前回のあらすじ:
銀河最強のニート・ルートは、視聴者という名の信者を獲得し、承認欲求を満たし始めていた。
しかし、ダンジョンはそう甘くない。
彼らの前に立ちはだかるのは、生理的嫌悪感の塊――スライムである。
私の胃薬は、残り二錠。
どうか、これがなくなる前に、この茶番が終わってくれることを切に願う。
■□■□
薄暗い坑道に、ピチャピチャという不快な水音が響いている。
壁も床も、半透明の粘液でコーティングされたそこは、潔癖症の死神()にとって地獄そのものだった。
「ええい、寄るな! 寄るなと言っているのだ下等生物め!」
ルートが悲鳴を上げながら、愛用の武器である死神の大鎌を振り回す。
相手は「アシッド・スライム」。
強酸性の消化液を撒き散らす、ゼリー状の群体だ。
ルートは腰が引けた状態で、精一杯の威嚇攻撃を繰り出した。
「消え去れ! 死刑執行!」
ブォンッ!!!
風切り音と共に、巨大な刃がスライムの核を捉え――
ボヨヨンッ。
「……は?」
刃は、スライムの弾力あるボディに深く食い込み、そして止まった。
切断できない。
物理的な刃物は、不定形の流体に対してあまりに無力だった。
「ぬ、抜けん!? なんだこの弾力は!?」
ルートが慌てて柄を引っ張る。
しかし、スライムは獲物を逃がすまいと、その粘着質な身体で刃を包み込んでいく。
まるで、愛しい恋人にしがみつくかのように。
……いや、違うな。
ただの表面張力と粘着だ。
銀河を破壊できる筋力があるなら、鎌ごと引きちぎればいいものを。
なぜこの神は、パニックになるとIQがミジンコ以下になるのか。いや元からか。
「し、しまっ――」
さらに、不幸は重なる。
武器に気を取られていたルートの足元に、別のスライムが音もなく忍び寄っていたのだ。
ニチャア……
「ひぃっ!?」
冷たく、濡れた感触が足首を掴む。
スライムはブーツを覆い隠し、そのままふくらはぎへと這い上がってきた。
接着剤のような拘束力に、ルートはバランスを崩し、その場に縫い止められる。
「う、嘘だろ!? 足が動かん! 離せ、離れろ!」
藻掻けば藻掻くほど、粘液の糸が絡みつき、ルートの自由を奪っていく。
完全な捕食体勢。
だが、スライムの狙いは捕食だけではなかったらしい。
背後から忍び寄った三体目のスライムが、触手のように変形し、ルートが纏っている漆黒のローブの裾を掴んだのだ。
「あ、おい、何をする気だ貴様!?」
スライムが触手を持ち上げる。
それに従い、闇のように重厚だったローブが、ゆっくりと捲れ上がっていく。
パラリ。
露わになったのは、ローブの下に隠されていた、これまた漆黒のゴシック・ドレスだった。
白い肌とのコントラストが眩しい、重厚なフリルとレースの塊である。
「や、やめろぉぉぉ! 見るなぁぁぁ!!」
ルートの絶叫が響く。
しかし、スライムは無慈悲にもローブを腰の高さまで持ち上げ、さらにその粘着質の触手でドレスの裾をも侵食し始める。
絶対領域があらわになり、白く滑らかな太腿に、半透明の触手が這う。
「!?」
「黒ドレス!?」
「ローブの下、ゴスロリだったのかよ!!」
「スライム有能すぎる」
「触手プレイきたあああああ」
「あざとい……だがそれがいい」
「¥10,000」
コメント欄が加速する。
人間の欲望とは、かくも浅ましく、そして正直なものか。
神聖なる儀式用のローブを、こうも安易な「めくりイベント」に使われるとは、古代銀河文明のデザイナーも泣いているだろう。
それを見た猿渡恭介は、冷静にカメラのズームを調整した。
相棒が触手に吊るされかけているというのに、彼に焦る様子は微塵もない。
