した悲劇のヒロインのように美しく――そして、なぜか漂う蒸気のせいで、事後のようにも見えた。

 

 猿渡は、カメラから目を離すと、心底残念そうに溜息をついた。

 

「……チッ。貴重なサンプルを蒸発させるとは。これだから脳筋は」

「うるさい! 訴えてやる! 宇宙裁判所に訴えてやるぞ!」

 

「スライム消えたwww」

「物理で蒸発させたぞ今の」

「今の音、ビンタの音じゃねえよ! 爆竹だよ!」

「S氏の解説がガチすぎて逆に引くw」

「でも最後の泣き顔、最高でした……」

「神回確定」

「¥50,000」

 

 こうして、「神の鎌」は見事に役立たずであることが証明され、代わりに「神のビンタ」という新たな伝説が刻まれた。

 

 なお、スライムの粘液でベタベタになったドレスを洗濯するため、ルートはこの後、泣きながら猿渡に「洗浄魔法(そんなものはないので水洗い)」をねだることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 それよりも大事な話がある。

 

 私の胃薬の在庫が切れた。

 

 誰か、至急補給を頼む。

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