負けヒロインの私、”百合”に走りそうなんですが…!? 作:流星の民(恒南茜)
「……なに、ふざけてるの」
──恋人ごっこ、しない?
涙と一緒に、愛依が突然持ちかけてきた提案。
愛依はどんな傷を背負っていて、どんな望みを抱いているんだろう──内容によっては、互いに傷の舐め合いができるのかもしれないとも思った。
「ううん。ふざけてるわけじゃないよ。あたしは真剣に雫ちゃんと”恋人ごっこ”がしたくて……」
「……それって、どういう意味かわかってるのかしら?」
だけれど、愛依が言う”私が傷つかないための手段”というのが本当に、”恋人ごっこ”なのだとしたら……なんて的はずれなことだろう。
「私、今さっき告白したばかりなのよ? 勇気だって出したのに……もう忘れろってこと?」
なにしろ、それは蔑ろにされているのと同じだった。
心臓の高鳴りも、告白を口にする勇気も、焦りも……決して報われなかったことに腹がたったわけじゃない。
ただ、忘れろというのはあまりにも、私のしてきたことを軽んじていないか。
「そういうわけじゃないけどさ……ただ、傷つきっぱなしの雫ちゃんは嫌だよ……!」
「嫌だって言われてもしょうがないじゃない。だって、私は──」
だって、私は──どうなったか。口にするのが憚られて、わなないた唇を噛み潰す。
いい加減、私自身も起きたことを飲み込まなければいけないんだ。
「……名月くんに、フラレたんだから」
私が自分の口でそう言うとは思っていなかったからだろうか、愛依は目を見開いていた。
「でもさ、フラレたのは雫ちゃんのせいじゃないよ。そんなに自分のことを傷つけなくたって……!」
「私のせいじゃないなら、誰のせいだって言うの!?」
愛依の言うことはずっと一貫している。
あくまでも”私に傷ついてほしくないから”、気遣ってくれているから、優しい言葉をかけてくれるのだ。それでも──ポジティブ思考は彼女の長所でもありつつ、短所でもあった。
その天真爛漫を体現したような太陽の眩しさに救われることだってあれど──過ぎた眩さは毒にしかならない。
それこそ、私にとってはそうだったのだ。
「愛依なのよ……!? 名月くんが好きな人は……私じゃなくて……っ!」
──愛依が言わないでよ。
別に愛依は何も悪くない。そんなことはわかっている。
愛依はたまたま名月くんに好意を向けられた女の子というだけで、悪いのは私でしかない。
だとしても、タイミングが悪すぎる。今しがた告白の返事を聞いた私が”恋人ごっこ”をするだなんて──ましてやその相手が愛依であることがどれだけむごいか知って欲しかった。
そうすれば、愛依ももう”恋人ごっこ”だなんて提案しなくなるだろうから。
「……じゃあさ、あたしが悪いね?」
しばらく黙り込んでいた愛依が次に私を見つめてきた時、その瞳は濡れていた。
「ごめんね」と頭を下げて、背を向けて立ち去っていこうとする彼女にはいつもの天真爛漫さなんて欠片も伺えなくて、悪いことをしてしまったかもしれない、と思った。
──ごめんなさい、私も言い過ぎだった。
そうしてしょげかえる愛依を元に戻したいんだったら、肩を叩いて謝ればいい。
幼馴染として今までやってきたのだ。私たちの間にプライドだとか世間体なんてないんだから、そうすればよかっただけ、なのに……。
鉛のように重くて足は動かない、張り付いた喉からはどんな言葉も出てこなかった。
差し伸べらた手を跳ね除けたのは、そこで踏み出せなかったのは──そもそもフラレたのだって。
全部、私のせいであることに違いはなかった。
◇ ◇ ◇
初恋を無くしたとしても次の一日はやってくる。
花壇に向かわないのなら、昼休みの過ごし方すらも今の私は忘れてしまっていた。
「へー、今日の雫は一人なんだ」
仕方がないから席で読書をしていた時、ふとかけられた声に顔を上げる。
前の席に座っていた女子が体ごと私の方を向いていた。
「一人で悪いかしら?」
「や、雫っていつも愛依とニコイチって感じだからさ。なんかめずらしーなって」
口を開いてみて、すっかり喉が閉じてしまっていることに気づく。
思い返してもみれば、今日はまだ誰とも話していなかった。
「……色々あったのよ、お互いに」
「なに、喧嘩中ってこと? ますますめずらしー!」
実際、私と愛依の関係は喧嘩中に近かった。
正確には私が一方的に拒絶して、愛依が気遣いで話しかけなくなっただけだけれど。
名月くんと過ごす時間もなくなって、愛依とも会話しない日々には何も残らなかった。
「へー、じゃあさ……あ! ごめん、呼ばれたからちょっと行ってくるね?」
「ええ。行ってらっしゃい」
どうやら友達に呼ばれたらしい。私との会話を打ち切ると、女子生徒は教室の外で待っていた子と話し始めて、そのまま教室から出ていってしまう。
そのまま前の席はもぬけの殻に、役目を失った私の声。
思えば、他の誰よりも私のことを優先してくれるのは愛依だけだった。
必ずみんなには他に仲がいい子がいて、私との付き合いなんかよりも優先するべき相手がいて。
だけれど、愛依はいつも私の隣にいた。
──いいの! あたしは雫ちゃんとのお話が大好きだからっ!
