紅玉の君、その灯になれたら   作:散髪どっこいしょ野郎

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紅玉の君、その灯になれたら

 その町には一人の灯台守がいた。

 

 直接話したことはほとんどない。けれど、その後ろ姿はハッキリと目に焼き付いている。

 

 父さんの放つ輝きとは違う、仕事人の背中。

 

 その人には息子がいた。あたしと同年代の男の子。

 

 『一鉄(いってつ) 黒金(くろがね)』。それが息子の名前だ。

 

 

『親父は俺の憧れだ』

 

 

 遠い日のこと。黒金は珍しく笑んで、あたしにそう言った。

 

 あたしにも憧れがいる。舞台でキラキラ輝く父さん。ターフを駆け抜けるウマ娘。

 

 

『そうか。それがお前の夢か。……頑張れよ。応援してる』

 

 

 黒金は確かにそう言った。

 

 あたしにとって初めての男友達。親友だった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 (からす)の鳴き声を目覚ましに起き上がる。時刻は四時半。外はまだ暗い。

 

 俺には烏の友達がいる。名前は(けら)。特に餌をやったわけでもないのに気づいたら肩に乗ったり周囲を旋回したりしてくるようになった。

 

 鉧には毎日起こしてもらっている。調教したことなど一度もないのに正確かつ欠かさずに鳴いてくれる。おかげで寝坊はないがやはり不思議だ。

 

 今日の朝食担当は俺。昨日漬けておいた白菜の浅漬けを冷蔵庫から取り出し、ネギを刻む。出汁は顆粒タイプの物を用い、ネギと油揚げを出来上がった出汁に入れ、味噌を溶かす。これで味噌汁は完成。

 

 納豆と卵は各々が勝手に使うだけなのでとりあえずテーブルに放る。今日は卵かけご飯の気分だった。

 

 

「ばあちゃん、飯だぞ」

 

「く、ああ……もう朝か」

 

 

 俺はばあちゃんと二人暮らし。親父は灯台守の仕事で家を長いこと空けている。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「一……二……!」

 

 

 通学時まではまだ数時間ある。その間は趣味の木彫りや筋トレ、勉強などに勤しんでいた。

 

 この世界にはウマ娘という種族がいる。身体能力で俺たち人間は遥かに劣るが、それが自分を鍛えない理由にはならない。

 

 

「九十九……百!」

 

「毎度毎度あんたもようやるわね」

 

「ばあちゃんもやってみるか?結構楽しいぞ」

 

「あたしゃもう歳だよ。そんなことしたら骨が折れる。そのままの意味でね」

 

「そういうものか」

 

「そういうものなの」

 

 

 筋トレ後はシャワーを浴びて汗を流す。これが毎日のルーティンだ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「気をつけるんだよ」

 

 

 鉧が頭上を飛んでいるのを気取りながら家を出る。一緒に通学するのは決まって一人のウマ娘とだった。

 

 

「おはよう、シオン」

 

「おはよう……黒金……」

 

 

 寝起きなのか、瞼を擦りながらシオン──ウインバリアシオンが家から出てくる。毎日こうして俺が迎えに来ていた。

 

 

「忘れ物は無いか?」

 

「……なんか母さんみたいだね、黒金は」

 

 

 ウインバリアシオン。ウマ娘であり、俺の親友だ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「なあシオン、今日遊び行っていいか?」

 

「そっちのおばあちゃんは平気なの?」

 

「晩飯までには帰るし大丈夫だろ。仕込みは済ませてあるし」

 

 

 俺はこれまでの人生の半分以上をシオンと過ごしている。俗に言う幼馴染みだ。

 

 現在俺たちは小学生。まだ背丈は小さく、行動範囲も狭かった。中学に上がれば何か変わるだろうか。

 

 

「今日の授業、徒競走やるらしいぞ」

 

「そうなんだ。それじゃあたしの本領発揮だね」

 

 

 素人目に見てもシオンにはレースの素質がある。中学以降は間違いなく中央行きだろう。俺との時間も遠くなる。

 

 

「…………」

 

「どうしたの?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 

 寂しくないと言ったら嘘になる。だがシオンには自由に羽ばたいてほしい。然るべき所でその脚を発揮してほしい。俺が縛りつけるようなことはしたくない。

 

 烏の鳴き声が聞こえる。

 

 

「今日も鉧は元気だね」

 

「ああ。毎日ありがたいよ、本当に」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「テスト何点だった?」

 

「俺か?俺は満点」

 

「フフッ、あたしも」

 

 

 シオンは努力家だ。俺が勉強に心を置くようになったのは彼女の姿に感化されてのことだったりする。

 

 

「ねえ黒金、今度の休みにバレエあるんだけど、見に来てくれる?」

 

「いいぞ」

 

 

 シオンはバレエダンサーだ。しかし俺は知っている。最近のシオンは──伸び悩んでいる。中央に行けば走りに集中することになる。おのずとバレエに割ける時間も少なくなるだろう。

 

 彼女が演じられる瞬間を見られるのは、あと幾ばくか。そう思うと貴重な機会を逃すわけにはいかないと決意させられた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「帰りの挨拶、さよーなら」

 

「「「さよーなら!」」」

 

 

 帰りの会が終わり、俺たちは帰宅する。

 

 

「帰るぞ、シオン」

 

「うん」

 

 

 俺たちはよく、友人などから『付き合ってるのかよ~』、などと揶揄われることがあるが、そんな安っぽい言葉で俺たちの関係を表されるのは嫌だった。

 

 俺にとってシオンは大切な存在だ。彼女が俺をどう思っているのか全て知っているわけではないが、無二の友達だと言ってくれたのは嘘じゃないと信じたい。

 

 

「なあシオン」

 

「なに?」

 

「お前、中央行くんだよな」

 

「……なんで分かるの?」

 

「お前ほどの走りができて行かない理由は無いだろ」

 

「……うん。それと、誘っておきながらこんなこと言うのは変かもしれないけど、バレエは最近壁が見えてきて、もうやめようかなって思ってるんだ」

 

「そうか。まあいいんじゃないか」

 

「……責めないの?」

 

「誰にも責めさせない。お前の道はお前にしか決められないんだ。なら、お前が何を決断しようと俺はお前を尊重する」

 

「……ありがとう」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 俺はバレエのことは何も知らない。それでも、飛び、回る彼女の姿を美しいと思った。

 

 綺麗なお辞儀と共に舞台は終結する。万雷の拍手を送られて去っていくシオンを、俺は全力で称えていた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 レベランスは丁寧に。今ここは間違いなく、あたしだけのバリアシオン*1だ。

