これは、ルートがスライムと戯れ、猿渡がそれを撮影していたのと同刻のこと。
京都発、東京行きの新幹線。
選ばれし者のみが座ることを許されるグリーン車の座席に、なんとも場違いな、しかし神々しいほどに美しい乗客が鎮座していた。
透き通るような金髪に、深い知性を宿した青い瞳。
西洋人形のように整った愛らしい顔立ちは、どう見ても十代前半の可憐な少女にしか見えない。
だが、その少女が纏っているのは、フリル付きのドレスでも制服でもなく――鮮やかな「紅白の巫女装束」だった。
「あれ、紅教授だよね?」
「ああ、テレビでよく見る……」
「今日は東京で学会か? この格好でグリーン車とは、さすが有名人は肝が据わっているな」
周囲のビジネスマンやマダムたちは、彼女を「天才少女教授」として、遠巻きに尊敬と好奇心の眼差しで見守っていた。
小さな体を大きな座席に沈め、優雅に紅茶を啜るその姿は、まさに深窓の令嬢。
一見すると、日本の未来を憂う若き知性に見えるだろう。
だが騙されてはいけない。
彼女の中身は、年齢不詳(推定50歳以上)の「特級幻種」であり、今タブレットで見ているのは論文ではなく「変態とニートの配信」である。
その小さな手の中で、タブレット端末はミシミシと悲鳴を上げていた。
「ぐぬぬぬぬ……っ! わ、私をブロックするなんて……! 教育してあげようと思ったのに!」
画面には無慈悲なシステムメッセージ。
【エラー:このユーザーはブロックされています】
【コメントを投稿できません】
彼女は猿渡の配信を見ていた。
そして、あの「背中丸出し事件」を目撃し、正義感(と嫉妬)から説教コメントを書き込んで――門から外に叩き出されたのだ。
「信じられませんわ! 私はただ、幻種としての品位を守るためにアドバイスを……!」
プンスカと頬を膨らませるその仕草は、外見年齢相応に愛らしい。
だが、イヤホンから流れてきた音声は、R指定寸前の代物だった。
『ひあぁっ!?♡』
「ッ!?」
画面の中では、スライムがルートの黒いドレスの中に侵入し、白い太腿を這い上がっている真っ最中だった。
ルートの涙目と、艶めかしい悲鳴。
そして、それを接写する猿渡のカメラワーク。
紅の白い肌が、瞬時に茹で蛸のように真っ赤に染まる。
「は、ははは破廉恥な! ここは
お前も
周囲の乗客が画面を覗き込んだら、その瞬間に彼女の社会的地位は消滅するだろう。
(こ、こんなもの、子供の教育に悪すぎますわ! ……いえ、私の実年齢は50を超えていますけれど!)
混乱する思考。
紅は反射的にコメント欄を開こうとした。
『即刻中止しなさい! 不潔ですわ!』と書き込むために。
だが、画面には無慈悲な【ブロックされています】の文字。
「くっ……! 書き込めないなら、見るのをやめるしかありませんわ! こんな汚らわしい映像、これ以上見ていたら私の目が腐ってしまいます!」
怒りと羞恥でパニックになった紅は、慌てて画面を消そうとした。
しかし、普段はIQ200を超える頭脳も、猿渡が絡むとIQ2まで低下する。
彼女の小さな指先が、焦りで滑った。
タップしたのは「動画の停止」ボタンではなく。
その横にあった、「設定」項目のトグルスイッチだった。
Bluetooth切断。
その瞬間。
高性能なノイズキャンセリングイヤホンによって保たれていた「結界」が、消失した。
静まり返ったグリーン車内。
政治経済誌をめくる音と、車輪のわずかな走行音しか聞こえない静寂の空間に。
タブレットのスピーカーから、最大音量の「地獄」が解き放たれた。
■□■□
『素晴らしい……。胸元の血管が興奮で脈打っているぞ』
続けて、
『ひゃうッ!?♡ ……く、入っ……中に入ってきてるぅぅ!!』
「…………」
時が、止まった。
新幹線の車内から、全ての音が消えた。
新聞を読んでいた紳士の手が止まる。
景色を眺めていたマダムが硬直する。
通りかかった車内販売のパーサーが、ワゴンを押す手を止める。
全員の視線が、一点に集中した。
車両の中央。
座席にちょこんと座る、金髪碧眼の巫女服美少女へ。
「あ……」
紅は、サングラスの下で目を見開いたまま、愛らしい口を半開きにして石像のように固まっていた。
タブレットからは、まだ音声が続いている。
『いいぞ、もっと悶えろ! その紅潮した肌こそが、生命の神秘だ!』
『んひぃぃ……! ぬるぬるするぅ……!』
南無三。
もう手遅れだ。
どんなに優秀な弁護士を呼んでも、この状況を「民俗学の研究」と言い張るのは無理がある。
地獄のような数秒間。
紅は震える小さな手で、必死に音量ボタンを連打し、ようやくその喧騒を鎮めた。
再び訪れる静寂。
だが、その空気は、あまりにも重く、そして「生温かい」。
紅は、恐る恐る顔を上げた。
(怒られる……! 幼い見た目で、あんな破廉恥な動画を大音量で……!)
特級幻種として、人間社会のルールを遵守し、「天才少女教授」としての品位を守ってきた彼女にとって、それは耐え難い恥辱。
しかし、周囲の大人たちの反応は、彼女の予想を裏切るものだった。
斜め前のビジネスマンAが、そっと目を逸らし、咳払いをした。
「……ゴホン。まあ、今の若者は早熟だからな……研究熱心なのはいいことだ……うん」
通路を挟んだ隣のマダムBが、慈愛に満ちた、とろけるように優しい瞳で紅を見つめた。
「……いいのよ、先生。天才と呼ばれる人は、どこか……ねぇ? 特殊な性癖をお持ちというものよ。私たち、何も聞かなかったことにしましょうか」
後ろの席の若者が、極小の声で囁き合う。
「見ろよ、紅ちゃんだぜ」
「巫女服で、ロリで、車内で触手動画かよ」
「レベルたけぇ……」
「ある意味、最強のギャップ萌えじゃね?」
怒りではない。
軽蔑でもない。
そこにあったのは、「特殊な性癖を持つ天才ロリ」への、深すぎる理解と同情だった。
人間とは、理解の範疇を超えたものを見た時、自分たちが納得できる「物語」を勝手に構築する生き物である。
だが、その優しさこそが、彼女にとっては致死性の猛毒だった。
「ち……」
紅の口から、魂がヒュルリと抜け出しかける。
「ち、ちが……違いますの……これは、民俗学の調査で……私は、そのような趣味は……」
弁解の言葉は、涙声になって消えた。
彼女は真っ赤な顔で、巫女服の袖で顔を覆い、座席の上でダンゴムシのように丸まった。
(殺す……。恭介……あの泥棒猫……絶対に、殺してやる……!)
京都から東京まで、残り二時間。
その針の筵のような時間は、彼女を「復讐の鬼(見た目は泣きべそをかいた幼女)」へと変えるのに十分すぎる長さだった。
次回、修羅場確定。
私の胃薬は、こうして尽きた。
誰か、至急補給を頼む。