「ふむ。表面張力と粘度のバランスが絶妙だ。それに、あの素材……」
猿渡は、科学者の狂気を宿した瞳で、ニヤリと笑った。
「スライムの消化液はpH1.5。それに対し、お前のドレスの繊維――おそらく特殊な合成繊維だろうが――がどのような耐酸性を示すのか。そして皮膚がどのような防衛反応を示すのか……見せてもらおうか」
……おい。
今すぐ警察に通報したいが、残念ながらここには配信以外の電波も法律も届かない。
この男、相棒のピンチに際して、心配するどころか「実験動物」を見る目で観察を始めたぞ。
「ま、待て猿渡! 撮影している場合か! 助けろ! 吾輩の特注のドレスが汚れるだろうが!」
「断る。お前の『生体反応』を記録する絶好の機会だ」
次の瞬間。
鎌の柄を伝っていたスライムの一部が「分離」した。
それは蛇のように柄を這い上がり、ルートの白い手袋を侵食し、二の腕へと到達する。
「ひっ!?」
ルートが硬直した。
スライムは衣服の隙間を的確に見つけ出し、めくれ上がったドレスの内側、そして背中へと滑り込んだ。
「ひッ、ぁ……!? やめ、冷たい……! ドレスの中に入ってきてるぅぅ!!」
スライムは、ルートの背中へと回り込んだ。
人間よりも数℃低い体温を持つスライムの冷たさが、敏感な背骨のラインを愛撫するように這い上がる。
「んひぃっ! 冷たいっ、変な感じがするぅ……!」
ルートの口から、死神にあるまじき声が漏れる。
生理的な不快感と、未知の感触に対する恐怖。
その結果、彼の反応は、傍から見れば極めて「艶めかしい」ものになっていた。
猿渡は、その様子を高解像度のマクロレンズで執拗に追う。
「素晴らしい……! 見ろ、この脊柱起立筋の収縮を!」
猿渡の声が、興奮で上ずった。
「交感神経が刺激され、立毛筋が収縮している! だが、お前には毛穴がない! 毛穴がないのに鳥肌が立とうとしている、この矛盾した皮膚の質感! そして異物の侵入に対する、血管の急激な拡張!」
彼は被写体の「色気」など見ていない。
見ているのは、未知の生物の「生体データ」のみ。
……ドン引きである。
普通の男なら鼻の下を伸ばす場面だろうが、この男は顕微鏡でも覗くような目つきで、美少女の鳥肌を分析している。
どっちがモンスターなのか、そろそろ定義を見直すべきではないか?
「いいぞ、もっと悶えろ! その紅潮した肌こそが、生命の神秘だ!」
「き、貴様ぁ……! ひとごとだと思って……! くぅッ、そこはダメだ、背中は……っ!」
スライムは容赦ない。
背中を堪能した次は、前へと回り込む。
首筋から鎖骨、そして無防備な胸元へ。
ヌルリ。
「ひあぁっ!?♡」
ダンジョンに、甘く、か細い悲鳴が響き渡った。
スライムの本体が、ついに胸元――黒いドレスと白い肌の境界線へと侵入を果たしたのだ。
だが、そこで悲劇が起きる。
スライムは戸惑っていた。
「あるはずのもの」がないからだ。
膨らみという名の障害物が存在しないその
「ひぁっ、うぅっ……! そこ、何もないぞ! 何もないのになぜ這い回る……! くすぐったい、気持ち悪い……!」
ルートが涙目で身をよじる。
スライムは、わずかな起伏を探すように、鎖骨の下から胸の中心、そして脇の方へと執拗に移動を繰り返す。
冷たく、ヌメヌメとしたゼリーが、敏感な皮膚の上で踊り狂う。
「ふむ。興味深い」
猿渡が冷静に呟いた。
「脂肪組織による抵抗が皆無なため、スライムの移動速度が落ちないな。大胸筋の表面を滑るように移動している。まるでスケートリンクだ」
「うるさい! 解説するな! 吾輩の胸はリンクではない!」
「ああ、すまない。まな板だったか」