 

 アダージオは十分。最後まで集中して──

 

 

「……はぁ……」

 

 

 終わりのレバランスを済ませ、息を吐く。……これがあたしの最後のバレエ舞台。

 

 背中に感じる拍手が心地よかった。……うん。未練は無い。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「よ」

 

「……黒金」

 

 

 全講演が終わるまで長引いたのに、黒金は最後まであたしを待っていてくれた。

 

 

「俺はこういうのはよく分からない。でも、綺麗な動きだった」

 

「……うん。ありがとう」

 

 

 ……あれ?おかしいな。さっきまで無心で集中できてたのに、涙、が……

 

 

「……どうした?なんか変なこと言ったか?」

 

「……そうじゃない。そうじゃ、なくて……」

 

 

 わたわたと慌てる黒金を見てると笑えてくる。涙は止まらないのに。

 

 ……うん。改めてだけど、この人は親友だ。たとえ離れ離れになったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、次の三連休空いてる?」

 

「ん?俺はいつでも暇だぞ」

 

 

 修学旅行や六年生を送る会など主行事が終わり卒業まで秒読みとなったある日。シオンは意を決したように話しかけてきた。

 

 

「黒金の父さんは無理そうだけど……そっちのおばあちゃんと黒金がよかったら、あたしの家族とキャンプに行かない?」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 牛タンやケバブなど普段では食さないものを摂取できて、それだけで特別な時間だったのだがシオンがいてくれるだけで更に″色″が灯る。

 

 

「黒金」

 

「ん、シオンか」

 

 

 コテージのベランダで星を眺めているとシオンが来た。ばあちゃんは彼女の家族と話している。

 

 

「その……さ、あたし、中央行くんだけどさ」

 

「合格したのか。おめでとう」

 

「うん。ありがとう。それで……その……あたしが中央に行ってからも、連絡取っていい?」

 

「それがお前の望みなら、俺はなんだっていい」

 

「……!……じゃあ、見ていてくれる?」

 

「ああ。約束だ」

 

「……じゃ、指切りしていい?」

 

「ああ」

 

 

 小指と小指を絡ませる。視線を合わせようとするとシオンは照れくさそうに目を逸らした。

 

 

「……そ、そういえばだけどさ」

 

「ん?」

 

「黒金の夢って何?」

 

「俺の親父が灯台守やってるのは知ってるよな」

 

「うん。父さんから聞いた。凄い大変な仕事なんだよね」

 

「親父は、たった一人で家族のために働いてる。弱音も吐かず、愚痴もこぼさず。そんな姿が、俺には輝いて見えた。だから俺の夢は──死に目に誇れる人間になること」

 

「……凄いね、黒金は」

 

「シオンには負けるよ。お前の夢は、確か──」

 

「父さんみたいなキラキラのプリンシパルになること。バレエはやめちゃったけど、レースで主役になれたらいいなって」

 

「なら、見てる。お前を、最後までちゃんと見てる」

 

「────」

 

「どうした?」

 

「……なんか、プロポーズみたいだね」

 

「?」

 

「無自覚でそういうセリフ言うんだもんなぁ……」

 

 

 呆れたような、懐かしむような、そんな温度が笑みに残っていた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「それじゃ、行ってきます」

 

「ああ。思いっきり走ってこい」

 

 

 中学に上がるのはあっという間だった。東京行きの電車の前で、最後の言葉を交わす。

 

 これからは今までのように自由に会えなくなる。確かに寂しさはあるが、心はいつでも隣にある。

 

 

「……最後に、一個お願いしていい?」

 

「ああ。なんでも言ってくれ」

 

「……腕、広げて、くれませんか」

 

「?」

 

 

 言われるがままに両腕を広げる。すると、シオンが俺の胸に飛び込んできた。

 

 

「しばらく会えないけど、あたしたちは親友だから」

 

「ああ。分かってる」

 

 

 その温もりを手放すことを″惜しい″と思ってしまった。だが、俺の都合で彼女を振り回したくなかった。

 

 

「それじゃ」

 

「ああ」

 

 

 電車に乗り込むシオン。俺は車両の影が見えなくなるまで見送った。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「一鉄、ちょっと勉強教えてくれねーか?」

 

「いいぞ」

 

「一鉄くん、ノート運ぶの手伝ってくれない?」

 

「分かった」

 

 

 中学生になり、俺は頼られることが増えた。いいように扱われている、とも言える。

 

 誰かのために動くのは嫌いではなかった。しかし俺でもやることは選ぶ。それが本当に他人のためになることなら助力するが、堕落を招くようであれば拒否する。

 

 筋トレの成果か、体が丈夫になってきたのを感じる。当然ウマ娘の膂力には及ばないが、ちゃんと結果がついてきてくれるのは嬉しかった。

 

 俺が努力することを厭わなくなったのはシオンの影響によるものだ。改めて今はもういない幼馴染みに感謝する一時だった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 ばあちゃんの就寝時間はとても早い。午後八時になる頃にはもう寝ている。

 

 以上の理由から俺は電話する時外に出ている。俺の住む家は一階建てだ。部屋が少ない故に防音性はそこまで確保されていない。

 

 

『もしもし……黒金?聞こえる?』

 

「ああ。ちゃんと繋がってるぞ。……そっちはどうだ?元気でやれてるか?」

 

『まあまあかな。あ、同世代に凄いウマ娘がいたんだ。オルフェーヴルっていうんだけど──』

 

 

 それからは色んな話を聞いた。食事のクオリティの高さや、豊富な施設、初めての寮生活など、やや興奮しながら話す彼女の声色に謂われのない安心感と不安を覚えた。

 

 

『それで──って、ごめん。あたしばっか話しちゃったね。そっちはどう?』

 

「まあ、ぼちぼちやってる」

 

『そっか。……鉧とおばあちゃんは元気?』

 

「それなんだが、最近ばあちゃんがボケ始めてな。俺のことは理解できてるから今のところは兆候が見えるくらいだが……って、すまない。こんな話気が滅入るだけだな」

 

『あたしのことは気にしないでいいよ。……本当に大丈夫?』

 

「まあなんとかやる」

 

 

 親父は頼れない。ヤングケアラーになることを覚悟しなければ、と電話の最中決意した。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 壁。

 

 トレセン学園に入学して真っ先にぶち当たったのは、途方もなく大きい壁だった。

 

 そいつは、速かった。誰も歯牙にかけず、あらゆる敵をなぎ倒していく。

 

 凄いと思った。憧れを抱くのは早かった。

 

 