人気者の癖に他の子との会話も後回しにして、どんな予定よりも私を優先してくれて。
きっと愛依にとっての私は、一番の子だったのだと思う。それだけ大事にされていた。
じゃあ、今教室の前の方で他の子達と固まっている愛依は何を話しているのだろう。
しばらく観察していると、ちらりと一人が私の方を向く。
もしかして、愛依が私に傷つけられたことを言ったのだろうか……なんて疑念を振り払うために読書に戻るけれど。
ここまで大事にされて、それでも人を疑ってしまう私には──愛依の一番の子でいる資格なんてないに決まっていた。
「……すみません。少しお腹が痛くて、席を外してもよろしいでしょうか」
五限目の授業が始まる直前、先生にそう伝えて教室から出る。
廊下でチャイムの音を聞きながら、教室に入っていく生徒の中に名月くんをみとめて私は足を早めた。
次の授業は名月くんたちのクラスとの合同だ。それも、席順の問題で私たちの位置は近い。
それがたまらなく気まずかったから、仮病を使って鉢合わせを避ける。
当然だけれど、授業中のトイレの個室はしんとしていた。
時折ぽちゃんと水音が反響するけれど、それ以外は何も聞こえない。
スマホも教室に置いてきて時間を潰す手段だってなかったから、やることと言えば思索に耽るだけ。そうなれば、今の私によぎるのは全部嫌なことばかりだ。
『見つけたよ、雫ちゃんっ!」
小学生の時にも一度だけこうして授業をサボったことがあった。
その日はちょうどクラスの子と揉めてしまって、嫌気がさしたから河川敷にまで抜け出した。
とはいっても小学生が一人で河川敷にいたってできることは何もない。腰を下ろして不貞腐れるのが精々だったのに──愛依は、そんな私を見つけ出してくれたのだ。
『どうして愛依まで抜け出してきたの? 別に私のことなんて……気にしなくてもいいのに』
『ん〜、先に雫ちゃんが帰っちゃって寂しかったからかな。一緒に遊んで、一緒に帰ろーよ!』
『……なにそれ』
そんな理由でわざわざ追いかけてきたのか。
半ば呆れ気味ながらも、その時のほっとした気持ちは今でもよく覚えている。
『さすが雫ちゃん上手! じゃあ、あたしも──ふっ!』
『……愛依は全然じゃない。私の見本、よく見てて』
石を川に投げて、跳ねた回数を競うだけ。
あとは運動神経の悪い愛依の手伝いをたまにするぐらい。
それなのに──一つ一つを投げる度に胸がすくようだった。
……というよりも。わざとらしいぐらいに隣で拍手をして、新記録を更新したら飛び上がってハイタッチをしてくれる愛依がいたから。
『あたしね、雫ちゃんといると楽しいの! 毎日顔が見れると思うと学校にいるのも楽しくて、休み時間も昼休みも、帰る時間も──雫ちゃんとお話できるから、全部好き!』
『……愛依は大げさすぎるわよ』
『ううんっ、大げさじゃないよっ! だって──』
──あたしは雫ちゃんが大好きだから!