「殺すぞ貴様ァ!!」
「まな板www」
「S氏容赦なくて草」
「スライム困惑中で草」
「そこは聖域だぞスライム君」
「ある意味、究極のバリアフリー」
コメント欄が爆笑の渦に包まれる中、スライムによる陵辱(という名の散歩)は続いた。
数分間にわたり、スライムはルートの胸元を思う存分に堪能し尽くした。
そして。
ピタリ。
不意に、スライムの動きが止まった。
胸の中心、心臓の鼓動が聞こえるあたりで、スライムが静止したのだ。
どうやら、そこが一番温かくて居心地が良かったらしい。
「……ひっ、うぅ……?」
ルートが怯えたように目を開ける。
スライムはもう動かない。
ただ、プルプルと微かに震えながら、ルートの胸元に鎮座しているだけだ。
奇妙な静寂が訪れる。
動けばまたヌルヌルされるという恐怖で、ルートは身動きが取れない。
「…………」
「…………」
スライムは、まるでそこが自分の巣であるかのように、くつろぎ始めた。
ルートのドレスの中で。
ルートの薄い胸の上で。
完全に「所有物」として扱われている。
その事実が、じわじわとルートの脳に浸透していった。
(……吾輩は……銀河最強の生体兵器だぞ……?)
恐怖が引いていくと同時に、底知れぬ屈辱と怒りが湧き上がってくる。
こいつは、吾輩を餌と認識しているのではない。
「手頃な暖房器具」扱いしているのだ。
「……いい加減に……」
ルートの手から、鎌が離れた。
カラン、と乾いた音がする。
胸元で微睡むスライムを見下ろし、ルートは右手を高く振り上げた。
「いい加減にしろォォォォォォッ!!!」
それは、拳ではない。
平手打ち。
乙女の(中身はニートだが)尊厳を守るための、渾身のビンタである。
ただし、その腕力は惑星破壊級。
パァァァァァァンッ!!!!
破裂音。
いや、それはもはや爆発音だった。
ルートの掌が、胸元のスライム(と、ついでに自分の鎖骨付近)を叩いた瞬間。
運動エネルギーが熱エネルギーへと変換され、衝撃波が発生した。
ボシュッ!!!
スライムは、悲鳴を上げる暇もなかった。
叩かれた箇所を中心に、細胞の一つ一つが瞬時に沸騰し、気化し、分子レベルで消滅したのだ。
……ニュートンが林檎の木の下で泣くレベルだ。
「平手打ちで物体をプラズマ化させる」など、物理法則への冒涜にも程がある。
後に残ったのは、もうもうと立ち昇る白い蒸気と、自らのビンタで少し赤くなった自分の胸元だけ。
「はぁ……はぁ……はぁ……気安く……くつろぐな……変態ゼリーが……」
ルートは肩で息をしながら、涙目で胸元を隠した。
その姿は、暴漢を撃退した悲劇のヒロインのように美しく――そして、なぜか漂う蒸気のせいで、事後のようにも見えた。
猿渡は、カメラから目を離すと、心底残念そうに溜息をついた。
「……チッ。貴重なサンプルを蒸発させるとは。これだから脳筋は」
「うるさい! 訴えてやる! 宇宙裁判所に訴えてやるぞ!」
「スライム消えたwww」
「物理で蒸発させたぞ今の」
「今の音、ビンタの音じゃねえよ! 爆竹だよ!」
「S氏の解説がガチすぎて逆に引くw」
「でも最後の泣き顔、最高でした……」
「神回確定」
「¥50,000」
こうして、「神の鎌」は見事に役立たずであることが証明され、代わりに「神のビンタ」という新たな伝説が刻まれた。
なお、スライムの粘液でベタベタになったドレスを洗濯するため、ルートはこの後、泣きながら猿渡に「洗浄魔法(そんなものはないので水洗い)」をねだることになるのだが、それはまた別の話である。
それよりも大事な話がある。
私の胃薬の在庫が切れた。
誰か、至急補給を頼む。