「ハァッ、ハァッ、ぜえっ、ぜえっ……」

 

「……糧にもならん」

 

 

 憧れが反転するのは、そう遅くなかった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「もしもし、黒金?」

 

『ああ。どうしたシオン』

 

 

 携帯電話を握る手に力が加わる。考えないようにしていた黒くてドロドロしたものが脳天に逆流していく。

 

 そんな感情群をまとめて噛み潰すように、声を出した。

 

 

「おばあちゃんは元気?」

 

 

 そうだ。そんな風に、またなんでもない話を──

 

 

『ああ、それなんだが──ばあちゃん、亡くなった』

 

「──え?」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 葬儀に親父は来なかった。来ることができなかった、という言い方が正しい。

 

 ばあちゃんも親父も無念だろう。今際の際で息子に会えず、母親の死に目に立ち会えないのだから。

 

 俺は泣かなかった。泣けなかった。これから一人で生きていくのだから、弱さを見せるわけにはいかなかった。

 

 親戚が身寄りがなくなった俺を引き取ってくれようとしていたが丁重に断らせてもらった。一人でも生きていける強さが欲しかったのと、親父が帰る場所を確保したかったからだ。

 

 

「はぁ……」

 

 

 葬儀が終わり息を吐く。こんな時、彼女に会えたら。

 

 

「……弱さは、終わりだ」

 

 

 弱かった自分とはここでケリをつける。今生まれ変われ。そうでないと、俺はシオンの親友を名乗れない。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 鉧が恐らく死んだ。死骸を直接目にしたわけではないが、朝起こしに来なくなったのと頭上を旋回しなくなったことから死んだと判断する方が正しい。

 

 それでも俺には親父がいる。シオンがいる。

 

 ……懐かしむ。園児から小学六年生まではシオンの家に入り浸っていた。思えばその時から彼女は俺にとって特別な存在──親友だった。

 

 広くなった家に手を泳がすこともいずれ無くなる。悲しみですら貴重な経験だ。余すことなく飲み込んでいよう。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「一鉄、こっちにボールよこせ!」

 

 

 いや、ここは前にロングボールを通す。その方が確実性が高い。

 

 足の甲で中心を叩くように蹴る。相手の頭上を越えるボールは吸い込まれるようにチームメイトの足下へ収まり──得点が入る。

 

 

「うおおおお!」

 

「すっげえな一鉄!どうやったんだ今のパス!」

 

「……監督から教えてもらったんです」

 

 

 ばあちゃんと鉧が死んでから、並大抵のプレッシャーでは揺らぐことがなくなった。常に冷静に事を運べている。

 

 俺はサッカー部に入っている。紅白戦で結果を出したことによりレギュラーメンバーに抜擢されるように。

 

 早くシオンに伝えたい。……いや、自慢話になってしまうか?

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

 

 

 今日も勝てない。仮想敵に据えたあいつは、悠々とあたしを置いてけぼりにして走り去っていく。

 

 

「ッ……!」

 

 

 まただ。こんな後ろ暗い感情、ダメだって分かってるのに……!

 

 父さんなら、もっと上手くやれる。その意識が余計苦しい。切り替えろ。切り替え、ろ……。

 

 

「……」

 

 

 黒金、電話出てくれるかな。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「も……もしもし、黒金?」

 

『ああ、もしもし。聞こえてるぞ』

 

 

 声を聞いただけ。それだけで少し落ち着いた。

 

 

『シオンの声聞くとちょっと楽になるな』

 

「──ッ!」

 

 

 ……なんだろう。この照れくささ。あ、そうじゃない。そうじゃ、なくて。

 

 

「──げ、元気でやれてる?」

 

『サッカー部でレギュラー入りできた』

 

「……凄いなぁ、黒金は」

 

 

 あたしだけが置いていかれるようで、またあの黒いドロドロが噴出しだす。……ダメだダメだ!親友に、嫉妬するなんて……!

 

 黒金は今、ひとりぼっちだ。だからせめてあたしが傘になれたら──なんて、考えていながらも進展していく会話に助けられてる自分がいて。

 

 

『……シオン』

 

「なに?どうかした?」

 

 

 黒金の語調は常に穏やかだ。それの起伏を捉えられるのは、付き合いの長いあたしだけ。

 

 そして今、黒金の語調に乱れが見えた。これは……心配?

 

 

『……お前、大丈夫か?』

 

「…………!!」

 

 

 気遣う筈が気遣われている。情けない。それでもこの人の親友か?

 

 去来する自責の群れをかき分けるように言葉を探す。今のあたしにできること、相応しい返答は、

 

 

「……大丈夫。あたしは、大丈夫だから」

 

『……いつでも電話かけてくれ。俺も話したいから』

 

「……うん。ありが、とう」

 

 

 通話が切れる。息をしろ、深呼吸……

 

 

「っ、あ」

 

 

 あたしの口を衝いたのは、突っかかるような喘ぎだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 中学二年生にもなればクラスメイトとの付き合いに慣れてくる。頼み事を聞いたり相談相手になったりする日々を送っていた。

 

 

『一鉄くんって落ち着いているよね』

 

 

 よくそんな言葉をかけられる。俺は昔からこんな気質だ。それに──泣き喚いたり怒り狂ったりしたって、現実は変わらない。

 

 精一杯生きる。それが、今の俺にできることだ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……見ててくれ。ばあちゃん。鉧」

 

 

 試合前は決まって亡くした者を想う。そして、空を見上げながら思案する。

 

 シオン。お前のお陰で、俺は今も頑張っていられるんだ。だから、俺にもお前を──

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「皆今までありがとう。最高の中体連だった」

 

 

 県大会準決勝にて敗北。三年のキャプテンが俺たちに感謝を綴る。

 

 俺の在学する中学では、過去最良の結果だった。地区大会の時は覚束なかったチームワークが、各々の能力を最大限発揮されてこの成果を叩き出した。

 

 ……これで少しは、シオンに誇れる自分になったか?いずれにせよ人生は長い。満足して終わるにはまだ早かった。

 

 

「本当はもっと熱が収まってから言うつもりだったんだが……次期キャプテンを発表する。一鉄。お前だ」

 

「……はい」

 

 

 そうか。確かに先輩たちは引退する。キャプテンを決めなければならなくなるか。で、白羽の矢を立てられたのが俺と。

 

 チームを束ねるのは初の試みだが、俺なりにやるべきことをやらせてもらおう。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「一鉄ってホント努力家だよな」

 

「それが、俺の責務だからな」

 

 

 誰よりも早くグラウンドに到着し、誰よりも遅く場を後にする。キャプテンになったのだからこれぐらいは当然だと考えていたのだが……俺はおかしいのか?