「……ぅぁっ」
こんな言葉、思い出すだけ虚しいに決まっていた。
愛依のことを拒絶した私にはあまりにも勿体なさすぎるから。
今の私の隣に彼女が現れることなんて絶対になかったから。
そうしてまた俯く、床だけを見つめて私なんか塞ぎ込んでいればいい──と、その時だった。
突然、個室の外から物音が聞こえた。
まさか愛依が? 彼女は河川敷にまで逃げた私ですらも見つけ出してくれた。
であれば、ここにいる私を見つけることだって──できないとは言い切れない。
「あー、やっと授業終わった〜。合同ってさ、先生も気合入っててダルいんだよね」
だなんて、あまりにも子供っぽい希望は話し声によって打ち砕かれた。
全然愛依のものとは違う気怠げな声。そりゃそうだ、そんなに虫のいい話なんてあるわけがない。
「ところでさ、雪枝の話って聞いた?」
だけれど、続けざまに聞こえてきた私の名前に再び身がこわばる。
「あー、聞いた。確かさ名月くんに告って振られたんでしょ? 正直いい気味じゃない?」
「確かに! ちょっとモテるからって澄ましちゃってさ、ぶっちゃけウザかったよね」
……どうして、名月くんとのことが広まっているんだ。
このことを知っているのは私と名月くん、それと愛依だけ。
名月くんか愛依か……すぐにその二人を疑いかけて、そこではっと踏みとどまる。
こんな時、愛依がいたらどうだろう。
すぐに個室から飛び出ていって、彼女たちを怒鳴るだろうか。
その姿は容易に想像がついた。愛依はそれだけ私想いな子だから。
それなのに、私はこうやって人のことを疑ってばかりだ。
だから、隣にいてくれる子を無くしてしまうんだ。今ここに愛依がいないんだ。
私が名月くんのことを好きになってしまったから。
だから、誰かの告白を断ることになった、こうしてウザいと言われてしまった、何よりも……愛依を拒絶してしまった。
これが全部、初恋をしてしまったせいなのだとしたら、それこそ愛依の言うとおりだ。
これ以上傷つかないようにするためには──そのきっかけを排除しなければ。
──初恋を、捨てなければ。
◇ ◇ ◇
水面が移す空の橙色。
それを前にして、私は手の中にあるヘアゴムをぎゅっと握る。
何度も愛依と来た河川敷。学校をサボった日だって私たちは一緒だった。
あの時は一緒に石を投げて胸がすいた。だけれど、今は一人だ。
おばあちゃんから貰った大切なヘアゴム。
その子供っぽさが「雫ちゃんには合わないね」と言われ続けてきた。
愛依と名月くんは肯定してくれたけれど──その二人はもういない。
挙句、刻み込まれた初恋の記憶が、名月くんの温度がこれには刻まれている。
持っているだけで思い出す。だから、辛い。
「……今まで、ありがとう」
初恋を失い、泣き腫らす子供っぽさ。
そんな私の弱さを、傷口を──手放すことができるのならば。
あの日、水切りをした時みたいに大きく振りかぶる。
指先に絡んだゴムがきゅっと指先を締め付けて、別れを拒むように揺れるけれど──。
──雪枝さんのこれ、素敵だね。
「──さようなら」
それでも、ピンと引き離す。遠くへ、遠くへと放る。
空中で目いっぱいに湛えた夕焼け空、煌めいたラメの光彩を私の瞳に残して。
最後に、ぽちゃんと音を立てるとヘアゴムは水面に吸い込まれていった。
やっと終わったんだ、と──肩の力が抜けていく。
これでいい。私の初恋に区切りがつくなら、もううじうじしなくて済むのなら。
愛依が言ったように、正しくできたはず──。
「……え」
その瞬間に、耳元を風が掠めた。
直後に真横から人影が飛び出して、間髪を入れずにパシャン!と巨大な水飛沫が上がる。
「愛依!? 何をして……」
「──終わらせちゃいけないの!」
その人影を私が見間違えるわけもなかった。
どうしてそこにいるのか、なんて疑問はすぐに塗りつぶされる。
愛依が。制服のままもがきながらも、川から顔を出していた。
「ダメ! ダメなんだよ! 雫ちゃんは初恋を捨てちゃ……っ!」
けれど、川の流れは決して弱くない。ましてや愛依は着衣中だ。
大して運動神経の良くない彼女では、すぐさま波に飲まれてしまう──考える間はなかった。
大地を踏み込み、手を振り上げる瞬間の弾みで制服を放る。
下着一枚になってしまっても、そんなのは関係ない。
そのままの勢いで、私の体はほんの一瞬宙へと舞った。
バシャン!と川に飛び込んだ瞬間、身を切るような寒さが全身を突き刺す。
衝撃で足先は未だジンジンと痛む、一度は萎えてしまった足で、もう進めないと思った体で。
「あお、い──っ!」
両手で強く水を掻く、一度は拒んだその手を遠くへ、遠くへと伸ばす。
一度は拒絶した。確かに一緒にいて傷ついた時だってあった。
だけれど、それ以上に──愛依はいつだって一緒にいてくれた。
私が不貞腐れていた時も、一人でいた時も、それこそ、フラレたその時にだって。
散々一人で過ごしてきてようやくわかった。
私には、愛依が必要なんだ。
離れて欲しくない、いつまでも寄り添っていて欲しい。
私が手を伸ばしたら──握り返して欲しい!