 

 いや、だとしても。

 

 シオンに誇れる自分になる。それが俺の全てだ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 今日もオルフェーヴルに負けた。今日も、昨日も、もっと前から、ずっと。

 

 抗って足掻いて努力して。何度繰り返してもあいつに追いつけない。

 

 ……いつか、頑張ればいつか勝てる。それだけを信じて走って、もう中等部三年になっていた。

 

 

「もしもし、黒金?」

 

『ああ。どうしたシオン』

 

「声、聞きたくて」

 

『そうか。俺もだ』

 

「……ふふっ」

 

 

 思えば、黒金の方から電話がかかってきたことはほとんど無い。いつもあたしから電話して、あたしだけが救われている。

 

 ……迷惑じゃ、ないよね。でも前に電話かけてほしいって言われたし、あたしたちは親友だし──

 

 

「サッカーはどう?活躍してる?」

 

『あー、それなんだが……』

 

 

 珍しく黒金の声色に『迷い』が生じていた。その訳を、あたしは知らしめられることになる。

 

 

『最後の試合、俺出られなかった』

 

「……え?ど、どうして?実力は備わってるんでしょ?」

 

『足が、ちょっとな』

 

 

 話を聞いたところ、練習試合で相手選手から受けたスライディングで骨折して、最後の試合に出られなくなってしまったとのこと。

 

 酷い。酷すぎる。黒金が何をしたっていうんだ。

 

 

「……そんなの、あんまりだよ」

 

『ありがとうな、シオン。そう言ってもらえるだけで嬉しいから』

 

 

 黒金のことだ。たくさん頑張って、たくさん現実に向き合ってきたのだろう。その努力が叶わないなんて……神様は意地が悪すぎる。

 

 ──黒金は、努力しても輝けなかった。なら、あたしは?

 

 

「……!」

 

『どうしたシオン』

 

 

 何考えてんだ、あたし!努力する。努力すれば、いつか必ず報われて──

 

 ──でも黒金はダメだった。

 

 

「ご……めん。ちょっと変になってた」

 

『そうか』

 

 

 一瞬でもそんなことを考えてしまった自分への嫌悪感で吐きそうだ。

 

 ……落ち着け。ゆっくり息をしろ。ただでさえ黒金に寄りかかっているのに、これ以上心配させたくない。

 

 

『……嫌だったらすぐ電話切ってくれて構わないが、なにか、辛いことがあったら吐き出せ。そのために俺がいる』

 

 

 こんな……自分が一番辛い時なのに、貴方は。

 

 言え。大丈夫だって。心配いらないって。

 

 言えなかったら通話を切れ。もう黒金にばかり負担をかけるわけにはいかない。

 

 ──なのに。

 

 

「あいつが……オルフェーヴルが憎い」

 

『ああ』

 

「ぐちゃぐちゃにしてやりたい」

 

『ああ』

 

「視線も、讃嘆も、全部、ぜんぶ、あたしが奪い取りたい……!」

 

『ああ』

 

「バカにしやがって!見下しやがって!居丈高に振る舞いやがって!……勝ちたい……!勝ちたいのに……!」

 

 

 否定も肯定もされず心を預けられる。それだけでどれだけ救われることか。

 

 ……ああ、あたしは、弱い。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりお前は凄いな」

 

『……え?あた、しが?』

 

「俺には主役になるなんて夢は無い。ただ必死に生き抜くことで精一杯だった。お前のように──壁に向き合い続けられる勇気は、無いかもしれない」

 

 

 オルフェーヴル。俺はレースに詳しくないが、彼女の話題を聞いて察するに頂点級のウマ娘なのだろう。

 

 悔しい。憎い。そんな負の感情を走りという形で昇華するなんて、俺にはできない。彼女は無自覚なんだろうが。

 

 

「お前が間違ってるとか間違ってないとかそんなことを言うつもりは無い。ただ、俺にもお前を支えさせてくれ。俺はいつも、シオンに救われてばかりだからな」

 

『────』

 

 

 俺はシオンに説教できるほど偉くはないし有能でもない。そういうのはトレーナーの役目だ。

 

 それでも、見守るくらいのことはさせてほしい。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「一鉄、ここってどう解けばいいんだ?」

 

「ああ、そこか。まず式を──」

 

 

 部活動を引退し受験シーズンに突入したことでクラス内にはピリピリとした空気が充満していた。

 

 俺は既に進路を決めている。学び舎との別れは近い。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

『もしもし』

 

「もしもし、シオン」

 

 

 あれからも度々愚痴を聞くようになった。その中で言われた言葉で最も嬉しかったのはこれだ。

 

 

 ──こんなこと、黒金にしか話せないから。

 

 

 こんな俺でも、生きている理由はある。暗にそう告げられたようで、全身に生気が満ち溢れた。

 

 

『……悔しい。悔しいよ、黒金』

 

「そうか」

 

『……よし!暗い話はもう終わり!なんか明るい話題でもない?そうだ、あたしは──』

 

 

 漠然と、幸せだなと思う。親友とこうして語らえるだけでも、サッカーへの未練は薄らいでくれる。だから、

 

 

「……楽しいか?学園生活」

 

『……うん。色々あるけど』

 

 

 何度でも問おう。シオンが幸せでいてくれたら、それに勝る事柄は無い。

 

 

『あっ、そういえばだけど、そろそろ受験なんでしょ?黒金はどこの高校に行くの?』

 

「いや、俺は中学卒業したら働く」

 

『え?で、でも成績いいよね?』

 

「親父が帰ってくることになったからな。貯蓄はかなりあるけど、収入源は欲しくて」

 

 

 数ヶ月前に一通の手紙が来た。差出人は親父から。

 

 

【そっちへ帰ることになる】

 

 

 丁寧な字体で、それだけが書かれていた。

 

 

『……黒金は凄いね』

 

「お前には負けるよ」

 

 

 ……。誤魔化し誤魔化しやってきたけど、やっぱりこの欲求には逆らえない。

 

 シオンに会いたい。会いてぇなあちくしょう。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「親方、ネコ*2片付けてきます」

 

「おー、頼むわ」

 

 

 職場には馴染めていた。元々体を鍛えていた経験が後押しし、力仕事も滞りなくこなせた。

 

 

「先に『な~で』行ってるから!お前もこいよ~黒金ェ!今日は俺の奢りだからなぁ!」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 『な~で』というのは今の仕事場の近所にある居酒屋の名前だ。から揚げが異様に安いことで有名。俺も一度誘われて顔を出している。

 

 職場の先輩方には正しい意味で可愛がってもらっている。好意的な感情を向けられていると分かっていれば不満は少なかった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「お~来たか黒金。ほれ、座れ座れ」

 

「失礼します」

 

 

 断ってから着席。座敷席には親方と見知らぬ大人──察するに親方の仕事仲間だろう──が座っている。

 

 

「そいつがあんたの言ってる新入りか?」

 

「おう。未経験のわりにゃあ中々できる奴でなぁ。おい黒金。自己紹介頼む」

 

「はい。一鉄黒金です。寡聞故、至らぬ点も多いですが、どうぞよろしくお願いします」

 

「おう、よろしくな。……なるほど、あんたが気に入るわけだ」

 

「分かるだろ?コイツは無自覚っぽいけど、中々誑しの才能があるんだよなぁ」

 

 

 ……誑しの才能?今まで誰かにそんなこと言われてきてないのだが、ここに来て新たなギフトにでも目覚めたのか?