ようやく手が届いた体は水を含んでずっしりと重い。
まだ飛び込んでからそんなに経っていないはずなのに、その冷たさに思わず手を離してしまいそうになるのをぐっと堪えて、こちらへと引き寄せた。
「ぷはッ! しず、く、ちゃんっ!」
愛依の頭は何度も浮き沈みしている。
立て続けに咳き込んで、息苦しそうに切れ切れになる声。
何度も瞬く瞳はどこか虚ろだ。まともに呼吸できていないのは明らかだったから。
「ごめん、愛依──!」
一息に肺に空気を取り込み、愛依の方へ向き直って。
そのまま、私は唇同士を重ねた。
唯一、熱を持っていた唇に引き寄せられて、じんわりと体温が混ざり合う。
きっと、「誰かが好き」という話をしたことがない愛依はこれをずっと守ってきたはずだ。
私だって初恋をするずっと前から、大事にしてきた。
だけれど、こんなもの──今愛依を助けるためだったら捨てたっていい。
ぷつん、ぷつん、と浮かび上がっては弾けていく水泡。
お互いの”初めて”が水の中で溶け合っていく。
その瞬間を閉じ込めるように、私は半開きになった口へと息を吹き込む。
永遠みたいな一瞬の中で。
見開かれた愛依の瞳がゆっくりと弧を描いた。
初恋はもう互いに失っていたかもしれない。所詮は人工呼吸かもしれない。
それでも、これが──初めてのキスだった。
◇ ◇ ◇
「……ねぇ。雫ちゃん。わたしね、守ったよ」
やっとのことで愛依を川から引き上げた後、私たちはそのまま芝生に横になっていた。
そんな中で、とん、と。体温を取り戻した愛依の手のひらが触れる。
彼女が渡してきたものを見やると、そこに握られたものはつい先程捨てた私の初恋の証だった。
「……ごめん、ごめんなさいっ、あんな危険なことさせて……!」
思い出の品とは言えども、それを取り戻すために愛依がどれだけ危ない目に遭ったか。
そして、その引き金を引いたのは紛れもなく私だ。
繋がれた手と手から、じんわりと彼女の体温は伝わってくる。確かに脈を打っていた。
生きている確証が得られた瞬間に、視界が滲んだ。何せあれだけ不安だったのだ。
「私、愛依がいなくなったらと思うと、不安でしょうがなくて……!」
「……嬉しいなあ。それだけ大事に思ってもらえてさ」
「当然よ。だって、思い出すほど私の思い出は愛依ばっかなんだもの……!」
「あはは。じゃあさ、危ないことしない代わりに、一つだけ約束してくれない?」
「……約束?」
結局、子供みたいに泣き腫らしてしまっている。
真っ赤になっていたであろう私の目元に、そっと手を当てて。
涙を拭いながら、愛依は続けた。
「雫ちゃんが初恋を大事にすること。何も忘れなくたっていい。……ときめいたままでも、傷ついたままでもいいよ」
私の方を向いた愛依は笑顔を湛えていた。
華やぐように、私のつんけんとした心を溶かしてしまおうとするかのように。
「……あたしはね、素敵だって思ったんだ。初恋してる雫ちゃんが、私は好きだったんだ」
愛依は顔を赤らめたまま、小指を差し出してくる。
「約束」というからには、するべきことはわかっていたけれど。
彼女だけにさせてしまうのはフェアじゃない……そんな気がした。
「……それじゃ、私も一つ誓うわ」
「雫ちゃん?」
「あなたは何度も、私のことを好きだって言ってくれた。そして、私もあなたの隣にいたい」
──あたしは雫ちゃんが大好きだから!
あと少しだけ、私は正直になりたいだけだ。
遠い昔に愛依から貰った言葉に応えるように。
結んだ小指に、ヘアゴムをきゅっと巻き付けた。
「──日向愛依さん。私と、”恋人”になってください」