 

 とりあえず鶏皮串に手を伸ばす。後はなるようになれだ。

 

 

 数時間後。

 

 

「黒金ー!お前も飲むかー?」

 

「俺はまだ未成年なので、遠慮させていただきます」

 

「ッハハハ!真面目一徹だなーお前は!」

 

 

 バシバシと背中を叩かれながらジュースを呷る。今夜は長くなりそうだ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 かつて、命を背負って海に出る方々の道しるべ、家となる灯台。それを管理させてもらえるこの仕事に誇りを持っている。と、親父は述懐していた。

 

 時代と自動化が進むにつれ灯台守の役目は無くなっていった。今俺の扶養内にいるのは老いた親父のみ。

 

 親父はよく働いてくれた。共に過ごす時間こそ少なかったが、俺を養うために必死だったのだろう。それに──

 

 

「カレー作ったから。夕飯はそれ食べてくれ、親父」

 

「……ああ」

 

 

 親父は不器用だった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「それで、やっとあたしを見るトレーナーさんがついてくれたんだ!」

 

『いいじゃないか。おめでとう』

 

「ありがとう。……それと、今まで、愚痴聞いてくれたこともありがとう。父さんと話したんだ。嫉妬や妬みみたいな、黒いドロドロしたものも成長を促してくれてるんだって、やっと気づいた」

 

『……やっぱりお前は凄いな』

 

 

 凄い?どこが。高等部二年になって、トレーナーさんに言ってもらってようやく理解できたあたしの、どこが?

 

 ……ああ、まただ。またあたしは、黒金に嫉妬して──

 

 隠す必要は無い。この人はあたしの親友だ。包み隠すことなくぶつけても、いつもみたいに穏やかに聞いてくれる。

 

 でも、嫌がられないかな。自分にも穢れた感情をぶつけられてると知った、黒金の顔を想像するとそれだけで濃密な恐怖が襲い来る。

 

 ……やめよう。これだけは、言っちゃいけない。それが最低限のマナーだから──

 

 

『シオン』

 

「……、な、なに?」

 

『お前が何を言おうと、俺はお前を尊重する。前にも言っただろ』

 

「……敵わないなぁ……。……あたし、黒金のことが羨ましいって思うことが何度かあったんだ。黒金みたいに、自分を貫き通せる強さが欲しくて」

 

『そうか』

 

「高等部一年の時が一番酷くて。あたしは恵まれているのに全然伸びなくて、黒金やオルフェさんばかりが先を行ってるように感じて。……だから、電話が中々できなかった。ごめん。身勝手で」

 

『俺はお前がしたいようにしてくれればそれでいい。シオンが本心から望むなら、地獄にだって落ちてもいい』

 

 

 ……どうしてそこまで、あたしに尽くしてくれるの?

 

 それだけは聞けなかった。答えを聞かされたら、親友でいられなくなる気がしそうで。

 

 

「……改めて、ありがとう、黒金。いつも助かってるっす」

 

『……す?』

 

「──あ、ご、ごめん。ついいつもの癖で」

 

 

 一年くらい電話していなかった所為か、いつもの砕けた敬語を使ってしまった。それでも彼は穏やかに、

 

 

『お前の好きなように話してくれ。俺はそれでいい』

 

「……うん」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「青葉賞、あたし出るから!だから……見ていてくれるっすか?」

 

『青葉賞だな。分かった。仕事は休めないから録画で見ることしかできないが……それでも大丈夫か?』

 

「忙しいのに、ごめん。……もちろん録画でも全然大丈夫っすよ!」

 

 

 黒金が見てくれるんだ。気の抜けた走りはできない。あいつに……オルフェーヴルに勝つまで、あたしは自分(あたし)に勝ち続ける!

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「……強くなったな、シオン」

 

 

 録画映像を見て真っ先に思ったのは、そんな感嘆だった。

 

 磨きのかかった末脚、流麗なフォーム、どれも一流のそれだ。身につけるまでかかった労力は俺の想像を絶するだろう。

 

 

「その子は……」

 

「シオンだよ。俺の幼馴染みの」

 

「……ああ、あのバレエダンサーの娘か」

 

 

 珍しく親父から話し出した。そんなに意外だったか?

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「ハァ……ハァ……暑いな」

 

 

 季節は春を迎え、外気温は高くなりつつあった。

 

 現場仕事は複雑で就職当初はままならなかったが、一年も経てばどれがどこにあって自分が何をすべきか分かるようになっている。

 

 額に流れる汗を拭いながらシオンのことを夢想する。彼女は今も波濤に立ち向かい続けている。なら、親友として恥じない自分でいなければ。

 

 

「……頑張るか」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……暑い……」

 

 

 努力の成果は出ている。タイムは縮まっているし、あの背中も近くなっている……筈。

 

 額に流れる汗を拭う。今まで散々黒金に頼ってきたんだ。情けない姿は見せられない。

 

 

「お疲れ、シオン。今日はもう終わりにする?」

 

「……あと一本、走っていいっすか?」

 

「分かった。一緒に頑張ろう」

 

 

 ……頑張る。頑張れば、いつか届く。

 

 いつかって、いつ?

 

 

「……っ」

 

「?どうかした?」

 

「だ、大丈夫っす。なんでもないっす」

 

 

 黒金はいつも一緒に頑張ってくれた。あたしの境涯は、もうあたしだけのものじゃない。あたしが後ろ向きになってたら、黒金までも悲しませてしまう。

 

 

「……頑張ろう」

 

 

 目標は日本ダービー。オルフェさんも、出てくる。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 追いつけない。全力を尽くして、対策を練って、それでも差は決定的で。

 

 

『オルフェーヴル!強いとしか言えない走り!』

 

「うああああっ!」

 

「し、シオンさん!?どうかしましたか……?」

 

「ハアッ、ハアッ……あれ……?」

 

 

 ……あれ……?ここ、寮の自室?シュヴァルさんがいる。部屋の中は暗い……。

 

 ……夢、か。そう気づいた途端自分に腹が立った。戦う前から諦めるような夢を見るなんて、それじゃ気持ちで負けてるじゃないか。

 

 

「……すみません。起こしちゃって。嫌な夢見ちゃってたみたいっす」

 

「……無理はしないでくださいね」

 

「…………ありがとうございます」

 

 

 ……無性に黒金に会いたくなる。あたしの全部を受け止めてくれる、黒金に。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

『オルフェーヴル!強いとしか言えない走り!』

 

「……シオン」

 

 

 録画映像からでもその威圧感は伝わってくる。

 

 オルフェーヴル。確かに強い。これなら己が覇道を邁進していくことだろう。

 

 シオンは二着。そこには確かな″差″があった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

『日本ダービー……見てくれたっすか?』

 

「ああ」

 

『……ごめん。黒金に支えてもらってるのに負けちゃって』

 

「お前は、やっぱり凄いよ」

 

『……え?』

 

「俺はレースのことはよく知らないけど、GⅠなんて大舞台であんなすばらしい走りができてたんだ。親友として誇らしい」

 

『……あたし、負けたんすよ?』

 

「『結果が全てじゃない』だとか、『敗北から得られるものもある』だとか、そんな慰め文句を肯定するわけじゃないけどお前は妥協することなく全力を出し切った。俺にとってはそれだけで喜ばしい。お前の走りは、俺の糧なんだから」

 

『……ありがとう。黒金と話せてよかった。おやすみなさい』

 

「ああ。俺もだ。おやすみ」

 

 

 シオンが現役中に一回は生でレースを見たい。それは叶うだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「いいタイムだよ、シオン!」

 

「ハアッ、ハアッ……そうっすか……!」

 

 

 日本ダービーの次は菊花賞。あいつの冠を掻っ攫うために走り込む毎日。

 

 愚痴なら十分吐いた。妬みや僻みも力に変えてきた。……だけど、拭いきれない不安がある。

 

 黒金はきっと、見てくれる。あたしの敗北すらも、喜ばしく思ってくれる。それ故に勝利への渇望は酷かった。

 

 親友にかっこいい所を見せたい。無様な姿を晒したくない。貴方のおかげで勝てたって言いたい。

 

 だから、努力する。頑張れば、いつか。

 

 ──だから、いつかって、いつ?

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……」

 

 

 レース運びは上々、仕掛け所も決めた。──ここッ!

 

 

「やああああっ!」

 

 

 鍛えに鍛えた脚。今日こそ、あんたに勝──

 

 

「手ぬるいな」

 

「な……ッ」

 

 

 ──速すぎる。スパートに入るタイミングはあたしの方が早かった。位置取りも最高だった。なのに、もうここまで……!?

 

 

「う、あ」

 

 

 負ける。また、オルフェーヴルに負ける。黒金が見てるのに──

 

 

『オルフェーヴル、一着でゴールイン!』

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……黒金……」

 

『ちゃんと見てたぞ。いい走りだった』

 

「……うん」

 

 

 日本ダービーに続き菊花賞でも二着。オルフェーヴルに勝てない。

 

 あいつさえいなければ、なんてことは考えない。悔しいけど、オルフェさんという目標があったおかげで成長できたのだから。

 

 それはそれとして、悔しい。勝ちたかった。

 

 実力はついてきている。でも成長しているのは向こうも同じだ。

 

 

「……また、愚痴聞いてもらっていい?」

 

『ああ、もちろん』

 

「…………ぁ」

 

『?シオン?』

 

 

 何か、言葉に出してスッキリさせないと。悔しかった。羨ましかった。自分への無力感。思い起こせばキリがない。なのに。

 

 言えない。言葉が、もう……出てこない。

 

 

『……俺の話、勝手にする。相づちはいらない。好きなタイミングで通話を切ってくれて構わない』

 

「………………………ありがとう」

 

『よし。最近親方が太ってきてて──』

 

 

 絞り出した感謝。気遣われていることへの罪悪感が背筋を伝う。

 

 ……ダメだ。ダメだダメだダメだ!

 

 こんなんじゃ、あの人に勝つなんて夢のまた夢!

 

 切り替えなきゃ。もっと、もっと強くなって……

 

 

『俺も健康診断したんだが、結果は良かった。だけど意外と先輩方はなんかの数字で基準値超えてる人が多くて──』

 

 

 ……今だけだ。今だけなら、いいよね。黒金に、沈んでいても……。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ッハハハ!それ本当か~?」

 

 

 飲みに誘われることが増えた。といっても俺は未成年なので酒は飲めないが。

 

 

「おーい黒金ェ!飲んでるか~?俺の酒でも飲むか~?」

 

「すみません。まだ未成年なので」

 

「ッハハハ!冗談だ冗談!……ん?なんか着信音聞こえねぇか?」

 

「え?……あ、すみません。俺です」

 

 

 居酒屋の喧噪の中からよく着信音を聞き分けられるものだ。親方の隠れたスキルには驚かされる。

 

 ポケットから携帯を取り出す。すると俺に向いていた周囲の注目がその画面に引き寄せられた。

 

 

「ウインバリアシオン……。……え!?あのウインバリアシオンか!?」

 

「幼馴染みなんです」

 

「なんだよなんだよ!お前も隅に置けないな~!──電話は早めに出てやれ。繋がらなかったら悲しまれるぞ」

 

「はい。失礼します」

 

 

 一旦席を外し、居酒屋の外へ出る。着信が切れる前に通話ボタンは押せた。

 

 

『ごめん、忙しかった?』

 

「いや、酒飲まされそうだったしちょうど良かった。助かった」

 

『……あのさ』

 

「ああ」

 

『……ごめん。なんでもない。……また、黒金の話聞かせてもらえる?』

 

「俺の話でいいなら、いくらでも。最近親父が──」

 

 

 近頃シオンは苦しみを吐露することが減った。代わりに聞きたがるのは、俺の日常小話。

 

 言葉にしづらいが、なんとなく危うげな空気を感じる。今の俺でできることには限界がある。トレーナーとはちゃんと話せているだろうか。

 

 そんな不穏さを飲み込み言葉を発する。これがせめてもの救いになれば、と祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 勢いで出たジャパンカップ。ブエナさんの人気と脚は凄まじいものだった。

 

 負けた。ジョーダンさんやフラッシュさんを抑えて二着になれた。それだけでもよくやった方だ。

 

 それでも、負けは負けだ。

 

 

「…………」

 

 

 今、あたしは学園近くの小丘にいる。いつもここで色々叫んで言葉やドロドロを力に変えていた。

 

 門限まであと一時間。早く戻らないとと思っても、体は動いてくれない。

 

 今頃黒金は録画のレースを見ている。あたしが負けるところを。情けなくて、かっこ悪い走りを。

 

 ……。

 

 あたしを、見ないで──

 

 

「ッ!……黒金……?」

 

 

 携帯電話が震えたことに驚きながら画面を見ると、黒金からの着信が来ていた。トレセン学園に入学してから電話をかけるのはいつもあたしからだったのに。

 

 

『もしもし、シオン?』

 

「……もしもし」

 

『いいレースだった。だったんだが……ちょっと心配になってな。お前、大丈夫か?』

 

「ッ──!」

 

 

 情けなさ、罪悪感、嫉妬、色んな感情が入り交じって頭の中がうるさい。

 

 

『トレーナーとは話せているか?もちろん俺にできることならなんだってするが、限度があるからな。お前──』

 

「あんたなんかに分かんない!!この悔しさは!!────あ」

 

 

 あ。あ、ああ。あああ……

 

 言ってしまった。言ってしまった。一番ダメな言葉を、穢れた感情を、ぶつけてしまった。

 

 撤回しろ。いつも穏やかに見守ってくれてる黒金になんてこと言うんだ。

 

 

『……すまなかった。お前は俺の何倍も凄い奴だって、分かってるつもりで分かってなかった。本来なら俺ごとき──邪魔でしかなかったな』

 

「あ、いや、そうじゃなくて、あの、ごめ──」

 

 

 通話が切られる音。静寂が耳に痛みだす。

 

 

「……………………ごめんなさい……!」

 

 

 ──情けないな、あたし。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

『オルフェーヴル!圧巻の走りだ!』

 

「……」

 

 

 あたしは出走しなかった有記念。あたしを負かしたブエナさんを負かして、オルフェーヴルが頂点に君臨する。

 

 

「……ああ」

 

 

 眩しいなぁ。金色に、キラキラ光ってて、舞台に上がる父さんみたいで。

 

 ……このレース世界に主役(プリンシパル)がいるとするなら、それは間違いなくオルフェさんだ。あたしは、それになれなかった。

 

 ……次の、レースは、日経賞。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「今日はもう終わりにしよう」

 

「え?で、でもあたしまだ走れるっすよ?」

 

「君の精神状態を考慮すると休んだ方がいい。今のまま走り続けたら──破滅に向かうだけだ」

 

「……」

 

 

 黒金が言った通りだ。今のあたしは危うい。その心配を、あたしが殺した。

 

 ……どこまで、走ればいいのだろう。オルフェさんに勝てるいつかなんて本当に来る?

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 その日は唐突にやってきた。

 

 

「ハアッ、ハアッ、……あ……」

 

「……シオン!?どうした!?」

 

 

 もう走れない。体じゃなくて、精神に限界が来た。

 

 トレーナーさんに心配をさせてる。シュヴァルさんに心配をさせてる。黒金に心配をさせてる。あたし自身に敗北する。

 

 もう無理だ。ダメだ。諦めよう。あたしは、プリンシパルになれない。

 

 ──走りを失ったあたしに何が残る?

 

 でも、もう疲れてしまった。普通の学生らしいことをしよう。友達と出かけたりとか。

 

 ──最大の親友を突き放したくせに?

 

 突き放したからだ。あたし自身が、最後の糸を切ってしまった。

 

 

 『なら、見てる。お前を、最後までちゃんと見てる』

 

「……ッ」

 

 

 あんなこと言ってしまったのに。あたしから突き放してしまったのに。

 

 まだ。

 

 ……まだ。

 

 まだ、また、黒金の言葉が、あたしを勇気づけてくれた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「トレーナーさん。ちょっといいっすか」

 

「うん。どうしたの?」

 

 

 一週間休暇をもらって、休むことに専心した。その休み明けに、あたしはトレーナーさんに告解することを決めた。

 

 全部話した。トレセン学園に入学してからずっと支えてくれた親友がいたこと、その親友に後足で砂をかけるような真似をしてしまったこと、全部を。

 

 

「……分かった。なら、改めて聞こう。君は、どうしたい?」

 

 

 父さんみたいなキラキラのプリンシパルになりたい。それは今も変わらないけど、もう一つ。

 

 

「黒金に、誇れる自分になりたい」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「……やっぱり凄い奴だな、シオンは」

 

 

 日経賞の録画を見ながら独り言ちる。傍には親父がいるが、普段そこまで話さない。

 

 俺の言葉がプレッシャーになっていたかもしれない。知らず知らずの内に傷つけてしまったのかもしれない。そんな後悔の群れが押し寄せる。

 

 俺はあいつの脚を引っ張っているだけだった。その現実が、強張った体に強く響く。

 

 

「もう見ないのか」

 

 

 シオンの一着が確定したあたりで画面を切り替えた俺に親父が尋ねる。でもいいんだ。俺が何をしても、あいつのためにはならない。

 

 

「もう、いいんだ」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 春が過ぎて、夏が来た。蝉の鳴き声が響く中で汗を流す日々。

 

 シオンからの電話は来なくなった。そんなことを一々引き摺るあたり、俺は女々しい。

 

 仕事から帰ったらニュースを見ている。時勢には敏感でいなければ、という謎の強迫観念に急かされるように。

 

 すると目撃したのが、シオンの映像。GⅠの宝塚記念に出走するとの情報が画面に映し出された。

 

 

「録画、撮るんだろ」

 

「……」

 

 

 俺とシオンの間に何があったが親父は知らない。だが何か気配を感じたのか、わざわざ俺に問う。

 

 

「親父は見たいか?」

 

「俺に聞くな」

 

 

 少し笑う。親父はやっぱり不器用だ。

 

 ……もういい。俺とシオンは親友()()()。それだけで十分じゃないか。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 久しぶりに帰り際銭湯に行ってみた。いつもはシャワーで汗を洗い流すだけだったが、湯船に浸かるとなんともいえない充足感がやってくる。

 

 そこで年配の方々の会話が耳に入ってきた。オルフェーヴルとウインバリアシオンの宝塚記念がどうこうと。

 

 まだ後悔しているのか、背後から刺されるような感覚に陥った。いつまでウジウジしているんだ。さっさと切り替えなければ。

 

 

「ただいま」

 

 

 親父はいつも通りリビングでテレビを見ている。洗濯機を動かそうとする俺に、声をかけてきた。

 

 

「黒金」

 

「なんだ親父?今日のメシならタッパに──」

 

「レース、見ないか」

 

「……………………分かった」

 

 

 ……許してくれ、シオン。これで最後にするから。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「あのバレエダンサーの娘……いい走りをするな」

 

「……そうだな。本当に、本当に……強い」

 

 

 宝塚記念の録画映像を二人で眺めながら俺は涙を流していた。よくここまで鍛え上げた。確かに負けはしている。けど、実直で、ひたむきで、心を捉えて離さない、すばらしい走りだった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「……もしもし、黒金……?」

 

『どうした?お前が嫌なら電話しなくてもいいんだぞ?』

 

「ま、待って!お願い。待って……」

 

 

 あんなこと言ってしまったのに。あたしから突き放してしまったのに。

 

 虫のいい話だ。必要なら引き寄せて、そうじゃなかったら当たり散らして。

 

 憎んでいい。恨んでいい。罵っていい。貴方にはその権利がある。それでも、もしそれでも許してくれるなら──

 

 

「有記念……見に来てくれないっすか」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 冬になった。季節の移り変わりは早いものだ。

 

 年末の大一番ということで中山レース場は人でごった返していた。

 

 今日のために色々と危惧していたが幸いにも有休を取られた。労基に駆け込む心配は無い。

 

 観客席に向かう……と、何か探し物でもしているのか、一人の大人があちこちをうろついていた。

 

 

「あの、どうかしましたか」

 

「……!き、君、一鉄黒金くん!?」

 

 

 何故俺の名前と容貌を知っている?疑問は尽きないが、ひとまず落ち着ける所で話そうということになった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 落ち着ける所など無かった。どこもかしこも人、人、人。

 

 それでも辛うじて話せそうな場所に辿り着き、その大人は自分の身分を明かした。

 

 ──なんと、シオンのトレーナーだと言うじゃないか。俺は動揺した。責められるならまだいい。シオンに何か傷痕を残してしまったのではないかと、心配でならなかった。

 

 

「黒金くん。君がよかったら、シオンと少し話をしてみないか?」

 

「あいつの邪魔をしたくない」

 

「えっ?」

 

「あいつには、昔のようにまっさらな気持ちで夢を追い続けてほしい。そこに俺の居場所はいらない。無駄な刺は、切って捨ててほしい」

 

 

 俺がそう返すと、トレーナーは柔らかな笑顔を見せた。何か変なことでも言ったか?

 

 

「黒金くん。君の話はシオンから聞いていた。一番の親友で、辛くて苦しい時も支えてくれた──大切な人なんだって彼女は言っていたよ。邪魔なんかじゃない」

 

「……でも、俺は無関係の人間ですよ。あいつの元になんて行けないと思いますが」

 

「そこはこっちがなんとかする。──大人ってのはね、ずる賢い生き物なんだよ」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 初めてやってきたレース場の控え室。俺たちがシオンの元へ向かう途中に、そのウマ娘は現れた。

 

 

「──貴様が奴の朋輩(ほうばい)か」

 

「ああ。そうだが」

 

 

 生のオルフェーヴルを前にしても心は意外と凪いでいた。もちろん王の威厳はひしひしと感じるが、緊張らしきものは全くと言っていいほど無かった。

 

 

「不遜にも奴は余を苛立たせる存在と相成った。が──今の有様は少々目に余る。認めるのは癪だが、奴の気炎は余に残った。喝を入れるなら、好きにするがいい」

 

「言われなくとも、そうさせてもらう」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「シオン」

 

「……っ!?黒金……?」

 

「負けるな。……ああ。それだけだ」

 

「…………うん。分かった。勝つ……!」

 

 

 ……やっと、お前の背を押せた気がするな。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくぶりに見た黒金は筋肉隆々の偉丈夫だった。それを見て……なんだろ、この感情。今まで味わったことのない温度を感じる。

 

 分からなくてもいい。前を向け。あたしは、このレースで勝つ!勝ってみせる!あいつが相手でも!

 

 ……黒金。今日まで支えてくれてありがとう。あたしを見放さないでくれてありがとう。

 

 その感謝をここで示す。全て、出し切る。

 

 黒金。貴方は、灯りを手に取った。あたしもそうした。

 

 その灯りはあたしたちだった。

 

 キラキラに憧れて、灯台守に憧れて、まったく交わることがないように見えて、重なっていて。

 

 ずっとあたしたちは親友だ。この温もりの名前は知らなくとも、それだけは事実だ。

 

 

『各ウマ娘、ゲート入り完了しました』

 

 

 ──勝つ!

 

 

『スタートしました!』

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

 

 

 オルフェーヴル!あんたは強い!ずっと、背中を見てるだけだった!

 

 

「ハァッ、ハァッ……!」

 

 

 体が酸素を求めて息を加速させる。それでも一歩ずつ。あたしらしく。

 

 

「ハァッ……!」

 

 

 負け続けてきた。いつもあんたの後ろを漂っているだけだった……!

 

 

「──……!」

 

 

 でもっ!今のあたしが背負ってるのは、あたしの思いだけじゃない!

 

 黒金が見てる!だから──

 

 

「負け、られ、るかああぁぁっ!」

 

 

 紫電一閃。最強の一歩。

 

 今だけは、あたしが最強だ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「最も美しく、輝かしい存在に……なれたっすかね」

 

 

 一人呟いて、観客席を見やる。

 

 ずっと憧れていたこの景色。あんた(オルフェーヴル)がいたから、貴方(黒金)がいたから、あたしはここまで辿り着けた。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 ありがとう。何度でも、言おう。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……改めて、ごめんなさい!あたし、自分勝手だった!」

 

「なんでお前が謝るんだ。やらかしたのは俺の方──」

 

「黒金がなんて言おうと、こればっかりは全部あたしの所為だよ。お願い、謝らせて……。ってこれはこれで押しつけがましい……!」

 

 

 なんだろう。黒金を見る度、黒金と話す度、よく分からない感情が首をもたげる。

 

 ……知らなくてもいい。さっき決めたばかり。

 

 それでも、敢えて名づけるとするならば、この感情は──

 

 

「けほ……黒金!」

 

「なんだ?」

 

「……大好き!……っす」

 

 

*1
ここでは一人の動きを指す

*2
手押し車のこと

この感情は──

  • 恋だ。
  • 友愛だ。
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